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フィーカスのショートショートストーリー

ナメクジ食べたい!

作者: フィーカス

「あ、あの、これ、受け取ってください!」

 大学の学食へ向かう途中、誰かが稲峰美沙樹に声を掛けてきた。振り返ると、男子学生がレターセットでよく見る封筒を差し出している。

「え、あ、あの……」

 美沙樹がそれを受け取ると、男子学生はどこかに走り去っていってしまった。

「……はぁ……またか」

 封筒を開けると、そこには一通の手紙が入っていた。美沙樹に宛てたラブレター。スマートフォンが流行っている時代に、なんとも珍しい。快晴の空とは裏腹にため息をついていると、不意にお腹の音が鳴る。貰った封筒をしまうことなく、美沙樹は学食のある生協へと向かった。

 学食に入ると、友人の山原誠二が学食の列に並んでいた。誠二が美沙樹に向かって手を振っているのを見ると、美沙樹は苦笑いして手を振り返す。

「やあみさっきー……あ、その手に持っているのって、まさか」

「うん、そのまさかだよ」

 昼食を取る手が重い。そう感じながら、美沙樹は大好物のから揚げをトレーに移す。二限の講義は無く、早めに学食に来ていたため席は十分に空いている。

 会計が終わり、美沙樹と誠二は適当な四人席に着く。牛丼をおいしそうに食べる誠二の目の前で、美沙樹はため息をついた。

「みさっきー、そんなに落ち込むなよ。ラブレターって、生涯でそんなに貰えるもんじゃないんだから」

 そう言って誠二は笑っているが、美沙樹はまったくそんな気分ではない。

「男から貰ってもうれしくないんだけど……」

 美沙樹は間違いなく男なのだが、とても中性的でかわいらしい顔立ちをしており、「男っぽい服は嫌だ」という理由で少々女っぽい服を着ることが多い。髪も肩を超えるほど長く伸ばしている上に声変わりしていないかのような高い声のため、よく女に間違えられる。遺伝性なのか毛が薄い体質のようで、ヒゲはもちろんのこと、手足にもほとんど体毛が見られない。

 ちなみに今回貰った男からのラブレターは、大学生活通算十二通目だ。

「それはそれで、貴重な体験じゃないのか?」

「いや……あのさ……誠二は僕からラブレター貰ってうれしいの?」

 突然美沙樹に言われ、誠二は思わず牛丼を食べる手が止まる。

「……やめてくれ」

「でしょ?」

「そんなことされたら、君が男だということを忘れてしまいそうだ」

「いや、あの」

 予想外の誠二の答えに、美沙樹は箸でつかんでいたから揚げを皿の上に落としてしまった。

「そりゃだって、その顔の上目遣いでそんな声で言われたら、男だったら大抵ときめくと思うぞ」

「僕は男だってばぁぁぁぁぁ!」

 学食中に響きそうな大きさで、美沙樹は思わず叫んでしまう。

「そんなかわいい声で叫ぶなよ。ほら、周り、周り」

 誠二が美沙樹の後ろを指さす。早めに食事をとっていたり、テーブルで勉強をしていたりする他の学生が、先ほどの美沙樹の声に驚いてこちらを見ている。美沙樹は思わず顔を真っ赤にして下を向いた。

「まったく、そんな仕草するから目を付けられるんでしょ? 俺はみさっきーが男だって分かってるからいいけどさ」

「そ、そもそも最初にラブレター書いて持ってきたの、誰だっけ?」

「え、あ、そんなこともあったなぁ。あはははは」

 誠二とは大学入学してからの付き合いだ。学部が一緒ということもあり、今は大体一緒に行動している。しかし最初に美沙樹を見た時は、当然のように女だと思っていた。誠二は思わず入学当日に美沙樹にラブレターを渡したのだが、学部の研修旅行の時に一緒に男湯に入ってきて驚いたという。

「で、返事、どうすんの?」

「いやいや、スルーに決まってるでしょ。何で返事なんか……」

「自分が男だということを言わないと、相手もわかんないでしょ」

「めんどくさいからいいの。何も反応なければ、相手だって諦めるし、今までそうしてきたんだから」

「……ラブレター渡した意味、あったんだろうか……」

 ラブレターを貰っても、美沙樹はその後返事をずっとしていなかった。しかし、返事を求めるようなこともなく、そのままにしているのだという。

「まあ、こんなかわいい子が男だとわかったら、ショックだろうなぁ。世の中には、知らない方が幸せなこともあるし」

「そ、そういうことだよ」

 そう言ってから揚げにがっつくと、美沙樹はのどに詰まらせてむせてしまった。慌てて誠二がお茶を手渡すと、上目遣いで「ありがとう」と声を掛けた。

「……本当に、お前男なんだよな」

 美沙樹の仕草に、誠二は何故か顔が赤くなっていくのがわかった。


「……で、四限の講義が終わったら、サークル、行くんだろ?」

「うん、もうすぐ学園祭だし、その準備しないと」

「写真部は、やっぱり展示とかするの? それとも販売?」

「今のところ、写真の展示をする予定だよ。もしかしたら、何か食べ物を売るかもしれないけど」

 昔から写真を撮るのが好きだった美沙樹は、大学のサークルで写真部があるのを見つけてすぐさま入部した。活動はそれなりに活発で、土日はよく外に撮影に出かける。

「写真集の販売とかないの?」

「予定はないよ。そもそも製本技術ないし、風景の写真集なんて買おうと思わないでしょ」

「いや、みさっきーの。売れると思うんだけどなぁ」

「……」

 ニヤニヤする誠二を見ながら、一体何を考えているんだ、と美沙樹はため息をつく。一体あと何回幸せを逃せばいいのかと考えながら、席を立って食器を片付けた。


 四限が終わり、美沙樹はサークル棟に向かった。文化系サークルはサークル棟にいくつかの部屋があり、その部屋を部室として使用している。運動系サークルは、また別の場所に運動系サークル棟が設けられている。

 写真部の部室に入ると、誰かが椅子に座ってテレビを見ていた。見ているのは夕方のニュースらしい。

「水上さん、お疲れ様です」

「ん、ああ、稲峰か。まだ誰も来てないぞ。コーヒーでも淹れるか?」

 そう言うと、椅子に座っていた水上は、食器棚からマグカップを取り出し、インスタントコーヒーをカップに入れる。お湯を注ぐと、良い香りが部室内に漂った。

 水上は写真部の部長で、三年生だ。百八十センチという長身を活かした撮影技術は、プロも目を見張るほどだという。その写真を見て、入部する人も多い。

「今日は文化祭の準備ですよね。明日は土曜日だし、外に撮りに行くんですか?」

 美沙樹がテーブルの席に着くと、水上がコーヒーを淹れたマグカップをテーブルに置く。美沙樹は香りを楽しみながら、コーヒーを口にした。

「まあ……その予定だったんだが、今日はSF研究会(エスケン)と合同で飲み会を開くことになった」

「え? 飲み会? 急ですね。一体どうしてですか?」

「いやぁ、エスケンの連中から誘われたんだよ。写真部も来ないかって。それで、人数集めてくれと言われたのだが……」

「……? どうかしたんですか?」

 水上は比較的飲み会が好きなはずだが、今回は浮かない顔をしている。

「いや……部長の桧山(ひやま)が、稲峰は絶対呼べっていうからな。どうしたものかと思って」

「僕ですか? どうして……」

「理由は大体想像着く。俺としてはあまり気が乗らないんだよなぁ」

「はぁ……なるほど」

 水上は、美沙樹が入部した当初から美沙樹のことをそこまで意識していなかったようだ。男として見るとか女として見るとかではなく、ひとりの部員として可愛がってくれた。恐らく身内以外では、美沙樹が一番信頼している男性だろう。

 ただ、他のサークルの人間からすれば、やはり美沙樹を見る目が変わってくる。水上も、そこを心配したのだろう。というか、おおよそ「そんなことだろう」と水上は考えている。

 美沙樹も、やはり飲み会で変な目で見られないかが気になっていた。新歓コンパですら、同学年の男から妙に声を掛けられたくらいだ。

「一応、桧山には男だと告げてあるし、飯はタダになるが……どうする?」

「そういう話を聞いたら、あまり気のりしないのですが……」

「そうか……そうだよな」

 水上はふぅ、と息をつきながら席を立つ。どうも視線が宙を泳いでいるように見える水上を見て、美沙樹は首を傾げた。

「……? どうしたんですか?」

「いや、稲峰がいやなら仕方ないな。もし来てくれるなら、エスケンの連中が展示物のスペースを譲ってくれると言ってくれたのだが……仕方ない、あのスペースで頑張るか……」

 水上の話を聞き、思わず美沙樹も立ち上がった。

「……!? そ、それ本当ですか?」

「ん、ああ。エスケンの連中はあまり展示するものが無いらしくてな。もしスペースが広がれば、一年生の分もかなり掲載できると思ったんだが、まあ仕方な……」

「行きます! 僕が行けば、スペース広がるんですよね!」

「ま……まあ、そういうことなんだが……」

「じゃあ、行った方がいいじゃないですか。そりゃまあ、変な目で見られるのは困りますけど、そんなチャンスがあるんだったら是非!」

 美沙樹は目を輝かせて水上に迫る。美沙樹に顔を近づけられ、水上は何故か顔を赤くする。

「わ、わかったわかった、あんまりそんな顔で近づくな。間違いを犯してしまうぞ」

「えぇ!? そんな、水上さんに限ってそんな」

 水上は美沙樹の肩を両手で持って、少しだけ自分から引き離す。

「いいか? お前は自分が考えている以上に、男の心を揺さぶっている。不用意なことはするな」

 力強い水上の視線に、美沙樹は思わず視線をそらしてしまう。意外と筋肉質な水上の腕に捕まれた美沙樹の肩は、徐々に痛みを感じ始めた。

「水上さん……痛いですよぉ……」

 蚊の鳴くような声で美沙樹がささやくので、水上はがっくりと肩を落とした。

「だからそういうのをやめろと」

 美沙樹の身体から手を離すと、咳ばらいをして水上は続ける。

「……ともかく、今日行くのは俺とお前、そして善光寺の三人だ。常に見ていられるかは分からんが、出来るだけサポートはしよう」

 学部は違うが、善光寺は美沙樹と同じ一年生の男子だ。一応慣れているはずなので大丈夫だろうが、それ以前にもう一つ問題があった。

「え、ちょっと待ってください、写真部って二十人いるのに、なんで三人だけなんですか?」

 美沙樹はてっきり写真部全員が行くものだと思っていた。そうでないにしろ、三年生全員は行くものだと考えていたので驚きだ。

「いや……一応声は掛けたんだけどな。みんな用事があるとかなんとかで行けないんだとさ。夜遅くまで準備してる連中もいるからな」

「参加者少ないのに飲み会……大丈夫なんですかね?」

「まあ……なんとかなるだろう。どうせただの飲み会……のはずだしな」

 歯切れの悪い言葉を残し、水上は飲み終えたマグカップを片付けた。


 大学から電車で二本の駅前にある居酒屋で、写真部とSF研究会の合同飲み会が始まった。SF研究会のメンバーは四人で、全員三年生だ。写真部部長の水上と同学部ということで、およそ話は水上とSF研究会のメンバーのやりとりが中心だった。

 時々善光寺にも話が振られるが、あまりよく知らない先輩との会話で緊張しているからかうまく答えられていない。

「稲峰さ……稲峰君は、作品どれくらいあるの?」

 SF研究会の部長桧山は、水上から美沙樹が男だということを聞いているはずだ。しかし、やはり姿を見ればうっかり女だと思ってしまうのだろう。思わず途中で言い直した。

「……別に『さん』でも『君』でもいいですけど……えっと、入部してからは五十点くらいでしょうか。やっと写真を撮りに行く時間が出来たので、まだそこまで数が無いんです」

「なるほど、一人でその数だとすると、やっぱり一年生の作品分のスペースも、ある程度あったほうがよさそうだな」

 人数はSF研究会の方が多いのだが、一年生の分の作品を併せてもそれほど数が無いそうだ。あまりにも数が少ないとスカスカになって寂しい、ということで、作品数が多そうな写真部に声を掛けたとのことらしい。

「というわけで、スペースはやはり写真部に有効活用してもらった方がいいと思うんだが……さっきの話を聞いて、葛原(かずらはら)はどうだ?」

 桧山はそう言って、右隣に座っている葛原に尋ねる。しかし、葛原の視線は、ずっと美沙樹の方へ向いている。

「……おい、葛原」

「え、あ、ああ、いいんじゃない?」

「………聞いてなかったな。お前だけだったんだぞ、写真部にスペース貸したくないって言ってたの」

「え、えっと、そうだっけ? 俺は別に構わないよ。こんな可愛い後輩のためなら……」

 葛原はすごくにやけた顔で答えた。にやけながら美沙樹に注ぐ視線に、美沙樹に一瞬寒気が走る。

「ああ、そう……というわけで、全員の賛成が得られたから、スペース、使ってもいいぞ」

 桧山がそう言うと、水上は「ありがたい、助かる」と言ってビールを一気に飲み干した。

「……それにしても、こんなにスペースを譲りたがるって、どういうことだ? 展示するものが無ければ、スペースをそこだけ空けるなり撤収してもらうなりすればよかったのに」

 水上が桧山に尋ねると、桧山は水上の隣に移り、そっと耳打ちをする。

「……葛原が勝手に変なポエムを貼りだそうとしていてだな、なんとかスペースを削ろうと思っていたのだ」

「なるほど……しかし、さっきの話でよくあっさり承諾したな」

「あの子のおかげだよ。葛原が女好き(・・・)でよかった」

 そう言いながら、桧山葛原の視線に辟易している美沙樹を見た。

「……言ってないのかよ。ったく……」

 水上はため息をつきながら、枝豆に手を伸ばした。


 月曜日の五限の講義が終わると、美沙樹はすぐに写真部の部室に向かった。流石に今日は作業を進めておかなければ間に合わない。少し速足気味に歩いていると、サークル棟にたどり着く直前で見覚えのある男に声を掛けられた。

「あ、みさきちゅぁん、今暇?」

 話し掛けてきたのは、飲み会で同席した葛原だ。すごく気持ち悪い笑顔で美沙樹の方へやってくる。

「ごめんなさい、急いでいますので」

 美沙樹は苦笑いをしながら、サークル棟へ走っていった。

 文化祭が近いからか、サークル棟はいつもよりにぎわっている気がする。すれ違う男子学生の視線を受けながら、美沙樹はそそくさと部室に入る。部室では、既に何人かの部員が作業をしていた。

「稲峰、遅かったな。五限まで講義か?」

 美沙樹が部室に入ると、テーブルで作業をしている水上が声を掛けた。

「はい。すぐ準備しますね」

 美沙樹は持っていたカバンを部室の隅に置き、テーブルに向かう。テーブルの上にはパソコンと何枚かの写真が並べられている。写真の選定作業をしているようだ。

 土日も写真を撮りに行っていたのだが、あいにくの天気で納得のいく写真は撮れなかった。まだ少し日数はあるが、そろそろ展示する写真を選ばなければ間に合わなくなる。水上はもちろん、他の部員も、自分の写真や他の部員が撮った写真とにらめっこしている。

 今回はスペースが取れたということで、今まで二年生の分までだった展示が一年生の分まで展示できるようになった。その分、選定作業も忙しくなっている。

「それにしても、よくこれだけスペース確保できましたね。その分作業が大変ですけど」

 部員の一人がそう言うと、美沙樹と水上は思わず顔を見合わせた。

「ああ……稲峰のお陰でな」

 水上がそう言うと、部室内の部員全員が、一斉に美沙樹に注目した。なんとなく、言わんとすることは感じ取れてしまう。

「あ、いや、そういうことではなくてだな……まあ、話すと少し長くなるが、とにかく、得られたスペースは有効に使わないとな」

 水上が「作業を続けろ」と言うと、部員は再び選定作業を開始した。

「……そういえば、葛原さんからやたらLINE聞かれたんですが……教えたりしていないですよね?」

 自分の写真を広げている美沙樹がそうつぶやくと、パソコンの画面を見ていた水上の手が止まった。

「お前の個人情報は、今や高額で取引されているらしいからな。俺も、一時期は売りに出そうと考えていたのだが……」

「え、ちょ、ちょっと待ってくださいよ。そんなことされたら……」

「葛原から『五百万円までなら借りれる(・・・・)』などと言われて、怖くなってやめた」

「……それはちょっと感覚がおかしいんじゃないですか?」

 あまりのおかしいやりとりに、美沙樹は唖然として選定の手が止まる。

「いや、あいつカリスマナンパ師とかいうの名乗ってたから、やりかねないんだよなぁ」

「カリスマナンパ師?」

 聞きなれない言葉に、美沙樹は首をひねる。

「自称、な。女を落とすテクニックをたくさん持っているらしい」

「へ、へぇ、モテるんですかね、あの顔で?」

 お世辞にも、葛原はモテるようなイケメンではない。美沙樹はニヤニヤした気持ち悪い顔を思い出し、寒気が走った。

「あの顔とは失礼な。まあ仕方ないか。あれでも、三人付き合ったことがあるらしいぞ」

「え? 物好きもいるもんですね」

 美沙樹が驚いていると、水上は「いやいや」と首を振る。

「全員美人局(つつもたせ)だったらしいがな」

「……それはモテるって言うんですか?」

「自称、だからな」

 そう言って、水上は再び作業を始めた。作業が終わったのか、途中で部員が数名「お疲れ様でした」と部室から出て行った。

「まあ、そんな奴だから、狙われるかもしれないぞ」

「いやいや、僕男ですよ?」

「ボーイッシュもいいって言ってたかな。あと男の娘にも興味があるらしいし……」

「やめてくださいよ! あんな気持ち悪い顔する人に狙われるなんて、他の男に狙われるより嫌ですから!」

 水上は「あいつ、何やったんだ」などとつぶやきながら、冷めたコーヒーを口にする。

「狙われたくなかったら、もっと男らしくしろよ。髪を短くしたり、服を男っぽいのにしたりさ」

「いやだって、髪切りに行くのめんどくさいですし、散髪代もったいないじゃないですか。それに、高校の時ショートにしたら、男友達が鼻血を出して倒れたことがあるんですよ?」

 ちょうど高校時代の写真がある、と美沙樹はスマホを取り出し、水上に見せた。制服のお陰でかろうじて男子だということが分かるが、制服が無ければ完全に美少女コンテストに出られそうな女子だ。

「……これはいかんわ。どうしてこうなるのだ」

「そんなわけで髪を伸ばしているんですが……」

 へぇ、と言いながら、水上は美沙樹の髪の毛を見つめる。よく手入れされた、ロングヘアの女性の髪の毛のようにつやつやしていて、思わず手が出そうになる。

「……あんまりじろじろ見ないでください。恥ずかしいですよぉ……」

 あまりに水上が髪から目を離さないので、思わず美沙樹はしおらしい声で囁いた。それを聞いた水上は思わず視線をそらした。

「と、ともかく、無意識に男を誘惑するのはどうにもできないようだな」

「いや、あの、無意識に誘惑って、僕は何者なんですか?」

「知らん。しかし、葛原に目を付けられたとなるとかなり厄介だ。あいつは一度目を付けた女にしつこく付きまとうからな」

「はぁ……カリスマナンパ師じゃなくて、カリスマストーカーじゃないんですか?」

「そうとも言う。そんなわけで、稲峰にしばらく付きまとう可能性は高いな」

「えぇ!? 嫌ですよ、あんな気持ち悪い人に付きまとわれるなんて」

「……お前も、言うようになったな」

 作業が終わって出ていく部員に「お疲れ」と言いながら、水上は椅子の上で腕を組む。気が付けば、部室には水上と美沙樹しか残っていない。

「だが、奴には弱点がある」

「弱点?」

「ああ。実はあいつ、ナメクジが嫌いなんだ。小さい頃、レタスを食べようと思ったらナメクジが付いていて、一緒に口に入れてしまったのがトラウマらしい」

「……それはトラウマになりますね」

「まあ、そういうわけで、紫陽花見るたびに飛び跳ねたり、レタスは必要以上に確認する癖が付いているんだとか」

「あぁ……そういえば、サラダを必要以上に見てましたね。奇怪な人がいると思ったら、そういうことだったんですね」

 飲み会の時、美沙樹の目の前にいた葛原は、取り分けたサラダを一枚一枚葉っぱをめくって確認していた。どう考えても不審者だったために、美沙樹の印象に強く残っている。

「そういうわけで……そういうのもヒントにして、付きまとわれたくなければ対策しておいたほうがいいぞ」

 水上はそう言うと、パソコンの電源を切り、椅子から立ち上がった。それを見て、美沙樹もテーブルの上を片付け、帰る準備をした。


 次の日も、また次の日も会うたび会うたび美沙樹は葛原に声を掛けられる。美沙樹はそのたびにスルーするのだが、だんだん鬱陶しくなってきた。

「みさきちゅぁん、今度学食にご飯食べに行かない?」

「みさきちゅぁん、道端に生えてたたんぽぽ、拾ってきたからプレゼント!」

「みさきちゅぁん、一緒にジェンガしようよ!」

 いちいち誘い方が微妙なのが妙に腹が立つ。学食で昼食を取ろうと学食に向かった時にも「今から自転車でドライブ行かない?」などとわけのわからない誘いを受け、イライラしていた。

「みさっきー、最近妙に機嫌悪いね。何かあった?」

 誠二は不機嫌に春巻きをくわえる美沙樹を見て、少し心配になった。今まで男に声を掛けられて不機嫌になることはあっても、ここまであからさまに態度に出ることはめったになかったからだ。

「もう、あの葛原っていう人、しつこすぎるんだけど!」

「ああ、エスケンの。確かに、女を追いまわすことで有名だよね。まあ、みさっきーくらい可愛い男がいたら仕方ないと思うけど」

「仕方ないって……仕方ないって……うぅ……」

「え、ちょ、泣かないで、俺が泣かせたみたいになってて周囲の視線が痛いから!」

 美沙樹が両手を太ももに置いて涙を浮かべるので、誠二は慌ててなだめようとした。周りを見ると、何故かこちらを注目している男子学生がやたら多い。

「とと、とにかく、出来るだけ遭わない(・・・・)ようにすればいいんじゃない? ほら、周りを見ながら、いないところを見計らって移動するとか」

「この前、出来るだけ会わないように注意して移動したんだけど、まったく通ったことない道で待ち伏せされてて怖かった」

「……それ、警察に言った方がよくないか?」

 どのようにルートを変えても、講義が終わるたびに会ってしまうらしい。GPSでも付いているんじゃないかと思い荷物を調べたこともあった。一体、どこから居場所を突き止めてくるのだろうか。

「とにかく、何かあったらすぐに連絡しろよ。あんまりひどいなら、警察に相談も……」

 誠二がそう言うと、美沙樹は涙目のまますぐさま誠二の両手をつかんだ。

「ありがとう! 誠二だけが頼りだよ!」

 上目遣いでそう言われ、誠二は思わず心臓が止まりそうになった。周囲の視線がさらに痛く感じる。

「……指輪、買ってこようか?」

 誠二の言葉ではっとなり、美沙樹は顔を真っ赤にして春巻きの残りをたいらげた。


 そして、その日の三限の講義が終わった後、事件は起こった。美沙樹が少し離れた講義棟に向かおうとしていると、草むらに誰か倒れているのが見えた。すごく見覚えがある服装で、美沙樹は思わず駆け寄った。

「……!? 誠二!? 一体どうしたの?」

 倒れていたのは、三限が休校で図書室にいるはずの誠二だ。何故か周りにたんぽぽの花が大量に飾られている。

「ん……ここは……」

「よかった、無事だったんだね」

 誠二は起き上ると、軽く土を払う。そして、周囲をきょろきょろし始めた。

「ねえ、何があったの?」

「分からない。ただ、生協に行こうとしてたら、後ろから『みさきちゅぁんに近寄る男は、たんぽぽの餌になれ!』っていう声が聞こえたと思ったら、意識を失っていた」

 美沙樹をそんな気持ち悪い呼び方で呼ぶ人間は一人しかいない。ここまでやるのか、と美沙樹は呆れかえっていた。

「……まさか、誠二まで……」

 自分のせいで、友人が酷い目に遭ってしまった。美沙樹は思わず涙をこぼしてしまう。

「え、いや、あの、多分倒れてたの五分くらいだし、怪我とかないから大丈夫だって」

「でも、このままじゃ誠二が……」

「心配するな、俺がいくら傷ついても、お前のことを守ってやるから」

「……うん、ありがとう。でも僕、男だからね」

 涙目の美沙樹に心を奪われていたのか、誠二は思わず美沙樹が男であることを忘れていたようだ。


 帰り道、藍色の空に輝く星を見ながら、美沙樹は考えていた。声を掛けてきた男は何人もいたが、葛原の行動は異常だ。周りの人にも影響が出ている以上、何とかしなければならない。

 美沙樹は水上に言われたことを思い出す。

「ナメクジ……ねぇ。別にナメクジ好きでもないし、ナメクジをプレゼントしてっていうのもなぁ……」

 アパートに戻る直前、ふと壁を見ると、カタツムリが壁を這っていた。ナメクジを知るために、とりあえず似ているカタツムリをつかもうとしたのだが、どうも触る気になれない。

「うーん……さすがにナメクジを触る気にもならないしなぁ……」

 ひとまず部屋に入り、シャワーを浴び、テレビを見ながら落ち着くことにした。大好きなバラエティ番組で、「身近にいる変な人」というテーマで盛り上がっている。

「……いるなぁ、こんな人」

 せっかく嫌なことを忘れようとしたのに、いちいち葛原のことを思い出してしまいイライラする。テレビを見るのもやめようかと思った時、次のコーナーで出演者が気になることを言った。

「この前変な人がいましてね、訳の分からないことを連呼して逃げていくんですよ。会うたびに何度も訳の分からないこと言うから、周りの人も引いちゃって……」

 そりゃ、そんな人がいたら引くよなぁ、などと思いながら、美沙樹の頭に一つの案が出てきた。

「……! そうだ、これならもしかすると……」

 番組がエンディングを迎えたところで、美沙樹はテレビを消し、眠ることにした。


 次の日の一限開始前、美沙樹が大学に向かっていると、大学の入口で葛原が待っていた。

「みさきちゅわぁん、朝食食べた? 今から食べに行かない?」

 もうすぐ講義が始まるのに時間なんてあるはずないだろ! と文句を言いたかったが、そこをぐっと押さえて美沙樹はつぶやく。

「……ナメクジ食べたい」

「……え?」

「ナメクジ食べたい」

「いや、その、ナメクジはともかく……」

「ナメクジ食べたい!」

 とにかく、何を聞かれても「ナメクジ食べたい」としか美沙樹は言わない。

「ちょ、あの、みさきちゅぁん?」

「ナメクジ! 食べたい!」

 あまりに反応が変わらないので、美沙樹は走り去っていった。

「……みさきちゅぁん……」

 葛原は、突然の美沙樹の変貌ぶりに、一限の講義開始時間が過ぎているにも関わらずその場で立ち尽くしていた。守衛が不審な目で見続けていたのは言うまでもない。

 それからというもの、美沙樹は葛原に何を話し掛けられても「ナメクジ食べたい」と言うことにした。葛原もしつこく美沙樹に迫るが、美沙樹も対抗して「ナメクジ食べたい」と言い続ける。次第に葛原と出会う回数も減り、講義やサークルの活動に集中できるようになった。


「……稲峰、お前、最近変な噂立ってるが、大丈夫か?」

 文化祭の前夜、大学の体育館で展示物の準備をしていると、水上が美沙樹に尋ねた。

「噂ですか?」

「そうだ。夜な夜な草むらに入ってはナメクジを探しているだとか、人の家の畑でキャベツの裏をめくっているとか、妙な噂が耳に入って来てだな」

「ああ……多分、あれですよ。葛原さん対策」

「葛原対策?」

「あまりにしつこいので、葛原さんに会うたびに『ナメクジ食べたい』って言い続けたんですよ。まさか狙っていた人が大嫌いなナメクジを食べたいとか言い出す変態だとは思わないでしょ? これで葛原さんは引いて話しかけてこなくなるはずなんです」

「……他の人からの印象も悪くなるがな」

 自分の分の展示を終え、水上は美沙樹の写真の展示を手伝う。よくよく考えると、他の写真部の部員は美沙樹を敬遠しているようにも思える。

「いやまあ、そうですけど、変な人に付きまとわれるくらいならマシですよ。男が寄って来ることもなくなりましたし」

「女も寄り付かないぞ。どうするんだ? 変な噂は尾ひれがついてとんでもない方向に進んでいくんだぞ?」

 水上は手早く美沙樹の写真を展示し終わり、「よし」と満足げな顔をする。

「ま、まあ、最近は声を掛けてくることも無くなりましたし、しばらくは大丈夫でしょう」

「……だといいんだけどなぁ」

 水上はため息をつきながら、後片付けを始めた。


 サークル活動に集中できたこともあり、文化祭は何事もなく無事終えることが出来た。写真部の評判はまずまずで、今まで少なかった一年生の作品も注目されていたようだ。特に美沙樹の写真は評判がよかったらしい。

「お前たち、よく頑張ってくれた。物販もそれなりに収入あったし、今日は打ち上げだ」

 片づけを終え、部室に戻った部員たちに水上が労いの言葉を掛けると、部員は口々に「おー!」と声をあげた。既に手配は済んでおり、後は電車で移動するだけだ。

 駅に向かうまで、美沙樹は水上の隣について歩いた。他の部員は少し距離を取っていたので、話し相手がいなかったのだ。

「水上さんのアドバイスのお陰で、無事文化祭を終えることができました!」

「まあ、その、そういうアドバイスをしたかったわけじゃなかったんだが……被害が無くなったなら良かった」

「これでしばらくは安泰ですね。よかった、僕にもやっと平穏な大学生活が……」

「……これで終わりならいいけどな」

 水上がそうつぶやくと、美沙樹の足が止まる。それに合わせ、水上も歩くのをやめた。

「え、そ、それってどういうことですか?」

「いや、葛原は明確に何度も振られれば諦めるが、はっきり振らなければしつこく迫ってくるはずなのだ。それなのに、今何もしてこないということは……」

 一気に美沙樹の背筋に悪寒が走る。

「は、はは、まさか、そんなわけないでしょ。ナメクジ食べたいだなんていう人、普通は嫌がるでしょ」

「まあ……そりゃ、他の人も引いてるくらいだからな……」

「それに」

 美沙樹は水上の右手を両手で握って言った。

「もし僕に何かあったら、また水上さんが守ってくれるんですよね?」

 水上は美沙樹より身長が十五センチほど高いため、必然的に美沙樹は上目遣いになってしまう。水上は顔を真っ赤にしながら、思わず右手を振り払った。

「ま、まあ、何かあったら相談してくれてもいいが……いい加減、上目遣いはやめろ」

「えぇ!? 別に僕、上目遣いなんかしてないですよ?」

「まったく、無意識というものは恐いものだ」

 水上がため息をついていると、遠くから「水上さん、電車来ちゃいますよ?」という声が聞こえた。美沙樹と水上は、慌てて駅に向かって走っていった。


 三日後、一限の講義のために講義棟に向かおうとすると、遠くで葛原がこちらに向かって手を振っていた。

「はぁ……諦めたと思ったのに……」

 葛原が近づくと、聞こえるように「ナメクジ食べたい」とつぶやく。しかし、葛原は通り過ぎようとする美沙樹の肩をがっしり両手でつかみ、面と向かって話し掛けてきた。

「みさきちゅぁん、やっとわかったよ。みさきちゅぁんがナメクジ好きなら、俺もナメクジを好きになればいいんだって。だからナメクジの汁までならなんとか飲めるようになったよ! 今度一緒にナメクジ食べに行こう! 大学の奥にある山に、美味しいナメクジがいっぱいいるところがあるんだ!」

 にやけた顔でとんでもないことを言い出す葛原を前にして、美沙樹の顔は真っ青になる。

「いやぁぁぁぁぁぁ!」

 思わず持っていたカバンを振り回し、葛原の後頭部に放つ。葛原が倒れている隙に、美沙樹は講義棟へ逃げ出した。


 以降葛原は、ナメクジ嫌いを克服してしまい、ナメクジを持ったまま美沙樹の前に現れるようになった。十回ほどカバンでぶん殴ってようやく付きまとうのをやめたが、どうやらカリスマナンパ師は格が違ったようだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] キャラクターの一人一人に魅力があって良かったです!美沙樹、水上カップルがくっつくのはまだですか!!!笑 最初はナメクジ食べたい人の話かと思って読んだので、最終的にそっちがナメクジ食べるのか…
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