#048:応急処置
2018/04/26 サブタイトルの桁数調整。及び、本文の加筆修正。
何かを考える余裕もなく弾かれたように振り向くと、脇腹を赤く染めたエミリーが木に叩きつけられたかのように倒れている。
それを視界に捕らえた瞬間、私は即座に時間の加速を行い、無我夢中で倒れ伏したエミリーの元へ駆け寄った。
「エミリー!」
返事がない。
身動ぎもしない。
「エミリー! エミリー!」
その身に触れてみても一切の反応を示さない……いや、違う。
加速しているのだから当たり前だ。
私以外に動くものが存在しない世界なのだから何もおかしくはない。
それならば、今のうちに怪我の具合を把握しておくべきだろう。
まるで彫像のように固まったエミリーの傍で座り込み、黒く染まった腹部を覗き込むようにして焦点を合わせる。時間加速によってもたらされる色褪せた視界のせいで赤い血が黒く見えており、どこまでが傷口で、どこからが流れた血液なのか判然とし難い。
それでも目をこらしてよく見ていると、私の拳よりもひときわ大きく濃い黒ずみがあった。
こんなもの、命に関わるほどの重傷だ。ただの傷薬で治るような怪我ではない。
だからといって、それよりも効き目の強い薬品は持ち合わせていない。
では、どうするか。
ここで見捨てるなんていう選択肢は存在しないのだから、私にやれる事をやるだけだ。
時間の魔術で巻き戻せばこの傷は確実に治る。いや、なかったことにできる。
しかし、それを行ってよいものか――という迷いが胸中を駆け廻っているのだ。
この魔術でエクレアの怪我を治したことはあるけれど、記憶がどうなったかまで定かでない。
それを確認しようにも言葉を交わせないのだからお手上げだった。
そういえば、誰かに放ったといえばクソ野郎もいたか。
あの時は実験を兼ねて何度も繰り返したから、記憶もぐちゃぐちゃだろうし参考にはならない……と思ったら、その後の光景が脳裏に浮かび上がり、一部分に限定した巻き戻しは可能であったことに気が付いた。
それと同じように範囲を脇腹だけに絞り込めば、おそらくは成功してくれるはず。
エミリーの命と記憶なら、どちらが大切かは悩む必要すらなかったね。
僅かでも成功率を上げようと、脇腹の黒ずみに手を当ててほんの少しだけ時間を巻き戻す。
念には念を入れたこの処置が功を奏したのか、手で触れた傷口のみから黒さが抜け落ちた。
この調子で傷を負ったと思しき箇所をすべて巻き戻し、元来のすべすべしたお肌を取り戻すことが叶った。
「ふぅ……」
私にやれる事はこれだけだ。あとは運を天に任せるしかない。
大手術を終えた直後の執刀医は毎回このような気分を味わっているのだろうか。
もしもそうだとすれば、どれほどの精神力を持っているのか計り知れない。
今の私では、直ちに結果を知りたくて堪らないのだから。
では、早速それを確認するために魔術を解除――の前に、邪魔なゴミを掃除しておこう。
どうせ後からやるのだし、エミリーにこんな傷を負わせたゴミは今のうちに葬っておきたい。
小柄なゴブリンにちょこまかと動き回られたら目障りだもの。
まずは最も近くにいた緑色のゴミに指を突きつけ、自重を忘れた加熱の魔術を打ち放つ。
すると、ゴブリンだったものが徐々に目を焼くほどの光に包まれ始め、その存在が消え去るようにゆっくりと形を失い薄まっていく。
それを冷めた目で眺めた次は、此度の元凶であろう青色のゴブリンに狙いを付けた。
緑色のゴミよりも一回りから二回りほど大きな青色のゴミは、何かを投げたようなポーズのままで固まっている。その射線を辿ってみれば、エミリーから少し離れた木の根元に使い古された斧が落ちていた。
きっと、周囲の木々や緑色のゴミで身を隠しながら近寄って斧を投げつけ、手入れを怠ったのかノコギリのようになったガタガタの刃先がエミリーの脇腹を抉り、そこで勢いが衰えることなく後ろの木にぶつかったのだろう。
そこまで考えたところで、なんとなくだけれど、燃やした緑色の方から熱気が流れてきた。もしかしたら力を抑えず放った加熱の魔術によるものかもしれない。私以外は停止しているに等しい世界でも溶けるようにゴミが燃えているのだから、このままでは私やエミリーまでもが巻き込まれてしまう。
それに対処するべく冷却の魔術で壁を作るように私たちの周りを囲い、青色をはじめとして残った緑色もすべて葬り去り、エミリーが無事であることを祈って加速の魔術を解除した。
私以外の時間が動き出すにしたがってゴミ屑が閃光を放ち、一瞬で燃え尽きた。
それと同時に放散される膨大な熱が冷却の障壁に襲い掛かったその瞬間、強大な魔力のうねりが背後から巻き起こり、私に向かって飛翔する。
「うひゃあっ」
振り返る時間すら与えられず、頭上をかすめるように――直りきっていなかった寝癖が何本か失われたように感じるほどの位置を何かが通り過ぎ、青色のゴミが居た場所に激突した。
「うわっ、ビックリしたぁ」
「ミリっち! ……と、サっちゃん? あれれ? ……熱っつ!」
「あれ、お腹が痛くなくなってる……? ていうか寒っ!」
「……敵がいない?」
着弾音に驚いたエミリーが跳ねるように身を起こし、それによって気が付いたのか、破れた衣服から覗く脇腹を指先でおそるおそる撫でていた。
魔術を放ったと思しきシャノンは意外な速さでエクレアと共に駆け寄ってきたものの、近付くにつれて徐々に速度を落としていき、不可解な面持ちで辺りを見回している。
脇腹の怪我を覚えているのなら、寸分も欠けることなく記憶は残っているみたいだね。
痛みもないようだしエミリーが無事でなによりだけれど、ゴミを葬ったことで気分が少し晴れて元の位置に戻ることをすっかり忘れていた。
今から歩いて戻るわけにもいかないし、傍に来たエクレアを撫でながらこの場を取り繕う言い訳を考えている間にも、脇腹を指で強く押していたエミリーが疑問を口にする。
「なんで傷がないんだろう?」
「ち、治癒の魔術をね、いつの間にか使えるようになってたんだよ」
「……無属性に治癒なんかないでしょ?」
「それも気になるけど移動はどうやったの? いくらなんでも速すぎるよ、サっちゃん」
しまった……墓穴を掘ったかも。
治癒魔術ではなくて、秘蔵の最高級薬剤を持っていたとか言うべきだったかな。
それに、移動なんてどう隠せばいいのやら。これはもう、真実を混ぜた嘘しかないよね。
「実はですね、速度上昇の身体強化も使えるようになったんだ」
「……あからさまに誤魔化さないで本当のこと話して」
「うん、ゴブリンのことも。わたしは一発しか撃ってないのに全滅してるし」
こうもあっさりと嘘がバレるなんて思ってもみなかった。
かといって、あのまま放置すればよかったとは思わない。
重傷を負ったエミリーを見捨てられるわけもないし、たとえゴミを処分せず元の位置に戻っていたとしても、時間をいじった時点でこうなることは必然だったのだろう。今後も何かあるたびに誤魔化し続けるのは気が引けるし、ヘンテコ魔術のことは明かしておくべきかも。
「あのね、信じられないかもしれないけど――」
化け物じみたこの力。どうかそれで嫌われませんように。
心の中でそう念じながらも対象の時間を操れること。熱波ではなく一点集中の加熱でゴブリンを消し飛ばしたこと。それの放射熱を防ぐために冷却の障壁を張ったことを手短に話した。
それを黙って聞いてくれていた二人が目配せして頷き合い、胡乱な目つきで口を開く。
「それだけ?」
「まだあるよね?」
「うっ……えっと……確証はないんだけど――」
私のトラウマとなっているテレポーテーション――空間魔術のことも洗いざらい話したら、二人揃ってぽかんとした表情を浮かべて『本当にあったんだ……』と小声で漏らしている。
まさか鎌を掛けられるとは思い付きもせず、嘘をついてまで誤魔化そうとしたことを棚に上げた私は愕然と二人を見返していたら、苦みの混じる弁解が返ってきた。
「いや、なんか深刻そうに話してたから、つい……」
「初めて魔力貰った時から不思議に思ってたけど、なんだか想像以上だよ、サっちゃん」
「……黙っててごめんね。どうしても言い出しづらくって」
これから何を言われるのかと身構えていたら、エミリーが『そんなことよりも魔石すら残ってないじゃない』と露骨にぷりぷり怒り出し、それを抑えるようにシャノンは『斧ならあそこに落ちてるよ』と指差しながら拾いに行き、エクレアからは慰めなのか手を舐められた。
私は一世一代の告白をしたつもりなのだけれど、それを“そんなこと”と一蹴されてしまった場合はどんな顔をすればよいのだろう。




