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#3 日常、そして大切な人

 柔らかな暖かい日が差し込む教室の窓側の席から、俺は学校の校庭を眺めていた。

 未来から帰ってきたあのあと俺は昨日の丸一日を寝て過ごし、今日から思い出したように学校に登校していた。

 あちら側でも時間の進みは変わらないので実に六日も学校をサボったことになるのだが、それは今日に始まったことではないからか、クラスメートからは呆れたような視線が向けられるだけだった。


 今はちょうど三時限目。教室の前の方では、白髪混じりの数学教師が白チョークで綺麗な黒板を汚していて、時々こちらを振り返っては、


「ここ、テストに出ますから覚えておくように」


 と、いかにもインテリ風な黒縁メガネを中指でクイッと直しながら言う。そんな声を右から左へと聞き流しながら、俺はただぼんやりとしているだけだった。


 校庭ではどうやら男女別々で五〇メートルのタイムを計っているようで、体操服を着た生徒達が砂埃を巻き上げながら必死に走っているのが見える。少し離れた所の木陰では、女性用の黒スーツの上から白衣を羽織った保険医の先生が何故か見守っていた。

 艶のある黒髪を肩にかけて流したクールビューティーな人で、この学校ではそれはもう人気のある先生だ。俺がしばらく見つめていると、校舎の四階からの視線に気付いたのか、こちらにどこか魅惑的な笑みを向けてきた。


 距離的にはかなりあるはずなのになぁ……。相変わらず凄いな……


 自分の事を棚にあげてそんなことを心の中で呟きながら彼女から視線を外すと、意識を授業へと戻した。見れば、黒板にはベクトルの数式がだらだらと書かれていて、とてもノートに写す気にはなれそうにない。


 どうせ分かるし、まあいっか……


 適当に、書いてるふりをしながら教室の時計を確認し、あと二〇分どうしようか……と失礼なことを考えていると、不意に右肩を何かがつついた。


「シュウ、シュウ……」

「……何?」


 ひそひそと囁くその声に振り向けば、そこにはシャーペンの消しゴム部分をこちらに向けた何やら困り顔の奴がいた。

 ルックスは悪くない。綺麗に整った顔立ちは女の子と一瞬見間違えそうだが、そこそこ背が高く髪も短いせいか意外と人気があるらしい。


 まあ本人は自覚していないのだろうが……


「菫が朝から機嫌悪くてさ、口聞いてくれないんだ……。助けて……」


 そいつはそう言いながら教室の前の方にちらちらと視線を送る。俺もそれにつられてそっちを見れば、案の定、そこには不機嫌オーラを周囲に撒き散らしている人物が。

 というか実際、白い光がそいつをうっすらと覆っているし。


「何かしたの?」


 どうせこいつが気付かぬうちに地雷を踏んだだけだろうな、なんて思いながら、どこぞのラブコメ主人公よろしく神谷 みのるに、無言の圧力をかける。

 すると、うっ……と呟きながら目をきょろきょろと泳がせるも、俺と目が合うと観念したのかとうとう白状した。


「よ、良く分からないんだけど、菫が朝聞いてきたんだ。

 今日は何の日か覚えてる? って……」

「…………。はぁ……」


 俺は大きなため息をつくと、頭を振った。

 ため息の後の言葉にならなかったそれは勿論、やっぱりな……である。


 ほんと、だめだよな。実って……


「なあ、シュウ。分かったなら意地悪せずに教えてくれよ……。

 友達だろ……?」


 ──友達だろ?

 みのるの、取って付けたようなその最後の言葉が、不思議と俺の耳に残った。

 心の奥底に無理やり押さえ込んでいたどす黒い負の感情が一気に込み上げきて、俺は無意識に目を細める。


 友達、ね……


 目の前のこの男を俺と同じ地獄へ叩き落とし、その絶望に歪んだ顔を見てみたい──そんな衝動に駆られた。

 それでも、過去に培った自制心を総動員してそんな危険な欲求を押し戻すと、いつも通り、顔に感情のない愛想笑いを張り付ける。


 はぁ……


 それでもまだ胸の内に残っている物を吐き出すようにため息をこぼすと、実に意識を戻した。たった今の僅な時間の間に行われた葛藤など知らない実は、未だに難しい顔をしている。

 そんな奴に対して俺は、普段の口調で言ってやる。


「今日って確かさ……」

「うんうん」

「……菫の誕生日じゃない?」

「…………」


 幼馴染みの女の子の誕生日を忘れるか? ふつう……。

 なんて思っていると……


「ええぇぇっ……!」


 みのるが叫んだ。それはもう全く大きな声で。

 一瞬にして、クラス全員の視線が実に突き刺さったかと思うと、奴の顔に冷や汗がどっと張り付く。

 その視線の中には例の人物──春日部(かすかべ) すみれも。

 綺麗な黒髪をポニーテールでまとめた菫は、みのるの顔をしばらく見つめ、俺の方を見た。

 俺と実の顔を何度か交互に見比べた後、端正に整った顔をしかませ、ふんっ、と鼻をならすようにしてそっぽを向いてしまった。


 ホント相変わらずだよな……


 なんだかな……と思って菫の細い背中を見ていると、彼女を覆っていた透明な光──【ラグナ】が輝きを増していく。その輝きに俺は思わず目を細めた。


 半年前よりもラグナの練成効率が上がってるような……。あの修行嫌いがどんな心境の変化だか、全く……

 まあ、そんな事はどうでもいいけど。


「それじゃあ神谷君、問題集の三四番の問を黒板に解いてみてください。それからその下の三五番を──」


 実はどうやら先生の機嫌を損ねてしまったらしい。数学教師は眉間にさらに皺を寄せて実をひと睨みしたあと……

 俺の方を見た。


 げっ……!


「東君、お願いします」


 口調こそ丁寧だが、どこか嫌味ったらしい感じがぷんぷん伝わってくる。どうやら、俺が授業を真面目に受けてない事にも気づいていたようだった。

 全く、実のとばっちりが……


「実のせいだぞ……」

「ご、ごめん……。でもだってさ……」


 俺が小声で毒づくと、実は申し訳なそうな顔をしながらごにょごにょと言い訳を始める。

 そんな俺たちに教師が早くやれと無言の圧力をかけてくるので、軽くため息をこぼすと仕方なく俺たちは席をたった。話をしながらも俺も実も結構難しい問題を難なく解いて教師の鼻を明かした所で、終業のチャイムが鳴った。

 ただし、俺はその間ずっと、俺を呪い殺さんばかりに睨みつける菫の視線を背中に感じ続けていた。

 そんな時、俺はふと思った。


 菫って、こんな実のどこが好きなんだろ……と。



 ◇


 

 学校が終わると、俺は電車に乗ってとある場所に向かっていた。学校からだと一時間近くかかるその目的地は、ここら辺で一番大きい中央病院。

 ラグナで強化して走れば三〇分もかからないのだけど、現代でそんな事をしたら色々とめんどくさい事になってしまう。町の至るところに設置された監視カメラ全てを欺くのは、流石に無理があるのだ。

 まあ、本気で気配を殺した俺に気付くことの出来る人間なんてそうそういないのだから、その時限りでは有効な手段ではあるのだが。


「次は──。次は──」


 女性の声のアナウンスを聞いた俺は席を立つと、ドアの前の釣り革に手をかけて窓の外をぼんやりと眺めた。

 線路沿いを流れる濁った川を挟んだ向かいには高速道路が走っていて、さらにその向こう側には、茜色に染まる空をバックにした青いビル群が並んでいた。


 電車が次第にスピードを落とし、やがて止まる。慣性という見えない力に軽く背中を押され俺は、ドアが開くと同時に外へと転がり出た。

 六月ももう終わりだと言うのに、プラットホームを吹き抜ける風はどこか冷たく、一昨日擦りむいた肘の傷に何故かしみた。



 この世界でゲートの存在を知る者とはすなわち、ラグナを扱うことの出来る人間──【ラグナス】と、それ以外のごく限られた一般人だけだ。

 ラグナスの数は全世界の人口の約〇・〇〇一パーセント、つまり一〇万人に一人しかいない。それは遺伝的なものが大きいためでもあるが、ラグナスの存在を公に知られてはならないという暗黙の掟が存在するからでもある。


 そんな世界で、俺と菫は由緒正しい春日部家に生まれた。

 菫は現当主と正妻の娘で、俺は春日部家に使える侍女と当主の間に生まれた息子。

 つまり、俺と菫は腹違いの兄妹という関係。

 だけど、そういう事はよくあるらしく俺の存在はそこまで憎まれるようなものではなく、腹違いの姉である菫とその母、そして分家の少数がせいぜいだった。


 勿論、最初(・・)だけ……だったけれど。


 そんな家に生まれた俺たちは、当然厳しく同じように躾けられ、同じようにラグナの扱い方も学んだ。

 けれど、菫は天才だった。

 教えられた事はすぐに出来てしまう菫に対して、俺は繰り返しやっても全く上達しなかった。全てにおいて当然のように菫と比べられていた俺は、それでも負けじと練習を積み重ねることに没頭していた。

 時々見せる菫のあの見下したような目が、他の人間達のどんな嘲りよりも屈辱だったのだ。


 ただ……そんな努力は結局、無駄でしかなかった。


 歴史ある名家なのだから、そんな俺を生んだ母への風当たりが強くなるのも当たり前だろう。

 やがて俺に愛想を尽かした父親は俺を売り、ついでに俺の母にあたる侍女も捨てた。


 そう……。その時から、あの地獄のような日々が始まったのだ。



 ◇



 エレベーターが止まりドアが開くと、そこには広々としたカフェテリアのような空間が広がっていた。

 鮮やかなハイビスカスの花や風景画が飾られ、大きな水槽では綺麗な魚達が泳いでいる。正面の大きなガラス戸からはテラスに出られるようになっていて、そこから真っ赤に染まった海が一望出来た。


 ここは、この病院の最上階に位置する談話室。豪華なだけあって、その入院代は恐ろしく高い。

 俺はエレベーターから出ると談話室の前を素通りする。真っ直ぐ続く白亜の廊下を進み突き当たりの病室まで行くと、水無(みずなし) 夏那(かな)と書かれたネームカードをちらりと確認した。


 ──水無 夏那。命の恩人であり、そして、俺の一番大切な人だ。


 病室の白いドアを横へスライドさせて中へと入ると、微かに甘い香りが鼻腔をくすぐった。綺麗に片付けられた個室は、数日前に来た時と何も変わらないように見える。

 奥へと進み、夏那の寝ているベッドのある所まで歩いていく。

 そこには……

 窓の傍のベッドに、綺麗な黒髪を腰まで伸ばした少女がちょこんと腰掛け、水平線の彼方に沈んでいく夕日を、ただ寂しげに眺めていた。


「夏那……」


 俺の呟きに、誰しもが美少女だと認めるだろう女の子が振り返る。夏那は、静かに顔を綻ばせた。


「修……遅いわ……」

「ごめん、夏那。……体調は?」

「ふふ、平気よ……。私、そんなに具合悪そうに見える……?」

「ううん。良かった、元気そうで安心した」

「まったくもう……、修は心配しすぎなの。それより、修の方こそ疲れてるように見えるけど……」


 わざとらしくぷくっと頬ほ膨らませた夏那は俺の顔をまじまじと見つめ、心配そうに尋ねてきた。


「……そう? テストが終わったばっかだからかな……。夜遅くまで勉強しててあんまり寝てないんだ」


 近くにあった椅子を引き寄せながらそう答えると、夏那の近くに座る。

 ちょうど同じくらいの高さになった夏那の顔を見ると、ぴったりと目が合った。


「修は嘘つく時、絶対私の顔見ないのよね」

「…………」

「あ、ほら。今度は目、逸した」

「うっ……」

「もう……。修が言いたくないなら別にいいけど、無理はしちゃ駄目よ?」

「うん……気をつけるよ」


 ほんと、夏那には敵わない……

 夏那が優しく微笑む。それに釣られて俺も笑い返した。

 窓から見える夕日に意識を傾けると、俺たち二人は、ただ黙ってその雰囲気を楽しむ。俺にとって、夏那と居られるこの時が何よりも大切な物だった。


「あっ……」

「おっと……」


 夕日が沈み、暗闇が海を覆いだした時だった。

 夏那の身体がぐらりと揺れ、俺の方へと倒れ込んで来る。優しく抱き止めてあげると、俺の胸に顔を埋めた夏那から、甘い香りがふわりと漂きた。


「ほらやっぱり、ちゃんと寝てないと……」


 夏那の頭を撫でながらそう声をかけると、夏那は何かをねだるように上目遣いで見上げてくる。


「ねえ、ベッドに寝かせて? 身体に力が入らないの……」

「しょうがないなあ……」


 夏那をお姫様抱っこでベッドまで運ぶと、白い毛布を被せてあげる。ついでに薄いカーテンを閉めると、部屋が一気に薄暗くなった。

 もう既にうとうとし始めている夏那の冷たい手を握ると、夏那が薄く微笑んだ。


「修……」

「おやすみ、夏那……」


 ──あと、少しだから……



 ◇



 病院から出ると空は真っ暗な闇に覆われており、街路に立つ灯りが、柔らかな橙赤色の光を宿していた。

 春日部家の門限は六時だったが、俺は既に勘当された身だ。今は学校近くのマンションに一人で住んでいるので、そんなものは関係ない。


 駅近くの繁華街の人混みをすり抜けながら、どこかで夕食を済ませてしまおうと周りをキョロキョロ見回していた時だった。右手側の路地から、ほんの僅かだが、ラグナの乱れを感じた。

誰かが大地からラグナを汲み上げたのだ。

 俺が暗い路地に足を踏み入れると……


「流石はシュウ様。あれだけでお気づきになられるとは」

「お世辞はいいよ。どうせわざとでしょ? 

 あなた達ならもっと上手く気配を消せるハズだし……」

「そこまでお分かりになるとは。それと申し遅れました。私、お嬢様のお屋敷で侍女長を務めております、ヘレン・ルミナリエという者です。気軽にヘレンとお呼び下さい」


 俺の目の前には、深々と頭を下げた綺麗な女性がいた。それも、今となってはアニメの中でしか見られないようなメイド服を着た、正真正銘のメイドさんが。

 完璧な日本語で話してはいるが、ウェーブのかかった茶色の髪よく似合う、色白の外人さんだ。


 年齢は二〇代半ばぐらいだろうか……?


「それで、なんの用です? 取引?」

「はい。ですが、それも合わせてお屋敷まで来ていただきたいとのことです」

「……ん、分かった。それじゃよろしくって……ちょっと!」


 俺がそう言った途端、メイドさんが抱きついてきた。

 これには流石に慌てる。

 白の生地に藍色のフリルをあしらったメイド服は、彼女のその大き過ぎる胸を異様に強調しており、彼女もそれを分かっているのか、わざとらしくそれを俺に押し付けてきていた。


「ええと……ヘレンさん? 何やってるんですか?」

「お嬢様から聞いておられませんか? 私の能力の発動条件」

「いや、知らないよ……。まあ侍女なんだから転移系の能力者だとは思ってたけど……」


 この人の主人は少し……というよりかなり偏屈な人間で、人が誰も寄り付かないような所に住んでいる。そのため、あの屋敷は優秀な空間転移系能力者をメイドとして何人も抱えており、あそこに行くには彼女達に連れて行って貰うしかないのだ。

 今回の俺のように。

 前に何度かあそこには行ったことがあるのだが、その時連れて行ってくれたメイドはまだ十代だったし、どのメイドさんが迎えに来てくれるかは決まってないのだろう。


「で、俺はどうすればいいの?」

「それは……」


 ふくよかで大きな二つの膨らみを意識しながらそう問うと、ヘレンは上目遣いで俺を見上げる。そして、さらさらな茶色の髪を耳へとかき揚げながら頬を薄く染めると、ゆっくりと目を瞑った。


 まるで何かを催促するように……!


 人間二人分をここから恐ろしく距離の離れたあそこまで転移させる条件としては、確かに妥当な物ではあるんだけど……


 ……。

 …………。


 夏那、ごめん……


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