いつもの空
見上げる空はどんよりとした灰色だ。いつもの道をいつもの格好で通り過ぎる。
薄汚れたジーンズに何年も着古したフリース。無理もない。
おれ達の世代は生まれてから景気のいい話など聞いたことがない。
右を向いても左を向いても不況不況。
おれもその煽りを真っ向から受けた。
大学卒業までに就職が決まらず、正確には決まっていた会社から業績悪化のため内定取り消しを受けたのだが。
その後は書類選考も通過出来ず、そのまま大学を卒業し、
今は生活のために仕方なく近くの自動車工場で期間労働員として働いている。
両親は既に他界し、頼るところもない。
東京で生活するには今の給料じゃ食べていくのがやっとだ。
正社員としての就職活動もうまくいかず、正直年々力が入らなくなってきていた。
今では殆ど活動すらしておらず、未来に期待することもなく日々の生活に追われている。
日本では新卒を逃すとチャンスの機会がガクンと減る。
長い事こんな状態のままでは、まともな会社でまともに働けるのかその自信すらなくなってくる。
工場のベルトコンベアーに乗って、自動車部品だけでなくおれの生命力も少しずつ少しずつ流され奪われているようだった。
今年おれは29歳。
30歳までの最後のカウントダウンだ。
貯金もなく、毎日の生活で精一杯だった。
いつからこうなってしまったのだろうか。
一応夢はあった。
中学時代から美術部で絵を描くことが好きだった。
将来はイラストレーターになりたいなどと漠然と思っていた。
高校でも美術は続け、それなりの評価を受けた事もあった。
大学に入ってしばらくしてイラストレーターが狭き門なのだと知りおれはあっさりとその道を諦めた。
それだけの夢だったのだ。
勤めている自動車工場までは家から歩いて30分。
おれは昨日と同じ道を同じように通り、昨日と同じ仕事をして、また同じ道を通り家に帰る。
見上げる空はいつもと同じでどんよりとした灰色だ。
おれはここ最近、就職活動というものをしなくなっていた。
求人誌や求人サイトに目を通すのは月に1回程度。
見たからといって特に行動を起こすわけではなかった。
どうせまたダメだ。それだけ労力の無駄。そう思ってやる気をなくした。
もう何もかもが面倒くさくなっていた。
将来のこと、人生のこと、考えると押し潰されそうで、
仕事から帰るとその日の安酒と、見飽きたアダルトビデオで必死に現実から目を背けていた。
何かきっかけが欲しかった。
漠然と何かにすがりたかった。
この日常を変えてくれる何かに出会いたかった。
しかし、そんなものが都合よく現れるわけもなく、
答えが見つからないまま眠りにつくというのがお決まりのパターンだった。
その日の仕事を終えて携帯電話を見ると珍しく着信が残っていた。
大学時代の同級生だった。
そいつは沢村といい、確か大学卒業と同時に医療機器の営業職に就いていたはずだった。
何年ぶりだろう。
おれは懐かしくなると同時に、社会人をしている友人に今の自分の有様を知られるのが嫌だった。
携帯電話を見つめながら折り返すべきか躊躇っているとまた電話が鳴り出した。
再び沢村からだった。
少し迷ったが出てみることにした。
「おー、久しぶり、元気にやってるか?」
懐かしい沢村の声が聞こえてきた。
「まぁなんとか生きてはいるよ。」
「今仕事で偶然近くにいるんだよ。よかったら会わないか?」
もしかしたら沢村との再開が、何かを変えるきっかけになるかも知れない。
藁にもすがるとはこのことか。おれは沢村と会うことを了承した。
待ち合わせた居酒屋に沢村は少し遅れてやってきた。
「悪い、悪い、急に取引先から電話が入って。」
「大丈夫なのか??」
「うん、もう片付けてきた。」
「それにしても久しぶりだな。大学卒業以来だもんな。」
沢村はくたびれたスーツ姿で、学生時代から10kg以上は太ったのだろう。
どこからどう見ても一人前のサラリーマンだった。
以前と比べると、落ち着きと貫禄と疲れが同居しているようなそんな印象を受けた。
俺たちは二人だけの乾杯を済ませると、沢村の近況報告が始まった。
入社当初から毎日12時過ぎまでの残業は当たり前で、とうとう二ヶ月前に体を壊して入院したそうだ。胃潰瘍だったらしい。
体力的にも将来的にも今の仕事をいつまで続けられるか悩んでいるようだった。
俺は俺で今の近況を少しずつ、タイミングを見ながら話をした。
あまり深刻になり過ぎないように、冗談も交えながら。
今の現状を知られたくないという気持ちも確かにあった。
しかし、それ以上に誰かに話したくて、聞いて欲しくて仕方がなかったのだ。
それからは、思い出話や大学時代の他の友人が今どうしているかなど話は尽きなかった。
時計を確認すると、店に入ってから4時間が過ぎようとしていた。
もうそろそろというときにやつが意外なことを言い出した。
「大学時代おれはお前の事ずっとすげーなーと思いながら見てたんだぜ。」
「成績も優秀で頭も良くて、ゼミでもほら、いつも一人ずば抜けた発言してたろ。」
「いつもすげぇな~って関心してたんだよ。」
「そんな大したもんじゃないよ。」
「いや、大したもんだよ。中でもお前が企画した学校祭はインパクトあったな。」
あぁ、あれか。それはおれが企画から携わり、
毎年の退屈な学校祭を新しい角度から捉えた全く新しい学校祭だった。
確かに周りからの評判も良かった。
あの企画をやり遂げた充実感は今のからっぽになったはずのおれの心にもほんの少しだけ残っていた。
「そんなお前がさ、ちょっとしたボタンの掛け違いというかなんというか、こうも自信をなくしちまうんだもんな。」
沢村と別れたおれは朝まで考え続けた。
久しぶりに人に褒められた事が嬉かったし、自分の良いところも思い出すことが出来た。
何年振りだろう。
この気持ちを無駄にしちゃいけないと思い、少しずつだが毎日を変えることを決意した。
朝いつもより1時間早く起きて興味のあることを調べる時間にした。
食事をいつものコンビニ弁当から簡単なものでも自分で作る事にした。
休日は朝からランニングもした。
こんなことしか思いつかなかったが、何もやらなずに不安を抱えて悶々としていたときよりも、
気持ちがすっきりとしてきた。
些細な変化の積み重ねがおれに活力とやる気を回復させた。
沢村と会ってから3ヶ月程経った頃、グラフィックデザイナーという仕事に興味を覚え、挑戦することを決意した。
グラフィックデザイナーという仕事のことを調べるとともに、
その職種を募集している会社も探してみることにした。
未経験でも可というところが何社かあった。
おれは可能性がありそうなところには片っ端から履歴書を送り続けた。
数日後1つの会社から面接の知らせが届いた。
設立して5年の小さなベンチャー企業だった。
社員は30名程度だがやりたい事が出来そうだった。
社長は40歳で、面白い考え方を持った人だった。
従業員の人もみな個性的で生き生きと働いているように見えた。
おれもこの会社で働いてみたいという気持ちが芽生えた。
その日の夜に出来るだけ早くから働きに来て欲しいと連絡があった。
おれは飛び跳ねて喜んだ。
こんな簡単なことだったんだ。何故今までとつぼにはまり続けていたのだろう。
沢村がおれに自信を取り戻させてくれた。それを無駄にしなかった。
工場には今月一杯で辞めさせてくれるよう頼んだ。
工場長もおれの再就職を喜んでくれた。
お前はまだ若いんだ。しかっりやるんだぞと気合も入れてくれた。嬉しかった。
いつもと同じ帰り道。見上げる空は…いつもとは全く違う清々しい夕焼け空だった。
完




