8.があるずぐう
「これ、護身用具です。持っておいてください」
長身の桂木教授はそう言いながら、僕にクロム製の伸縮式警棒を渡してきた。
「女の子相手に物騒ですね」
僕は少し眉をひそめてその物々しい黒い物体を見た。
「向こうも武装しています。念のため、です」
肥満体形の山田がもごもごと補足した。僕は警棒をホルダーに入れて腰につけた。
山田が運転、助手席に桂木。中列にズンが一人で座り、僕とコルネが最後部。五人はバンに乗って美少女に占拠された警察署に向かう。
目的地に近づくほど事態の深刻さが明確になった。どうやら少女たちは占拠した警察署を中心に周りの建物を侵食しているらしい。柱や壁材を美少女に変えられた建築物は支えを失い崩落してしまい、かなり離れた場所からでも警察署を視認できるようになっていた。
あの建物の屋上にアン子がいる。
舗装がまばらになってしまった道路を走り、警察署が目前にせまったとき、突然横からパトカーが飛び出し進路をふさいできた。
「危ない!」
運転していた山田は慌ててハンドルを切り、かろうじてパトカーの後ろをすり抜けた。
パトカーはそのままサイレンを鳴らして僕らを追ってきた。
「なぜパトカーが!?」
「運転してるのは警察ではないようです! 少女に乗っ取られてます!」
「追い付かれるとまずいぞ!」
「どうするんだ!」
「このまま署に突っ込もう。地下駐車場から中に入れるはずだ!」
五人を乗せたバンは速度を上げ、車体をがたがた揺らしながら走り続ける。
追ってくるパトカーが二台三台と増えてきた。サイレンの音が重なって響く。
「そこの坂に入れ! 駐車場の入り口だ!」
「ゲートバーはどうします!?」
「構うな突っ切れ!」
バンは下りのカーブを高速で走り、紅白の棒をへし折って地下駐車場に突入した。
「奥に階段がある、急げ!」
大量のパトカーを引きつれて地下を駆け抜けると、今度は柱の陰から一般車が飛び出してきた。
避けようとしたその一瞬、後輪が滑りバンがスピンした。
鋭いブレーキの振動。内臓を貫く衝撃。身体が宙に浮く感覚。窓ガラスが割れた。
地下に反響する幾重ものサイレンがただひたすら耳を襲った。
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硬質の不快感。息苦しさ。そして鈍痛。
気づくと僕は横たわっていた。……一体どうなったんだ?
辺りを見回そうとすると全身に痛みが走った。
全身打撲。左腕が特に痛む。肺の辺りもやられている。奇跡的に出血の類は無いらしい。
僕はまだ生きている。
現状をなるべく前向きに捉え、僕は可能な範囲でもう一度辺りを見回した。
室内のようだった。床には灰色のタイルカーペットが敷かれ、窓にはブラインドが付いている。壁際にはたたまれた長机とパイプ椅子がいくつも立てかけられている。
署内の会議室? 何故僕はこんなところに?
僕は痛みをこらえて立ち上がった。左腕さえ庇えばなんとか動けそうだった。あれだけの速度でクラッシュした割には僕は驚くほど軽傷だった。
みんなは無事だったのか。
そうだ、みんなは!
慌てて視線を動かすと、部屋の反対側、入り口のドアのそばに、少女が倒れていた。
「コルネ!」
僕は彼女のもとに駆け寄った。
「大丈夫か! おい!」
「あ、……サトル様?」
よかった。生きている。安堵のため息を吐くと肺が痛んだ。
僕はコルネの容態を確認する。彼女は明らかに僕より重症だった。全身ぼろぼろで表情は力なく、衣服があちこち裂け、足が変な方向に曲がっていた。
コルネはか細い声で言った。
「……サトル様が、ご無事そうで何よりです」
「お前、僕を庇ったのか?」
そうとしか考えられなかった。同じバンの後部座席に座っていたのにここまで怪我の程度が違うなんてありえない。
「サトル様、アン子の所に行ってあげてください」
「いや、まずお前を」
「私はいいのです!」
コルネは上体を起こし僕の右腕を強く掴んだ。その目はまっすぐに僕を見ていた。
「ずっと考えていました……あの子が何故こんなことをしたのか。そして気づいたのです。あの日、私たちがあの子の頭を詰め替えたとき、あの子は私たちの理解を超えるほどの頭脳を手に入れたのです。あの子、アン子は私たちのために、自分を犠牲にしようとしてるのです」
コルネの手が僕の腕から離れ、床に落ちた。
「私はもう歩けません。どうかお願いします。アン子を守ってあげてください。手遅れになる前に」
コルネの声は消え入りそうなほど小さく、言い終わると崩れるように横になった。
「わかった。必ずアン子を連れて戻ってくる。だからそれまでここで待っててくれ」
僕がそういうとコルネはほっとしたように微笑んで目を閉じた。
僕は彼女の体勢を整え立ち上がった。
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人の気配がしないことを確かめて僕は部屋を出た。皮張りのソファや自動販売機が置かれた広い廊下を慎重に歩きながら僕は考えた。
どうして僕はあの部屋にいた? 誰かが運んだのか? 誰が? 何故?
他のみんなはどうしてるんだ?
曲がり角に差し掛かったところで足音が聞こえてきた。進行方向から近づいてくる。このままじゃ鉢合わせだ。
僕は数歩戻って自動販売機の陰に身を隠した。こっちまで来るだろうか。そうなったら見つかってしまう。
このとき僕は警棒を持ってきたことを思い出した。腰の辺りを見るとホルダーに無骨な黒い凶器が収まっている。
……僕が気を失っている間、誰にも武器を取られなかったのか?
いや、今はそんな場合じゃない。僕は右手と歯で警棒を延ばし、自販機の側面に身体をくっつけて構えた。
足音が近づいてくる。こっちまで来そうだ。
相手は女の子だろうが仕方がない。自販機を超えた瞬間、気づかれる直前に先手を打つしかないだろう。僕は覚悟を決めた。
いよいよすぐ近くまで迫ったところで、足音が止まった。
なんだ? ……まさか自販機で買い物するのか?
今すぐ飛び出せば不意を付けるか。でもこのまま待てば引き返すかもしれない。
僕が悩んだそのとき、背後でドアの開く音がした。
振り返ると僕のすぐ目の前でドアが開き、中から美少女が出てきた。
少女は僕を見るなり顔色を変え、手に持っていた黒い物体をこちらに向け迫ってきた。
青白い線がバチリと光った。
「は?」
スタンガン! とっさに応戦しようとしたが、左腕が痛み警棒を落としてしまった。
まずい。
もう駄目かと思った瞬間、視界の端から何かが飛び出し少女の体に直撃した。
少女は獲物を落として大きく吹き飛び、廊下の反対側の壁に激突した。
「サトル殿! 無事か!」
「ズン! なんだ、君の足音だったのか」
僕は安堵の声を出したが、ズンはすぐに制した。
「増援が来る。それを拾って逃げるぞ」
僕はさっきの少女が落としたスタンガンを拾いズンと走り出した。左腕も肺も痛んだがそんなことは言ってられなかった。
「一体何がどうなってるんだ? 僕とコルネは向こうの部屋で転がってた」
「地下の事故の後、ここの少女どもに運ばれたらしい。私は途中で気が付いて逃げ出した」
僕らは廊下の端の階段にたどり着いた。後ろを見ると大量の少女が追ってきていた。
「あいつらに捕まったらどうなる?」
「一回逃げてしまったからな。増殖の栄養にされるかもしれん」
僕とズンは階段を駆け上がった。二階から三階。三階から四階。
四階から屋上への途中の踊り場で僕らは足を止めた。
階段を上がってすぐ、屋上へ出る扉の前に、数人の武装少女が待ち伏せていた。下からは追ってきた少女がすぐそこまで来ている。
「まいったな。挟まれたようだ」
僕はズンのように余裕ではなかった。ここまで駆け上がったせいで肺がズキズキと痛み続け、左腕は灼けつくように神経を蝕んだ。
僕は呼吸を乱しながら上階の少女たちにスタンガンを向けた。
ズンは下階の少女たちに警棒を向ける。
少女たちがじりじりと距離を詰めてくる中、ズンが僕に聞いた。
「サトル殿は、自分が生まれてきた意味を考えたことがあるか?」
「なんだ、急に」
僕は肩で息をしていてろくに答えられなかったが、ズンは構わず続けた。
「確かに私は働くために生まれてきたが、働くのが嫌だった」
「生きる意味を楽しめないなど、苦しみでしかないと思っていた」
「だがあの日、サトル殿が私を殺してくれると言ってくれたあの日、私は気づいた」
「私は決して、今の生活が嫌いというわけではなかったんだ」
「私はなんだかんだであの日々を楽しんでいた」
「与えられた生きる意味に納得できないなら」
「自分で見つけた生きる意味を優先してもいいと思ったんだ」
「つまり、私は」
「生まれてきて良かった。と、私を作ってくれたサトル殿に言うために生まれてきたんじゃないかと、そう思うんだ」
ズンの言葉を聞き、その意図を察した僕はズンに一歩近づいた。
「二階の会議室でコルネが休憩してる。僕とアン子が戻るまでそこで待機しててくれ」
「……わかった」
少女たちが一斉に飛びかかってきた瞬間、ズンは僕の襟首をつかんで放り投げた。
僕の体は少女たちの上を超え、屋上へ続く扉の前に落ちる。
痛みも何も無視して僕は立ち上がり、屋上に出た。