千夜一夜物語
ドレリーはかなりやつれた顔をしていた。私は城のあの乙女部屋で目を覚ました。外から朝の淡い光がカーテンを通って部屋に入ってくる。窓を閉じているのに聞こえてくる鳥のさえずり声。いつもはうれしい朝なのに、私の心は軽くならない。
「けーこ。すまない。私が悪い」
私の右手を握っているドレリーが目を覚ました私に言った。ドレリーが私の右手をずっと握っていてくれたのを知っている。私は何か言いたかったけど、言葉が出ずに涙を流した。そんな私を見て、ドレリーが左手で私の右手を握って、反対の手で私の頬に流れた涙を拭く。
「本当に、すまない。許してくれ」
私にはドレリーが私に謝る理由を思い出せない。もし赤ちゃんが亡くなったことは、私の罪。私がもっと早くに気付いてあげるべきだったのに。
「私こそ、ごめんなさい。二人の赤ちゃん……ま、守れなくて……」
また涙がこぼれ、ドレリーの剣ダコの出来た固いけど長い指で私の涙をそっと拭いてくれる。ドレリーの綺麗な紫色の目をにも涙があった。目の下の隈が痛い痛しいけど、アメジストの目は綺麗だった。
この世に生んであげることが出来なかった赤ちゃんの目がドレリーと同じだったかなと考えて、また涙が流れる。ドレリーと私は朝の静寂した中、静かに涙を流し会うことのなかった私達の赤ちゃんにさよならを言う。ディランド、お願い。あの子をよろしく。
ねえ、サマリー。私の子とあなたの子、しばらく交換しよう。ねえ、私の子供をよろしくね。私もサリーを自分の娘のように育てるから。
私はその日に自分の家へ戻った。ドレリーとの家が私の家。孤児院もアットおじさんの家も私の家だったけど、このドレリーとの家が私の家。
「けーこ。今朝も言ったが、王女とは何もない。今は詳しく言えないが、後で全て話す。どうか自分を信じて欲しい」
朝ドレリーに同じことを言われた。そして、跡継ぎはいなくてもいいし、周りがうるさければ二人で田舎に引越しをしようとも言われた。ドレリーは私のために騎士を止めるらしい。
ドレリーは、私が倒れてからずっと側にいる。もう騎士の仕事は止めると言っている。王様の命令もどうでもいいと言った時はどうしようと思ったけど、私のお見舞いにわざわざ王様が来て、私に謝罪した。公の場では流石に謝ることは、国の尊厳の問題になるから出来ないけどと言っていたけど、別に王様が謝ることでもない。王様もドレリーが一緒に家に戻ることを承諾してくれた。
ドレリーと私の間には、何も会話がない。ただお互い寄り添っているだけ。
私はこうしてドレリーと同じ空間にいると落ち着く。でも、とても胸が痛くなる。私は自分の気持ちに気付かないで、ううん、無視をしていた。気付かないフリをしていた。なんと傲慢な態度。だから、赤ちゃんのことも私の人へ対しての気持ちを疎かにしてしまった罰なのではと思う。
こんな私が、ドレリーへ私の気持ちを伝えていいのか分からない。愛を囁くことが、怖い。人を愛することが怖いものなんて。あんなにたくさんの恋愛小説を読んだのに、どれも役に立たなかった。もっと本を読んでいたら、私は恋心に気付いたのだろうか。
窓から差し込む月の光が私とドレリーが横になっているベットに注ぎ込む。二人抱き合って、眠った。私は、帰って来たと思う。私の家に帰って来た。
次の日は体がダルくてベットから起きれなかった。みんな心配して、イットおじいさんを呼ぶと言われたけどただの疲労と断った。イットおじいさんを、王様のおじ様をわざわざ呼べる人なんているのだろうか?
そんな私の心の声が伝わったのか、なぜかコネットを呼ぶなんて言い出す人がいた。それが誰だって? もちろんソニ。ソニは朝一番にすごい勢いで家へやって来たの。ううん、ソニだけじゃない。他にもドレリーのお母様とトリーやアットおじさん。その他にもみんな。
みんな心配してくれたけど、私は体がダルくお腹が痛かったのでベットに横になってお見舞いを受けた。でも、それでよかったかも。もしベットから起きていたらソニのお喋りに付き合わないといけなかったから。ソニのお喋りのおかげでエネットは、段々この家にも慣れてきたと夕方に起きた時に聞いた。
私はその日は、お城へ行けなかった。そして、ドレリーはその日も戻って来なかった。私は皆に会ったのにドレリーに会っていない。エネットも誘拐されて戻って来て、一度も会いに帰って来ないドレリーのことを変に思い始めている。
またその夜も何も食べたくなくなった。私が最後にまともに食事をしたのはいつなんだろう? ドレリーに会いたいのに会うことに不安になりつついる自分がいる。まさか本当は自分に会いたくないのでは? やっぱり妊娠出来ない妻は嫌なんだろうか?
ドレリーは私を愛していると言ったけど、愛を返さなかった私に嫌気がさしたのでは?
ドレリーは二週間家にいた。王様から許可をもらったと言っても、仕事を急に休んだら他の同僚に迷惑がかかるのではと思う。案の定、近衛兵の同僚から何度ドレリーに仕事に戻るよう伝言を持ってくる兵士が毎日のように来たけれど、ドレリーのすごい剣幕で城へ引き戻す。そんなに怒らなくてもいいのでは? と思ったけれど、彼が赤ちゃんを失った気持ちの怒りをこんな所で発散していると気付いた。
ドレリーは爵位を捨てて、騎士の地位を捨ててどこかへ二人で暮らそうと毎日言う。私もドレリーとマイ町へ帰るのもいいと思ったけれど、彼の今までの努力を踏み滲めたくないと言う気持ちもあるので、私はその提案に賛成しない。
私とドレリーとサリーとエネットの四人で、ポーチで朝食を取る。木にかかった鳥のホテルにやって来る蛍光色の鳥は、今だに慣れない。きっと一生慣れないだろう。エネットは今だにドレリーを直視出来ない。食事の度に、フォークとナイフが陶器の皿に当たりカタカタ音を立てる。エネットが初めてドレリーに会った時は、ひどかった。口を開けたままその場に固まっていた。彫刻のでき上がりと密かに思ったけど、あまりにも可哀想だったのでソファーに座るように促したけど固まっていたので無理。ドレリーが、エネットをソファーに座らそうと触った途端、彫刻が生き返った!
「ぎゃー」
エネットが後ろへ飛んだ! 本当に飛んだ! これこそ漫画でよく使われる表現法。私は面白くて笑ってしまった。笑った私をドレリーがうれしそうに後ろから包み込む。
「やっぱり、けーこは笑顔が一番だ」
ドレリーが私の額にキスを落とす。
「ぎゃー」
エネットの叫びが侍女達よりひどい感じがする。「ぎゃー」じゃなくて女の子らしく「きゃー」と言って欲しい。もうエネットは、リュウーヒやサイラック、ユートでイケメンに慣れたでしょう?と聞きたい。でも、ドレリーの顔は二次元美青年なので私も今だにドキドキする。
そして、このドキドキは彼の顔が格好良いからだけじゃないと知っている。私は彼への思いを近い内に伝えたい。これからの人生を彼と一緒に生きて行きたいと伝えたい。私はいつその言葉を伝えればいいか分からないでいる。赤ちゃんを失ってから、二週間が過ぎようとしている。
その間に、街の孤児院へドレリーと行った。案の定、周りの人達はドレリーを見て固まっている。女の子達はそわそわして身だしなみを整えようとする。私を見た人達が、物語をせがむけど今の私は話す気がしなかった。私はどうしても童話を話せなかった。きっと童話を話すと、赤ちゃんに話をしたかったと言う気持ちが大きくなるからだと思う。
サリーは相変わらず何も話さなかったけど、孤児院の小さい子供達と仲良くお人形遊びをする。サリーはトリーのお人形をとても気に入っている。トリーに縫い物を習い始めた。言葉を話さないけれど、サリーが生き生きして嬉しそうなのが分かる。
エネットは私が童話作家だったのを驚いて、知った時の興奮度はすごかった。エネットが静かな時は、リュウーヒが来た時だけなんだけど、彼は今忙しいと言って私達に会いに来ることが少ない。サイラックさんも、エネットの父の資料の研究と言ってあまり家には来ない。聞いた話だと、トリーはサイラックさんの家へよく行っている。
トリーによるとサイラックさんのお母様とお友達で、人形の話で盛り上がると言う。サイラックさんのお母さんに気に入られたら、嫁と姑問題はゼロだねと思った。私もドレリーのお母様とは絶好調って言うか、お母様はアットおじさんとのことで忙しい。
「本当にいいの? 体調が悪いと言って王との謁見を断っていいんだよ」
朝から正装を着て支度を終えた私にドレリーが言葉をかける。
「うん。大丈夫。それにもう支度したしね。ドレリーは、やっぱり近衛の正装が似合っているね」
これはお世辞でもない。私はドレリーが制服を着ている姿が一番好き。
「ああ、ありがとう。けーこのドレスは綺麗なアメジストだね。僕の目の色と同じだね。綺麗だよ。とっても似合っているよ」
私はうれしくてにっこり笑う。もう最近は、素直に人の言葉を受け入れるようにしている。
「ありがとう。今日は一緒に居てくれるの?」
「ああ、もちろん。どんな時もけーこを守るよ」
まさか城であんなことが待っていると知っていたら、仮病でも何でも使っていかなかったのに。
私達は馬車に乗ってお城へ行った。謁見はお昼からで、昼食は家で取った。貴族に課せられて定期の謁見。私はいつまでも社会から逃げている訳にもいかないと思い、これがいい機会だと思い行く。
城の謁見室では、たくさんの人達に囲まれて話かけられた。もちろん嫌味を言う女性達もいるけど、これはドレリーが他の人と会話をしている時に、私の耳元に扇を持って来て「石女」とか「別れろ」などの罵声を言う。ドレリーがチラリと私達の方を見ると、天気の話をする。ドレリーの従兄弟と奥さんの姿を見てない。いつもは嫌味をいいに来るのに今日はまだ来てない。
「まあ、ミトレ公爵。お久しぶりです。わたくしは公爵樣がおらずに、とても寂しくしておりましたわ。体の弱い奥方を持つと大変ですね」
「これは、これは、スイ国第九王女様」
ドレリーが王女に話かける。
「いえ、妻は健康ですが、私のわがままで側に付いていたかっただけで、せっかくなので休みを頂き、妻との時間を大切にしたかったのです」
王女が引きつった顔をした時に、手に持っていた扇を口に持っていく。
「このように夫をずっと近くに置くことが出来るのは、きっと、最近お習いになった夜の行為がすごいのでしょうね。一体、何人の殿方のお相手をなされたのかしら。クスクス」
王女が隣に付き添って立っている、スクレル子爵の娘に語る。
「ええ、そうですね。クス」
私の肩を抱き寄せているドレリーの手に力が入るのが分かった。
「妻は、とても楽しい会話をたくさんしますので、一生側におりたいと思っております」
ドレリーの言葉で王女が、また顔を引きつらす。かなり怖い顔。
「
っ、まあ、そうですね。でも最近なにも新しい話をなされておりませんでは、ありませんか? もうアイデアがないのでは?
そうですよね。皆様もぜひミトレ公爵婦人の話を聞きたいですよね」
王女が大きな声を出して言うと、周りの人達もぜひ私の話を聞きたいと言う。私は話をしたくなかった。
「今は、その時間はありません。ほら王様が来ますよ」
ドレリーが入り口を指すと、王様と女王様と王子達と王女達と偉い側近達が次々に入って来る。皆一斉に頭を下げた。頭を上げるように言われて、私達は頭を上げる。今回は王女と話をしていたので会場の真ん中の前にいた。だから王様の横に、カルメンがいるのが見えてビックリする。カルメンと目が合った時に、カルメンがにっこり微笑んだので私も微笑み返す。
「王様。ミトレ公爵婦人が物語を語って下さるのでお時間を頂けませんか?」
王様が話す前に、王女が言った。本当はこのような行為は失礼行為なのに、彼女は他国の王女だから許されるのか? カルメンの顔が険しくなるのを見た。
「そうか。けーこが新しい話があるのか? それは楽しみじゃのう。どれけーこに椅子を持って来い」
王様が言うと、あの恒例の椅子が目の前に置かれた。隣に立っているドレリーが何かを言おうとした時に彼にひじで止めるように合図をした。私はドレリーに手伝ってもらってその椅子に座る。周りは私の話を聞きたくてシーンとしている。おばけと言う気力もなかった。本当は物語なんか話したくない、生まれてこなかった私とドレリーの子供のことを思い出すから……でも、私の知っている物語をこの世界の人に話すことは私の使命な気がする。




