タイコじいさん
そして、その絵を描いた人が同一人物だと分かる画風。その絵を描いた画家が、女性をとても愛しているのが分かる作品だ。私はサートの絵と違った感動を覚え、挨拶をすることを忘れてその絵を見ていた。
「その絵を気に入りましたか?」
とても落ち着いた低い声がした。私はその声の方を向く。声の持ち主は、髪が灰色で元の色なのか年のせいか分からない渋い五十歳代の姿勢のとても良い背の高い人。
「あっ、はい。とっても綺麗で優しい人ですね。それで、この肖像画を描いた画家の方が、この女性をとても愛していたのが伝わってきます」
感動を素直に伝える。私とその人以外の人達は、誰も何も話さなかった。
「そうか。お嬢ちゃんには、分かるのだな。ありがとう。この絵は、わしが描いたんだ。そしてこの女性は、私が愛した唯一人の女性だよ」
その人は私に微笑んだ後に、その絵を愛おしそうに見ていた。私達はしばらく何も話さずに、その絵を只見う。とても繊細な優しい絵。
「お嬢さん、そちらにお座り、わしとしばらくお話をしませんか?」
その人に進められて、私はソファーに座る。サイラックさんとリュウーヒは、その人に挨拶をして座る断りを得て私達とは別の席に着いた。
「わしの名前はアット。アットおじさんと呼んでおくれ。けーこさんで宜しかったかな。
既にリュウーヒに事情は聞いておる。また面白い事を考える者だのう。自分のお金を見ず知らずの人のために使うなんて、けーこさんは偽善者かそれとも何も考えてない愚か者なのか?」
私は、偽善者なのか愚か者なのか?
この人は優しい声で、人の心を突いて来る。
「そ、それは、きっと両方だと思います」
私はなんにも出来ない。豊かな日本でその日の食事にも困らない生活をして来て、でも盗みはいけないとか殺しはいけないと言う人。
でもこの世界のスイ国の人のように、お腹が空いて死にそうになった時に盗みをしないことが出来るだろうか?
この戦争が身近にある世界で大好きな人が殺される時に、その人を守るために人を殺そうとするだろう。もちろん武器を持ったことがないので、「本当に殺せるか」と言われれば体が震えてきっと殺せないと思う……。
なんと遠い世界に来てしまったんだろう。どうして小説や漫画とかでトリップした主人公達は、人殺しとか戦いとか勇気のある行動が出来るんだろう。私は孤児院の夕食の準備で鶏を殺す場面を見た時さえ、一人で泣いてしまった。でもその鶏を食べないと生きていけない人の私は、偽善者なんだろう。
小説や漫画でトリップした人のように、偉大な改革や国作りや人助けができない平凡な私が、小さな人助けをする姿はきっと周りから見たらちっぽけな愚か者だろう。そして、そんな私の異世界トリップは見ていても楽しくないと思うよ、ディランド。王道を歩まない私に嫌気がさして、もう会いに来てくれないのかな……。
「ほっほっほー、これは愉快だの。一体、わしは何度この質問を会った人にした事だろうの。けーこさんと同じように答えた者は少なかったぞ。
ほっほっほー、そこのリュウーヒとサイラックもけーこさんと同じ事を答えたの。ほっほっほー、わしはこの質問の答えにより、交渉をするかしないか決めるんじゃ。けーこさんは合格じゃ。ほっほっほー、お茶を」
アットおじさんが「お茶を」と言うと、何処からか全身黒色の人が私達の前のテーブルに紅茶のポットとコップを置く。急に出て来た人に驚き、思いっきり仰け反る。
そんな私を見てリュウーヒがまたバカ笑いをして、サイラックさんも口を抑えて笑う。もちろんアットおじさんも
「ほっほっほー」と笑っていた。どこにも笑う要素がないのにね。でもアットおじさんには、笑っている顔の方が良いと思った。
「影です」
サイラックさんが笑いながら説明してくれた。
「あのー、『影』ってあっちこっちいるんですか?」
「はい。アット殿とリュウーヒ殿には、いつも何人かは付いています。アット殿が『その影』の存在をけーこさんに知らせると言うことは、信頼されたと言うことです。とっても、名誉なことです」
全然名誉な事でもないと思うよ。大体、プライバシーの侵害って言う言葉知っているのかな。ここは我慢して変なことを聞かないことにする。土地を買った後は、アットおじさんと関わる事がないしね。
「土地は譲っても良いが、条件が二つある。けーこさんは作家で語り手と聞いた。けーこさんの作品を全て読ませて頂いた。どれも、素晴らしい物ばかりだった。
それでだ、このわしの心を打つ話を何かしてくれ。これが一つ目の条件だ」
人を試す時は、その試す方の技量も必要な時がある。アットおじさんは私の心の技量を試し、私はアットおじさんの心の技量を試す。
私は、『タイコじいさん』の話をした。
中国の童話でタイコを叩いて人のために橋を川に架けるお金を集める話。私は、数ある童話の中でこの心の温まる話が好き。ただ、今この話をしている私を、この世に引き止めてくれる手がないのが寂しい。私が話終えるとアットおじさんとリュウーヒは、ため息をついた。
誰もなに「も一言も言葉を話さなかった。サイラックさんは、紙に私の話を一生懸命書いていた。彼は私の話が終える度に、目をキラキラさせて子供のような顔いっぱいに笑顔を作る。この一瞬が、サイラックさんが一番良い顔をする時だと思う。
「とても素晴らしい。だが、もう一つの条件がある。それを飲んだら土地を譲る」
アットおじさんが目の前のお茶を飲んだから私も飲む。お茶がミントティーで驚く。
「ああ。リュウーヒからけーこさんがミントティーがお好きと聞いたので、それを用意させました」
こんな心使い出来る人って少ないと思う。リュウーヒが覚えていた事にも驚いた。リュウーヒの方を見たら、彼がやんちゃ小僧が悪戯に成功したように笑った。うん、リュウーヒも笑った顔が良い。
「二つ目の条件は、どちらかで良いから一つ選んでくれ。このわしの跡取りのリュウーヒとの結婚か、わしの養子に入り娘になる。どっちにするかの?」
「……!」
「アット殿、それは横暴です。けーこさんは、人助けのためにあの土地を買うと言うのです。決して自分の利益のためだけに、そのように申し上げた訳ではありません。どうか条件無しに土地をお譲り下さい。提示された値段は払うつもりです」
サイラックさんがアットおじさんに言う。驚いて意味を理解するのに時間がかかる。
「けーこさん、答える必要なんてありません」
「サイラック。黙っておれ。わしを敵に廻すつもりか?」
サイラックさんが「はっ」とした顔で、アットおじさんを見た後に言った。
「もし、けーこさんのためでしたらそれでも良いです」
サイラックさんが答えて、リュウーヒが驚いた顔をして何か言おうとした時に、アットおじさんに止められた。
「ほっほっほ。『闇の貴公子』が恋を知るとはの。いいぞ、サイラック。恋は良いものだ。わしは、うれしいぞ。だがこれは取引だ。けーこさんはどうするかの?」
私は他の選択肢を提示出来るくらい、頭が良い訳じゃない。私が取引を断ったらあの土地にいる人達は、アットおじさんの息子に危険な目に遭わされてしまう。
「あ、あのー。アットおじさんには、息子さんがいるんと聞きました。それだったら私を養女にしなくても良いんではありませんか?」
「あーあ。アレはわしの本当の息子じゃない。二度めの妻の連れ子だ。わしは愛しい人を亡くし悲しい時に、あの女が儂の愛しい人に似せて私に寄って来て結婚をした。
結婚後に騙されたと気付いた時はもう遅かった。だがあの女は、金と男に溺れすぐに身を滅ぼした。あの息子もあの女と同じだ」
アットおじさんが可哀想になった。
「どうして、私を養女にしたいのですか?」
「ああ。愛する人には、子供が出来なかった。何度も養子を貰う話をしていたんだけど、一度も叶えられなかった。でも、死ぬ前に私達の娘は小さく優しい頭の良い子供だったに違いないと言って亡くなったんだ。
けーこさんが大人なのは分かっている。ただこの老いたわしにけーこさんが作る未来を身近で見せてくれないかの。年寄りのわがままだ」
私も両親を亡くした時はとても辛かった。アットおじさんはやっぱり寂しいんだ。
「うん。じゃあ、養女になる!」
「ほっほっほ。リュウーヒは嫌われたの。そうか、そうかわしの娘になるか。そうか。じゃあ、手続きをせんとな。書類
を」
アット殿がそう言うと、さっきとは違う黒色の服を着た人が書類を持ってテーブルに置いた。私はまた驚いて仰け反ってしまう。私はアットおじさんに言われた通りに「けーこ」と書名を何箇所かした。
早速、明日からここに住む事になった。そして、孤児院へはサイラックさんが手紙を書いてくれた。また少し落ち着いたらアットおじさんが、一緒に孤児院に行ってくれる。皆のお土産は、アットおじさんの経営している商隊に届けて貰う。その商隊がベアーさんの所で驚く。
後は私の薔薇入り石鹸の話になった時に、今日の交渉のために石鹸を持って来ていたのでそれを見せた。この石鹸には、皆驚く。皆を驚かせて、ちょっと得意気になる。その後に、この薔薇以外にもいろいろな匂いの石鹸を作る事を伝える。
もちろん特許も取っていると言うと驚かれた。これは、ヨネさんがしてくれたけど、また得意気になる。リュウーヒに「何個特許を持っているのか?」と聞かれたけど、特許の事は気にしていなかったので「分からない」と答えたら、皆がため息をついた。
工場の事も孤児院の建物の事も、全てアットおじさんとリュウーヒがしてくれることになった。ただ孤児院の経営は国の許可が必要で、それを取ることが難しいらしい。
私は夕方に王様との謁見で、褒美に孤児院の許可を貰う事を言ったら、また皆がため息をついた。サイラックさんが「けーこさんに常識を求める方が間違っています」と言ったら、みんな納得したようだ。
「アットおじさん。アットおじさんは、人に絵の描き方を教えないの?」
「それは、どう言う意味なんじゃ。絵など教える者がいるのかい?」
この世界には絵を教える人っていないんだ。そう言う発想もまいし、生活のゆとりもない。私はこの街を、ううん、この国を芸術の街になったらうれしいと思っていたので芸術学校を作る話をした。他にも、変わった発想をする発明家を支えることの出来る、そう言う学校を開いたら良いと思う。そしたら、この世界も地球が文化が発達したように少しは発達すると思う。
「ほっほっほ、芸術学校! それは奇抜な発案。ほっほっほ、とても楽しそうじゃの。
ほっほっほ、流石わしの娘じゃの。ほっほっほ、聞いたかサイラックにリューヒ。この儂に先生にならないかだとよ。