帳尻合わせ
短編二作目です。作品内で主人公がちょっとした持論を展開したりしていますが、私自身が本気で思っている事ではありません。自分以外の時が止まったらどうするだろうと考えてみた事がきっかけで出来た小説です。
誰でも、一度は時が止まらないかと考えた事があるのではないだろうか。僕もこれまでに何度かそう思った事がある。学生の頃は夏休みの宿題が終わらなくてそう思った。友達と過ごす時間が楽しくて、この瞬間だけが何時までも続けばいいのにとも思った。大学生の時は就職先がなかなか決まらなくて、いっそ大学生である時間がずっと続いて進まなくなればいいのにと思った。社会人となった今は休日が明けて月曜日が来るのが嫌になる。職場で何があるとかではなくーーーいや、あるのだがーーー、働くというのは多少なりとも嫌がるもので。月曜日の朝が来て、起きた時は少しのため息から始まる。就職先がなかなか決まらなかった僕は実際に働きたかった就職先とは違う職場で妥協し、やる気というものはあまり無い。就職するにあたって一人暮らしを始め、朝ご飯は基本食パン一枚とコーヒーで終わり。さっさと身支度を整えて家を出た。
街も僕と同じように職場へ向かう人々であふれかえっていた。その中に、意気揚々といった様子で職場へ向かう人はいない。誰もが、やりたい事とは離れた仕事に就いているのだろうか。だとすれば、みんなやる気なんてほとんど無いのではなかろうか。本当にやりたい事が出来ている人はほんの一握りで、大半がこうやって仕方なく、生きる為だけに働いているのか。
確かに生きていかなければ元も子もないのだが、どうせなら、やりたい事をやって生きていきたいと思うのは我が儘だろうか。・・・そんなの、いつまで経ってもやりたい事なんて出来ない気がしてならない。気付けば歳をとって若い今のようにはいかなくなる。若いからこそやりたい事、それを我慢して生きる為に働き続け、やっとやりたい事が出来る頃には老体になって結局出来ない。その人生には、意味があるのか。ただ生きる為に働いて、家族と子孫にお金を残してあの世へ逝く。それしか意味が無いように思える。決して大袈裟とは思わない。そんな人生になる可能性を孕んでいるのだ。一般層は誰でも。
富裕層ならお金があるからやりたい事が出来て、それをビジネスなんかに繋げられる者だっている。一般層はやりたくてもお金が無いから出来ない。お金が無いから働いて、そのお金も生活するのに精一杯なんて場合が大半だ。お金が無いから働いて、働き続けて、お金が出来た頃には今度は身体を動かせないなんて事になる。
人によってやりたい事は千差万別で、仕事と掛け持ってでも出来る人だっているかもしれない。でも、そうでない人だっている。出来る事なら今の職も何もかも置いて何処かへ行きたいという人だっているし、たくさんの時間を費やして一つの物を創り上げたいという人もいる。それが出来ないのは、今の職を辞めてしまえば全て終わるからだ。収入が無くなればたちまち生命線が断たれ、生きていくのがままならないからだ。働くか、極端に言えば死ぬか、そんな社会だ。
この考えは我が儘で、結局は遊んで暮らしたいだけじゃないか、と思う人もいるだろう。確かにそうだ。それの、何が悪い。逆に、例えば何の見返りも無く働けと言われたら、やりたいのか?働くにもそれだけの対価が払われるし、それを貰う目的で世の中の人間は働くんだ。それが無いともなれば、それでも働きたいなんて言う人間などまずいないだろう。そう言える人がいるとすれば聖人君子かマゾだ。やりたいから働いているという人はさっきも言ったようにほんの一握りで、基本は二の次か取って付けたような理由でやりたいフリをしている。全ては生きていくお金のため。本当は誰しも、出来ることなら働かずに生きていきたいと思うものじゃないのか・・・?達成感がどうとかは、働かなければ味わえないなんて事もないし、働くメリットはその見返りと社会的地位の確立だ。日本は働く事こそが美徳で、それ以外は屑とまで言う人もいる。働いていなければ、その人の価値が薄れていってしまう。それで、正解なのだろうか。
会社へと向かう満員電車の中で、ずっとそんな事を考えていた。ここ毎朝は同じような事を考えるようになってきて、どんどんネガティヴな方へと考えすぎてしまう。気付けば降りる予定の駅を過ぎ去っていた。しかも既に三駅も。しまった・・・!考え事で電車を乗り過ごすなんて、今まで無かったのに・・・。このままでは確実に遅刻だ。そうなれば、あの厳しい上司に小一時間問い詰められ、挙句反省文を書かされるのだ。その上司は言わば熱血系で、気合いだの何だので部下を叱咤してやる気を引き出そうとしてくる何とも時代錯誤な上司だ。反省文など、工業高校の機械科に通っていた友人の話でしか聞いた事がない。寝坊や電車の遅延などで遅刻をこれまでに二度やっている僕も確かに悪いのだが、仕事に対するモチベーションは就職する前からもう無い。「やる気というものはあまり無い」という言い方をしたが、あれは嘘だ。全くと言える程無い。すっからかんの空っぽだ。中身の洗剤が無くなったシャンプーの容器のようなものだ。何も入っていないのだから、押しても押しても出る筈が無い。新たにやる気というものを詰め替えてもらわない限りは。
それはそうと、上司へ説明する遅刻の理由が「考え事をしていた」では、反省文を何枚書かされるか分からない。過去の二度の遅刻の時は、寝坊の時が初めてという事で一枚、電車の遅延の時は多少は仕方ないという事で二枚。同僚が寝坊で三度ほど遅刻をやらかしているのだが、三度目の寝坊での遅刻は九枚も書かされていた。今回は僕も、九枚は書かされそうな気がする。何とも憂鬱だ。そもそも遅刻の理由やその反省を踏まえた文書を九枚も書かなければならないなんて、最早書く事が無い。書かせるにしても枚数くらいは統一しておいてほしいものだ。反省文の枚数分、本人の反省度が必ずしも上がるわけではない。反省というよりはもうあのような目に遭いたくないという恐怖感に近しいものがある。・・・やはり反省文は意味が無いように思える。
次の駅で電車を降りた。・・・また考え事をしていた。早く遅刻する旨を連絡しなくては。・・・いっそこのまま、サボタージュしてしまおうか。いや、無断欠勤は重罪。反省文では済まない恐れがある。クビまではいかないが、むしろクビになった方が気が楽とすら思えるのは考えすぎだろうか。何もかもかなぐり捨ててしまいたい。それが出来ないのは、全てを失う勇気が無いからだ。全てを失わないまま一度全てを捨ててしまう事が出来るとしたら・・・それはもう時間でも歪めないと無理だ。そうだ。このまま、時間が止まってしまえばいいのに。何もかも、僕以外の全ての時間が止まってしまえば・・・。
突然、駅構内の雑踏が静まった。耳が痛くなる程に色んな人達の音がひしめき合っていたのに、今度は逆に耳が痛くなる程の静寂が訪れた。俯き加減で歩いていたところで起きたため、慌てて顔を上げる。目の前には僕の身体を避けて歩いて行こうとしていたらしき中年の男がいた。僕から見て右へと歩を進める体勢のまま立ち止まっている。・・・歩いている姿なのに立ち止まっているはおかしいな。そうだ、これは歩いている姿のまま硬直しているんだ。右足を前に踏み出してもうすぐ地面にたどり着く直前の状態で静止している。こんな体勢で止まるなど、普通は無理だろう。ところがこの男は石のようにその場で固まっている。辺りを見渡せば、みんながそうだった。職場へと向かう冴えない顔付きのままだ。改札を通ろうとして定期券をパネルに当てている人。その後ろにも定期券を鞄から取り出そうとしている人などが並んでいる。歩きながらスマートフォンの画面を見ている人。前から歩いてくる人が煩わしそうに避けている。改札横の窓口で駅員さんと四十代程の女性が話していたらしき光景や、携帯への着信に出るつもりでスーツのジャケットの内ポケットから携帯を取り出そうとして手を滑らせて携帯を落としている人。空中で落ちていく筈の携帯が静止している。くしゃみをした人の飛沫や、コンビニのおにぎりのラベルを剥がして捨てている人の手から飛んでいくゴミ。ただ人が止まっただけでなく、物までがその場で硬直しているのだ。人だけが止まっていればまだ、謎のドッキリとかフラッシュモブにでも巻き込まれていると思い込む事も出来た。しかし、重力に従って落ちていって然るべきである物までが止まっている。これは、あれ以外考えられなかった。直前に僕が思った事。・・・時が、止まったのだ。
しかし本当にそんな事があり得るのか?この目で実際に現象を目撃していても、信じられない事というのはある。夢でも見ているのか。それにしては起きているみたいに鮮明だ。ベタに頬をつねってみたが夢は覚めない。夢では無さそうだ。では、目の前で起きているのは・・・何だ?試しに目の前にいた 中年の男に触れてみる。肌の感触なんかは間違いなく人。だが冷たいとも温かいとも感じない。脈を確認してみたが、動いていない。表情としては生気を感じられる。だが瞬きもしないし呼吸だってしていない。立ったまま死んでいるとは到底思えないし、この状況は・・・やはり・・・。
そうだ。一番簡単な方法があった。腕時計の針を見るんだ。何故こんな簡単な事に僕は気付かなかったのだろう。僕は腕時計を見た。そこで僕は目を疑った。なんと、僕の腕時計は動いているのだ。時間は止まっていない?では、周りの人達には何が起きている・・・?先程触れてみた中年の男の左腕にも腕時計があったので、それを見てみる。時計の針は止まっていて、僕の腕時計が示す時間の五分前を示して止まっていた。やはり時間は止まっている。けど、僕の腕時計は今も時間を刻み続ける。・・・つまり、僕だけの時間が動いているから、僕の腕時計も動き続けている・・・という事なのか?僕が所有しているものでなければ動かないのだろうか?中年の男の左腕にある腕時計に触れてみた。すると腕時計の針は動き、僕の腕時計が示す時間と同じ時間まで一瞬で針が進んでいった。手を離すと、腕時計の針は戻り、先程の時間を示して止まった。この先程の時間というのが、時が止まった瞬間なのだろう。朝八時四十六分。この時間から三駅分戻ってから徒歩十分で会社に着くが、この瞬間からでは出社時間の九時には間に合わないだろう。僕の腕時計は朝八時五十三分を指したところだ。余計に間に合わない。しかし、つまりこの世界で時間を刻んでいるのは僕だけだ。きっと。他の人々は時が八時四十六分で止まっている。人に触れてもその人の時は動かないが、物に触れると僕と同じように時を刻む。離せば八時四十六分時点に戻る。
そして恐らく、時が動くよう願えばまた動き出す筈。・・・だが、暫くはこのままにしよう。本当に時が止まっているのだから、僕だけが動ける中で何もせずまた時を動かすのはこの上なく勿体無い。物は触れることで動かせても人は動かないのだから、僕は自由だ。極端な話、何をしてもお咎めなしだ。どうせなら時を止めたまま会社まで行ってから時を動かそう。遅刻しないで済む。・・・いや、そんなちっぽけな事ですぐに解除したりはしないぞ。何時まで続くか分からないが、僕が願わなければこのまま時は動かないままの筈。だったらずっとこのまま止めておこう。僕の気が済むまで。一回目の今は時を止める事が出来ても、二回目が出来るとは限らない。この一回目で、やりたい放題やってしまえばいい。
まず僕は歩いて家に帰って、仕事に行く為のスーツやら何やらを脱いで普段着に戻った。とりあえずは仕事に行かなくてもいいんだから、堅苦しいスーツをいつまでも着ている理由はない。まずはとことん眠ってやろう。・・・と、ここで気付いたのだが、家まで歩いて帰ってきたというのに、全く疲れていない。僕自身の時間は進んでいる筈なのに、身体の時間が進んでいないらしかった。本当に身体の時間が進んでいないのだとすれば、一日経った後でも髭が伸びない可能性がある。これは便利だ。時間が止まったこの世界は今、僕の心の休息を与えてくれているのだ。だが、不安もある。もしここで時間が動き出せば、歩いた分の疲労が一気に押し寄せてくるのではないだろうか。これ以上歩いたり走ったりして疲労を溜めると、時間が動き出した時に溜まった疲労が一度に身体に表れてくるかもしれない。もし仮に一年分の歩いた疲労が一瞬で身体にかかったら・・・と思うと、さすがに恐ろしかった。しかし、僕が駅にいた中年の男の腕時計に触れた時には針が動き、離すと元に戻った。ならば、僕の今の身体の状態も、特別に疲れないだけで時間が動き出せば身体の状態は時間が止まった時点までリセットされるのでは?この止まった世界で起きた事が無かった事になるのだ。身体の状態だけ。僕が触れた男の腕時計は、再び時間が動き出してもいつも通りに時間を刻むだけだろう。僕が触れた瞬間まで一気に進む事はない筈。それと同じだ。何とも都合の良い解釈をして自らを落ち着けた。それに、例え時間が動き出し、一気に疲労がのしかかってきてそのまま死んでしまうとしても、止まっている間に一生分の楽しみを味わえれば、死んでも構わないだろう。ここまで考えて、そこから僕は自室で眠りについた。疲れる事はなくとも、眠る事は出来た。
目が覚めて、枕元に置いておいた腕時計に触れると時が進み、時刻は午後二時頃を指した。随分と眠った。前日は夜更かしをして少し眠かったからだろう。気持ち的にもスッキリ出来て、とても良い睡眠時間だった。午後に突入しているにも関わらず、お腹は減っていない。物を食べなくてもいいとは、益々便利だ。僕の精神だけが時を刻んでいる、と言うべきだろうか。何度も言うが、なんと便利なのだろう。
前日の夜更かしの原因はゲームだ。まずはこちらを進める。買ったばかりだったがなかなか進められていなかったゲームを、ここで一気にゲームクリアまで進めてやろう。幸いにも身体は疲れない。・・・このゲームだけでなく、時間が無くてやり込み要素まで手を出せなかったゲームも全て進めて、完全なクリアを目指そう。時間も身体の調子も気遣わずぶっ通しでゲームができる日が来ようとは。夢にも思わなかったというやつだ。
家にあった全てのゲームを完全クリアまで導いた頃には二日近い時間が流れていた。最近のゲーム機は日時なんかも見られるので常に確認できた。ゲームの完全クリア。これだけでも達成感というものは得られた。こういう形でもいいじゃないか。ただ、ゲームの一部にはマルチプレイなどの機能もあり、他のプレイヤーと対戦したりもできるのだが・・・今のこの状況では勿論出来ない。マルチプレイでどれだけ強くなれるかを競うゲームもあるので、それが出来ない時は少し虚しい。
・・・まずやりたい事の一つは終えた。次は撮り溜めたアニメやドラマを全て観よう。就職してからというもの、なかなか観れていなかったのだ。何ヶ月も溜まっている事だろう。確認してみると、就職して一ヶ月が経った頃のドラマが一番古いものだった。ここから全てイッキ見。これもまた二日程の時間を費やして全て観終えた。
その次は・・・。その、次は・・・・・。
好きなだけ寝て、ゲームをやって、ドラマやアニメを観て、その次が何も浮かばない。
いや、浮かんではいるのだ。ただ、欲しいものを買うにも店員が動いてなければ買うという行為は成立しない。旅行に行こうにも電車や飛行機を操縦する人がいない。旅行先でも何かを食べ歩いたり買ったりするから楽しいのであって、何かをただ見るだけとなると旅行というものの楽しみは半減する。僕ただ一人が生きていても、世の中何も成立しないんだ。何一つ。買う行為が成立しないなら盗んだっていいとなるかもしれないが、どうにも僕の良心がそれを許さない。僕だってそれくらいの良心は持ち合わせている。
そうなると、本当にやることはもう何も無い。僕一人でやりたい事なんかは時間が見つかれば少しずつでも出来た事だ。そこから先は、誰かがいなければどうにもならなかった。僕以外の人間が本当にいなくなったとなれば話は別だが、後に時間を再び動かせば世界は元通りだ。時間が止まる前と再び動き出した時で違いが出てはいけない。
僕一人がやりたい事はこれで終わったんだ。こんなに、小さかったのか。時間が止まった時は何でも出来ると楽しみにしていたのに、いざやってみればゴールデンウィークやらの連休で終えられる程度の事しかやる事が無かった。・・・僕がちっぽけな人間だったと言うつもりは無い。人同士はやはり関わり合っていなければならないのだと知ったのだ。僕はスーツに着替えて会社へ出向く準備を整える。これまでやった事はひと時の余暇と思う事にした。少しのガス抜きをして、また社会へとこの身を預ける。とりあえずはそうして人生を送っていった方がいいのかもしれない。
時間が止まったのは会社の始業十四分前だった。遅刻だけはとりあえず避けようと、直接会社の近くまで歩いてやって来た。今僕の腕時計が示しているのは十四時二十五分。時間が動き出したら、止まっている間に動いた事で生じた筈の疲労などはどうなるだろう、と前にも考えた。やはり、一気に疲労が押し寄せてくるのだろうか。・・・もしそうなっても、怠惰の念を抱き続けた自分への戒めという事にしよう。ちょっとした罰だ。時間にして四日以上・・・大体五日くらいになるだろうか。その分の疲労が次の瞬間一気に・・・。気を失って倒れるかもしれないな。そう思いながらも、僕はあの時と同じ様に心の中で考え続けた。止まった時間よ、動き出せ。動け。動け・・・!
やがて、一斉に聞こえてくる街行く人の足音や車の走行音の合唱。閉じていた目を開くと、会社近くの見慣れた光景が、時間を取り戻していた。人が行き交い、車が走る。街路樹の葉が風で揺れる音も聞こえてくる。これが、僕の生きる世の中なんだ。当然の事だが、そう思った。旅行から家に帰って来た時の気持ちに少し似ている。さて、会社へ向かおう。僕は一歩を踏み出した。
その一歩は見えない壁に妨げられた。目の前には何も無いのに、踏み出した右足は間違いなく何かに阻まれた。不思議に感じた僕は目の前に手を伸ばすと、身体から拳二つ分くらい離れた目の前に見えない壁があると確認できた。まさかと思い、左右と後ろにも手を伸ばしてみると、やはり見えない壁の感触。四方を囲まれているらしい。僕は狼狽えた。何故、いつの間に、こんなものが・・・。
直後、前方から人が僕へ向かって歩いてくる。見知らぬ男性。僕が見えていないかのように迫る。「このままでは壁にぶつかるぞ」と声に出してみたが聞こえていない。やがて直ぐ目の前に。思わず目を瞑る。・・・何も音がしないので目を開けると、男性はいなくなっていた。辺りを見渡すと、直ぐ後ろの方で何事も無く目的地へと歩を進めていた。その男性の横を通ってもう一人、女性がこちらへ向かってくる。何が起きているのか確かめる為に目を開けたまま様子を伺うと、女性の身体が壁を、僕を、すり抜けていった。
何が起こったのかをきちんと理解するまで時間がかかったが、漸く分かった。どういうわけか僕は透明人間になっている。しかもこの場から一歩たりとも動けず、物と干渉しない。僕の時計を見てみると、十四時二十五分で針は止まっていて、実際の時間である朝八時四十六分には戻っていなかった。
これらを踏まえて分析するに、恐らく五日後の十四時二十五分まで僕はここから動く事すら出来ない。その時間まで、世の中はいつもと同じスピードで時を刻み続けていく。目の前で過ぎ去っていく時間は時が止まっている間に僕が過ごした時間だ。帳尻合わせをするように、僕が過ごした時間分、世の中の時間が進んでいく。僕を置いてきぼりにして。いや、置いていかれたわけじゃない。僕の時間の方が先に進んでいたのだ。世の中の時間は先に進んでいった僕の時間に追いつこうとしているだけだ。怠けた分のツケが回ってきただけなんだ。そう思おうとしても、どうしても、目の前でただ時間が過ぎ行くのが・・・ただ見ているしか出来ないこの瞬間が・・・ひどく無駄に感じられて仕方ないのだ。
時間が止まる話というのは結構ありきたりかもしれませんが、止まる以外のところで少し設定を捻ってみたつもりです。結末などがそうです。自分の時が止まったらどうするか考えた結果がこの小説の終盤で書いた事だったり。この世の中でたった独りはやっぱり私には無理そうです。