祓のデイタベイス
オカルト研究部。そんな部活が、この高校にはある。
まごうことなく存在し、そして、学校の皆から認められている。しかし、その部活の存在意義というと、皆に認められているとは限らなかった。
オカルト研の部員は合計二名。榊原カズトと、弥生サユリ。つい最近、榊原カズトは、顧問の先生から「次の年度で部員確保と活動成果の提示をしなければオカルト研究部は廃部である」と言い渡された。その知らせを聞いたカズトは、一瞬全身が石膏にでもなったような感覚に包まれた。そう、カズトはオカルト研究部などという陰気な部活の勧誘を迫られたのである。オカルト研究会の成果を出せと言われても、何をどうすればいいのか、まったく見当がつかない。しかし、カズトはオカルト研を潰すわけにはいかなかった。それは彼がこの部に特別な思い入れがあったからである。
入学式から三日が経ったオカルト研の部室には、一人、榊原カズトの姿があった。
部員確保のための勧誘活動はともかくとして、活動成果を提示する、これがカズトの頭を悩ませる一番の要因であった。仮に部員を手に入れてもその先は見当もつかず、最悪の場合はその新入部員を路頭に迷わせることになってしまうだろうと思ったところで、カズトの思考は停止した。カズトは深呼吸して、部室の中を見回した。すると急に、忘れかけていた現実が、悩めるカズトに追い打ちをかける。まだ誰も部活見学に来ていないのだ。そもそも、このオカルト研の部室というのは一年生が授業を受けているW棟とは反対に位置するN棟にあるのだ。校舎の構造上、W棟からN棟に行くには職員室や購買などがある本棟を通過しなければならない。そのため、新入生がこの部室にふらっと立ち寄る、なんてことはない。入学式から今日までの間、カズトは一体どれだけ説明用の資料の位置を変えては戻したのか、本人でさえ覚えていない。
そんな時だった。ホコリのまとわりついたガラス窓付きの引き戸から、ひどく弱々しいノックの音がこぼれた。カズトは一瞬その音をストレスからくる幻聴かと疑う。しかし、ぼやけた引き戸の窓からは黒い頭が少しだけ見えた。どうやら背が低い女子のようだ。それを見た途端、カズトの心拍数は跳ね上がる。思わず体まで跳ね起きそうになった。
「どうぞ、中へ。」
カズトは依然として加速をやめない心臓を無理やりにでも抑え込み、穏やかな声で誘導すると、立て付けの悪い引き戸はキリキリと音を立てて開いた。すると、そこに現れたのは、背が低く黒髪のおかっぱ頭で、まるで市松人形のような少女だった。
「ど、ども…」
その少女はすこしうつむき加減で軽い会釈をカズトに向けた。
「どうも、初めまして。このオカルト研究部の部長、榊原カズトです。よろしく。」
と、カズトが自己紹介をすると、その少女もすぐに挨拶を返した。
「伊野ユカリです。よろしくお願いします。」
「えっと、今日は見学に来たの?」
カズトがそう聞くと、彼女の赤い小さなリュックサックのサブポケットから、一枚の紙きれが取り出された。
「これは…」
彼女は『伊野ユカリは オカルト研究部 に入部します』と、印刷と手書きが入り混じった形式の、A4用紙の端くれを差し出した。
「これって…」
するとユカリは少し恥ずかしそうな様子ですぐに返した。
「はい、今日からよろしくお願いします。」
その紙は、まぎれもなく先生に受理された後の入部届の本人控えだった。
「え…マジ?マジで!?マジかよ!!」
カズトは後輩の前であるというのに、丁寧な口調も取っ払われた。
が、しかし、すぐにひと粒の疑問が、カズトの脳みそをチクリと刺した。それは彼女が見学に来ていないのに、すなわち、この部活のメンバーや、雰囲気、実績のすべてを知らないというのに、このオカルト研究部に入部したということだ。一体何のための説明資料だったのだろうか。いやいやそうじゃなくて。もしも自分たちの部活が運動部か、吹奏楽部など比較的メジャーで中学校にもあるような部活だったのなら、今のような状況もあり得る。しかし、このオカルト研ではそんなことは間違ってもありえないのだ。
「えっと、さておき、どうして入部してくれたの?」
カズトはさりげなく、軽い雰囲気に聞こえるよう注意深く言った。するとユカリは少しだけ身を引いて、両手を前に組み、指を絡めたりほどいたりし始めた。
「やっぱり不思議に思いますよね…実はわたし、あることを達成したくて、この部活に入ったんです。」
*
ユカリの入部から二日後の土曜日、カズトとユカリは学校近くにある市内の図書館に来ていた。この街はどうやら明治から大正にかけて、まあまあ栄えていたらしく、近代化が進んだ駅前から少し離れると、石造りの建物がちらほら残っている。この図書館も明治に作られた石造りの建物の一つで、それなりの歴史があるという。今は廃墟となった採石場が近いこともあってか、必要以上に大きな作りだ。駅からは遠いが、その代わりバスが通っていて、もっぱら利用者はバスを使う。バスに乗れば、そんな街の構造がよくわかる。駅から図書館に行くにつれ、石造りの建物が増えていく。もっと採石場跡に近づけば、欧化の時代を担った採掘会社の大きな建物もあるらしい。
二人が図書館に来た経緯は、ユカリのある望みを叶えるための下準備であった。その望みとは、
『子供のころに見た、ある幽霊を成仏させてあげたい。』
ということだった。なんでも、この図書館よりもっとはずれにある採掘会社の跡が、もうすぐ取り壊されるというのだ。それを聞いたユカリは、小さいころ遊びで忍び込んだその会社の跡地で一度だけ出会った、不思議な女の子の存在を思い出したという。記憶をたどればたどるほど不可解な点が浮かび上がり、ユカリはその女の子を霊的な何かだと推測し、建物の取り壊しが行われる前に、その霊を成仏させてあげたいと思ったそうだ。しかし、自分は霊的なものにまったく心得がなく、その上、神社にお祓いを頼もうにも、立ち入り禁止の場所に入ったことがバレてしまうのがどうしても気が引ける。よって、ユカリは一か八かでオカルト研にすがる思いで入部したらしい。
「で、どうして図書館に集まったんですか。」
ユカリがそう聞くと、カズトはすこし得意げに、先輩風を吹かせんばかりに答える。
「まず、その女の子の霊とやらの正体を突き止める必要がある。でないと対処のしようがないだろ?だから正体を推測するのに必要な資料が沢山あるこの図書館に来たってわけだ。とは言っても、話から大体予想はついてるけどな。」
「なるほど。予想…って、何ですか。」
ユカリが続けて質問すると、カズトは待っていたと言わんばかりにさらに得意げになって答えた。
「どうせ、その女の子も当時の伊野と同じくらいの見た目だろ?そんでもって一緒に遊ぼうと言われた。違うか?」
するとユカリは目を見開いた。
「そ、そうです!なんで!?どうしてわかったんですか!?すごいです!」
カズトはもう有頂天だった。
「ここに来る意味もあんまりなかったかな。こんなのエピソードだけで簡単にわかっちゃうし。子供、廃屋、遊び、この三つのワードが出てきた時点で推測されるものなんて一つしかない。伊野、そいつは幽霊じゃない、妖怪だ。」
「妖怪?私も知ってるやつですか?」
「ああ。そいつの名前は
『座敷わらし』だ。」
座敷わらし、簡単に言えば、子供の姿をした妖怪。諸説あるが、主に不慮の事故に遭ってしまった子供の未練からなるらしい。座敷わらしが住みついた家屋には幸運がもたらされるともいわれている。
「座敷わらし…ですか。聞いたことあります。確か女の子の妖怪ですよね。」
「そう、その通り。事故や災害で自らの死に気づかなかった子供の霊の集合体、あるいは、それそのもの。ってところかな。」
「どうすれば、成仏させられるんですか?」
「霊体のほとんどは未練があってこの世にへばりいついているんだ。だから成仏させる条件は二つある。
一つは、除霊術を使って霊体そのものをこの世から引きはがすこと。
そしてもう一つは、霊体に干渉し、その霊の未練を取り除いてやること。
まあ、二つの違いは童話の北風と太陽みたいなものだね。
当然のことだけど、僕らには除霊術の心得はないから、未練を除くしかないけど。」
「はい…まあどちらにせよ私はその方法を選びたいですし。」
ユカリはすこし俯きつつもそう言った。
ふたりの方向性がかたまり始めたところで、カズトは手をたたいた。
「ただし、見間違いとか、聞き間違いもあるかもしれない。子供の姿をする妖怪について一通り調べてからにしよう。」
「え、でも…確定してるんですよね?」
ユカリは怪訝な顔をして言う。するとカズトは本棚に足を向けつつ、振り返らずに言った。
「【どんな怪奇も丁重に。下調べは怠らない。】
それがこのオカルト研のモットーなのさ。」
*
「先輩、これで全部です。」
「ああ、ありがとう。」
図書館の閲覧ブースの机には本が段々に積まれていた。その中には黙々とページをめくるカズトの姿があった。
「こんなに調べられんですか?」
ユカリは面倒くさい気持ちを隠すことに細心の注意を払って聞いた。
すると、カズトはページから目を離すことなくつぶやいた。
「面倒くさい?」
「いや…別にそういう意味で言ったわけじゃあ…」
本当はそういう意味で言ったのだが。しかし、そんな風に言われたユカリは、少しだけカズトに突き放されたような気がして、くすぶった気持が渦巻いた。だからこそ、その気持ちもろとも突っ返すつもりで、もう一度口を開く。
「先輩が調べ終わるまで帰りません。」
すると、カズトは一度ページをめくる手をほんの一瞬止めて、聞き取れるかあいまいな声で言った。
「わかった。じゃあ頼みたいことがある。」
「はい!なんですか?!」
その言葉を聞いたユカリは元気よく返す。
「えっと、今から言う妖怪の名前をリストアップしてくれ。あと…図書館だから返事は静かに頼むぞ。」
ユカリははっとして、口元を抑えてから掠れるような声でわかったとうなずき、ペンを手に取った。
「じゃあいくぞ、貝児、木の子、豆腐小僧にタタリモッケ、トイレの花子に一つ目小僧…」
「待ってください、さすがにトイレの花子も一つ目小僧もないです。トイレで会ってないし、目も二つありました。」
「まあ慌てるな、妖怪を相手取るにはいかなる可能性はあり得るんだ。」
「いやいや!いくらなんでもおかしいですよ!しかも集めた本も妖怪の本だけじゃなくて世界の建築からこの町の過去の地域新聞まで…何が関係あるんですか!」
「いや…関係あるかもしれないだろ。」
「ないですー!」
そんな時、カズトの携帯電話のバイブレーションが作動した。
「…先輩、出ないんですか?」
「すまん、俺の代わりに出てくれ、いま榊原カズトは電話に出ることができませんとでも伝えてくれ。」
「ええ…それくらい自分でやってくださいよ…」
「さっき頼みごとがあるって言ったら意気揚々と返事したくせに。」
「わかりましたよ。じゃあ電話してくるんで、外に出てきますね!」
ユカリは差し出された携帯電話を勢いよく引き抜くと、駆け足でその場を離れた。
*
ただ今の時刻は十六時半、思いのほか時間が経っていた。ユカリは帰りのバスの時間が少し気になったが、とにかく、こちらの応答を待ち続けている相手のために、ユカリはスマートフォンの画面をスライドした。
「はい、もしもし…」
ユカリは背すじを曲げた。携帯電話を握りしめる手は強張っている。
「もしもし?誰?」
それは早口な女性の声だった。電話の向こうからは誰かが通る声で何かを言っていたり、何かが叩きつけられる音が聞こえる。
「えっと…伊野ユカリです。」
「伊野さん?…ふーん、そう。で、どうしてあなたがカズの携帯を使ってるの?」
電話の主の息は荒い。ユカリは自分の手汗で携帯電話が滑りそうになるのを感じ、さらに握る手を強めた。
「あの…えっと…榊原先輩に頼まれて…」
「頼まれてカズの携帯使ってるわけね。で?」
電話先の彼女の返答は早く、語勢はしだいに強くなっていく。喧嘩腰ともとれるだろう。
「それで…今は取り込み中だから電話に出られないって…」
ユカリの顔から色は大分抜けてしまった。夕方なのだから、風がそう強くないはずだが、カズトの携帯についたお守りのストラップは細かく揺れていた。すると、返ってきた言葉は案外優しいものだった。
「…そう。わかった。まあ、その…大したことじゃないんだけど。」
急に声のトーンが低くなった。今まで大きさを増してきた語勢は一瞬にして崩れ、その安堵にユカリは危うく携帯を落としそうになった。電話先に聴こえないように、ユカリは受話器を口から離し、はーっと一息吐いてから、ユカリはようやくいつも通りの力加減で携帯を握ることが出来た。
「えっと、その用件とは…?」
ユカリは自分でもびっくりするくらい言葉がすんなり出たと思った。すると、今度は電話越しの声が弱々しくなっていた。
「いや、その。妖怪探索に行けなくなった…かも。って、カズに伝えて。その、あたしも出来れば行きたかったけど、って…」
それは、何かをこぼさないようにしているような、やけに慎重な声色だった。
「わかりました。そう伝えておきます。」
ユカリはそうとだけ言い残して、通話を切った。
「一体何のことだったんだろ…」
ユカリはほどけた緊張と共に、独り言を吐き出した。そしてふと空を見上げると、空は赤みかかっていた。そうだ、そういえばあの時も、こんな時間だったかな。先輩は調べるのにまだ時間がかかりそうなので少し休憩しようと、とユカリは思い、近くにあったベンチに腰掛けた。
ユカリはあの女の子に遇った日のことを、少しだけ思い出した。
*
それは確か初夏の夕暮れ時だった。濁り、脆くなった石灰岩のスクリーンに、夕日の影が映る欧米調の建物を見つけた。一体どういう経緯だったのかは忘れてしまったが、その時は一人だった。仄かな緋色を呈するそのたたずまいに、私は何かに憑かれたように、引き寄せられた。
錆びきった鉄の門をよじ登り、朽ち落ちた木製の扉を越えて、私はその建物へ足を踏み入れた。中は暗く、外の光などほとんど入ってこない。どこへ足をつけばいいのかもわからない。それなのに、私は何かに導かれるように階段を上って__
「おーい、何サボろうとしてるんだ?帰るぞ。」
その声を聴いたユカリは驚いてはっと背筋を伸ばし、それからすぐに身を隠すように屈んだ。声をかけたのは、調べものを終えたカズトであった。
「あっ…いや、これは…違うんです…あっ、その…ごめんなさい…」
ユカリが身をすくめて返すと、カズトは慌てて両手を横に振った。
「いやいや、今の冗談だから!怒ってないよ!」
そしてカズトは苦笑いをする。ユカリが回想から一気に現実へ引き戻されたショックで混乱していることをカズトは知らなかった。周りを見ると柱時計は十七時半頃を指していた。
「いや…その、びっくりしちゃって…」
「そっか。調べたはいいけど、使えそうな資料は思ったよりなくてさ。」
「そうでしたか。」
「あ、そうだ、電話の主はなんて言ってた?怖くなかった?」
カズトは苦笑いをさらに大げさにして聞いた。
「えーっと、妖怪探索には来れないとか、言ってましたね。でも本当は行きたかったって。」
それを聞いたカズトは、両目を閉じて、空を仰いだ。
「そっかー…うん、ありがとう。あ、そうそう、あしたにはもうその霊…座敷わらしを成仏できるんだけど、どうする?」
ユカリはその問にコンマ三秒数えるかのところで答えた。
「行きます!」
カズトはその声に身を少し逸らせ、そして目を見開いた。
「わかった。じゃあ、そうしよう。あとそうだな…もしかしたら、危険な妖怪の場合もあるから、それなりの準備をしておいてくれ。」
「はい。わかりました。ところで、電話の主は誰だったんです?」
するとカズトは一瞬だけ下唇を噛み、そのあと即座に答えた。
「彼女はもう一人のオカルト研究部部員、弥生サユリだよ。俺の友達で、形だけ兼部してもらっただけの部員。サユリはバレーボールがめっちゃ上手くて、1年生の頃からレギュラーメンバー入りしてるくらいのすごいやつなんだ。ほんと、この部活に入ってもらってるのがもったいないくらいで…」
カズトの声は次第に勢いを落とし、表情も陰った。
「そうだったんですか、だから電話の向こうがうるさかったんですね。」
「そっか、あいつ、部活中だったんだ。申し訳ないことしたな…」
「どうして先輩は申し訳ないって思うんですか?」
「いや、実は昨日、明日に伊野の言う幽霊と接触するかもしれないって先にメールで伝えてたんだ。だから部活が忙しいのに誘って申し訳なかったな、って。」
「そうですか。」
カズトがどうしてそこまでサユリのことを気にかけているのか、ユカリにはまったくわからなかったが、ここまでの会話でまったく目を合わせてこなかったカズトの様子を見るに、余計なことを聞くのはやめたほうがいいと思い、それ以上何も言わなかった。
*
さて、それから二十時間経った頃の同じ場所あたりで、カズトとユカリの二人は普段なら降りるこの図書館でバスを下車することはなく、さらに町はずれへと揺られていった。
待ち合わせの時刻と場所は、カズトのメールによってユカリへ伝えられた。そこまで多い文面ではなかったが、そのメールを読み込むのになぜかかなり長い時間がかかったので、ユカリはケータイをそろそろ買い替えようかな、と、たわいもないことをバスに揺られながら考えていた。そして、ついに終点である採石場跡を利用したセメント工場前へと到着した。そして数分歩き、ふたりは目的の採掘会社跡にたどり着くのであった。
腐食しきってしまった大理石と、それを支えるかのようにへばり付いたつる植物。窓ガラスはすべて割れている。
「酷いありさまだなあ…まさにゴーストハウスって感じだ。」
「あのB級映画の…?」
「ごめん、それは知らない。」
そんな他愛も、読者への配慮もないやり取りをしつつ、ふたりはついに館の中へと入る。
すると中にはエントランスとおぼしき広間があった。天井は高く、カズトらの左側には応接室と思われる、ソファらしきものがいくつか並ぶ部屋があり、右側には二階へと続く階段があった。
カズトの歩調は慎重になり、ユカリも身を縮めた。そして、二人の距離は、館に入る前よりもはるかに短くなっていた。
「暗いな…いや、というよりも黒いな、この部屋は。やっぱり壁全体が黒ずんでいる。向こうの部屋のソファもそうだ。カビでも生えたのかな。」
カズトはあたりをじっと見回しながら言う。
「そうみたいですね…小さいころは気づかなかったですけれど。」
「そっか。で…質問なんだけど、伊野は当時、その幽霊にどこで会ったの?」
「え、えっと…」
ユカリはカズトの急な問いかけに戸惑った。カズトは下調べを怠らない人間だ。だから普段のカズトなら、前もってユカリに当時の状況を聞くことが出来たに違いない。しかし、昨日の電話と、この館の雰囲気が、カズトの通常を欠いてしまっていたのだ。それをなんとなく察したユカリは、できるだけ落ち着いて思考を巡らせるように努めた。昨日図書館の前で思い出した記憶の続きを取り戻すために。
あのころ、何かに導かれるかのように向かったのは、確か二階の大きな部屋の奥にある、しっかりとしたつくりの小部屋だった。するとそれからの記憶は簡単によみがえった。その部屋を挟む扉の向こうから、なにやら少女の声が聞こえ、ユカリはドアを開けた。するとユカリ自身の顔にそっくりな女の子が泣いていた。声をかけると、「遊んでくれる?」と尋ねてきたものだから、とっさに「はい」と答えそうになった。しかし、その瞬間に合わせて、五時の鐘が鳴った。そして家の門限を思い出し、当時のユカリは焦り、「ごめん、またね。」とだけ言い、すぐさま帰ってしまったのだった。
「思い出しました。二階の小部屋です。思い当たるのはそこしかありません。」
「ありがとう、すまない。じゃあ早速向かおう。」
カズトは俯いたまま返した。かくいうユカリもカズトを目を合わせているわけではなかった。そして、自然と、不自然に、この館に入ってきた時の近かった二人の距離感は、昨日の図書館にいた時に戻っていた。
*
館の二階は一階と比べるとより一層深い闇が広がっていた。相変わらず壁は黒のクレヨンで塗りつぶしたかのようにくすんでいる。窓ガラスは相変わらずすべて割れていた。一階のエントランスとは異なり、椅子や机と思われる黒いものがいくつも見つかった。階段を上った奥に、件の霊がいた小部屋がある。そして、カズトはユカリの歩調に合わせることなく、速足で奥の小部屋の目の前へと向かった。
今まではほとんどの扉が朽ちて床に落ちていたが、この小部屋の扉だけは、固く閉ざされていた。
「話を聞くに…この部屋の中にヤツは居るってことになるけど…まあ、姿を現すかどうかはその霊の存在を信じるか信じないかが鍵だ。だから扉を開けるのは伊野、お前に任せる。準備はいいな?」
「はい。」
ユカリはリュックサックからバールを一本取り出して答えた。
「ちょっと待てユカリ、なんでそんなもの持ってきた。」
「いや…危険な霊の場合もあるって先輩が言ったので…」
「……そうか。俺が悪かった。お前の真剣さはわかったけど申し訳ない。それを置いていってくれ。子供の妖怪には刺激が強すぎるんだ。」
「あっ、はい。わかりました。」
ユカリは入り口のすぐ横にバールをそっと置いた。そして、一呼吸ついてから、腐食が進んだドアノブを凝視する。
「それじゃあ…いきますね。」
ユカリの喉がピクリと動き、力の抜けた手がドアノブに触れかけたその時、
カチャリ
と、部屋の内側から鍵が解かれる音が、背後から聞こえた。2人は思わず身震いし、背筋をピンと伸ばして、緊張をさらに張り巡らす。
2人は何も言わず、やがてユカリは扉を開いた。その扉は、あの時から何年か経ったはずだが、幼き日と同様に、いともたやすく滑らかに、ユカリを迎え入れた。
扉の先の暗闇には、膝を崩して座る少女の姿があった。すこし冷たい風が2人の間に吹きだした。
*
榊原カズトは妖怪に出会うのが今回で初めてではなかった。だから、妖怪の恐ろしさを知っていた。妖怪の恐ろしさとは、西洋のモンスターのように、命を刈り取るなどという、単純なものではなかった。目には見えず、怪我を負うことはない。しかし、人の身体よりも、目に見えるものよりも、大事なものを、妖怪は刈り取るのだ。いや、人の気持ちから生まれた妖怪の場合は特に、借り取ると言ったほうがふさわしいのだろうか。榊原カズトと、弥生サユリはそれそのものだった。ある妖怪によって、二人は思い出を失った。しかしそれは、また別のお話。
再び妖怪に直面したカズトは、忘れかけていたその妖怪の恐怖を思い出した。カズトはそれが偶然だと思った反面、不思議と当たり前のようにも感じていた。妙だ。そうとしか、今のカズトにはわからなかった。そして、カズトは即座にユカリの方を見やると、気づかぬうちにかなり距離をとっていたことに気づく。それは、初対面の、あのオカルト研の部室に入ってきた時と大差なかった。まるで、二人の距離感が巻き戻っているみたいだった。あわててカズトは、ユカリの手を強く握った。すると、ユカリの手に、ピクリと力が入る。
「先輩…?」
ユカリは眉をかすかに寄せて、首をわずか20度ほど傾けた。
「なんでもない。近づこう。」
カズトはそっと手を放し、距離を詰めたままその少女に近づいた。
二人の歩調は速かった。ある程度のところまで近づくと、少女は二人をじっと見つめた。特に、ユカリの方を長く見つめた。そして、人形のように結ばれていた口を、いともたやすくほどいた。
「お兄ちゃんと…お姉ちゃんだ…久しぶりだね!」
少女の目にかかった黒髪の奥から、漆黒の瞳が光を帯びてちらちらと光る。久しぶり、と言ったのは、ユカリの事だろう。間違いない。
「わたし、お姉ちゃんと遊びたかったのになあ…」
その少女はカーペットを人差し指でいじりながらそう言った。そういえば、この部屋はカーペットも含め、腐食があまり進んでいる様子はなく、壁も黒くはなかった。
少女のその言葉にはカズトが返した。
「ごめんね、代わりに今遊んであげるから許してくれるかな?」
ややあって、少女は「いいよ。」と言った。
そして、カズトは少女に聞こえないように小声でユカリに言う。
「子供の霊、座敷わらしなんかの未練は大抵、遊び足りないことなんだ。だから、今はこの子に付き合ってあげよう。」
それを聞いてユカリは小さく頷き、少女に向かって尋ねた。
「何して遊びたい?」
その声は生きた子供に対するものと何ら変わりはなかった。
「おままごとがいい!」
少女は無垢な声を上げる。
「よし、じゃあそうしよう。」
*
「ここであってるのよね…たぶん…」
セメント工場前のバス停には、部活指定のジャージを身につけた一人の少女、すなわち、弥生サユリの姿があった。彼女は部活を早退し、ここまでやってきたのだ。
「もう…新入部員の子って女子だったじゃない!それなのにふたりでこんなところに来て…カズトはなに考えてるの一体!ついていくその子もその子だけど!」
サユリは誰も聞いていないであろうことをいいことに、ためていた不満を解き放った。なるほど、言われてみれば、そうである。
それから10分ほど似たような愚痴をブツブツと唱えていたサユリは、あっという間に件の館にたどり着いた。
「何よここ…汚いし、足の踏み場もない…おまけに暗いし、ほんと不気味。」
とまで言ったところで、サユリは、ふたりがどんな風にここを通ったのかを考え、さらに気分を悪くした。
「妖怪なんてめったにいないんだし、妖怪探しなんて馬鹿なことはさっさとやめさせよ。」
サユリは小言を挟みつつ、館に入ってからほぼ最短ルートで二階の小部屋の前までたどり着いた。
小部屋の中からは何やら物音と男女のかすかな話声が聞こえた。
「へぇ…この中にいるわけか…」
サユリはドアノブに手をかけた。しかし、ドアは開かない。
「あれ…」
サユリは不審に思い、ドアに耳をそばだてた。ドアの中ではしばらく沈黙が続いていた。しかし突然、若い女の「きゃあっ!」という声が聞こえた。そしてしだいに何かに悶えているような男女の声が聞こえはじめた。
「えっ…うそ、カズトと一年生が…え?」
サユリはふたりが密室で何やら不純なことをしているのではないか、いや、そうに違いないと思った。彼女は戸惑いつつも、全神経は左耳に集中していた。すると、また少し時間が経った頃だった。
「やっ……先輩……!誰か…たすけて!!」
そんな若い女の声、つまり伊野ユカリの声が聞こえた。
「…待って、まさか…カズのやつ無理やり…!?」
そのころからサユリの意識は飛んだ。サユリは今すぐカズトを感情に任せて殴り飛ばしたくなったのだ。しかし、困ったことにドアは開かなかった。サユリは何度もタックルをしたが、所詮は女子高生の力だ。ドアは開くわけがない。何かほかに手段はないか、そんなとき、激昂の中でサユリは足元に一本のバールを見つけた。
「これなら…」
*
「…かり!」
「おい!…」
「おい…ユカr…」
どこからか、カズトの声が聞こえていた。
「おい、ユカリ。」
夢から覚めた時のような感覚だった。気が付くと、ユカリは自分がカズトに馬乗りになり、
カズトの首を両の手で絞めていることに気付いた。
「え…私何やって…」
ユカリは自分のしていることがよくわからなかった。気を失っていたわけではない。そして、ちゃんと首を絞めるまでの記憶があった。しかし、それはあまりにも自然すぎた。まるで朝起きて無意識のうちに洗面台に向かうように、行っていたのである。
「とりあえず、正気に戻ったのなら、手をほどいてくれないか?」
カズトはユカリに語り掛けた。しかし、その手が離されることはなかった。
「先輩…ごめんなさい…」
「謝るのはいいから、とりあえず離してくれ。」
「違うんです。そうじゃないんです。」
ユカリの顔はゆがみ、瞳は潤いを持った。
「違うんです…できないんです…先輩からも外すように手伝ってくれませんか…?」
ユカリは涙を湛えながら言った。しかし、カズトはすこし落ち着きを持った声でこう返した。
「俺だって、できたらしているさ。ありがとうユカリ。うん、今ので特定できた、かな。」
カズトはなぜか首を絞められつつも饒舌だった。そして今度は、ユカリではない方向に目線を動かして続けた。
「おい!そこのお嬢ちゃん!君は亡霊でもないし、座敷わらしでもないみたいだね!」
そう、その目線の先は少女だった。
「やだなぁ、お兄ちゃん。
わたし、最初から幽霊とも、座敷わらしとも名乗ってないんだよ?」
少女は首を傾げて答えた。それもフクロウのように。
「なるほど。やっぱりか。少女、廃墟、事故、そしてその仕草……君の正体は
タタリモッケだね?」
すると、少女は答えた。
「知らない。でも、確かに、すごい昔に、こんな体になったとき、誰かからそんな名前をもらった気がする。」
すると、首を絞め、そして絞められるユカリとカズトの間に、ほんのわずかに自由が与えられた。特にカズトは喉の圧迫が解かれ喋りやすくなった。
「え、どういうことですか?」
ユカリは訝しげに聞いた。
「この妖怪は、すなわちタタリモッケは、座敷わらしみたいに無害の妖怪じゃあない。むしろ逆で、この妖怪は、人を恨み、殺す妖怪の一種だ。いや、正直な話、予想はしていたんだ。でも、それはあっても最悪のケースだった。」
聞き覚えのない妖怪の名に……いや、思い返すと、ユカリにもその妖怪の名は聞き覚えのあるものだった。図書館でリストアップした妖怪の一つだ。
「私の事を知って何になるの?」
すると、カズトはフッと笑ってから、高々と言った。
「いいや、全部つながったよ。やっぱり妖怪ってのは成長しないもんなんだね。今と昔で火遊びから人遊びに変わっただけじゃないか。」
すると、タタリモッケも笑って言った。
「どういうこと?」
カズトも素早く返す。
「この屋敷、お前が燃やしたんだろ。」
カズトがそう言った途端、冷たかった室内が、うだるように熱くなる。何事かと思うと、今度は重力が二倍になったくらいに、体が重くなった。そして、ユカリがカズトの首を絞める手も、より強くなった。
カズトは悶え苦しんだ。狭い気道からでも、熱風を必死に吸い込もうとした。かくいうユカリも、重さと、金縛りのような感覚に抗いながら、必死に絞める手をはがそうとした。
この状況に、いつまで耐えられるか、ふたりがそう思った刹那、夥しい濃紺の羽が、床やら、壁やら、四方八方からシデ虫のようにユカリの手に群がった。
「きゃあっ!!」
ユカリは思わず声を放った。そして、濃紺の羽々はユカリの手を押さえつける。ユカリはなすすべなく、ついには涙を流した。
「やっ……先輩……!誰か…たすけて!!」
ユカリの悲痛な叫びとは裏腹に、カズトの喉はギシギシとしぼまっていく。カズトの首が急速に細くなっていく感触が、はっきりとユカリの手に伝わっていた。
部屋の中には、助けてくれる者などいなかった。
部屋の中には。
__バキッ!!
__ドゴッ!!
__バン!!
大きな快音を合図に、室内の温度も、重力も、ましてや羽も消え、首を絞めさせようとする金縛りも、すべて消えた。
朦朧とした意識の中、カズトはある人影をとらえて、安堵した。
*
憤りの中、やっとの思いで開いた扉の先で見たその光景に、弥生ユカリ、戦慄。カズトの上に馬乗りになって、マウントをとり、涙を流す後輩の姿。プッツン。ユカリの脳細胞は今ので3万は死んだ。そして気づいたときにはユカリはもう叫び始めていた。
「このっ!泥棒猫おおおおおお!!!」
その言葉を聞いて、ユカリはビクッと体を震わせた。しかし、自分はどうやら助かったんだと感じ、まだおぼつかない思考回路で、こう返した。
「ありがとうございます!!」
サユリ、その言葉に、混乱。しかし、バレーボールプレイヤーとしての能力なのか、それとも、生まれつきの才能なのか、もう一人の少女から異様な雰囲気を感じ取り、すぐさま状況を把握した。
「……なるほどね……」
そういうと、サユリはスマートフォンを取り出した。スマートフォンについている刺繍のストラップは、垂直にぶら下がり、静止している。彼女が怪異の前であっても、堂々としているのがわかる。そして、彼女はこう言った。
「こいつ、タタリモッケってやつね、ふーん。」
どうしてサユリが妖怪の名を言い当てたのかは、ユカリには見当もつかなかった。しかし、サユリは続けた。
「あんた、この館燃やしたんだってね。道理でこの屋敷の内壁は真っ黒焦げなのね。窓ガラスが丁寧に全部割れてると思えば、熱膨張みたいだし。合点がいくわ。そんなことをした動機も……うわ、きっも、そこまで予想してたのかよ。相変わらずここまで調べといて断定しないとかどんだけ……」
サユリはおそらく、話の前半はタタリモッケに対して話しかけていたのであろうが、後半からは、スマートフォンに向かって話しているようだった。
「まあいいわ。こいつのそういう主義、リスペクトするとして。ねえ、あんたどうしてこの館燃やしたわけ?」
サユリはタタリモッケに訊いた。
しかし、タタリモッケは何も答えなかった。
そしてユカリは突然嘲笑気味に言った。
「あっ、私を金縛りしようとしても無駄。そうならないようにしてきたから。」
すると、観念したのか、タタリモッケは_少女は_肩をすくめてどこか哀しげにぼそぼそと、細々と、喋りはじめた。
「わたし、嫌だったの……お父さんとか、知らない人が、怒ってるのが…いつも優しいおじさんも、わたしのすきなお父さんも…全部、全部、おかしくなって!全部だめになって!このカイシャに行くたびに、みんなどんどんおかしくなって!だから!だからこのカイシャも、お父さんも全部!壊したの!もう!なにも見たくなかったの!」
サユリは何も言わずにうなずいた。そして、カズトは正常な呼吸を取り戻したのか、よろよろと立ち上がって言った。
「なるほどね。君は、守りたかったのか。過去の、幸せだった時間を。そしてその時間が壊れてしまう前に、君は終わらせてしまいたかった。別に君は、君に関わる人を、憎んでいたわけではない。そうなんだろ?」
すると、少女はうなずいた。
「そう…だよ。でも……」
「でも、君は、人を憎み、殺す妖怪となってしまった。」
少女は、俯いた。
「おかしいよ。たしかに、いけないことをしたよ。地獄に行くと思ったよ。でも、神様は、私をずっとここに置き去りにした。地獄よりもつらいところに連れていかれるとは思わなかった。わたしだって、あんなことにならなければ……しなかったもん。なのに、なのにわたしは悪い妖怪にされて……」
少女の頬に、光がすうっと走っていた。
カズトは少女に向かって歩いていった。
「先輩?」
ユカリが怪訝そうに聞いても、カズトは足を止めなかった。
そして、少女の流した光の粒をぬぐって、こう言った。
「あのね、近いうちに、この建物、壊されるんだって。だから、君はもう苦しまなくていいんだ。この建物が壊れるから、君はもうここにいなくていい。もう、自由になれるんだよ。今日はね、それを伝えに来たんだ。」
すると、光の粒はさらに流れ落ちた。しかし、
少女は、初めて笑った。
「そっか。そうなんだ……うれしいけど、ちょっとさみしい。本当に、この世界に、さいごのお別れしないとね。
お兄ちゃんと、お姉ちゃんたち、いじわるしてごめんなさい。ありがとう。ほんとに。」
光の粒は、やがて輪郭をうしない、つらつらとこぼれる砂のように、ひっそりと消えた。その少女_タタリモッケ_は姿を失った。
*
「いや~やっぱり妖怪に会うのは楽しいわ~」
カズトはバスの一番後ろの席で意気揚々と隣に座るユカリとサユリに言う。
「あんな思いしておいて、よくそんなこと言えるわね……」
サユリは、はあとため息をついて漏らす。
「あの…どうやってタタリモッケ?を祓ったのかがよくわからなかったんですけど。」
すると、カズトとサユリは息をそろえて言った。
「「え?メール見てないの?」」
それを聞いて、ユカリはすぐさま携帯のメールボックスをチェックした。しかし、本文は集合場所や目的地しか書いていなかった。
「あの…特にそのヒントは書いてないと思うんですけど…」
ユカリがそういうと、カズトは不思議そうに答えた。
「あれ…添付し忘れたかな…」
「え、添付ですか?」
ユカリがメールに何かが添付されていないかを確認すると、確かに何か添付されていた。
「なんですかこれ…PDFファイル?」
「そう、それに妖怪の資料が入ってる。」
ユカリがそのファイルを開くと、夥しいほどの活字が目に飛び込んできた。あまりの情報量にめまいがした。注意深く見ると、そこには、『出会った妖怪が座敷童だとしたら→P34へ』や『出会った妖怪が貝児だった場合の推論』など、パソコンの説明書張りの重量だった。
「あの…これって……」
ユカリの問いに、カズトは快く返す。
「ああ、全部データだよ。参考資料。ほら、【どんな怪奇も丁重に。下準備は怠らない。】がモットーだからね。ほら、『タタリモッケだった場合の推論』を読んでごらん?」
言われた通り、ユカリはその項目を読んだ。すると、そこには、こうあった。
『タタリモッケは性質上、人の生死に関わる事故がきっかけで生じる怪異である。市の文献を調べると、目的の屋敷は、昭和中期の火災で全焼。その前後の採石会社の関連資料を調べた結果、鉄筋コンクリート構造の普及により石造建築の需要は衰退し、会社の唯一の命綱であった国鉄の駅周辺の再開発プロジェクトからも外されたことが追い打ちをかけ、採石会社は信用を完全に失っていたという。したがって、その状況による内部の崩壊に不満、あるいは不安を感じたのち、火を放ったのがその会社の責任者の娘、つまり少女とも考えられるだろう。』
大当たりだった。するとサユリはユカリの気持ちを代弁してやるつもりで言った。
「気持ち悪いわよね、こいつ。しかも行かないって言った私にも送ってきたの。このメール。こいつはこういうのが大好きで、今回はそれが功を奏したってわけ。」
「…もしかして!サユリ先輩が助けてくれたとき、スマホを見てたのって…」
「そうよ。私はここに来るまでのバスの中であのファイルからあるていどあたりをつけておいたから、あの女の子がタタリモッケだってすぐにわかったわ。あとはファイル通りに。」
「ええ…なんでそんなことがすぐできるんですか…。」
ユカリが聞くと、サユリは目を丸くして答えた。
「なんとなく?」
その時天才っているんだな。そして怖いな、と、ユカリは思ったそうだ。また、ユカリはある疑問に気づいた。
「あ、そうだ、じゃあ、その、私が無意識のうちに先輩の首を絞めてたとき、先輩だけは意識を取り戻したのって?あれはファイル関係ないですよね?」
するとカズトは自分の携帯を取り出して言う。
「このまえ俺の携帯使ったとき気づかなかった?お守りのストラップ。あれがたぶん守ってくれた。」
「お守りってそんなに効果絶大でしたっけ……」
ユカリがそう聞くと、カズトはケラケラと笑って答えた。
「サユリがさ、このまえ作ってくれたんだよ。これ。やっぱり身近な人間の思いがこもっていると効果が強いんだ。」
ふとユカリがサユリの方を見やると、サユリは頬杖をついて外を眺めていた。
「あっそ。助かったならよかったけど。」
サユリはそうとだけ言った。
「あの、じゃあ、サユリ先輩が金縛りにあわなかったのは……?」
すると、サユリは自分のスマートフォンをジャージのポケットにしまってから、「内緒。」と言った。しかしスマートフォンには、明らかにだれかの手作りのお守りのストラップがついているのをユカリは見逃さなかった。
ユカリは少しだけ、自分が2人と出会う前の時間を感じ、少し心がじんわりと痛んだ。しかしそれと同時にこの二人とならば、どんなことでも乗り越えていけるような、そんな頼もしさも感じていた。ユカリの身に何が起こるかはまだ分からない。しかし、ユカリはこの二人とともに未来を過ごすことに、ほんのりと、希望とロマンを感じはじめていた。
するとどこからか、ユカリにそっとささやく声がした。
「うらやましいな、お姉ちゃん。」