第七話
「間違いないのですか?」
私は頷く。
特徴的な赤い瞳も、あのどこか異質な笑顔も、驚くほどに記憶の中の彼と変わらなかった。
前世の彼、ルシアン様は隣接する大国の皇太子だった。
私は18歳で命を捧げる運命にあったのに、彼もその事を知っていたはずなのに、その誕生日の直前、突然私の国を訪れ私を……セラスティアを婚約者に欲しいと申し出たのだ。
セラスティアを含め皆が驚いた。でも結局大国の皇太子である彼の申し出を断ることは出来ず、私は彼の名前だけの婚約者となった。
しかし運命は変わらず……セラスティア亡き後、彼がどうしたのかは勿論私の知るところではない。
「彼は、貴女に何と?」
「ずっと捜していたと、そして共に行こうと……言われました」
思い出して自分の腕を強く握りながら言うと、ユリウス先生の顔が険しくなった。
「件の犯人は、その彼に間違いなさそうですね」
「え?」
「例の事件の被害者ですが、幸いにも皆すぐに戻って来ているようです。いえ、帰されている、と言った方が正しいかもしれません」
「帰されている?」
妙な言い方に首を傾げると、先生は不快そうに続けた。
「犯人はとても美しい男で、声を掛けられた女性は自分からついて行き、しかし皆『お前ではない』と追い払われたらしいのです。そういうわけで隠したがる女性も多く、あまり公にはなっていないようですが……」
と、そこで先生が真っ直ぐに私を見つめた。
「おそらく、彼の本当の狙いはミス・クローチェ、貴女です」
そう冷静な声で言われて、改めてぞくりと鳥肌が立った。
「……なんでレティなの」
「アンナ?」
小さく呟いたアンナの方を見る。
アンナは俯いたまま震える声で言った。
「だって、それは前世の話なんでしょう? 今のレティに何の用があるの?」
「確かに。心当たりはないのですか?」
ユリウス先生が後を続けた。
私は首を振る。
「全く……わかりません」
前世でも、ルシアン様がなぜ私を婚約者に望んだのか結局わからなかった。
今の私に奇跡の力はないし、確かに聖女の証は現れたけれど、今の私に出来ることなんて何もないはずなのに……。
アンナが硬い声で言う。
「レティを守らなきゃ」
「アンナ……」
「だってあの人、また迎えに行くって言ってたわ。また来るつもりよ。ねぇラウル、あなたレティの許婚でしょう? レティを」
「俺は信じねえ」
「え?」
低く呟いたラウルを見つめる。
彼はゆっくりと顔を上げ、私を睨み付けた。
「俺は前世なんて嘘くさいもん絶対に信じねえって言ってんだよ」
(ラウル……)
ズキリと胸が痛む。
そして彼はくるりと私たちに背を向けた。
「俺もう帰って寝るわ」
「ラウル!」
アンナが非難めいた声を上げる。けれど、彼は構わずにひらひらと手を振って部屋から出て行ってしまった。
ふぅとユリウス先生が息を吐く。
「彼も複雑な心境でしょうね」
「……」
あんなに怒ったラウルを見るのは初めてだ。
彼からしたら、女の子との楽しい時間を邪魔されて、先生に叱られて、挙げ句幼なじみの前世なんて信じがたい話を聞かされて……。
(怒って当然だ)
ショックで俯いていると先生は続けた。
「前世云々はともかく、あなたが狙われているのは確実なようです。この学園の生徒だということもバレていそうですし、貴女はしばらくご自宅へ戻られた方が良いかもしれませんね」
「嫌です!!」
思わず大きな声を出してしまっていた。
(今、先生と離れたくないのに……!)
「ミス・クローチェ」
「……っ」
窘めるような言い方に、ぐっと奥歯を噛む。
「明日、早速支度を。学園側には私から話しておきましょう」
「……」
「今日はもう遅い。寮の警備を強めてもらいますから、部屋に戻って早く休んでください」
先生が、守ってはくれないんですか?
そう言いたくても、言えなかった。
「念のため、部屋の鍵と窓はしっかりと締めてくださいね。ミス・スペンサー。ミス・クローチェをよろしくお願いします」
「は、はい!」
アンナがしっかりと頷いてくれて、私は小さく彼女にお礼を言った。
⚔⚔⚔
「アンナ、色々とごめんね」
部屋に戻ってすぐに、私はアンナに謝罪した。
私のせいで怖い思いをさせてしまったこと。そして、前世の話をこれまで隠していたこと。
「驚いたわよ」
「そう、よね……」
ラウルだってあんなに怒っていたのだ。アンナだって……。
「でも、私だったらどうするだろうって考えたら、きっと私も話せなかったかなって」
「アンナ……」
「それに、あのレティが急に先生にぞっこんになったのも、これで納得がいったかも!」
悪戯っぽくアンナが笑って、胸がじんわりあたたかくなる。
「ありがとう。アンナ」
「でも素敵ね。まさに運命の再会じゃない! ねぇ、ユリウス先生の前世ってどんな感じだったの?」
興味津々というふうに聞かれて、嬉しくなる。
「クラウスって騎士だったんだけど、とっても優しくていつも私を傍で守ってくれて、凄くかっこ良くてね……」
私は初めて、アンナにクラウスの話をした。
ベッドに横になっても、彼の話は尽きなくて。
「はぁ~~そんなの私だって絶対好きになっちゃう!」
「でしょう?」
アンナはうっとりした顔で私の話を聞いてくれていたけれど、そこで急に我に返ったように真顔になった。
「本当にその生まれ変わりがユリウス先生なの?」
「う、うん」
「なんというか……随分と変わっちゃったのね……?」
「うん……」
「そ、それでもレティにはわかったんだもの! やっぱり素敵だわ!」
アンナが気遣うように言ってくれて、私は苦笑する。
「――それにしても、例のあの彼」
「ルシアン様?」
今は『様』なんて敬称は付けなくていいのかもしれないけれど、ついそう呼んでしまう。
でもアンナは特にそれを気にする様子なく頷いた。
「確かに綺麗な顔はしていたけど、雰囲気がちょっと……前世の頃もあんな感じだったの?」
「うん……怖いくらいに変わってなかった」
「レティは、その、前世で彼のことを好きって気持ちは」
「まったく!」
首を振って被り気味で否定すると、アンナは少しほっとしたような顔をしてから真剣な声音で続けた。
「私、あのとき身体が震えて何も出来なかったことが悔しくて……何のために護身術習ってきたんだろうって。だから、もし次あの人が来たら、私レティを守るわ」
アンナは初等部の頃から護身術クラブに入っていて、私も彼女が強いことは知っている。
「ありがとう」
「でも、明日お家に帰っちゃうのよね。寂しくなるわ」
「私も」
「でも仕方ないわよね。確かに、レティのお家の方が絶対に安全だもの」
「うん……」
本当にそうだろうか……? 心の中で呟く。
ルシアン様のあの笑みを思い出すと、どこにいても安全ではないような気がして。
(本当はこの学園から……ユリウス先生から離れたくないのになぁ)
その夜は言い知れぬ不安に、なかなか寝付くことが出来なかった。