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終.産声

 屋上への扉を開けると、湿った風が頬を打った。

 頭上は濃灰の雲に覆われていたが、遠く西の空からは夕日が差している。

 僕の正面、二辺のフェンスが交わる角のところにアン子は立っていた。西日が逆光となり、その表情はよくわからなかった。意外なことにアン子の他に少女はいないようだった。

 代わりに、アン子を追い囲むように二人の研究員が立っていた。長身の桂木教授は神経質そうな目で僕の方を見た。肥満体形の山田は僕に背を向け、アン子から目を離さなかった。

 どちらも体中に怪我があったが、僕より軽傷なのはエアバッグが働いたからだろうか。

 そしてもう一人、フェンス沿いの小さな室外機に腰かけているのは、僕の昔からの友人である堂前だった。


「よお、志木。やっぱり来ちまったか」


 堂前の声は陽気な調子だったが、来てほしくなかったという本意を露骨に含んでいた。


「最初に断っておくがな、これは全部お前のためにやってることなんだぜ?」


 頭を掻きながら、あくまでも陽気に堂前は喋り続けた。


「地下で怪我したお前を運んだのも、あの金髪の子の応急手当てをしたのも、全部俺の指示なんだからな。ああ、あの蒼い髪の子に逃げられたのは予定外だったけど」


 堂前の話はおそらく正しい。堂前がここにいるという事実が、今までの不可解な現象に説明を付けてくれるはずだった。


「アン子を、どうするつもりなんだ?」


 時折通り抜ける風が僕の火照った肺腑を冷やし、呼吸を少し楽にした。僕の問いに答えたのは桂木だった。


「今しがた簡単な検査をさせて頂きましたが、やはり彼女の体内には全く未知の菌、あるいはウィルス、あるいはもっと別の何かが存在しているようです。このハザードの現状を収めるためには、まずは彼女を実験体にしないと何も始まらないでしょうね」


 簡単に実験体と言っているが、並大抵のことではないだろう。一日中監禁され、血液を抜かれ、薬漬けにされ、メスで刻まれ、電極を刺され、解剖され、大事に保管されるのだろう。

 しかしこれは、本来僕が恐れるべきことだった。

 僕は前からずっと、いつか自分の行いは報いを受けるだろうと怯えていた。少女を生み出すなどという禁忌には、相応のリスクがあるだろうと予感していた。


「本当は、僕が実験体になるはずだったんだろ。最初にアン子を作ったのはこの僕で、つまり事の発端は他でもないこの僕なんだから。でも、アン子は今、僕の責任を肩代わりしようとしてるんだ。あんなテレビに映ってまでここで指揮を執っていたのは、自分が諸悪の根源だと世間に思い込ませようとしたんだろう?」


 アン子の方を見てもその表情はやはりよくわからなかったが、彼女は静かに口を開いた。


「確かにあれはパフォーマンスでした。それに、サトルさんが実験体になりえるというのも事実です。しかしあなたは人間、私はパン。どちらが献体としてより融通が利くかは明白です」


 でも、と言って、少し暗い調子になってアン子は続けた。


「私が実験体になってしまうと、ここの少女たちを監督できません。だから次の指揮者としてサトルさんに来てもらって、全て終わってから堂前さんやこちらの二人に説明してもらうつもりだったのです」


 つまり、この四人は最初から手を組んでいたのだ。おそらくアン子が失踪したとき、僕の携帯の履歴かなにかから堂前の連絡先を入手し、かくまってもらっていたのだろう。

 僕の工房に研究員の二人が来たのも、本当は僕を安全にここへ連れてくるためだったのだ。


「アンタらが地下で事故ったときは本当に肝を冷やしたよ。まさか外の子がパトカーを乗っ取って追いかけまわすとは思わなかったんだ」


 堂前が申し訳なさそうに弁解した。


「しかしまあ結局は、大体のところ予定通りなわけです。ただ、あの金髪の子と蒼髪の子には悪いことをしてしまいましたね。全く面目ない」


 そう言って桂木も謝罪した。僕とズンが建物内で少女に襲われたのは、生まれたばかりの少女には命令が届いてなかったからだという。


「結局、僕を庇うための騒動だったのか?」


 僕の問いに対する無言の肯定。

 ずっと僕に背を向けていた山田が、首だけ振り返って言った。


「ただ、一連の少女増殖や警察署の占拠などは、自然発生的なもの、です。この生物災害を予見したからこそ、あの赤髪の子は自分の身を犠牲にしようとしたわけ、です」


「そう、だからわたくしどもは彼女を研究所まで連れて行かないといけません」


 そうして桂木と山田はアン子の手を引き、歩き始めた。


 ……要はつまり、僕のためにアン子が犠牲になろうとしているわけだった。

 だが、僕はもう気づいてしまった。いや、最初から気づいていたのにあえて考えないようにしていたのだ。

 コルネは僕を庇って大けがを負った。ズンは生まれてきて良かったと言ってくれた。

 そしてアン子は僕の代わりに研究所に行こうとしている。


 何故この子たちは僕のためにここまでしてくれるのだろう。

 何故この子たちの健気な姿を見て、僕は胸が痛むのだろう。


 僕はもうとっくに気づいてしまった。


 この子たちは生きているのだ。この子たちだって死ぬのは嫌なのだ。

 僕はこの子たちを生み出した父親で、この子たちは娘なのだ。


 命に対する責任を負うのが怖くて、今までずっと目を背けていた。

 でも、僕たちは家族なのだ。


 父親のために死のうとしている娘を黙って見送れるだろうか。


 父親だからという理由だけでこんなにも愛してくれたのだから、

 僕もまた、娘だからという理由だけで愛してやるべきなんじゃないのか。


 研究員の二人がアン子を連れて僕の横を通り過ぎた瞬間、僕はずっと持っていたスタンガンを山田の首筋に押し当てた。

 くぐもった声を出して倒れこむ山田。

 間髪入れずに僕は桂木にも押し当てた。

 二人の男が倒れて、アン子は茫然と僕を見た。


「お、おいおい! 気でも違ったか!」


 堂前が目を見開いて声を張り上げ、そのまま僕に掴みかかった。


「この子が献体にならなきゃお前が死ぬしかないんだぞ! この子が何のためにお前を騙してまで必死にやってきたと思ってるんだ!」


「アン子は実験体としては不足なんだ」


 僕の言葉に堂前はわけもわからぬ顔をした。僕は続ける。


「未知の菌だかウィルスだかしらないけど、アン子がそれを体内に持ったのは、アン子が工房から出てった直前の深夜なんだよ」


 アン子は息を呑んだ。そう、僕は思い出した。

 アン子が出ていく直前、彼女は寝ている僕の部屋に入って僕にキスをした。

 あの時、僕の体内にいた「それ」を一部、彼女の中に取り込んだんだ。


「だからね、本当に最初からそれを持っていたのは僕だけなんだよ。僕以外の誰も、オリジナルとしての研究対象にはなれないんだ」


 堂前は憐れむような眼で僕を見て、胸ぐらを掴んでいた手を放した。


「さ、サトルさん、私は」


 僕はアン子を抱きしめた。


「でもね、そんなことはどうでもいいんだ。僕にとって大事なことは、アン子は生きていて、僕の娘で、僕の家族だってことなんだ」


 どさりと音をたてて堂前がしりもちをついた。


「お、お前、まさか」


「そうだよ。アン子も、ズンも、コルネもみんな僕の家族なんだ。それだけじゃない。今まで僕が焼いた美少女全員、工場で大量生産された美少女も全員、今まさに増え続けている災害の美少女も全員、僕の家族なんだ」


 屋上から辺りを見回すと、ここを中心にあらゆる建物の崩壊が始まっているのがわかる。

 曇天のもと美少女たちはあらゆるものを吸収し、分解し、栄養とし、際限なく増殖する。

 へたりこんだままの堂前が声を上げた。


「このまま放っておいたら取り返しのつかないことになる。お前のわがままでこれ以上被害を広げるわけにはいかんぞ!」


「そうは言っても彼女たちは娘で、僕は父親だ。見捨てるわけにはいかない」


 そのとき、僕の右手に鋭い痛みが走った。手首をひねられ思わずスタンガンを手放したその直後、僕の首筋に冷たいモノが当てられ、バチリと音が鳴った。

 激痛に一瞬息が詰まり、全身が自分の制御を拒み始める。

 薄れゆく意識の中で、アン子の謝る声が微かに聞こえた。


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