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2.いかれ鬱ぎ屋

「まさか完売するとはなあ」


 午後三時、昼の営業が終わり休憩していた僕は今日の売り上げを確認しながら呟いた。僕が工房でパン(美少女)を焼いている間レジはほぼアン子に任せていたのだが、彼女は僕の知らない間に商品(美少女)の値段を吊り上げていたのだ。複数のパン生地を同時に焼いて一人の女の子が出来上がるので、確かに元のパンの値段のまま売るわけにはいかない。しかしそれにしてもアン子の値上げは極端であり、詐欺まがいの粗利になってしまったのだった。


「一体どういう基準で値段を付けたんだ?」


「一般的な女の子の相場に従って付けましたよ? お口で三千~、お風呂で七千~、出張で一万~。綺麗な美少女でこの値段はむしろ安いほうだと思われます!」


 悪びれる様子も無くアン子はそんなことを言う。大丈夫かこの子。

 まあ、美少女に需要があるというのは僕にもよくわかる話だった。かわいい女の子には誰しも心惹かれるものだし、それに対してお金を使う人がいても何も不思議は無い。そう考えると美少女を売るというのは時代にあった発展性のある商売なのではないかとも思う。道義的な問題があるかもしれないが、僕はあくまでパンを焼いて売っているだけだと思っているし、客からも何も言われていないので大丈夫だろう。たぶん。


###


 多くのパン屋がそうするように、僕は翌日の営業に向けてパン生地作りや調理の仕込みを行っていた。この作業をアン子に手伝わせてみたのだが、これがまた酷かった。初めてだから上手くいかないのは当然なのだが、それを考慮してもアン子は不器用だった。それ以前にこの子の場合、力が無さすぎてそもそも生地を持てなかったり、移動の度にふらついてあちこちぶつかったりするのだ。

 仕方がないので洗い物を任せることにした。


「期待に添えることができなかった……」


「洗い物してくれるだけでも助かるよ。レジ打ちもやってくれたし」


「いいえ! 私は精進します。いつかサトルさんの右腕になってやります」


 意外と気にしているのか、その後もアン子は調理器具を洗いながらぶつぶつと独りごちていた。やる気があるのはいいことだ。最初は不安もあったが、この子が手伝ってくれてよかったと今では思っている。

 僕は心の中でアン子の評価を上げていた。


「そうだ! バイト用のパンをもう一つ焼いてもらって、その子にも働かせるというのはどうでしょう! 私も楽できるし、サトルさんも助かって一石二鳥です! やはり私は賢い子だった……!」


 心の中で評価を少し下げる。どうにもこの子の根底には、いわゆる働きたくない精神が宿っている気がする。

 ただ、従業員を増やすのは僕も賛成だった。昔、親父が店を経営していた頃はもっと多くの人がこの工房に勤めていたし、今でも最低限の仕事をするのにあと二人は必要だった。

 もっとも、その追加の従業員が僕の焼いたパンというのは改めて考えても奇妙な話だった。


「今更だけど、どうしてパンが動いたり喋ったりするんだろう。見た目こそ人間の女の子だけど、それがそもそもおかしいし」


「ほら、たい焼きだって自我が芽生えて泳いだり踊ったりしてるじゃないですか。あれと同じですよ」


「それ、嫌になっちゃって逃げ出すやつじゃないか」


「個人的には、内包物が同じ餡子なので親近感があります」


 そんなことはどうでもよろしい。

 焼いたパンが何故に美少女になるのかという疑問はおそらく今後も解けることは無さそうなので、僕は諦めてパンを焼くことにした。

 ちょうど成形が終わって数も多いレーズンパンの生地があったのでドゥコンディショナから取り出し、溶き卵を表面に塗りつけてかまどで焼き始めた。

 待つこと十数分。

 かまどの扉を開けると、中から女の子が転がり出てきた。僕はもう何度か目にした光景なのだが、やっぱりおかしいと思う。

 今回出てきた女の子はこれまでの子とは少し違った様子だった。

 最初に目に付いたのはその身長の高さで、僕とほとんど変わらないほどだった。長い藍色のポニーテールが肩甲骨の辺りまで伸びており、凛とした瞳とシャープな顔立ちはクールで知的な印象を与えていた。ぴったりとした黒Tシャツと細身のデニムを身に着けており、彼女のモデル的なスタイルの良さを強調している。

 髪色と同じ深い藍色をたたえた瞳を僕に向け、彼女は言った。


「海に沈みたい」


 嫌になっちゃってる! 毎日毎日かまどで焼かれて!


###


「レーズンパンなので、彼女はズンちゃんと名付けます」


 新入りのパンを丸椅子に座らせるなり、アン子は安易な名前を口にした。しかしその子は薄い表情のまま静かに頷いた。この名前でいいらしい。

 とりあえず聞きたいことがいくつかあったので、僕は向かいに座って質問した。


「名前はまあ、ズンでいいとして。年齢と出身地を教えてくれる?」


「うむ、年齢は生まれたばかり。出身はそこだ」


 そう言ってズンはかまどを指差した。やっぱりあのかまどで生まれたのか。もしかしたら彼女達はどこか別の世界からやってきたのではないかというオカルトな考えもあったのだが、そんなことは無いようだ。

 それにしても表情の乏しい子だ。何を考えているのかいまいち掴めない。


「君にこの工房を手伝って欲しいと思ってるんだけど、どうかな」


「セメントに沈みたい」


 いまいち掴めないけど、ダウナー系なのは間違いないようだ。生まれたてなのに。


「随分と(ふさ)いでるみたいだけど、何かあったの?」


「……母が危篤なので、実家に帰らせて欲しい」


「母って誰のこと?」


「あなたの嫁さん」


「そんなものはいない」


 僕がぴしゃりと言い切ると、ズンはふいと顔を背けてしまった。どうやらこの子も働きたくない精神を拗らせているようだ。そして、やはり僕のことを父親だと思っているらしい。

 このまま雇っていいものかと思案していると、横からアン子が口を挟んできた。


「提案なのですが、私とズンちゃんで話をさせてくれませんか? 私が先輩従業員としてこの仕事の魅力を伝えれば、内定ブルーみたいなこの子もきっと働く気になると思うのです!」


 就労一日目でよくそんなことが言えるものだと思ったが、とりあえず任せることにした。パン同士分かり合えることもあるのかもしれない。

 パン二人をキッチンの端に追いやって、僕は一人掃除を始めた。これこそ手伝って欲しい仕事だったりするのだが、まあ最初だしいいだろう。それに、かわいい女の子が二人で話している様子は見ていてほほえましいものがある。

 粉置き場に付着した小麦粉をふき取りながら、僕はなんとなく二人の会話に耳をすませた。


「それでは最終面接、どきどきパンクイズに移りたいと思います」


 遊んでるじゃないか……。


「パンはパンでも、食べられないパンってな~んだ?」


「消しパン」


 消しパン。消しゴムが普及する以前、字消しとして用いられていたパン。紙を痛めにくいため、現在でも木炭デッサン等で使用されることがある。


「確かに食用ではないですが、食べられないことはないので不正解です」


「じゃあ、ピーターパン」


 ピーターパン。イギリスの小説に登場する、大人になれない古典的な現代っ子。ネバーランドから大人を徹底的に排斥したりする。


「確かに食用ではないですが、食べられないことはないので不正解です」


「じゃあ、私達」


「確かに食用ではないですが、ある種食い物にされている節があるので不正解です」


「君ら、遊んでるなら掃除手伝ってくれ」


 なぞなぞ遊びに耽っている二人に声をかけると、アン子が振り向いて声を上げた。


「私、お金より重いものは持てないのです。掃除苦手です」


「その言い訳ひどいな」


 とても働く気があるとは思えないアン子の発言にあきれていると、ズンが意外にも語気を強めて言った。


「サトル殿、私、掃除は自信あるぞ」


 不穏な発言をしたズンはふらりと立ち上がってモップを手に取ると水の溜まった絞り機にその先端を入れペダルを踏んだ所でバキっと金具の外れる音がして絞り機をひっくり返し辺りに中身をぶちまけた。


「……コールタールに沈みたい」


「ズンちゃん、死ぬなら保険に入ってからですよ」


 僕は雑巾を持ってきて床を拭く。転がった絞り機をみるとペダルの部分がぐにゃりと曲がって外れていた。……どんな力で踏んだらこうなるんだ?


「もしかしてズンは、力仕事とかできる?」


 しょぼくれていたズンは床を拭きながら溜め息混じりに答えた。


「できなくはないが、加減がわからないんだ」


「あそこの箱とか持てる?」


 僕が業務用バターの入った段ボール箱を指差すと、ズンはそれを容易に持ち上げた。僕でも腰にくる重さのはずなのに。

 この子、使える。


「是非うちで働いてくれ。僕には君の力が必要だ」


「そ、そうだろうか」


「やりましたね、ズンちゃん! 一気に『できる子』判定ですよ!」


「アン子は『駄目な子』判定だから頑張ってくれよ」


「私、頭脳派ですので! レジとか接客とかやりますので!」


 アン子は涙目ながらに見捨てないでくれと訴えてくる。やる気はあるのだと信じたい。


「まあ、なんだ、精進してくれ」


「精進しますので! すぐさま一人前になりますので!」


「アン子が一人前になったら、私辞めていいか?」


 こんな面子でこの先大丈夫だろうか。

 なんとかやっていけそうか。

 不安と期待を半々に、僕はとりあえず二人に掃除の仕方を教えることにした。


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