侍従は理解者でありたいと願っている。
「私、貴方が欲しいわ」
アズレトはこの瞬間を一生忘れないだろう。
少女自ら選んでくれるなんて、夢にも思っていなかった。
少女の元に仕えるようになってから、アズレトはこの数年で少女が斜め上の方向に成長しているのを知った。
日々顔色は悪いが、少女は人畜無害そうな愛らしい顔立ちをしているのに、何故か下手くそな悪役を演じるようになっていた。
当の本人は上出来だと思っているし、此方からすればちょっと偉そうな口調の可愛らしい女の子にしか見えないのだが、なまじ脅し文句だけは本物なので周囲は怯えている。
これでは、自分の演技が不要なものだと気付きそうにない。
最初は遠慮がちで「別に、貴方は何もしなくていいわ」なんて強がっていたが、高いところの物を取ったり、重いものを持ち上げたり、一人で出来ないことが出てくると何度か此方をチラチラと見てから、頼ってくるようになった。
大きな虫や謎の生物が出た時は、一際大きな声で名前を呼んで駆け寄ってきては、アズレトに害の出なさそうな部分の布地をそっと摘まんできたりする。
思わず、「可愛すぎる」と呟いたこともあるが、ちょうど喉が機能していなくて聞かれずに済んだ。
あれだけ毎日森にいて、今も庭で土いじりをしている癖に虫がダメなのかと問えば、「外にいるなら勝手にしていればいいけれど、中には入ってこないでほしいのよ! 早く追い出して!」とのこと。
少女の魔力量は予想通り年々増しているようで、ひどく具合が悪い時期などは、少女の部屋の前を通るだけでも気圧されてしまいそうになる時がある。
子どもとは言え、竜人の王という立場で、人間の少女に未だ勝てないとは情けない。早く追い抜かなくては。
常日頃、庭に出る時も身に付けているのは少女の好む踵の高い靴だ。
それを見慣れてきていたアズレトにとって、少女が踵の低い靴に履き替え、質素な綿のドレスを纏っていた時は目を疑った。
「何処かへ行かれるのですか?」
「ええ、急を要する仕事よ。ただの掃除だけど、着いてきたければ着いてきてもいいわ」
侍従なのだから当然着いていくが、少女のする仕事とは何なのか。
少女は日中、暇そうに本を読んでいたり庭で花を眺めている姿くらいしか見せてくれないから、まさか隠された王女でありながら仕事を請け負っているとは思わなかった。
嫌な予感がして剣の柄に手を掛ける。
少女に連れられて辿り着いた場所は暗い森の近くで、空を仰ぐ少女につられて上を見れば、黒い塊が薄暗い空に集まっている。
それが自国では滅多に見掛けない魔物の大群だと分かった時には、少女はそこに手を翳しては跡形もなくその大群を消し去った。
高度な炎の魔法によって爆破された魔物達が、黒い霧となって掻き消えるのを見て、それがとても人間の器で持てる魔力量ではないと頭を抱える。
「終わりね。でも、少し様子を見ましょう」
さらっと言って退けているが、あんなものを一度に片付けられるのは、竜人でもいないだろう。現状、出来るとしたら父くらいか。
単体の魔物を斬りながら森の中を歩いている。
少女は大群にこそ最高の一撃を与えられるが、細々と潰していく作業は苦手なようだ。人が持つに大き過ぎる魔力をそこまで絞れないのだろう。
どうにか操作出来るようにしてやりたいが、まだ関係としては浅い。精々たまに役立つ者くらいにしか思われていない。少女に触れるどころか、口を出すのも憚られる。
虱潰しに突き進んでいると空気がざわめいた。
それを過敏に感じ取った少女に促され、悪寒のする方に向かって行けば、人が一人、魔物の群れに追われていた。
迷うことなくそれらを蹴散らした少女は、逃げていた人の安否を確認しようと近付こうとしてすぐに立ち止まる。
一瞬で魔物を消し飛ばす魔法に腰を抜かしたその人は、恐怖を浮かべて身を震わせながら地を這って後退し、少女に向かって叫んだ。
「ばっ、化け物!!」
その言葉に頭から水を浴びたような気分になる。
怒りよりも疑問が先立つ。確かに少女の魔法は派手で驚くかもしれないが、絶体絶命のところを助けてもらっておいて、御礼どころか化け物呼ばわりをするとは。
「早く行きなさい。私の気が変わらない内にね。でないと、うっかり骨まで燃やすかもしれないわ」
衝撃を受けているかと思いきや、胸を張って高笑いを披露した少女はそう口にする。
悲鳴を上げながら逃げ出すその人を見送って、少女は「あれだけ元気に走れるなら心配は要らないわね」と溜め息を吐く。自分が貶められても、まだその者を気遣う。その心意気に惚れ直したのは言うまでもない。
こうして見ると自分よりも頭一つ小さい可憐な女性だが、その器の大きさを認めて、魔力は少女を好んでしまったのかもしれない。
辺りが静まり返ってから、少女はほんの少しだけ気を抜いて寂しそうな表情を見せる。思わず抱き締めたくなって、寸でのところで踏み留まった。
今まで誰にも理解されず、こんな目に遭い続けてきたのだろうか。
少女がしている仕事は人助けの領域に収まらない、国全体を守るに繋がることなのに、少女はそれを『掃除』と呼んでいた。
誰にも感謝されず、挙げ句あんな暴言を吐かれていてはそう思うのも仕方ないが、あまりにも悲しすぎた。
「貴方も不運なことね。化け物の侍従なんて」
「ご自分のことをそんな風に言わないでください……! 貴方は至極立派な方です」
声を張ったのは初めてだった。怒っているように聞こえただろう、大きな声に少女は小さく肩を跳ねさせてから、いつかの虫退治の日のように服の裾を摘まんできた。
甘えるように軽く引っ張られて、心臓が大きく音を立てる。
「……少しだけ、こうしていてくれる?」
頼り無く縋る声に二度目の衝動が沸き起こったが、アズレトは堪え切った。
顔が熱い。心臓がうるさい。誰かに頼られるのは、甘えられるのはこんなにも嬉しいことだったのか。
何も答えないアズレトを、不安げな瞳が見上げる。拳をきつく握り締めて三度目を乗り越え、出来る限りの優しい声で「好きなだけお付き合いします」と返した。
その瞬間、少女が嬉しそうに笑った。
あの頃の記憶と相違ない無邪気な笑みに四度目の試練が降りかかってきて、アズレトが必死で真顔を保っていたのを少女は知る由もない。
その一件以降、少女は我が儘なお姫様に変貌を遂げた。
元々は他者を信用し過ぎるきらいのある少女だったのだから、これは完全なる信用を得た証拠だ。
日々無駄に我が儘を言って頼ってくれるのは愛しいが、女性のそれというよりは子どもの我が儘がほとんどで、男というよりは保護者のような扱いになっている。
これは由々しい事態かもしれない。
事故が起きないように配慮しながらも、至近距離まで近付いてくるのが日常茶飯事になり、気を許され過ぎてつらくなることも増えた。
本当は少女に触れられるのに、触れられない。
そのつらさも限界を迎えようとしていたある日に、ドラゴンに戻っていた姿を少女に見られてしまう。
これがアズレトにとって、最大の誤算であった。