第ニ話
「引いてみる?」
その日の夜。
学生寮のルームメイトでもあるアンナがベッドに横になって悪戯っぽい目をこちらに向けていた。
「そう、よく言うじゃない。押してダメなら引いてみろって。レティこれまでほぼ毎日のように先生のとこ行ってるでしょう?」
「うん」
「だから、一旦引いてみるの。会いにいかないようにするのよ。そうしたら案外先生も、最近レティ来なくなったなぁって気になるかも」
アンナが一部声を低くして言うのを聞いて、私もベッドに横になりながら訊く。
「一旦ってどのくらい?」
「例えば、一月くらいとか」
「それはダメ!」
思わず声が大きくなってしまった。
(だって、一月したら誕生日が来てしまうもの)
と、アンナが目を丸くしていて慌てて謝罪すると彼女はクスクスと笑った。
「そんなに会いたいんだ」
(会いたいというか、思い出して欲しいんだけど)
「応援してるわ」
「ありがとう、アンナ」
続けておやすみと言おうとして。
「あ、そういえば、例の誘拐事件またあったらしいわよ」
「えっ」
不穏な話題にどきりとする。
――最近よく耳に入ってくる奇妙な連続誘拐事件。
私たちくらいの歳の女性ばかりが狙われているらしいが、新聞や公な場では全く報道されず、あくまで噂としてだけ流れてくる。
他国からの謀略だとか、どこぞの王子様のお妃探しだとか、はたまた悪魔信仰者が乙女の生き血を求めているのだとか様々な憶測が飛び交っているがどれも真偽は不明。
アンナはこの話に興味津々だった。
「今回被害にあった子、この学園のすぐ近くに住んでるんですって」
「え!?」
流石に驚く。
「おかしいわよね。そろそろ学園から注意があってもよくない?」
「うん……」
「明日もユリウス先生に会いに行くなら、ちょっと聞いてみてよレティ」
「えー、さっき会わないようにって話したばかりでそれ言う?」
「あ、そうだったわ」
そうして私たちはクスクス笑ってからおやすみを言って目を閉じた。
(でも、明日の話題に丁度いいかも)
結局、明日もユリウス先生に会いに行く気満々で私は眠りについたのだった。
「様……姫様……」
「クラウス?」
またいつもの夢。
――いや、いつもとは少し違う……?
何もない空間に、私はひとり立っていた。
私を……セラスティアを呼ぶ声だけが響いていて、言いようのない不安に胸を押さえる。
「姫様」
と、目の前にいつも夢に出てくる長剣を携えた彼が現れた。
「クラウス」
綺麗な金色の髪。でもその碧い瞳が今日は少し憂いを帯びている気がする。
彼が私を見つめ口を開いた。
「姫様に、危険が近づいています」
「どういうこと?」
「どうか、お気をつけて……」
そうして、恭しく頭を下げたまま遠のいていってしまうクラウス。
私は慌てて手を伸ばす。
「クラウス! 待って、クラウス!」
しかしクラウスはそのまま霧の中に消えるようにして見えなくなってしまった。
「クラウス……」
再びひとりぼっちになって項垂れていると、自分の服装がセラスティアのものではなくレティシアのものだと気づく。
――やっぱり、いつもの夢とは違う。
そのときふと気配を感じて顔を上げると、先ほどクラウスがいた場所に今度は銀髪に眼鏡の彼が立っていた。
「ユリウス先生!」
「……」
しかしユリウス先生は何も喋らず、ただこちらをじっと見つめるだけだ。
「ユリウス先生……?」
不安になってもう一度その名を呼ぶと、彼はゆっくりと口を開いた。
「僕に前世の記憶なんてものはありません」
「! ――で、でも先生は間違いなく」
「もう来ないでください。はっきり言って、迷惑です」
「!?」
冷たい言葉が胸を刺した。
そしてユリウス先生はくるりと背を向けて行ってしまう。先ほどのクラウスのように。
「待って……先生、待ってください! ユリウス先生!」
走って追いかけるけれど追いつけない。先生はどんどん離れていってしまう。
「ユリウス先生!」
悲しくて、胸が痛くて、私は泣きながら走って、走って――。
「レティ!」
「!?」
ハっと目を開けると、アンナが心配そうな顔でこちらを見下ろしていた。
「大丈夫? 大分うなされていたけれど」
部屋の中が明るい。カーテンの隙間から柔らかい光が差していてもう朝なのだとわかった。
ゆっくりと息を吐きだして、気だるい身体を起こしていく。
「嫌な夢、見ちゃって」
「ユリウス先生の夢?」
「!」
私が目を大きくすると、アンナが微笑んだ。
「名前呼んでいたから」
「ご、ごめん。うるさかった?」
「大丈夫よ。夢にまで出てくるなんてよっぽどね」
さすがに恥ずかしくて苦笑していると、アンナの視線が私の胸元で留まった。
「レティ、そこ赤くなってるけど虫にでも刺された?」
「え?」
見下ろすと、確かに鎖骨のすぐ下あたりが赤くなっていた。
摩ってみるが腫れてはいない。痒みや痛みもない。
気になって洗面台へ行き鏡に映して見て、ぎくりとする。
(まるで、薔薇のような――)
“これ”には、すごく見覚えがあった。
⚔⚔⚔
「先生! これ見てください!」
「は?」
朝一でユリウス先生の部屋に入った私は挨拶もそこそこに書物にまみれた机へと駆け寄った。
そして制服の襟元を大きく開けてみせると先生はぎょっとした顔をした。
「なっ、何をしているのですか!?」
慌てた様子で顔を逸らした先生に私は更に詰め寄る。
「いいから見てください!」
「ミス・クローチェ! 自分が何をしているのかわかっているのですか!?」
「薔薇の痣が! 急に出てきたんです!」
「え……?」
ユリウス先生はゆっくりと私の胸元へと視線をやり、そのアメシスト色の瞳を大きくした。
「この薔薇の痣は『聖女』の証なんです!」