3/6 「読むという行為」
「はあ、本当に俺の忠告を聞かないやつだな」
この人は次のページを開いている。あんなにもネタバレをしたというのに、頑なにページを開いては文字を追っている。
もしかして、この人にとってはネタバレというのは大した問題ではなく、小説を読むという行為に準じているだけだと言うのか?
そんな馬鹿な……。それじゃネタバレなんていくらしたところで意味がないじゃないか。
く、意味がなかったのは俺の行動だったということか。2ページぶんの俺の労力を返してくれ!
わかった。わかったよ。この人が読むという行為自体が大切だと考えているのなら、俺はそれに付け込んでやる。
読むという行為は文字があるから行われるのだ。そして読むという行為が発生するのは、文字に対して何かしらの興味があるからだ。
それらを加味して取れる手段というのは、その文字を興味のないものにするか、それとも文字自体をなくしてしまうかだ。
興味がなければ読み進める必要もない。文字がなければ読む行為そのものができない。
ならばまずは文字に興味をなくさせてみることにしよう。
では文字に対して興味をなくすというのはどういうことかを考えてみる。
興味があるということは関心があるということだ。関心があるということは何かしらそれに意味を見出しているということでもある。意味を持つものあらゆるものに関心を抱くことは可能といってもいいのだ。
そうなると、意味があるものに対して意味を取り外せば関心もなくなるということになるのだろうか。意味も意図もない文字は関心を抱くことがない。意味のない文字は存在しないが、意図のない文字は存在する。
それは羅列された文字のことであり、単純に並べた文字は並べたという意図があるだけで、それを誰かに感化し感情に影響するということをしない。
つまり、こういうことだ。
「あ」
「い」
「う」
「え」
「お」
「か」
「き」
「く」
「け」
「こ」
「さ」
「し」
「す」
「せ」
「そ」
「た」
「ち」
「つ」
「て」
「と」
「な」
「に」
「ぬ」
「ね」
「の」
ふはは! どうだ! ただのあいうえお順に並んだ文字を見る気分は!
「は」
「ひ」
「ふ」
「へ」
「ほ」
「ま」
「み」
「む」
「め」
「も」
「や」
「ゆ」
「よ」
「ら」
「り」
「る」
「れ」
「ろ」
「わ」
「を」
「ん」
ふふふ、これなら読むことが大好きなこの人でも、意図のない文字列は流石に堪えるだろう。
「って、まだ読んでいるだと!?」
この人は、正気か!? 文字であれば何でも良いのか!?
"あ" でも "ア" でも "a" でも "亜" でも、文字であれば何でも良いとでも言うのか!?
これは参った。文字さえあれば良いなんて、ただの変態じゃないか。
そんな相手にどうしろと言うのか。変質者だぞ。きっと文字を見ただけでよだれを垂らし、目を血走らせて、口からは声にもならないうめき声を上げて恍惚としているに違いない。
俺はなんて人を相手にしてしまったんだ。ここまでの苦労は何だったんだ?
何か声をかけても返事はしてくれるわけでもないし、まあ返事してくれないことについてはわかりきっていたことでもあるが、コミュニケーションが取れないとなると相手の性格なんて一ミリもわからない。そんなやつの相手をしていたということは、俺は相手もいないのにずっとぶつぶつと呟いている気味の悪いやつみたいじゃないか。
そうなってくると俺が取れる次の手段は文字自体をなくすことしかできない。
正直なところそれは俺自身も困る。だって情報を伝達する能力をなくすことになるからだ。
だが、この人にとっては文字というものは快楽を得る麻薬のようなものであり文脈なんてものはあってないようなものなのだ。
そう考えると、俺がこうやって読むことを止める事自体も意味があるのかないのかわからなくなってきた。
だってそうだろ? 小説を読むのはやめておいたほうが良いと口を酸っぱくして言ってるのは、文字を読む以外に得るものがあるからだ。
新しい知識だったり、知見だったり、考え方だったり、文化だったり、人生だったりと、文字はあらゆる情報を含み不特定多数に効率よく伝達する連続した絵なのだ。
それを絵が持ち得る意味、意義、意図をすべてをかなぐり捨てて、いくつもの線が織り混ざっただけの絵で満足している。もはや人類の文化への冒涜といっても良いんじゃなかろうか。
ふふふ。わかった。わかったよ。あんたがその気なら、こっちにも考えがある。
どうせ最後のページを見てからでも遅くないといったところでこの人には届かないだろうしな。
「これならどうだ!」