第98話 『Perfect Game (4)』
「オラァ! 光星っ! そろそろ初回のポカの借りを返せよっ!」
一際デカイ山崎のヤジ……というか、ゲキが辺りに響く。(ちなみに“光星”とは一番バッター広瀬の下の名前である)
一回表の守備の時に、ダッシュの遅れから、センターオーバーのタイムリーヒットを許してしまったことを思い出し、苦々しい笑みを浮かべた広瀬だったが、すぐに表情が引き締まった。
何よりも、広瀬自身が、「借りを返したい」と、最も強く感じていることなのだ。
初回の攻防こそ1対1に終わったが、以降は“優勢な鳳鳴”と“劣勢な滝南”という構図で試合が進み、回は六回裏……鳳鳴の攻撃。
二塁にランナー御厨を置いて、一番バッターの広瀬……という場面だ。
すでに、滝南のピッチャーは、一球ごとに汗を拭い、疲労で一杯一杯なのがアリアリと出ていた。
だが、一打出れば勝ち越しという場面であるにもかかわらず、交代の気配はない。
(ここはチャンスだな……。ピッチャーヘロヘロだし)
“りん”は、隣にいる沙紀や東子に聞こえないくらい小さく呟いた。
この場面、“りん”が滝南の監督なら、間違いなく交代させているだろう。
なにしろ、ツーアウトとはいえ、得点圏にランナーを置いているのだ。
毎回のようにランナーを出しながら無得点の続く鳳鳴にとっては、これまでのイヤな流れを変えるためにも、このチャンスは絶好にモノにしたいところだと言える。
ちなみに、滝南の攻撃陣は、対照的に元気がなく、四番の背番号“2”が、2安打と気を吐いているものの、二回以降は得点に結びついていない。
予想以上に、滝南打線が、御厨の投げ下ろしのタマに手こずっている感じだった。
「これで打ったら、点が入るよねっ……?」
「そうだな……。可能性は十分と思うけどな」
確かめるような東子の問いに、“りん”が答える。
ヒットの質にもよるが、ツーアウトということもあって、打った瞬間にランナーがスタートを切るであろうから、ワンヒットでホームに生還する可能性は確かに高い。
滝南のマウンド上の背番号“21“のセットポジション。
そこから投じられたタマはカーブ……だが、初回に比べると明らかにキレが衰えていた。
広瀬が、甘く入ってきたカーブを力強く叩き、乾いた金属音を残して、打球はセンター前へ。
「「打った~っ!」」
沙紀と東子が叫んだ……“りん”の耳がキ~ンと痛くなるほどデカイ声で。
一塁側ベンチからも歓声が上がり、全員が総立ち状態だ。
打つ直前からスタートを切っていた御厨は、何の躊躇もなく三塁を回った。
しかし、センターから返ってきたのは、意外なほどの好返球だった。
クロスプレー。
舞い上がる土煙。
足から滑り込んだ御厨と、中継なしのツーバウンドで返ってきた送球をミットに収めた背番号“2”。
そして、土煙が晴れる頃……ミットからボールが零れ落ちていないことを確認した主審の山本のコール。
「アウトッ!」
滝南の好守に阻まれ、またも無得点に終わった鳳鳴ベンチからは、大きなため息が上がった。
「あ~あ……」
「もう! 先生もちょっとくらい見逃せばいいのに……」
ため息をつく東子と、スポーツマンシップはどこへ行った? ……という発言をする沙紀。
一塁側のベンチからも、かなり濃いガッカリムードが漂っていた。
広瀬のバッティングも悪くなかったし、御厨の走塁も決して悪くはなかった。
ただ、センターからの返球が見事だったのと、背番号“2”のブロックが上手かっただけだ。
その背番号“2”は、ボールをマウンドに転がして、飄々と三塁側ベンチに戻っていく。
だが、もう一人のクロスプレーの当事者の御厨が、仰向けに倒れたまま、なかなか立ち上がってこない。
「おい? どうした御厨? 立てるか?」
鳳鳴高校の監督である主審の山本は、仰向けになったまま動かない御厨を、心配そうに覗き込んだ。
「……っく……足がっ……」
右足。
御厨の苦悶の表情から、普通のケガではないことは容易に想像がついた。
マネージャーの栞が、救急箱を持って走る。
ザワザワとし始めたグラウンド上の雰囲気。
立つことさえままならない御厨のケガは、栞の手に負えるはずもなく、鳳鳴の一年生部員が持ってきた担架に乗せられて運ばれていく。
「大丈夫……かなぁ?」
「……どうだろ? あの痛がり方は捻挫とかじゃなくて骨折じゃないかな……」
和宏も、何度か骨折直後の選手を見たことがあったが、その痛がり方は尋常ではないことが多い。
負傷直後の御厨の様子を見る限り、少なくとも捻挫……最悪骨折かと思われた。
一塁側ベンチ周辺に集まった監督の山本、キャプテンの山崎たちも、同じ感想を抱いている。
そう確信させるような……なんともいえない重い空気が、一塁側ベンチ周辺を支配していた。
もう御厨が投げることは出来ない。
悪いことに、控えピッチャーの1年生は、急病で今日は休んでいる。
つまり……もうピッチャーがいないのだ。
誰もが口を開かない、重い沈黙が長く続く。
試合続行は不可能なのだと理解しながら、それを言葉にすることが出来ない。
キャプテンの山崎は、歯をギリリと噛み締めていた。
大村も……他のナインも気持ちは同じだ。
誰もが、胸の内に“それだけの理由”を抱えているからだ。
「あの……」
この重苦しい雰囲気の中で、栞が挟んだ声は、珍しく遠慮がちだった。
そんな栞に、山本や山崎、大村たちが、一斉に視線を向ける。
スコアブックを胸に抱きながら、ピクリと身を硬くする栞。
急に注目を浴びたことに戸惑いつつも、栞はおずおずと校舎側のフェンスを指差しながら言った。
「……ピッチャーなら……まだいますよ」
栞の指差した先には……フェンスに張り付いて試合を観戦している“りん”がいた。
―――TO BE CONTINUED