第101話 『Perfect Game (7)』
山崎と大村が、マウンドから自分の守備位置に戻っていく。
マウンドに独りになった“りん”は、天を見上げて深呼吸をした。
日差しは強い……が、たまにそよぐ風は、ジメつくことのない爽やかな風だ。
握り締めた硬球の感触は、夏美と一緒に“あの場所”で野球の練習をする時の感触と同じ。
今となっては、軟球よりも、はるかに慣れ親しんだ感触と言えるだろう。
あのストライクナインのパネルを相手に、自分なりにベストのピッチングフォームとコントロールを磨いた日々。
そして、その成果を試す機会としては、まさに願ってもない舞台。
和宏の脳裏を、感慨深い思いがよぎっていく。
(……さて、いくかっ!)
主審である山本の「プレイ」のコールがかかって、ようやく試合が再開された。
左バッターボックスに入ったのは、滝南の五番バッター……ただし背番号は“29”。
まず間違いなく、この選手も二軍の選手だろう。
しかし、五番バッターといえばクリーンナップの一人。
当然、大村のリードも慎重になるはず……と思いきや、サインは内角……それも大きく外してバッターの胸元に。
(……!?)
初球から……コントロールを誤れば、死球になりかねないコースである。
こんなボールを要求する大村の真意は定かではないが、“りん”は、大村のリードを信じて力強く頷いた。
大きく振りかぶったワインドアップモーション。
そして、アンダースローから放たれた“りん”の球が、バッターボックスのベース寄りに立って構えていたバッターの胸元に襲い掛かる。
バッターは大きくのけぞって事なきを得たが、当然、判定はボールだ。
「おいおい! デッドボールだけは勘弁してよっ!」
滝南ベンチから、笑いとともにヤジが飛んだ。
もちろん、コントロールミスでも何でもないので、“りん”は馬耳東風に聞き流す。
次は、使い古されたセオリーどおりならば、内角球でバッターをのけぞらせておいて外角勝負……ということになるが、大村のサインは再び内角だった。
しかも、ボールからストライクコースへ入ってくるカーブの要求である。
(……えげつないリードだなぁ……)
内角に危険球まがいのタマを投げつけておいて、さらに内角という配球は、大胆不敵と言って差し支えない。
やはり、大村のリードは一味違う。
サインを出す大村を覗き込みながら、“りん”は、心の中で苦笑しつつ平常心を装った。
“りん”の球はスピードがないだけに、カーブのキレが足りなかったり、コントロールをミスれば、ただの絶好球になりかねないのだが……“りん”にとっては、コントロールと球のキレこそが最大の武器。
自信を持って投じたカーブは、絶妙のコントロールでストライクコースに軌道を変え、内角へのボール球に少し腰を引いたバッターが、鋭い角度でキレ味良く変化したカーブに目を剥く。
「スットライックッ!」
ボール球と思って見逃そうとした球が、鋭くカーブしてストライクゾーンを見事にかすった。
山本のコールは、相変らずの仰々しさであったが、高校野球審判員の資格を持っているだけあって、その判定眼にはかなり信頼が置けそうだ。
「りんーっ! ナイスーッ!」
「どんどんいっちゃえ~っ♪」
「ナイスピーですー!」
いつの間にやら、一塁側ベンチに陣取った沙紀と東子が、栞と一緒になって声を張り上げている。
ここまで女性の声など全くなかったグラウンドに、いきなり響き始めた黄色い声援。
雰囲気的にはかなり浮いていたが、声援自体は“りん”にとって、決してマイナスではない。
カウントはワンストライクワンボール。
三球目……ここで、大村から、満を持しての外角低めのストレートのサインが出た。
内角と外角、高低、そして変化球を上手く使い分けたリードといえる。
“りん”もまた、そのリードに応えた。
外角低めのストライクゾーンギリギリ一杯のところ、ピシリと決まったストレートを、滝南の背番号“29”は手が出ないといった感じで見逃すしかなかった。
もちろん、コールはストライク……カウントはツーストライクワンボールだ。
(やっぱいいよ……大村クンのリードはさ……)
ここまで一球たりともバッターの狙いを絞らせない大村の好リードに、“りん”は自然に口元を綻ばせた。
そして、四球目の大村のサインは……外角へのカーブ。
カウント的に追い込まれたバッターは、この打ち頃の外角球をフルスイングした。
だが、外角のストライクゾーンから、キレ味鋭く逃げていくカーブは、かするのが精一杯。
ガシッ……と、間の抜けた金属音とともに、打球はファーストの正面にボテボテと転がり、平凡なファーストゴロに倒れたバッターは、天を仰いで悔しがった。
(まずは一人……)
そう呟きながら、“りん”はマウンド上でロージンを弄くった。
同時に、一服の清涼剤のような風がマウンドを舐めるように吹き抜け、“りん”の上気した顔の熱をさらっていく。
一人のバッターを打ち取った直後というタイミングも手伝って、なんとも極上の心地よさだ。
「いいぞ萱坂っ! ナイスピーだっ!」
サードの山崎が、左手にはめたグラブを、右手でバンバンと叩きながら、声を張り上げる。
キャプテン兼ムードメーカー……その山崎の闘志溢れる激により、鳳鳴ナイン全体が明らかに活気付いていった。
「ナイスファースト!」
“りん”の透き通るような声が青空の下に響き渡り、大村もベース前に立ち上がっては激を飛ばした。
「ワンアウトワンアウト! しまっていこ~!」
……オウ!
誰からともなく、掛け声が返ってきては、確実に盛り上がりつつある一体感が、“りん”の背中を力強く後押ししていく。
青い空と暑い日差し。
白球……そして、八人の仲間たち。
(……やっぱ、野球はこうでなくちゃ……な)
“りん”は、帽子をかぶり直しながら、嬉しそうな笑みを浮かべた。
―――TO BE CONTINUED