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1.焼きたて美女工房

 この日、僕は半ば諦めるような気持ちで工房に立っていた。

 前日に仕込んでおいた生地をスケッパーで分割し、重さを計りながら成形する。

 ジャムパン、クリームパン、エクレア、エピ、クロワッサン。一人で作業しているのであまり多くは作れない。

 僕は最後の生地でアンパンを成形し、レンガ造りの大きなかまどに入れて焼き始めた。

 先に焼いたパンを店頭に並べ、開店の時間も迫ってきた頃、僕はかまどから焼きあがったアンパンを取り出そうとした。

 このとき僕は本当に自分の目を疑ったんだ。

 かまどから一人の女の子が転がり出てきた。


「はじめまして! お父さん」


 目の前の光景を信用するならば、僕に話しかけているのはかわいらしい女の子だった。身長は140cmくらいだろうか。赤いきれいなショートヘアが肩にかかり、幼くも整った顔立ちを引き立てていた。まごうことなき美少女だったが、何故か軍服のようなカーキシャツと短パンを身に着けていた。

 そんな子がどうしたことか満面の笑みと敬礼を僕に向けている。


「お父さん? 君は一体?」


「私はアンパンです。あなたが私を作ったので、あなたはお父さんです」


 どうやらこの子は僕が焼いていたアンパンらしい。そしてこの自称アンパンは僕のことを親だと思っているらしい。結婚してないどころか彼女すらいないのにお父さんと呼ばれてしまうとは。


「そんな馬鹿な」


 思わずつぶやいた。


「心を込めて焼いたアンパンが生命を宿し人型となって活躍する。幼い子どもたちを中心に全国的に支持されている展開です全然大丈夫です全く無問題へーきへーき」


 美少女アンパンは自信たっぷりに言い切った。この子がおかしいのか、それとも僕の頭がおかしくなってしまったのか、いまいち判然としない。


「そういうわけで、私はあなたの仕事のお手伝いをします」


「ん? ここで働いてくれるの?」


「はい! 私はこの工房をビッグにするために生まれてきたのです」


 どういうわけかは知らないが、この子は生まれながらのバイト戦士らしい。若干頭がゆるそうなのが気になるが、これはありがたい申し出だ。現在この工房の経営は急転直下の真っ只中であり、猫の手とか虎の威とか他人の金とか諸々借りたいほどに事態はひっ迫している。

 僕の心の声が叫んだ。

 絶対に逃がすな、と。


「そうか! それなら大歓迎だ、すごく助かるよ。よろしくね」


 そう言って僕はとびっきりの営業スマイルを作る。『パン屋の主人』という肩書きが持つ温和で朗らかなイメージを崩さないよう配慮しながら、僕はこの小さな労働力を休憩用の丸椅子に座らせた。


「面接ってわけじゃないから気楽にして欲しいんだけど、いくつか質問してもいいかな?」


「もちろんです! なんでも聞いてください」


「まず、名前と年齢は?」


「名前はまだありません。年齢はできたてほやほやです」


「名前ないのか」


「名前をください、お父さん」


 アンパンの名前?

 ……アン子、はさすがに安直すぎるし可哀想かな。いやそれよりもまず、

 

「お父さんって呼ぶのはやめてくれるかな。僕の名前は志木聡(しきさとる)、パン工房『四季のパン』の店主をやってるけど、これでもまだ結構若いんだ」


「シキサトルさん……。なんだか死相が出てそうな名前ですね」


「アン子。君は今日からアン子だ」


「あんちょく……」


 小さく聞こえてきた抗議の声を黙殺する。子どもに名前の拒否権なんて無い。


「今までにどこかで働いたことはある?」


「私まだ生まれたばっかりなのでここが初めてです」


「力仕事とかできる?」


「私まだ生後数分なのでそういうのはちょっと……」


「パンを作った経験はある?」


「お、女の子になんて事を聞くんですか! 0歳なんだから処女に決まってるじゃないですか!」

 

 予想外の単語が出てきた。処女? どういうことだろう。まさかパンがパンを作るのは子作りだとでも言うのだろうか。言いそうだなあ、この子なら。

 しかし困ってしまった。話を聞く限りだとこの子はさっぱり使えそうにない。いや、これは僕が高望みしすぎてるのかもしれない。まずはもっとこの子の人となりを理解して、しっかりと教育してあげるのが長い目で見れば得策だろう。この子の良い所を探して少しずつ仕事に慣れていってもらうことにしよう。


「何か人に自慢できるような長所はあるかな?」


 よくぞ聞いてくれたとばかりにアン子は勢いよく立ち上がり、両のこぶしをぐっと握りしめてこう言った。


「私の頭には、餡子がいっぱいに詰まっています!」


 したり顔でこちらを見てくるアン子ちゃん。

 確かにアンパンにとっては誇らしいことなんだろうね。でもそれは仕事にどう活きてくるんだい。例えばアンパンの餡子は人間でいうところの脳に相当していてこの子は頭脳労働が得意だとかそういう解釈をしてもいいのだろうか。


「……餡子が詰まってるとどんなメリットが?」


「満足感があります」

 

「デメリットは?」


「餡子が詰まりすぎて重心が高いので、歩くとふらつきます」


 餡子≠脳

 駄目だこの子は。初期値ゼロどころかマイナスだ。この子を雇うリスクとリターンを頭の中で天秤にかける。……まともに働けるようになる頃には店が潰れてるかもしれないな。

 そうこうしている内に開店の時間が来てしまった。


「とりあえず、入り口のドアプレートを『OPEN』に変えてきてくれる?」


「了解です」


 びしっと敬礼を決めてから入り口に向かうアン子。

 なるほど、確かにふらついてる。あっ、転んだ。


###


 駅から歩いておよそ5分ほどのところに、かつては商店街と呼ばれた通りがある。

 大型スーパーの出店やコンビニエンスストアの台頭による客離れ。人口流出に伴う地域の過疎化。旧式のビジネスモデルと流動する消費者ニーズとの不和。軒を連ねていた小店舗は様々な理由でそのシャッターを下ろし、通りは衰退の一途を辿っていた。

 祖父の代から続いているこの小さなパン工房も例外ではなかった。顧客が減り、生産量が減り、収入が減り、従業員が減り、唯一残っていた学生のバイトも昨日付けで辞めてしまったのだった。

 そういう事情もあって朝の営業はかなり不安だった。しかし蓋を開けてみると件のアンパン少女は思いのほか物覚えがよく早々にレジ打ちに慣れてくれて、地元の常連客が新人バイトの拙さに目を瞑ってくれたこともあいまって、予想よりも幾分マシな営業をすることができた。

 朝の販売を無事に乗り切ることができたのは大きい。この調子で行けば経営を巻き返すこともできるかもしれないと思った。

 だがその目論見は甘かった。

 事件は昼の営業用にパンを焼いていたときに起こった。


「はじめまして。お父様」


 狭いキッチンにずらりと並んだ美少女達。一体どういう冗談なのか、僕が焼いたパンがことごとくかわいい女の子に変わってしまうのだ。かまどの扉の裏でどんな化学反応が起きているのか皆目見当も付かないが、いよいよもって驚天動地の怪現象だった。


「心を込めて焼いたパンに生命が宿る。この世界の理です」


 美少女の一人がさっきも聞いたような台詞を言う。この際、世の道理が僕の知ってるそれと大きく乖離してしまっていることについては深く追求しないことにする。だがそれでも問題は深刻だった。


「パンが焼けなきゃ商売にならないよ」


 僕はパン屋なのだ。祖父と父から受け継いだこの工房を後世に残す義務があるのだ。パンが焼けないパン屋に何ができるというのだろう?

 深く嘆息する僕の背後から、アン子がそっと肩を叩いてきた。


「パンが無いなら、少女を売ればいいのです」


 ずらりと並んだ美少女達。しかし彼女達が今いるのはキッチンではない。店の陳列棚に、電線に留まる雀のように所狭しと並んでいるのだ。

 彼女達は見知らぬ人に売られていく自らの運命を受け入れ、毅然とした態度で表情を固く結んでいる。


「焼きたての女の子は香ばしい良い匂いがしますね、サトルさん」


「これは犯罪臭だと思うんだよ、アン子ちゃん」


「工房発展の礎になれるのですから、彼女達も本望ですよ」


「でもさすがに問題があるんじゃないかな、人道的に」


「何を言いますか。パンに人権なんて無いですよ」


 そういうものだろうか。確かに見た目が女の子であることを除けば、原材料も製造過程もパン以外のなにものでもなく、それは彼女達を作った僕が一番よく知っている。

 しかしこの光景を見た客はどう思うのだろう。女の子を店に並べて売買するなんてとんでもない鬼畜外道だと糾弾されたりしないだろうか。

 そんな心配をよそに昼の営業時間がやってきた。

 不思議なことが起きた。

 店に訪れた客達が特に驚いた様子も無く商品の美少女達を物色し始めたのだ。最初は、彼らにはいつも通り普通のパンに見えているのかもしれないと考えたのだが、少女達に声をかけなにやら話している所を見るとどうやら違うようだ。そのうち一人の客が少女をレジまで連れて行き、アン子にお金を渡して店を出ていった。

 売れた?

 驚くのもつかの間、棚整理をしていた僕にアン子が声をかける。


「レジと商品整理は私がやるので、追加の少女を焼いてきてください!」


 つつがなく売れていく女の子達。もう何がなにやら。僕はそそくさとキッチンに引っ込んで追加のパン生地を仕込み始めた。

 どうしてこうなったのかはわからない。わからないが、これは決して悪い状況ではないと僕は思い始めていた。今朝の僕は今日が最後の仕事になるかもしれないと半ば諦めていた。だが今の様子ならまだ店を続けることができそうだ。最初、あのアンパンの少女は工房を大きくするために生まれてきたと言っていた。もしかしたらあの子は本当にこの店を救ってくれるかもしれない。

 キッチンと店舗スペースを仕切る壁の小窓から、僕はレジの様子をちらと覗く。

 業務にかいがいしく励む小さな女の子の後姿に、僕は一縷の光明を見た。

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