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#15 春日部の秘宝 《後編》

 身体が冷たかった。

 手足が氷のように冷え切っていて、指先に伝わる感覚は全く無い。

 胸の底で申し訳ない程度に脈打つ心臓の鼓動が、不思議と鮮明に聞こえてくる。


 ──雨のせいだろうか?


 否。そんな訳はない。

 それぐらいラグナの体内循環でどうとでもなるし、響希から何か仕掛けられた訳でもない。

 かじかんだ手先ではまともに握る事すら出来なかったが、これはいつも通りだと自分に言い聞かせるようにすると、自然と心は落ち着いて来るようだった。


 こうなる理由は自分の事だというのに正直な所全く分からない。

 でも時々あるのだ。

 久しぶりに味わうこの感覚は緊張とか不安とかそういうのじゃない。


 その見えない冷気はどこからともなくやって来ると、まるで俺を絡み取るかのように足元から這い上がって蝕み始める。

 でもこれが俺にとっての邪魔なものかと言うと、単純に肯定出来るというわけでもなく、結果的に俺はいつもそれに身を任せてしまっていた。


 それに戦場でどんな言い訳を並べようが意味はない。

 戦場?

 否。これはただの殺し合い。

 強い者が生き残る。

 敗者は弱者であり、勝者の糧。

 ただそれだけだ。何も難しくない。

 現状を見たってその真理は揺るがない。




 眼前に広がるのはこの春日部の地を守護する結界のかなめの場だった。

 中央には漆黒の台座の上に彩られた陣。

 その前には春日部現当主、春日部 響希。

 そして隣に静かに侍る、春日部 美穂子。菫の母。


 俺はその二人に意識を置いて警戒したまま、まだ余裕のある思考領域を使ってその場にいる人間の把握を試みる。

 数はおよそ百前後。

 内訳はほぼ門下生が占め、その中には朧げな記憶の中で浮かび上がる顔も少しあった。

 当主補佐として玄もいるようで、その周りには何故か門下生とはカウント出来ないクラスメート達の姿も。


 面倒くさいな──。


 心の内の呟きに合わせて小さく舌を打つが、直ぐに響希と美穂子へと意識を戻した。

 俺の目的は秘宝の強奪であって、目撃者は誰一人必要ない。故に、ここにいる者達を生きて返さないのは俺の中では確定事項。

 そして、それを前提とした上で俺の中で問題となったのは、彼らをいつ(・・)殺すか、という事。


 当初の予定ではこの場所に来た時点で、響希以外の全員を即座に殺すつもりだった。


 勿論、菫とみのるがこの場に居ないというのは想定済みであり、逆に居たら居たであいつらを殺す訳にはいかない──主に俺の都合で──から、それこそ面倒くさい事になる。


 だから想定外の出来事というのは──。


 そう、考えていた以上に人数が多かったのだ。

 だからこそ、今のこの状況で【人体干渉】による皆殺しなんてあまり良い選択だとは思えない。


 響希との戦闘前に余分なラグナを使う事になるのもそうだけど、それ以上に俺が恐れているのは、この数を皆殺しに出来るという事実と、それを可能にする能力の情報を相手に与えてしまう事だった。


 勿論人数が少なければもっとやりようがあるだろうけど、流石にこの人数では隠し通せはしないだろう。


 だからあの女だけでも先に──。


 場の状況を僅かな時間で把握した俺は直ぐ様予定を組み直すと。

【幻影創造】でその場に俺の分身を創り出し、俺自身は気配を殺してあの女──春日部 美穂子の後ろへ回るため一歩後退した。


「何をしに来た?」


 それがただの幻影だと気づかずに、響希はそう言葉を紡いだ。

 どうやら直ぐに攻撃するという事はないようで、ほんの少しの時間が欲しい俺にとってそれはとても有難い問。

 勿論答えるつもりはないけれど。


 今までざわついていた門下生達は当主のそれに一斉に口を閉ざす。

 両腕を組んだまま遥か高見から見下ろすよう響希が、その問いに対する答えを待つ間に、俺はその男の姿を視界の端で捉えながら順調に歩を進めていた。


「──そうか」


 諦念を滲ませた言葉が紡がれたのと、俺が美穂子の後ろへと到達したのはほとんど同時だった。

 響希が小さな目配せをすると、群衆の中から二人の門下生が飛び出す。


 けれど。

 俺の目の前には、巫女装束の美穂子。

 こっちは確実に、殺す。


 浸食率最大の浸食ラグナを纏わせた右手を、流麗な黒髪が覆う背中へとゆっくりと近づけ──。

 美穂子の分厚いラグナの盾を一瞬で貪り、その艶やかな肉体の内側を蹂躙する──筈だった。


「ッ────!」


 刹那、緋色の閃光が弾けた。

 同時に、伸ばした右手の指先に激痛がほとばしる。


「え?」


 呆けた声と共に美穂子が振り向く。

 だがそこに浮かぶのは、困惑の表情だけ。


 ──何が起こった?


 ゆっくり流れる時間の中で目が合うが、どうも美穂子もその答えを持ち合わせてはいない様子。

 今の閃光で思い起こされるのは、春日部の地に張り巡らされていた、あの変質した結界に触れた時のあれ。


 でも何故?

 いや、今は取り敢えず。ここは──ヤバい。


 思考を無理やり打ち切った俺は、待機させておいた【幻影創造】の能力の一つを行使。

 視界が一瞬ホワイトアウト。

 軽い浮遊感と共に視界が戻る。

【幻影創造・転換】。

 創り出した幻影と自身の位置を入れ替える能力(チカラ)


 戻った視界の先に、美穂子の姿は無い。

 代わりに映るのは、二人の門下生の姿。


 腰に携えた刀を抜刀しながら突っ込んでくる男と、六本のナイフを十指で弄びながら地面を這うように駆ける女。


 二人との距離はあと数メートル。

 こっちはこっちで厄介な状況だった事に今更ながらに気づくが、あそこに留まっているよりかなりましだ。


「……大人しく寝てなさい」


 女の呟きと同時に、六本のナイフが放たれた。

 真っ直ぐ飛んでくるのが半分、有り得ない軌道を空中に描くのが半分。研ぎ澄まされた聴覚が、切り裂かれる空気の音を捉える。


 ナイフはラグナによって生み出された物のようで、巧妙に隠されてはいるが目を凝らせば細長いラグナの糸が覗える。

 そして女が空の手に直ぐ様ナイフを補充している間に、もう一人の男の方が地面に窪みを残す程の踏み込みで懐に飛び込んで来た。


 こうして見ると、思いのほか隙が無い。

 互いの力量を十分に把握した上での連携なのだろう。

 けれど、隙が無くとも、これぐらいならまだ余裕。


 幻影を【創造】。そして踏み込む。

 飛来するナイフを最適化したステップで躱す。

 視界端をナイフが掠めて行くのをどこか他人事のように感じながら進んでいく。

 男の間合いまで残り数センチ。


 刹那、刀が閃く。

 だが視界の右から左へと一筋の光が浮かび上がったそれは、俺の幻影を切り裂くだけだった。


 幻影よりほんの少し後方で駆ける俺自身は無傷。

 砂のように散っていく幻影を振り切りながら、右足で強く踏み込んだ。


 必殺の居合を外されたと悟った男が目を見開いているが、高速で迫る俺を追撃するには流石に無理がある態勢だった。

 灰色の浸食ラグナが渦巻く左手で、無防備の男の脇腹に掌底を叩き込む。


【人体干渉】に打撃の威力は関係無い。

 ゼロ距離から放たれた浸食ラグナは、浸食、干渉、破壊のプロセスを一瞬で完了させる。

 まず一人。


 左足を軸にして身体を回転させ、地面を蹴って加速。男の腕の下を掻い潜る様にして一直線に女の門下生へと飛び込む。


 流石と言うべきなのか、目の前の女は男の敗北に狼狽(うろた)えてはいなかった。

 投げられたナイフは既に三十を超え、たった今、更に八本を追加した所。その動きに迷いは見当たらない。


 女の手から放たれた八本のナイフが真っ直ぐに飛来し、その前の数十のナイフが四方から俺に襲い掛かって来ている。

 ラグナで生み出されたナイフは、女の手によって完璧にコントロールされているのだ。


 それでも俺は、構わず駆け抜ける。

 必要最低限のステップで迫り来る物を躱し、時には浸食ラグナで浸食し、無定形のただのラグナへと分解する。

 女との距離が一メートルを切った。先程男と対峙した時と同じ状況。


 故に女は──。


 次々とナイフを放つ女の手が、ほんの一瞬だけ、止まった。いや、放つタイミングが若干遅れたのだ。


 それは、女の無意識領域の仕事だったのだろう。恐らく目の前のこの女自身すら気づいてはいない。

 けれどそれは、俺が先程男にしたような、幻影による時間差を作り出している可能性を、無意識にでも疑ってしまった証拠だったのだ。

 勿論、俺はそんな隙を見逃すつもりは無い。


【幻影創造・転換】。


 移動したのは、女の背後。女が振り返ろうとするが、もう遅い。

 俺は後ろを見る事無く、女の首筋に左手を添えるだけ。


【人体干渉】。

 処理は今度も一瞬。

 身体の内部に干渉し、女の心臓だけを握り潰す。保険に脳の回路も破壊。

 すぐ後ろで女が崩れ落ちるのを感じながら、ようやく俺は脚を止めた。


 彫りの深い顔に、浅黒い肌。

 もう五十手前だというのに目の前の男から立ち昇るラグナは荒々しく、しかめた眉の下から覗かせる眼光が俺を突き刺している。

 そんな目の前の男を見据えた俺は、響希の射抜くような視線に無言の威圧で返した。


 ──次はお前だ。



 ◆


 

「美穂子、刀を」


 響希の重たい低音が、空気を静かに震わした。

 隣に侍る美穂子に、俺が奇襲した時に見せた狼狽の様子は見当たらず、いつも通りの凛とした雰囲気を纏っていた。

 きっとあちら側で都合が良い様に解釈したのだろう。俺としてはあの時の現象が気になる所ではあるが、今はそんな事に意識を割く余裕は無かった。


 響希は、美穂子から受け取った春日部の家宝、降霊刀【霜憑(しもつき)】を鞘から抜き放つと、鞘を美穂子の方へと無造作に放った。

 本当の戦闘はここからだ。

 今までのはただの肩慣らしでしかない。

【霜憑】を手にした春日部当主を相手にするのなら、こちらもそれ相応の覚悟を持って臨まなければ。

 そうでなければ、きっと一瞬で殺られる。もしこれ単純な殺し合いだったのなら、それこそ【人体干渉】の前には誰もが等しく平伏(ひれふ)す。

 でもこれは違う。

 響希がどうかは知らないが、少なくとも俺にとっては。


 俺の目的は春日部の()()

 春日部当主の肉体の中に存在する宝玉。

 本来なら未来人(エインヘル)のみが持つものに対して使われる言葉ではあるが、強いて言うのならそれは、核晶(レクスタス)とでも呼ぶべき物。

 初代から、およそ千年もの歳月を受け継がれてきた家宝にして秘宝だ。

 だからこそ、この戦闘は云わばハンデ戦。それも、白兵戦においては世界最高峰と謳われる人間が相手の。


「覚悟は出来ているのだろうな──?」


 その一言で空気が変わった。

 狭い空間に恐ろしいほどの殺気が荒れ狂い、風なんて無いのにも関わらず目の前から突風が叩き付けられるような錯覚に襲われる。

【霜憑】の磨き上げられた刀身に反射する辺りに漂うラグナの残滓が、もう一つの鋭利な刃となって俺の瞳を突き刺していた。

 それでも俺は動じない。だって、これぐらいもう慣れたから。あの地獄の五年と、その後の五年で。


 ──覚悟。


 それは警告のつもりか、それともただの前口上だったのかは分からない。

 けれどどちらでも関係ない。

 蒼のラグナを纏う響希は殺気を収束させながら浅く脚を開くと、半身を切るようにして【霜憑】を斜めに構えた。


 ──来る。


 刹那。

 響希の動きを知覚するよりも速く、身体の芯まで凍てつかせる俺の直観はそう告げた。


【幻影創造】。五重。放つ。


 同時に、響希が飛び出した。

 一閃。

 薙ぎ払いで発生した強烈な風圧がラグナと一体化して刃となると、俺の創り出した幻影全てを吹き飛す。

 しかし、切り裂かれ砂のようになった幻影は空中で渦巻きながら、再び集まって幻影となる。

 数は三。残りの二体分は空中に飛散したまま。

 幻影による奇襲なんてもう成功しないだろう。今の迷いの無い斬撃がその証拠。

 でもしかし、そんなのは最初から分かってた事だ。それならそれで、他の使い方だってあるのだから。


 例えば。

 ここに至ってようやく俺は武器を取り出す。いや、幻影で【創造】したのだ。


「何のつもりだ?」


 距離を詰めるように走り込んで来ながら、響希は白い毛が混じる眉を顰めると、ぎろりと鋭い眼で俺を睨んでくる。


「無手じゃ流石に、ねえ?」


 響希との距離を保つように後退しながら、俺は両手の平に銀色に輝くナイフを広げた。

 左右四本ずつ、計八本。

 先程の女の門下生が使っていた物と全く同じ物を。


 俺の能力は【幻影創造】。創造可能なのは、俺が実際に見て、出来ると思ったもの全て。

 だけど万能ではない。

 流石に今まで見てきたもの全てという訳にもいかないし、そもそも俺にそこまでの才能はないから、再現出来るのは自分の肉体と、他人が使っていた投影系の能力で俺でも扱えそうな物を幾つかだけ。

 そのストックだって今の俺では五つが限界。


 唯一例外が、直前に見た能力や物。

 今回ならこの門下生のナイフだし、黛と戦った時ならばあの光球だったり。

 まあただし今回のこのナイフは形をただ似せているだけで、これの本質的な能力は別の女の物だったりするのだが。


 俺は仕上げに、首から提げたアーティファクトで実態を持たせる。

 手の平のナイフが擦れ、音を立てた。


【創造】。

 響希の四方を取り囲むように、空中、地上に計十体出現させる。勿論、その全てに実態のあるナイフを持たせて。

 投射。そして俺自身も駆ける。ナイフが銀色の輝きを放ちながら響希に飛来。


「甘いな」


 響希も走りながら【霜憑】を振るうと、ラグナを纏った斬撃がまるで散弾のように分裂し、前方を阻むナイフを尽く破壊してしまう。

 そして更に蒼く澄み渡るラグナは、空気を凍てつかせ、地面を伝った斬撃の跡を真っ白な霜で残す。

 それでもまだ俺のナイフが背後から襲い来ていたが、響希はそのナイフの束を無視すると、大きな踏み込みと共に自身を加速させた。


「ぬぅっん!」


 とてつもない速度で迫る響希が、まるで居合のように腰の辺りから【霜憑】を薙いだ。

 刹那。

 時間が、ゆっくりと流れ出した。


 引き伸ばされた時の中では何もかもが止まって見え、俺の思考だけが生きている。

 この感覚はいつもの事。

 けれど。

 今この不可思議な時間の中では俺の外に【霜憑】が居た。

 今までこんな事は無かった。

 でも──間に合う。


 次第に本来の時間の流れを取り戻して行く世界で俺は、予測した【霜憑】の剣筋の軌道上に一本の短槍を【創造】する。

 これは先程まで再現していた能力のオリジナル。

 円錐形の槍頭の淵は金色に彩られ、漆黒に塗りつぶされた槍に時折、金色のラインが怪しく奔る。


 ある女の顔が脳裏を過った。

 が、今は時間がない。心を乱そうとするその感情を胸の内に無理やり抑え込む前に、全てが動き出した。


 空中に生み出された槍を俺の右手が掴むと同時に【霜憑】が瞬き、槍と激突した。


 骨の隋まで響く衝撃が、腕を伝って身体の芯を捉える。衝突によって飛び散る星屑のような白光が辺り照らし、俺と響希の姿を灼く。

 一瞬、槍と刀が拮抗するが、俺は地面を捉える脚の力を抜いた。


 身体強化の練度が同程度だとしても、それでもやはり響希の方に軍配は上がる。肉体的にも精神的にも、この状況では俺は響希に勝てない。

 云わば響希は剛。

 なら俺は、静で以て対処するだけ。

 名も無き槍を僅かに傾けた俺は【霜憑】の力を受け流す。

 響希の軸がぶれた。


 ──ここだ。


 今この瞬間、そのタイミングでしか反撃出来ない。短槍を持ち返る時間すら惜しかった。

 槍を手放して新たに同じ短槍をもう一本生み出すと、左で握ったそれを下から突き上げた。

 だがしかしほぼ真下という死角からの攻撃にも関わらず、響希は僅かに身体を傾けるだけで難なく躱した。

 まるで知っていたかのように、それはもう余裕で。


 無意識に目を細めた俺は響希を見るが、その口元には嘲笑とも取れる笑みが浮かんでいた。

 それでも俺は冷静に現状を分析。

 深追いはしない。してはいけない。

 能力行使。【転換】。先程【創造】した幻影の中でも、最も最適な物と入れ替わる。


 転移した直後、俺の視線の先では、丁度【霜憑】によって幻影が切り裂かれた所だった。

 一瞬でも判断が遅れれば、後に待つのは死。

 それでも俺は踏み込む。

 響希も振り向くと駆け出す。


 空中に数百のナイフを、そして右手には漆黒の短槍を【創造】。

 そして再び投射。

 だがその瞬間、響希の周りに細長い蒼氷が幾つか出現した。見た目的にはアニメにでも出てくるようなビット。機能も同じ。

 生み出された五つのビットの先端が輝くと、超高速で氷の弾丸が撃ち出される。

 それなりの数のナイフを投射していたにも関わらず、それがナイフの弾幕を一つ残らず撃ち落とすのに、そう時間はかかりそうに無い。けれど、そのビットの対処は後回しにするしかない。


 再び対峙した響希を見ると、その手に握られる【霜憑】に少し性質の異なるラグナが揺らめているのが見て取れる。

 そこに至って、俺は確信したのだ。

 とうとう響希が、【霜憑】を、春日部の家宝を使い始めたのだと。

 ここからが正念場だ。


「切り裂け」


 酷く落ち着いた響希の言葉が鍵となる。

【霜憑】の刀身で揺らめく影が、消える。直後、俺の四方を取り囲むように何かが襲い来るのを感じた。

 恐らく、生み出したのだ。

 斬撃(・・)を。


【創造】。そして【転換】。


 創造するのは自分の幻影。座標は、俺がゼロコンマ数秒後に到達するであろう地点。

 処理は一瞬。

 だがしかし、その転移直後。

 背筋に冷たい何かが奔る。文字通り、背後を凍てつく斬撃が掠めて行ったのだ。

 響希の追撃は続く。今度は四方とは言わず、八方。次いで、それ以上に展開される。

 再び転移。ほんの少し前。そして後ろ。次は斜め前。空中。


 転移先を間違えれば、逃げ場を失う。そうなれば一気にヤバくなる。要は詰将棋のみたいなものなのだ。次手までの制限時間がゼロコンマ数秒の。

 それでもとうとう、響希と三度目の対峙が成った。今度は俺が先制。

 この短槍を【創造】した時からちらつく負の感情をラグナに練り込んで、予備動作なしで投擲、いや射出する。

 ラグナの源泉は大地のエネルギー。けれど実際に使うのは、己の内で精練したチカラ。故に、それには想いのチカラも当然干渉する。


 そう。例えそれが、負の感情だとしても……!


「貫け」


 俺の手から離れた名もなき槍は黄金色の稲妻を迸らせながら加速し、光線となる。俺の目でも追いきれない。

 驚き目を見張る響希の腹へと吸い込まれていく短槍。がしかし。そこに響希は居なかった。否、本体がそれでは無かったのだ。

 実態のない影を貫いた短槍は金の流星となって空を駆け抜けて行ってしまう。

 なるほど。目には目を、歯には歯を、か。

 俺が攻撃したそれは、偽りの影。霧のように霧散する。俺の十八番の分野において、完璧に騙されたのだ。

 だけどそれでも──。


「そっちこそ、甘いよ」


 僅かに殺気が漏れていた。俺の背後から。

 俺でなければ気づけない程度のものだったかもしれない。けれどその仮定は、今この場においては無意味。

 響希にいくら才能があろうが、いくら努力しようが。

 気配の制御、いてはラグナの制御だけなら、俺は誰にも抜かるつもりはない。抜かせはしない。断言出来る。


 何故なら文字通り、超えて来た壁の次元が違うから。


 殺気の出所は俺の右斜め後ろ。それ以外にある響希は、全て偽物だ。

 ぎりぎりまで引き付け。身を縮めたクラウチングスタートのような姿勢の幻影を、数メートル前に【創造】。そして【転換】。

 転移が完了。俺が規定した通り、響希の懐に飛び込むには完璧の態勢。力を込めると脚ががっちりと大地を捉える。身体強化の限界を超え、俺は飛び出す。

 目の前の響希は再び幻影を使った。

 しかし、俺には分かる。本体が転移する先は、俺の左斜め後ろ。空間に漂うラグナの性質が、それだけ僅かに違うのだ。


 そして、響希はまだ──。

 転移が()()()()()()()


【創造】。【転換】。

 初めて、俺が背後を取る。

 短槍を【創造】し、再びあれを放つように構えた状態で、俺は空中にいた。そして今度こそ本体を捉える──筈だった。


 その時、世界は再びゆっくりと流れていた。

 いつもの数億倍の重力が圧し掛かっているのかと思う程に身体は重たくて、到底動くことなんて出来ない。きっと、俺の知覚だけが加速しているのだ。

 目の前の響希は未だ処理が完了していない。幾ら【霜憑】のチカラがぶっ飛んでいようと、慣れない物を使うからそうなるのだ。

 このまま行けば、短槍の投擲とほぼ同じタイミングで響希に自由が戻る。しかしその時にはもう間に合わない。どう抗おうとも。


 絶好の勝機。

 この瞬間を逃せば、正面からの戦いで響希を捕える機会はもう訪れはしなだろう。理屈ではそうなのだ。

 だけども──。

 ここに来てからずっと胸の奥底に居座っていて、そして今もなお俺の全てを凍てつかせる謂わば第六感とでも呼ぶべきものだけは、俺のその選択に抗うかのように警鐘を鳴らしていた。


 どちらが正しい? どうすればいい。

 俺は──。


【創造】。【転移】。

 俺は諦める。ここで仕留める事を。


「危なかったな……」


 結果的に言えば、俺のそれは間違ってはいなかった。

 転移した先で俺の目に映ったのは、迸るラグナの奔流でその空間ごと凍らせられた俺の幻影だった。

 間一髪。

 あと一瞬決断が遅ければ、致命的な隙を響希の目の前で晒す事になっていた。

 だけどその攻撃を浸食ラグナで喰い尽くしていれば、その立場が逆転していたかもしれない。

 俺が迷わずジョーカーを切っていれば──。


 やめよう。重要なのは結果。過程なんかどうでもいい。

 あの場面において。響希は自分の意思を突き通し、俺はそこから逃げた。

 それだけだ。


 それよりも……

 左腕をやられた。転移の寸前に響希のラグナに干渉されたのだ。

 咄嗟に浸食ラグナで防ぐも喰い尽くすことは出来ず、更に転移寸前という事もあって、左腕の組織全体がいかれている。

 今回の場合はそれだけで済んだ事に喜ぶべきなのかもしれないが。


「一体幾つ展開してんだよ、あんた……」


 呆れを含む声音で聞こえるように愚痴ると、【霜憑】を悠然と構える響希は眉を顰めた。


 春日部の家宝にして日本最古の降霊刀【霜憑(しもつき)】。

 降霊刀なんて呼ばれているが実際に霊なんて降ろせはしない。ただし、それに限りなく近い事が出来るのは確かだ。

 造られた当時では【霜憑】に備わった能力は霊を降ろすと勘違いされていたかもしれないが、それから十世紀も経った現代の言葉を使えばそれは。

 外部記憶装置と呼ばれるもの。

【霜憑】の柄部分に散りばめられた宝石──ラグナを結晶化させた依代(よりしろ)、言うなれば核晶(レクスタス)がそれにあたり、勿論そこにコンピュータに使われるようなデータではなくて、人間の記憶を保蔵するのだ。


 もう少し正確に表すなら、経験した記憶を。

 その人間が潜り抜けた戦闘の記憶であったり、生涯を賭して極めた型の記憶であったり。


 響希は二十一代目当主だから、そこに少なくとも二十人(・・・)分の記憶があるわけだ。

 ハズレの代も少なからずあるにせよ、【霜憑】を手にする資格があるものならそこに溜め込まれた十世紀分の記憶を体感出来るのだろう。

 そして【霜憑】の補助効果で、その記憶を自身に降ろして再現する。


 つまり、その時代の当主が極めた型を時代の隔て関係無く扱うことが出来、それを更に時代の流れに沿った形で昇華させ、新たな型として蓄える。

 また、一から創り上げた型を後世に託す事だって出来る。


 要は、代を経るごとに強くなっていく武器。

 それが【霜憑】なのだ。


 これぞまさにチート。

 白兵戦で【霜憑】を使いこなすこんな化け物に勝てる訳がない。

 勿論その当主自身の力量が無ければそんな事出来ないが、それでも春日部という戦闘に身を置く一族の血のせいか、才能という点においては今まであまり問題に成ることは無かったのも事実ではある。


 けれどそうは言っても、歴代当主でも【霜憑】に保蔵されたそれを自身に降ろして使いこなすのは至難の業であり、一つの戦闘で降ろすのも一つか二つが限界だったと文献では書かれていた。

 だというのに。

 俺がはっきりとそうだと分かるものだけを取って見ても、響希が今の戦闘で降ろしていた記憶は少なくとも、五つ(・・)


 ご先祖様が見ていたらどう思うだろうか?


 事あるごとに化け物と呼ばれていた歴代当主達の中でも響希はきっと特別だ。

 それじゃなきゃ、五つもの記憶を並列展開してもなお余力を残して戦えるこいつは一体なんて呼べばいい。


「これはもう無理かな……」

「ほう?」


 常人ならいつ気が飛んでも不思議ではないような左腕の激痛を何処か遠くの方で感じながら、俺は思わずそう呟いていた。

 こちらを覗うように構えていた響希にも聞こえていたのか、眉を吊り上げると嘲るように口元を緩める。

 どうやら響希は勘違いしたようだ。その言葉の真意を。


 春日部の当主にしか扱う事の出来ない、降霊刀【霜憑】。

 ならば、その当主の資格とは何か。

 それこそが、春日部の秘宝。【霜憑】を外部記憶装置とするならば、秘宝はCPUであり、エネルギーコアにあたるものだ。

 そして秘宝は、春日部の血が流れ、且つ肉体が成熟した人間を勝手に渡り歩いていく。

 その仕組みは全く以て理解不能で、秘宝にしろ【霜憑】に埋め込まれた人口核晶(レクスタス)にしろ、千年も昔の時代には遥かに過ぎた代物である。

 そもそも現代の技術を以てしても不可能に近いのだ。


「勘違いするなよ」


 左腕を力無くだらりとさせたまま、俺は響希を見据える。


「時間稼ぎは──もう終わりだ」


 目の前の空間に触れるかのように、右手の平を宙にかざす。

 それに対して響希も【霜憑】を構えると、新たな能力を展開した。

 オーロラのような薄いベールが響希の周囲に揺らめく。

 そしてそれは広がると、このそこそこ広い空間全体を覆うように展開されていき、次第にそれは七色の輝きで辺りを照らし出した。


 なるほど。今度は冬鏡の【魔鏡】か。


 歴代の春日部当主の絶技に続き、今度は冬鏡の秘儀。開祖の代で春日部に氷術の業を提供したとされる、日本有数の名家冬鏡の、あらゆるチカラを反射する最強の結界。


 通称、冬鏡の【魔鏡】。

 まさか響希が扱えるとは思わなかった。

 でも、だから何だというのだ。



 ◆



 ──努力すれば、きっといつか報われる。


 過去の偉人や現代の実力者は、表現の違いはあれど皆こう言っている。

 確かにその通りだ。努力すれば、きっといつかは報われる。


 でも、いつかっていつだろう?

 報われるって、どのくらい?


 そんな彼らの言葉を目にし、耳にするたびに俺はいつもそんな事を考えてしまう。

 彼らの口にする言葉は、その文脈やニュアンスから、努力と結果の関係がどうにもイコールであるようにしか聞こえない。


 だが果たして、それは必ずしも真実と言えるだろうか?


 確かに、彼らの位置から見ればそうかもしれない。でも、それ以外の側面は、例えば俺みたいな人間の目から見えるそれは、また違う。

 この世界に生れ落ちてからまだ十七年と少ししか生きていない俺が、こんな事に対して胸を張って言う事ではないけれども、それでもこれだけは奴らに向かって断言出来るだろう。


 この世界は酷く歪んでいる。

 そして何より、各々に定められた枷──一種のシステムとでも呼ぶべきものは、果てしなく理不尽である、と。


 等価交換という概念がある。

 これは化学や物理、生物の分野、所謂自然界では至極当然の事として成立する。

 けれど、人間界──ここでは生物的な意味ではなく、もっと目に見えない何かの事ではほとんど通用しない。イコールではないが、勿論ノットイコールというわけでもない。

 それを例えるなら、誤差の大きい概算方式、ニアリーイコール。


 ある一定期間において、努力と、それに伴って顕れる結果の関係について当て嵌めて見ると。

 100という努力から生まれるそれ相応の結果は、ほとんどの場合において100にはならない。

 凡人は、良くて70。悪くても半分の50。

 けれど凡人ではない、所謂(いわゆる)秀才と呼ばれる凡人よりも少しスペックが高いような奴は、この変換が80だったり、90だったりする。


 では、凡人でも、秀才でもない人間。

 俺が天才と呼んでいる者の場合はどうだろうか?

 例えば()()()な天才では。この段階において、ようやく変換率が100%、つまり100から100が出てくる。

 そして菫なら。

 あいつなら、100のリソースをつぎ込めば、それが140になって返ってくるだろう。


 なんだよそれ、ふざけんな。

 なんて思うだろう。でも実際にその通りなのだ。

 そしてこれもまた、四捨五入すればれっきとした100。

 凡人、秀才、天才。どの場合も、ニアリーイコール100。

 勿論例外はいるけれど、これが世に言う、努力すれば報われる法則だ。


 ここでいう例外が、変換率が多分50%未満の俺だったり、150%以上のあいつだったりする訳だが。

 チカラを得るために、ナニカを差し出す。

 その差し出す主な物が、凡人や秀才なら努力というものであり、天才なら才能という名の生まれながらに持つ貯金である。


 その本質は何も変わらない。

 だけど──。

 俺は目の前の男を見据える。


「そのチカラを得るために、お前は何を捨てた?」


 独り言のように呟いた小さなその問は、それでもきっと響希の元に届いたはずだ。

 たかだか一秒にも見たいない時間。響希が返すまでの、そんな短い間ですら酷く長く感じられる。

 やがて、【魔鏡】展開をしたまま奥で【霜憑】を構える響希は、重々しく口を開いた。


「捨てた物などない。私は全てを守り抜く。それが春日部の使命だ」

「それが本当に出来るとでも?」

「無論。その愚かな問そのものが弱者の証だと、何故理解出来ない?」


 ──ああ。そうだよな。


 響希が費やしたのは、時間と才能だけだ。自分自身(・・・・)は欠片も傷ついてない。

 いや、響希だけじゃない。人間は全てそうする様に創られている。否、それしか出来ない様に創られているのだ。

 チカラを得るために、己の核となるモノを差し出す事は出来ない。


 でも──。

 俺は、俺達は違った。

 差し出した。違う。奪われた。

 望まない俺達を、望む者のために。

 果てしなく続く地獄。

 一日の始まりは壊れた身体が再生していく絶望で、一日の終わりは肉塊になった事に対する安堵だった。

 死ぬことは許されず、ヒトとしての生すら許されない。失い続け、最後には何も無くなる。そして捨てられた。

 そう、無くなるのだ。本当に何も。魂とでもいうべき、己の核すら。

 でも、それがゼロだった。

 そして辿り着く。


「切り捨てた物はない、ね」


 それはつまり、得たチカラが真に己のチカラだと言えないということ。

 ラグナとは魂の輝きであり、奇跡を創り出す事は魂の具現である。

 故に、己を削ること無く手に入れたチカラと、ゼロから積み上げたチカラでは。

 格が、次元が違う。


「弱者か。なら──」


 ──見せてやるよ。


 才能と努力だけでは到達しえず、

 ゼロへと至り、そしてそこから這い上がってこれた者のみが掴み取る、

 (ラグナ)の極地を。


【人体干渉】──共鳴。


 そこに存在するラグナ全てを、支配する。

 撒き散らされた俺の浸食ラグナは空間を覆うと、それ以外のラグナ全てを喰らい尽くすのでは無く、ラグナの主導権を奪い取っていく。

 勿論、春日部の秘宝という莫大なラグナを貯蔵したコアを持つ響希とて例外ではない。 

 視界がスパークし、頭の芯を激痛が駆け抜けていく。脳の処理速度が限界を超え、更にその先へと踏み入れる。


 通常の干渉では響希のそれに手が出せなかったから、リスクを冒してまで今の今まで響希と真正面から戦う反面、この空間に俺自身のラグナを満たし続けていた。

 だがそれでも、やはりまだ十分ではなかったのだ。

 もう少し時間があればもっと楽だったかもしれないが、仕方ない。俺が出来るのは、このまま無理やり押し切る事だけ。


 それは、時間にすれば一秒にも満たなかっただろう。けれど俺にとっては果てしなく長かった。

 肉体という器に満たされている限りなく圧縮されたラグナ全てに干渉し、支配し、繋ぎ止めておく。

 一瞬の中の、そのまた更に極微小時間の間でせめぎ合う。支配から逃れようとする魂との、永遠と続く攻防。一つのミスすら許されないそれを、己の全てを賭して圧倒していく。

 そして──。


「──どう? 他人に命を握られている感覚は?」


 多少無理やりな所もありはしたが、俺はその全てを捻じ伏せたのだ。

 勿論普通の人間には、こんな無謀な干渉は命を投げ捨てるようなもの。

 いや、それでも不可能。命を棄て、そして再び舞い戻る。

 それを繰り返して辿り着いた先が【絶対禁忌】であり、【人体干渉】なのだ。


 ラグナの鎧をはぎ取られた裸同然の響希へと、俺はゆっくりと歩を進める。


「ッ────!」

「何を言いたのかは知らないけどね。それが敗者の、あなたが言った弱者の気持ちだよ」


 俺よりも僅かに身長の高い響希と、対峙する。

 今日四度目。そしてこれが、最後。あらゆる意味で。

 腕をだらりと下げたまま棒立ちの響希の身体の中心に、そっと右手を翳し──。

 突き刺す。


 分厚い筋肉に覆われた胸板を貫通し、胸骨の間をすり抜ける。

 ごつごつとした肉壁が俺の手を今にも押し潰そうとしてくるが、更に奥へと潜り込んでいく。

 一気に加速した心臓の鼓動が右手を通して伝わり、割かれた血管から漏れ出た灼熱した血液が指先を焦がす。


 そしてようやく、探し物は見つかった。響希とのリンクを無理やり引き千切ると、勢いよく手を引き抜く。

 血飛沫が舞い上がった。


 手の平に転がるのは、ビー玉よりも少し大きめのサイズの宝玉。

 アクアマリンのような澄み渡り、見る者全てを魅了するであろう蒼はしかし、黒ずんだ血液に塗れ濁った輝きを宿しているのみ。

 けれど俺は一目見ただけで、複雑怪奇な陣と莫大なラグナがその中に溜め込まれているのが容易に把握出来てしまう。千年前の代物とは到底思えない。それでも実物はここにある。

 右手で強く握りしめる。俺にとって、そんな事はどうでもいい。


 これでやっと全て揃った。

 夏那を救うための鍵が、俺の手に。

 それで十分だ。


「これでもう、あなたに用は無くなった」


 俺は静かに、響希に告げた。

 途端、響希が獣のような唸り声を腹の底から響かせた。俺の【人体干渉】に、必死に抗おうとしているのだ。けれどそれは、絶対に無理だ。

 こんな奴に、俺のチカラは超えられない。

 だがそれでも尚、響希は辞めない。すると、その響希の叫びとも呼べないような惨めな遠吠えは、響希の背後で同じように拘束されていた門下生達へと伝播して行く。

 やがてそれは、人を呪い殺す事が出来るかも知れない程の殺意となって、俺を射抜く。


 けれどその中に──。

 圧倒的な負に埋もれながらもそれらとは明らかに異なる、この空間には異質な物が混じっていることに気が付いた。

 俺が視線を転じると、そこには。ほとんど言葉を交わす事もなかった、けれども一応はクラスメートだと記憶している者の姿があった。

 男二人の方は会話をした事もないし、名前知らない。けれどもう一方の二人組は。

 木下 穂波(ほなみ)と、飯田 莉緒(りお)。委員長と、その親友。そして俺が感じた違和感を発していたのは、莉緒の方だった。


「二人だったのか……」


 荒れ狂う人間の呻きの中で呟いたそれは、莉緒の耳に届くことなく掻き消された事だろう。それでも、俺を見つめる莉緒の瞳の中に眠るそれは、一瞬揺らいだように見えた。

 恐怖とか、殺意とか、絶望とか。

 そういうのじゃ無かった。

 他の三人は死んだ魚のような目をしているというのに、そこには、何かに惹かれるような純粋な光がただ灯っていたのだ。

 それは明らかに異質。この状況の中のそれは、一種の狂気と言っても過言では無い。

 だからだろう。

 惜しいと、思ってしまった。


 俺が今夜ここに来なければ──。


 それほどまでに、莉緒のそれは俺の興味をくすぐったのだ。

 それでも俺にはやらねばならない事がある。そのために俺は、今夜ここにいるのだから。


「ごめんね」


 ただ一言。様々な意味を、その言葉に込めて。


 降り注ぐ殺意に向き直る。

 そして俺は、宝玉を固く握りしめたまま──。

 十年間抱き続けた春日部の想いに、終止符を打った。



 ◆



 眼前に積み重なる死体の山から染み出す鮮血。

 響希の冷気によって凍結された台地。

 山肌から滲み出るラグナの青白い光にその純白のコントラストは包み込まれ、俺にあの施設での記憶を想起させる。

 だからだろうか。

 瞳に映る凄惨な光景は、一瞬だけ別の世界に書き換わった。


 息を吸い込むたび鼻腔に纏わりつく濃密な死の臭い。その不快な感覚に思わず眉を顰めるのは、ただ一人。

 聞こえてくるのは自分の不規則な息遣いと、いつしか降り始めていた雨の音だけだった。

 夜空を覆う鋼色の雲。

 蛇を連想させるように戸愚呂を巻いたその隙間からは雨粒が滴り落ち、苦痛と倦怠に包まれる身体を濡らす。

 背後から吹く風が雨粒を背中に叩きつけていたが、まるでたった今殺した百人余りの怨念を孕んでいるかのようにその一粒一粒が異様に重たく感じられた。


 響希の攻撃に持っていかれた左腕には、相変わらずの激痛が奔り続けている。

 一方で、右手で握る秘宝もそれに劣らず強烈な冷気を発していた。

 強制的に体内から取り出した反動で、そこに蓄えられた十世紀分のラグナが漏れ出ているのだろう。

 それでもしかし一向にそのラグナが減る様子を見せず、それが俺に秘宝を手に入れたのだと実感させていた。


 ──帰ろう。


 ずぶ濡れのフードに手をかけがら振り向くのと、階段から人影が現れたのは同時だった。

 霊山の山肌に浮かぶ輝くラグナの残滓が互いの間に漂い、その正確な姿を確認することは出来ない。おぼろげに揺らめく影と相対する俺は、ゆっくりと歩を進めながらフードを目深に被る。

 階段の下からもう一人の気配。しかし俺は何もしない。

 気配を殺し、ただ通り過ぎるだけ。


 ──シュウ?


 湿った空気に吸い込まれていくその問に、答えを与えぬまま。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 外道共が少しあっさりとし過ぎだが、相応の最期を遂げた事がいい。 [気になる点] クズ姉が死んでいない。
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