姫様は魔力に侵されている。
私は、人には過ぎた魔力をこの身に宿している。
現在確認されている魔力持ちで最強と言えば聞こえはいいかもしれないけれど、膨大な量の魔力は宿主の身体をも蝕む程のものだった。故に、私は最強という迷惑な称号と引き換えに身体が弱い。
得体の知れない化け物として、始末しようと考える者は少なくはない。あからさまに何度も毒を盛られたけれど、どんな強力な毒も体内を巡る魔力に駆逐され、全て浄化されるという結末に至った。暗殺を目論んでいた者達はさぞかし悔しい思いをしたことだろう。
魔力の毒性が向かう先が私自身だけならば問題もなかったのに、成長するに連れて膨れ上がった魔力は触れた者を毒しては、最悪の場合殺した。
本格的に化け物となった私は幼くして親から見放され、離宮へと幽閉されることとなった。
離宮の側にある『聖の森』と呼ばれる場所は、魔を吸収する力があると噂されている。
歳が二桁に上がる頃には具合の良い日はほとんどなくなって、森の中へと半ば身体を引き摺りながら出かけることが多くなった。嘘のような話に縋りたくなる時が来るなんて、子どもながらに相当堪えたのだと思う。
その森は深部に向かう程に空気が澄んでいて、日がな一日ぼんやりと過ごすには最適な場所だった。
魔を吸収するという話が出来たのは、ここを通った者の魔力が一時的に薄れたことが発端だ。元の魔力量が多すぎる私には大した効果はない。けれど、誰にも怯えられず、悪意を向けられない時間が持てるのが一番の癒しになっていた。
昼食と本を手にいつも通り森の深部へと向かい、大木の幹に背中を預けて時間を潰す。それだけを繰り返していたある日、何処からともなく小さな男の子が現れた。
小さな身体に神々しいばかりの銀色の髪をしている男の子は、当時の私の半分程の年齢だと窺えた。迷子にしては彷徨っている様子でもなく、名前を聞いても答えられないと言うように首を振る。
ならば此方も名乗る必要はないと思う。名乗ったところで、今や私を一国の王女だと認識する人がどれだけいるのかは分からない。けれど、出来ることならばただの少女でありたかった私には都合が良い。
男の子にはくれぐれも私の身体に触れないよう忠告して、その日は二人で本を読んだり泉で遊んだり、木に登ったりして過ごした。
遊び相手がいることが、こんなにも楽しいことだと知らなかった私には、その時間の何もかもが新鮮だった。
年が倍離れているだろう男の子と遊んでいるにも関わらず、思い返すだに恥ずかしくなるくらいはしゃいだ記憶がある。
それから男の子は毎日のように私の目の前に姿を見せた。何を話したかとか、そんなことは全然思い出せないのに、男の子の表情は覚えている。
男の子は小さいのにおとなしくて、持ってきた本の内容から日々の愚痴、私の忌々しい体質のことまで、四、五歳には明らかに難しい話でも飽きずに耳を傾けて反応してくれた。
くるくると表情を変える様はとても愛らしくて、何度かその丸い頬に触れてみたくなって手を伸ばしかけてやめた。うっかり殺してしまうわけにはいかない。
今思えば、その男の子が天使と呼ばれる者だったのでは、と思う。
男の子に会うようになってからは体調の良い日が続いた。昼食を二人分持って森に走るのも苦ではないくらいに。
それが男の子のせいかどうかは分からない。それでも、人生初めての友達を得て、精神的に楽になっていたのは間違いない。
歳が十一に上がってからはまた体調を崩すことが増えた。年々増える魔力が早く何処かに放出しろと体内で暴れている。
心配そうに私を見つめる男の子は、私が倒れてもちゃんと忠告を守り、何度か手を伸ばしたり引っ込めたりしながらも見守っていてくれた。
彼が人ではない存在ならば触れても死なないのかもしれない。そんな淡い期待は確かにあった。でも、何の確証もない期待の為に大切な友達を失いたくない。
こんなにも、誰かに触れられないのがつらいと思う日が来るなんて。
とうとう男の子と会っている間に意識を失った。再び目覚めた時は、生きてきた中で一番体調が良いのではないかと思うくらいに気分が良かった。
どうやら男の子は先に帰ってしまったみたいだけど、この事を早く男の子に早く伝えたい。最近はずっと心配ばかりさせていたから、もう元気になったと伝えてまた二人で遊びたい。
だけど、その日を境に、男の子は私の前に姿を現さなくなった。
数年間、私の体調は頗る良かった。安定しているという言葉がぴったり合う状態だ。
ただの穀潰しなど御免だからと魔物を狩る仕事を始め、それはそれは騎士達に恨まれた。私は人の手に余るとされた仕事ばかりを請け負っていたのに、結果楽に倒せてしまっているとなると、手柄を一人占めしているように見えたらしい。
私が幼い頃、どれだけ異質な存在として恐れられていたかも知らない者達がここ数年で増えた。離宮からは少し離れている場所とは言え、そんな者達が城で働いていると言うのは些か問題な気もする。
あれからまた一人ぼっちに戻ってしまった私。
私のことをよく知っている侍女達は、毎日怯えた様子で私に食事を運ぶ。稀に、私に触れると死ぬというのは単なる噂に過ぎないのではないか、と強気に出てくる者がいた。
目の前で扉一枚軽く吹き飛ばしてみせただけで、怯えて謝罪しか口にしなくなったけれど。
私がそういう風に見えているなら期待に応えてやろうと、高飛車で高圧的な物言いを覚えた。
それに合わせて踵の高い靴を履いてやれば一気に威圧感は増す。踵が高い程に靴は美しいし、面倒事は減るし、何よりもそうしていることが楽だった。
そんなことを数年続けていたら、忽ち私の給仕をやりたがる侍女は消え去った。頭を悩ませた国王陛下――父親は私に一人の侍従という、生贄を捧げることに決めたようだ。
十八歳の誕生日、目の前には鍛え上げられた巨躯が立ち並んでいる。
ここに呼ばれた誰も彼もが強い魔力を持ち、剣術にも長けた者達だと言う。
もっと有益なことに力を奮えるだろうに。屈強な見目の男達は、現れた私の姿を見ては案の定ぽかんと口を開けている。
仮にも最強とは言え身体が弱い私は、見掛けだけなら『深窓の』とかいう枕詞が付きそうな、如何にもか弱そうな見た目だ。
化け物と呼ばれているから、どんなものが来るのかと構えていた分拍子抜けした、というところだろう。実際は顔色の悪い小娘なのだから仕方がない。
この中から選ばないといけないと思うとどうにも気の毒で、「家族がいる者は手を挙げてくださるかしら」と投げかければ結構な人数が挙手している。
当然、私はその者達を下げさせた。そんな私の行動にざわめきが起こる。
私の持つ弊害は触れると死ぬかもしれない、ということだけだけど、今までの侍女達とは違って全ての世話をさせると考えると、絶対に事故が起こらないとは断言できない。
私と違ってかけがえのない人がいるのなら、その人達の為にもそんな者は選べない。
残った者達を見回していると、巨躯に紛れて小さな身体を持つ者がいるのを見つけた。思わず凝視して、何度か瞬きをして確認する。
その少年は私より二つか三つ年下に見えた。まだ幼さを残しながらも完成された冷たい面差し、細身な身体は長身の部類に入るだろう。けれど、他の男達に比べてしまうととても強そうには見えない。
そんな作り物めいた絶世の美貌よりも、少年の髪が銀髪であることの方が重要だ。
子どもの頃は知らなかった。少なくとも、この国に銀髪は存在しない。
記憶の男の子と同じ、天使の色。
初めて一歩踏み出して近付いて、よくよく顔を見てみる。当たり前ながらあの男の子の面影はない。
そもそも、あの男の子はあの時の私の半分の年齢に見えた。幾ら幼い日の私が見積もりを誤っていても、こんなに大きくなっているはずはない。
それでも、他人の空似であってもこの銀髪を一度見る限りにするのは惜しい。
本当は適当に難癖付けて誰も要らないと突っぱねるつもりだったのに、気が付いた時には「私、貴方が欲しいわ」と口走っていた。