4.カネノマニマニュファクチュール
商店街に活気が戻った。と言って、観光協会の人たちは現状を好意的に受け止めようと努めている。しかし僕を含めた住民の多くは、むしろ危機感を抱いていた。
活気が戻ったどころではなく、かつてこれほど人が集まったことはあるのかというほどに観光客が訪れているのだ。そしてこの観光客たちは皆、僕が営むパン工房で美少女を買おうと目をぎらつかせている。
彼らは美少女を求めていた。
協会の打った広告が功を奏したのか、口コミやSNSで噂が広まったのか、あるいは美少女を売買するという時代錯誤な背徳的ビジネスが抑圧された潜在需要を刺激したのか。とにかく僕はこの数日間、休みなくひたすら少女を焼いていた。
原材料の仕入れを増やし、生産量を増やし、営業時間を延ばし、それでも買えなかった客が怒って道端にテントを張りだしたので整理券を配って近くのホテルを紹介し、翌日早朝から営業を開始しても捌ききれず、その間にも新しい客が次から次へとやって来るので、ついには完全予約制の注文販売にしなくてはならなかった。
「よ、予約表、向こう二か月まで埋まりました……。あと、お願いします……」
午後八時、予約の電話に対応していたアン子が作業テーブルに突っ伏した。
「こう忙しい日が続くと、泥濘に沈む暇もないな」
「確かに最近働き詰めですわね。小麦粉の消費が増えてしまいますわ」
仕込み作業を手伝ってくれていたズンとコルネも、口調こそ軽いものの表情には疲労の色が浮かんでいる。ちなみにコルネはあれ以来、用法用量を守って白い粉を使用しているらしい。
僕は三人を先に上がらせて締め作業に移った。明日の分の材料をチェックしながら、僕はこれ以上この店の生産量を増やすのは難しいだろうと考えていた。
バイトの三人のおかげで、今の工房はかつてないほどのペースで商品を提供している。それでも販売が追い付かないのは客が異常に増えすぎているためでもあるし、工房そのものの限界に達しているためでもあった。
もしこれ以上の改善を望むとすると設備や器具を増やさなくてはならないし、それには工房の拡張が必要になる。仮に拡張工事をするにしても、その間仕事ができなくなるので少女買い付けの予約が溜まってしまう。
結局、現状維持のまま地道に売り続けていくという保守的な結論に戻ってくる。
まあ、不況の世の中でこれだけ売り上げが伸びているというのもありがたい話で、しんどいなんて言ったら罰が当たるだろう。
そんな感じで忙しくも変わりない日々が続いていたのだが、ある時、意外な打開策がもたらされた。
久々の休みを明日に控えていた僕は、仕込みの手間が無いので普段より早く店を閉めた。スーパーマーケットで四人分の食料品を買い込んだ僕が工房に戻ってくると、バイトのパン三人が何やら騒いでいる。僕が帰ったことに気づいてないらしい三人は作業テーブルを囲んでおり、その上には体格のいいスーツ姿の男がさるぐつわと手枷をつけて横たわっていた。
「店長の留守を狙うとは卑劣な輩ですね! 身なりはきれいなようですが私の眼は誤魔化せないのです!」
「急に入ってきたから思わずふん縛ってしまったが、大丈夫か? もしかしたらサトル殿の客人かもしれ……。おい、こら、暴れるな。えい!」
「しかし困りましたね。このままでは私たちが過剰防衛で訴えられてしまいますわ」
「訴えられない体にしてやりますか!」
「あまり派手にやっても足がつくぞ。この国の警察は優秀だ」
「死体さえ見つからなければ特異家出人扱いですから、捜査一課は動きませんわね」
「この工房内だけで処理する必要がありますね」
「そこのホイロに入れるか? 死亡推定時刻も狂うしちょうどいい」
「大きすぎて入りませんわね」
「スケッパーで分割すれば……」
「いっそパン切り包丁で……」
「かまどもありますから……」
ゴホンと大きく咳ばらいをすると、三人は一斉に僕の方を向いた。敬礼と共にアン子が僕に言う。
「留守中に不審者を捕らえました! 処遇はいかが致しますか!」
「それ、僕の友人だ。開放してやってくれ」
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「いや、びっくりしたよ。志木に会おうと思って来たのに、きれいな女の子三人にとっ捕まるとはな」
結構な仕打ちを受けたはずなのにけろりとした様子で僕に話しかけているのは堂前という男で、学生時代からの友人だ。彼は僕と同い年だが商才に恵まれ、学校を出るなりいろんな事業に手を出し活躍しているらしい。会う度に違う名前の会社を経営していたりと胡散臭いところもあるのだが、身なりも羽振りもいいのでそれなりに稼いでいるのは確かなようだ。
バイトのパン三人を工房に残して、僕と堂前は昔よく通っていた近所の居酒屋に来ていた。
若い店主が一人で切り盛りする小さな居酒屋で、ノートPCにつながれたスピーカーから流行のヒップホップが流れている。
中ジョッキで乾杯すると、堂前は口に泡をつけたまま聞いてきた。
「で、あの子たちは何なんだ。バイトか? 家族か? 恋人か?」
「パンだ」
自分でもわけがわからないぞと思いながら、僕は塩の効いた枝豆を口に放り込んだ。
「どうしてパンが動いたり喋ったり可愛かったりするんだ」
「知らないよ。パン生地をかまどに入れて、焼きあがると少女が出てくるんだ。入れた質量より出てくる質量の方が明らかに大きい。僕はもう真面目に考えるのは諦めた」
僕は投げやり気味に言ったのだが、堂前は真剣な様子だった。
「それは非科学的だな。でもそれが重要だ。謎が多ければ多いほど都合がいい」
「何の話だ」
僕は半分まで減ったジョッキを置いて聞いた。
「そもそもお前は何の用で僕に会いに来たんだ」
「そりゃあ、仕事の話をしに来たのさ。志木のパン屋の噂を聞きつけてな、金になりそうな話を持ってきたんだよ。お前、真面目で商才ないから困ってるだろうと思って」
そう言うと堂前はビールを一気に飲み干して勢いよく続きを喋り出した。
「つまりな、志木の真似をしようって輩がたくさんいるのさ。なんせ美少女ってのは誰もが金を払う普遍的なコンテンツだからな、これが量産できるってんならいくらでも儲けられるわけだ。ところが実際には、どうして美少女が作れるのか志木にもわかってないし、そもそもがオカルト話なんだから真似できる筈がない。そうすると、今度は志木自身がある種の商品として価値を持ち始めるのさ。美少女を大量に生み出せる唯一の存在としてな」
その後も堂前は喋り続け、ジョッキをもう一杯注文し、それを飲み終わるまで喋り続けた。
一向に話が見えてこないのでたまりかねて僕は聞いた。
「で、結局、僕にどうしろって言うんだ」
「志木にパン工場を貸したいって奴がいるんだ。まあ正確には、工場の生産ラインの一部を、だが。とにかく一回そこに行って、パンを焼いて欲しいんだ」
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翌日、堂前の車に乗って僕らは件の工場へやってきた。現物のパンが一人いた方がいいということでアン子も連れてきている。
「工場って割には意外と小さいですね」
アン子が言う通りその工場は国道沿いの色気のない土地にこじんまりと建っており、白くそっけない外壁には矩形の窓が規則的に並んでいる。
「これでも、いろんなお店やデパートにパンを発送してる工場なんだよ。お嬢ちゃん」
堂前がアン子に説明すると来客用入り口に向かって歩き始めたので、僕とアン子もついていく。
中に入ると、恰幅のいい中年の工場長が出迎えてくれた。工場長は景気よくワハハと笑いながら、遠いところをわざわざありがとうとか最近の調子はどうだとか言って、僕らを2階に設けられた応接室に案内した。
「いやいや全くよくお越しになってくださいましたな。ワハハ。ささ、どうぞお掛けになってください」
僕らは促されるまま、若干バネのきついソファに座る。
「しかしまあ、志木さんとこの坊ちゃんと仕事の話をすることになるとは、不思議なもんだねえ」
向かいに座った工場長が感慨深そうに言うので、僕は一瞬ぎょっとして固まった。
「もしかして、父を知っているのですか?」
僕のことを『志木さんとこの坊ちゃん』と呼ぶのは父の知り合いしかいない。工場長はまた楽しそうに笑った。
「知っているも何も、私は昔、君のお父さんのところで働いてたんだよ。まあ随分前のことだし君も小さかったから覚えてなくても無理はないな。それにしても時が経つのは早いもんだ。そっちのお嬢さんは娘さんかい?」
工場長は言いながらアン子の方に目をやる。
「はい。私、志木さんとこの坊ちゃんの娘さんのアン子と申します」
「いやいや、これが例のパンなんですよ。堂前の方から話は聞いていると思いますが、うちの工房で焼いた、れっきとしたパンなんです」
僕は慌てて訂正した。
しかしこれで合点がいった。工場の設備を貸してくれるなんて何者だろうと思っていたのだが、同じ地元の人だったのだ。父の工房が最近噂になっているのを聞きつけて、僕に連絡を取ろうとしたのだろう。
先ほどから黙っていた堂前が、名前を出されたのをきっかけに話を切り出した。
「それで、この工場で志木にパンを焼いてほしいということでしたね」
工場長は大きく頷いて答えた。
「うむ、その話なんだが……。聞いたところによると、どうしてパンが少女になるのか、志木君にもわかっていないらしいね?」
昨日の今日でよく話が伝わってるもんだと感心しながら僕は言った。
「正直な話、何がどうなっているのか僕にもさっぱりわからないのです。ある日突然、かまどで焼いたパンが女の子になってしまったのですよ。ですからこの工場で僕が何かお手伝いしたとしても、ご期待通り少女が焼けるかは保証できません」
工場長はうなって考え込んでしまい、眉間にしわを寄せたまま窓の方を向いた。
この部屋の窓からは一階の作業場が見渡せるようになっていた。工場用の大型設備が壁沿いに囲うように設置され、部屋の中心には作業テーブルが置いてある。緑色の樹脂材の床が照明の光を反射しており、その上を数人の従業員がせわしなく動き回っている。
堂前がおもむろに立ち上がって言った。
「とりあえず試してみましょうよ。もしかしたら上手くいくかもしれないし、仮に駄目でも何かしら得るものはありますよ」
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来客用の白衣とクリーンキャップを身に着けた僕は、従業員の人たちに軽く挨拶をしてから作業に加わった。
生地作りや発酵の管理などは機械がやってくれるので、僕はメロンパンの成形をすることになった。分割された白い生地を丸く成形し、皮になる別の生地を被せて包むように転がす。
流れ作業なので当然速さが求められるが、さすがに本職なので遅れをとることはない。
ひたすら同じパンの成形を続けるうちに修業時代を思い出して懐かしくなり、僕は少しの間目的を忘れてパン作りに没頭した。
「おい! 何かひっかかってるぞ!」
誰かの叫ぶ声で我に返った。周りを見回すと、トンネルオーブンの出口の辺りに人が集まっている。まさかと思い僕も見に行った。
オーブンの出口、本来なら焼きあがったパンがベルトコンベヤに乗って流れてくるところから、パンではないものが出てこようとしていた。
少女だった。
人が出てくるにはいささか狭い隙間から、容赦ないベルトの伝動とローラーの助けを借りて、緑髪の美少女がところてんみたいにひり出された。
メロンパンだ。僕が成形したメロンパンが美少女となって焼きあがったのだ。
一人出てきたらあとは流れに掉さすのみ。あれよあれよという間に大量の緑髪美少女が生産された。
少女の誕生に慣れてない従業員たちが腰を抜かして、工場内が大騒ぎになったのも仕方ないだろう。しかしこのとき、僕もまた動揺を隠せずにいた。
まさか工場の生産ラインで少女が焼けるとは。
次々に出てくる美少女たちと、回り続けるベルトコンベヤを眺めながら、僕はもう止まれないような気がした。