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姫様は可愛い夫を誘惑している。




 私と兄は決して仲の良い兄妹ではなかった。

 それでも、幼心に兄を尊敬している自分がいたのは間違いない。

 少し歳の離れた兄は、月並みな言葉で言えばとても出来る人だった。怜悧な美貌はさることながら、真面目で勤勉、それに応えられるだけの優秀な頭脳を持つ兄。

 王太子の名に恥じない優美で洗練された立ち居振舞いは、私の物心がつく頃には完成されたものになっていた。病弱で臥せっていることの多かった私には、兄はとてつもなく大きな塔のように見えていた。

 立派で誇らしくて、遠過ぎた。


 ほとんど顔を合わせる機会がなかったにせよ、兄に悪印象を抱いたことは一度もない。

 悪い意味ではあまり印象に残らない人だった。私に何をするわけでもない、善でも悪でもない。

 比較的元気な日に対面した時、一度だけ手を伸ばされたことがあった。言うまでもなく、兄は護衛に引き剥がされたけれど。

 経緯は覚えていない。でも、何かを褒めようとしてくれたのだったと思う。私はその時、初めて兄を敵ではない存在として認識したから。


 そんな兄の口から、「これ以上は危険だ。至急フェリウを離宮に移そう」という台詞が出たのは衝撃的だった。

 初めて、誰かに裏切られたと思った。親は早々に諦めていた私にとって、一筋の縋りつきたい希望が兄だったのかもしれない。

 記憶が古すぎて、あの日の私が幼すぎて、明確には覚えていないけれど。



 兄が城に居座るようになって数日、私は夫との時間がごりごり削られているのを体感している。

 しっかり自身の仕事を持参してきていた兄は、ちょうど良いのか隣国の王である夫を捕まえて、私には難度の高いあれやこれやをしているようだった。

 結果、兄は進捗が良いのかご機嫌で、夫は仕事量が激増してやつれている。


 夫が解放されれば兄がやってくるのは当然私のところで、「兄妹なのだから時間を持つのは当然のことだろう」と、何をするでもなく側にいる。

 聞いてもいないのに、他国に遠征しては実戦を交え、己を鍛えていた話をされたり、身体が弱くても出来る運動方法を勧められたりと、若干興味が湧く内容ばかりを選んでくるので仕方なく聞いてあげている。

 運動は即日始めたけれど、そのことを兄に教えるつもりはない。調子に乗ってどや顔を決め込んでくるのが脳裏に浮かんで、イラッとするからだ。



 兄のせいで全く退屈しない日々を過ごしているけれど、夫が側にいない寂しさが拭えるわけじゃない。

 夫と兄の会話を聞いてしまってから、夫と私の寝室が別であるのに不満ばかりを感じている。

 一緒に眠っているのなら、日中、多忙で時間を作れなくても、夜になれば会えるのに。


 余計なことを考えるようになると、悪い想像が独りでに膨れ上がっていく。

 もし……もし、夫が自制して私を抱かないと決めているんじゃなく、そういう意味で食指が動かないだとかだったら、どうしよう。一人の女として、どうしようもなくつらい。

 一年前までは、誰も私に触れられないのだからと、そんなことは考えたこともなかった。


 不安に駆られた私は、一応は侍女から用意をしてもらってはいたものの、一度も身に付けたことのなかった寝衣を取り出した。

 淡い紅色のネグリジェは、どちらかと言えば寝ることを目的として作られたものだけど、身体の曲線は強調される作りで、胸元は大きく開いている。

 実際に着用してみて、鏡の前に立つだけで羞恥心が限界を突破してしまいそうになった。


 踵の高い靴は好んで履いているけれど、過激な装いは趣味じゃない。淑やかなものが良いと思ってきたし、派手なのは色味だけに留めていた。

 他者が聞けば驚愕な秘密だけれど、私は高圧的な女に見えて意外と恥ずかしがり屋なところもある。

 誰にも知られるわけにはいかない、私の弱点の一つと言ってもいい。


 さすがにこのまま部屋から出るのは恥ずかしい。上から一枚羽織った私は、熱くなった頬を両手で挟んで決意を固めた。

 今夜、夫が私をそういう目で見てくれるように誘惑してみせる……!



 いつもミニドラゴンの姿の夫と会うよりも、早い時間に庭に出て花壇に水やりをする。

 私の得意魔法は火属性で、瞬間火力重視でとにかく掃除に特化していた。そんな爆破魔な私にとって、反属性の水属性はほんの少し生み出すだけでも、結構な魔力を消費するし、発動に時間もかかる。

 夫とは時たまこうして、魔力を自分で操作出来るように練習していた。私の場合、やり過ぎも身体に障るという、厄介な体質のお陰でほとんど進歩は見られない。


「水やり、上手くなられましたね」


 背後から掛けられた声に振り返ると、まだ時間に猶予があるのか、人の姿を保ったままの夫がいた。


「当たり前よ。何度もやって覚えられないなんて私じゃないわ」


 褒められて嬉しいのに、そんな感情が素直に出ることはない。掌に残る水を注ぎ終えて、夫の方へと向き直る。

 この数日、兄に振り回されて疲弊している夫は、美しいかんばせにうっすらと隈を残していた。月明かりに照らされて、輝く白銀の髪に引き立てられた美貌は、今にも儚く崩れてしまいそうで。

 こんなに疲れている夫に、毒である私が触れていいものか躊躇っていると、夫に引き寄せられてその胸に着地した。


「フェリウが不足して、死にそうです。貴方より先に逝ってしまったらどうしてくれるんですか」

「そ、それは、私のせいじゃなくて、兄が悪いんだと思うわ」


 甘い囁きが耳朶を打つ。心地好さに震えそうになりつつ、強気に言い返せば困ったように笑われてしまった。

 このままだと、また夫に流されて負け戦に終わってしまう。恥じらいから揺らぎそうになる覚悟を再度決めて、夫の腕の中で腰を反った。


「っ、フェリウ……?」


 胸を突き出す姿勢になれば、嫌でも露出した谷間が夫の眼前に晒されることになる。

 自分の胸板に押し付けられたそれに気が付いたのか、瞬時に目許を紅くした夫の視線が右往左往する。

 自然に私の腰を抱いていたはずの夫が、腰からお尻に滑り落ちた手を慌てて引き上げた。何だかお尻を撫で上げられたみたいになったけれど、私よりずっと夫の方が動揺している。

 固まってしまった手の触れ方がどうにもぎこちなくて、年下の癖にこういう時はいつも余裕綽々だった夫を出し抜けたみたいで、すこぶる気分が良い。


「ねえ、アズレト……してくれないの?」

「な、な、なっ、何を」

「もう……キスよ。何日もしてないじゃない」


 恥ずかしさが振り切って、いっそのこともっと頑張れる気がしてきた!

 徐々に私から身を離そうとしている夫を逃がさまいと、更に身体を密着させて強請る。まともに口も利けなくなってしまった夫は何て可愛らしいの。


 顔を真っ赤にした夫は俊巡した後、決心したように唇を重ねてくる。

 私の勝ちだ、と思ったのに、浅く触れ合わせただけで離れていく。いつもなら私のことなんてお構いなしに、好きなだけ食らいつくして満足しているのに、今日に至ってはごちそうさまが早すぎる。


「……もう、終わりなの?」


 唇を尖らせて続きを催促すれば、息を詰めた夫は何かを言いたそうに唇を開閉させてから、自分の上着を脱いで私に被せて、無理矢理釦を閉じた。

 何か早口で魔法を詠唱したかと思えば、花びらを散らせてミニドラゴンの姿に戻ってしまう。


 周りに沢山の花を咲かせた夫は、特に空きがあるわけでもないのに、それらを抱き締めて、高速で花壇に走っていった。

 必死で植えているせいで、白いお尻を左右にフリフリしていることにも気付いていない。


 なんだこれは。私は、夫に逃げられてしまったの?

 狼狽えている可愛い姿は拝めたものの、これは成功とは言えないのではないか。失敗とも違う気がするけれど、私を竜人にする、という話も聞けず仕舞いになってしまった。




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