第十三話
「まず、この件については他言無用でお願いします」
ユリウス先生は本の積み重なった机の向こうに腰を下ろすと、そう切り出した。
昨夜に続いて先生の部屋に通された私たちは緊張を覚えながらその続きを待った。
「貴方たちの推測通り、彼はエストガリア王国の第二王子リュシアン殿下に間違いなさそうです」
私は息を呑む。
「やっぱり」
アンナが隣にいる私にしか聞こえないような小さな声で呟いた。
そして先生はラウルに視線を向けた。
「ですので、貴方からしたら不本意でしょうが、この件はくれぐれも内密にお願いします」
先生がもう一度念を押すように言うと、ラウルは腕を組み偉そうな態度で答えた。
「わかってるよ。俺だって面倒事はごめんだからな。それに……」
「えぇ、それがミス・クローチェを守ることにもなります」
私は目を見開く。
(先生も、アンナと同じように考えてくれていたんだ)
と、ラウルが小さく舌打ちするのが聞こえた。
「そ、それで、その彼はどうしたんですか? 引き取ってもらったって……?」
アンナが訊くと先生は変わらず淡々とした調子で答えた。
「詳しくは言えませんが、とある信用のおける方に頼みました。彼はすぐに本国に帰されるはずです。ですから、もう心配は要りません」
「そんな説明で安心出来るわけねぇだろ!」
バンっと大きな音を立ててラウルが先生の机に手を着き、私とアンナは首を竦めた。
ユリウス先生は眉一つ動かさずにそんなラウルを見ていた。
「ユリウス先生、あんた何者だよ。ただの教師じゃねーんだろ?」
「僕はただの教師ですが?」
「嘘つけよ。あんなことが出来る教師がどこにいんだよ。武器まで隠し持ってさ」
「武器?」
「誤魔化すなよ。俺たち見てたからな、あんたが奴の腕をペンみたいな武器で刺すところ」
「あぁ、これですか?」
先生はあの時のように胸ポケットからそれを取り出した。
「みたいな、ではなくただのペンですよ。それにキャップはしたままでしたので刺してはいません」
「……っ」
先生の言う通りそれはどう見てもただのキャップ付きのペンだった。
それでもあの勢いで叩かれたら普通に痛そうだ。彼が剣を取り落としたのも無理はない。
「ミス・スペンサーと同じです」
「え?」
急に呼ばれたアンナが声を上げる。
「僕も昔、護身術を習ったことがありまして、それが今回役に立ったということです」
「~~っ、あーそうかよ!」
ラウルが悔しそうに先生の机から離れた。
「僕に訊きたいこと、というのはこれで全部ですか?」
「まだだ。……あんた、本当に前世のこと何にも憶えてないのか?」
まさかの問いにどきりとする。
「クラウス、だっけか? レティもあの王子も前世のあんたのことを憶えてるのに、あんただけ記憶がないなんておかしくないか?」
「そう言われましても」
「――あっ」
そのときふと思い出して私は声を上げた。
皆の視線が私に集まる。
「そういえば先生……私が聖女の力を使う直前、私のことを『姫様』って……」
「!?」
――あのときはとにかく必死で今まですっかり忘れていたけれど、確かにあのとき先生の口から聞いた気がした。
『姫様ならきっと出来ます』、そう確かに。
(もしかして、先生……)
先生の紫水晶のような瞳がまっすぐに私を見ていて期待に胸が高鳴る。
でも、先生は小さく息を吐いてからその目を伏せてしまった。
「あのとき貴女は完全にパニック状態でしたから、僕がそう呼べば少しは冷静になれるのではないかと……期待させてしまったのなら申し訳ありません」
そうして先生は私に頭を下げた。
――現に私はあの言葉で落ち着きを取り戻し、聖女の力を使うことが出来た。お蔭でラウルの命が助かった。
先生の判断は正しかったということだ。
「僕には前世の記憶はありません」
「そう……ですか」
もう何度も言われているその言葉にがくりと肩を落とす。
「――あ、あの先生、レティはこのまま学園にいてもいいんですよね?」
「!」
そう訊ねてくれたのはアンナだ。
そうだ。今日にでも私は家に帰されるという話だった。
しかしもう誘拐の心配はなくなったのだ。――ということは。
「えぇ」
先生が頷き、私は思わず歓声を上げそうになった。
「ただ、彼女の力のことはくれぐれも他の方にバレないように。その薔薇もです」
「あ……」
薔薇のある胸元に手を当てる。
「あのとき誰も見ていなかったとは思いますが、万が一ということもあります。念のため気を付けて過ごすようにしてください」
「はい!」
私はしっかりと返事をする。
「それと、学園内ではもう二度とその力は使わないように」
「はい。わかりました」
「良かったわね、レティ!」
アンナが嬉しそうに言ってくれて、私は笑顔で頷く。
「あぁ、そうだ……」
と、先生が何かを思い出したように身体を傾け机の引き出しを開けた。
「ばい菌が入るといけませんので、良かったら使ってください」
そうして差し出されたのはなぜか絆創膏だった。
「え?」
瞬間何のことかわからなかったけれど、先生が私の手を指差してあっと気が付く。
先ほど聖女の力を使うのに指を少し切ったのだった。
――姫様。すぐに手当てしますので手をお出しになってください。
そういえば、クラウスもいつも私が奇跡の力を使った後に応急処置をするための薬や包帯を持ち歩いてくれていた。
前世のことを憶えていなくても、同じことをしてくれたことが嬉しくて。
(それに、私も忘れていたこんな小さな傷を覚えていてくれたんだ)
「ありがとうございます。ユリウス先生!」
私は満面の笑みでそれを受け取った。
背後でラウルがまた小さく舌打ちするのが聞こえたような気がしたけれど。
(やっぱり私、ユリウス先生のこと大好きだなぁ)
このとき、私は改めてそう思ったのだった。




