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#13.6 大地の鼓動 《後編》

 駅前の喫茶店。

 全体的にクラシック系の、ちょっと大人っぽい感じのカフェ。

 木製のダークブラウンのフローリングに、西洋風の椅子やテーブル。

 有名な酒の銘柄が並ぶカウンターには、古めかしいアコーディオンと、橙赤の光りを灯すテーブルランプが置かれていた。


 色々な種類の、でも店の雰囲気との違和感をまったく感じさせないおしゃれなシャンデリアが、少し低めの天井から下がり、ジャズの流れる暗めの店内に柔らかい光りを注いでいる。

 渚紗はあんまりこういう所に来ないのか、どこか物珍しそうな目を控えめに覗かせていた。


「で、さっきの話だけど……」


 取り敢えず、入口から離れた奥の方の席に腰を落ち着けると、飲み物を注文しながら俺は静かに切り出した。

 周りからは微妙に見えず、声も届かない位置になっているこの席。

 渚紗もそれには気づいている様子で、そのためか、俺の言葉に合わせて先程以上に身体が強張った。


「そんな身構えなくたって……」

「で、でも……」

「俺にとってあそこはさ、俺が生まれた場所で、そして帰る場所でもあるんだよ。それは分かるよね……?」

「はい……」


 渚紗は力なく頷く。

 心にも無い事を言っている自覚はあるけれど、この状況に対処出来ればそれでいい。

 ここに来る道中で考えた言い訳を、渚紗の目を見ながら並べていく。


「それに、確かに昔の俺には力はなかったけどさ……あれから十年も経ってるんだよ。

 だからもう一度門下からやりなして、春日部に自分の力を認めさせればもしかしたら……って思ったんだ」


 よくもまあこんな嘘がすらすらと出てくるもんだと、自分のことながらも驚く。

 少しは頭の中でシュミレートをしたにせよ、それでも即席の言い訳には変わらない。

 大分アドリブが入っているけど、それでもちゃんと筋は通っている。

 これなら通用しそうだ。


「まあ結局、それも失敗しちゃったけどね……」

「でも、もっと違う形で、ちゃんと話をすれば上手く行ったかもしれないじゃないですか……」


 そう来るか……


「……そうじゃないよ、渚紗ちゃん」

「…………?」

「あの時渚紗ちゃんが誘ってくれたから、俺はあそこまで行けたんだよ。

 もし俺一人だったらいつまでも踏ん切りがつかなくて、うじうじ悩んで、多分さ……無理だったと思うんだ。

 そんな俺の背中を押してくれた渚紗ちゃんには、お礼を言いたいくらい。

 だから……ありがと、渚紗ちゃん」


 その謝罪に、渚紗の綺麗な茶色の瞳が大きく見開かれる。

 そして、俺の本心を探るかのように、じっと黙って俺の目を見つめてきた。


「……シュウ先輩。それは、本当ですか……?」

「信じられない……?」

「そ、そういう訳じゃ──」

「だから、渚紗ちゃんは気にしなくていいからね。これ以上悩まれると、逆に心配になっちゃうからさ。分かった?」

「……はい」

「さて、これで話は終わりだけど……

 結局、渚紗ちゃんに心配かけちゃったのは俺のせいだからね。何か食べよっか。奢るから」

「いえ、そんな……」

「そんな事言わずに……」


 言いながら、テーブルの上の鈴を小さく鳴らす。

 輝きの薄らいでいる真鍮色の鈴の音は、店内の音楽と混ざり合い、心地よい残響を残しながら奥へと消えていく。

 すると、カウンター脇から顔見知りの店員がどこからともなくにゅっと現れ、俺達のテーブルへと近づいてきた。


 綺麗に整えられた茶色の髭を顎に蓄え、ぴしりとした茶色の紳士服に身を包んだ男。

 年齢は四十代後半くらい。

 けれどそれでいて老いを感じさせないキリッとした姿勢に、周りをどこか安心させるような自然で優しい笑顔。

 この店に通い詰める女性客から「叔父様」と呼ばれるこの人が、この店の店長さん。


「やあシュウ君、久しぶりだね。今日はこの前と違う女の子かい? 相変わらず君も手が早いね……」

「あのちょっと……冗談でもそういうの止めて下さいよ、泰水(やすみ)さん……」


 慶秋寺(けいしゅうじ) 泰水(やすみ)

 それが、現れた途端その心地いいバリトンで、さらりと爆弾を投下した店長さんの名前だ。

 俺はそう言い返しながら横目でチラリと渚紗の方を見る。

 が、まあ案の定不機嫌そうなオーラが立ち上っていて、俺の方を明らかに汚らしい目で見ていた。


 せっかく渚紗を上手く丸め込めたと思ったのに、なんて事しやがる……


「いやあごめん。それで、注文は?」

「……取り敢えず、いつもの奴お願い」


 軽く殺気を飛ばすと、泰水は身体を震わせながら了承の言葉を口にし、すごすごと店の奥に下がっていった。


 さてそれじゃ、先ずこの子をどうしようか……


 俺は恐る恐る、渚紗に向き直る。

 そこには、さっきまで元気がなさそうに寂しく座っていた後輩は、いなかった。


「先輩はやっぱりそういう人だったんですね……」

「えっと、渚紗ちゃん……?」

「さっきの言葉、訂正します。先輩はやっぱり最低な人です」


 酷く冷え切った目で俺を見据える渚紗はそんな言葉を吐き捨てるように紡ぐと……

 顔なんて見たくないといった感じで視線を脇のテーブルランプに固定してしまった。


「誤解だって……」

「言い訳ですか?」

「いやだからさ、別に紅美とはただ仕事の話を……」


 そこまで言いかけて、危ない危ないと思い直す。

 良くここで仕事関係の密会をしている、なんて渚紗に言えるわけがない。

 今の失言、どうやってごまかそう……

 と考えていたのだけど……


「紅美……って誰ですか?」

「あ……」


 やばい。仕事とかそういう前に、まず絶対にやっていけない失態を……


「その紅美さんって人、もしかして……神楽木先輩ですか?」

「…………」

「……やっぱり。でも、確かに神楽木先輩はお綺麗な方ですもんね」

「……ちょっと、だから渚紗ちゃん、紅美とは別にそういう関係じゃないから勘違いしないでよ……!」

「……別に私は勘違いなんてしてません。先輩が誰とお付き合いしようと私には関係ない事ですし、私はただ神楽木先輩が可哀想だと思っているだけです」

「…………」


 あ、だめだこれ。完全に拗ねてる……

 はぁ……

 仕方がないから、ある程度の事は渚紗に話して上手く誤魔化さないと。

 俺は内心で大きなため息を付くと、どこまで話していいものかと頭の中で情報を整理して並べていく。


「取り敢えず渚紗ちゃん、まずは話を聞いて」


 真剣な声音で言うと、それに気づいてくれたのか渚紗が顔をあげると俺を見た。


「シュウ先輩……?」

「だけどその前に。いい、渚紗ちゃん?

 これは譲れない所だから言っておくけど、あいつに振り回されてるのは俺の方だからね……!」



 ◇



 ガーディアンの仕事を手伝っている事。

 それに至った経緯と理由。

 そして、紅美とはどういう関係なのか。

 それらを、大分ぼかしながら渚紗へと話した。


 下手な嘘を一からでっち上げるよりも、少量の真実を核にしてそこから相手が納得するような嘘を付け加えていく。

 これこそ、説得の基本。

 自分を嘘で塗り固めるのは悪手だし、ほころびを見つけられてしまえば、築いた物が途端に崩れて行ってしまう。

 その点これなら、小さな矛盾点があったとしても核となる大事な部分が真実なため、容易にリカバーが効くのだ。


「という訳なんだけど……」


 話し終えた俺はテーブルの上に置かれたアイスコーヒーで喉を潤すと、正面に座る渚紗を見た。


「……先輩は、例えばどんなお仕事をされているんですか?」

「どんなって言うのはちょっと言えないけど、大体は諜報系だよ。

 ほら、俺は戦闘とかはそこまで得意じゃないしさ」

「そうですね、確かに先輩の能力は戦闘向きじゃないですし」

「うん、まあ前にも見せた通り、精神干渉系だしね……

 菫や渚紗ちゃんみたいに才能もないからさ……」

「うぅ……

 ご、ごめんなさい。えっと、その、そういうつもりじゃなくて……」

「……気にしないでって言ってるでしょ? ある意味では事実なんだから」


 この場を上手く乗り切るために、ちょっと心が痛むけどさっきの話しを持ち出す。

 すると今まで強気だった渚紗が、しゅんと小さくなってしまう。


「俺は菫みたいな才能はないからさ、それ以外の道を見つけないといけなかったからね……」


 そう言うと、左腕にはめた腕時計を見る。

 メタリックな針はちょうど六時を指し示している。

 学校を出たのが四時過ぎだったので、意外と話し込んでいたみたいだった。


「渚紗ちゃんって、菫の家から学校に通ってるんだよね?」

「はい、そうですけど……」

「それは今日も?」

「そうですけど……?」


 俺の言葉に渚紗は意味が分からないという風にきょとんした表情を作る。

 俺はそんな渚紗の問には答えずに、能力(チカラ)を行使する。

 俺の不可視のラグナが渚紗の周りを覆い始め、そして渚紗の深層意識に干渉する。


「あれ……私なんで……」


 直後、俺の正面に座る渚紗が船を漕ぎ始め……

 そしてとうとう、その細い腕を枕の代わりにしてテーブルへと顔を伏せると、穏やかな寝息をこぼし始めた。

 天井のおしゃれなシャンデリアから柔らかい光りが、渚紗の綺麗な茶色の髪をキラキラと輝かせる。

 リスの様に丸まって眠る渚紗を暫く眺めていると、タイミングを計っていたかのように奥の方から泰水が現れた。


「……泰水さん、この子が起きるまで、お願いできる?」

「それは別に構わないが……」


 少し離れた所で壁に背を預けた泰水に、俺は視線を転じる。

 泰水は眠る渚紗を一瞥すると、どこか難しい顔をして俺の方を見た。

 こちらを探る様な目を向けてくる泰水は、数秒の沈黙の後、その重たい口を開く。


「いよいよって事なんだな……?」

「……ああ。今からだよ」

「そうか……分かった。でも、身体の方は大丈夫なのかい? 君が怪我をしているのは初めて見たけど……」

「それは余計なお世話だよ。これぐらい、慣れてるから」


 俺のその言葉に泰水は寂しそうな顔をするけれど、それでももう何も言っては来なかった。

 泰水が俺の事をどこまで知ってるのかは、俺も正直よく分からない。

 でも……

 あまり触れて欲しくない話に深入りしてこないのは、本当にありがたい。

 だから、この人とは気楽に話が出来るんだろうね……


「さてと……」


 ポーチから財布を取り出して伝票に書かれた分だけのお金をテーブルに置くと、椅子を静かに引いて席を立った。

 眠る渚紗をもう一度見てから、振り返る事なく入口へと歩いていく。

 そして、泰水の前を通り過ぎる直前。

 俺は、最後の宣言する。


「後処理は手はず通りに。零時までに、全て終わらせる」



 ◇



「はあ……」


 十階建てのマンション。

 その最上階の一室に帰り着いた俺は傘を傘立てに突き刺すと、扉に背を預けて大きなため息を、一つ零した。

 その脱力しきった状態で暫く目を瞑る。

 電気を付けていない部屋の中は真っ暗で、瞼の内側には完全な闇が広がっていた。


 制服のズボンからスマホを取り出して手探りでディスプレイの電源を入れると、片手でロックを解除する。

 そこに至ってようやく目を開け俺は、その画面の明るさに思わず目を細めた。


 電話帳を開くと、少ないリストの中から剛毅の番号を呼び出す。

 耳もとに近づけたスマホのスピーカーから、心地のいいコール音が聞こえてくる。

 果たして、ちょうど十回目のコールで音は止まった。


「よお、シュウ」


 いつも通りの呼びかけ。

 けれど、何気に一ヶ月ぶりぐらいに聞く剛毅の声は、俺の知っているそれよりも酷く疲れた感じを含んでいた。

 いや、でも、それも当たり前か。

 ああ見えても、上に立つ者としての責任についてはしっかりと理解している男なのだ。

 あの明るい性格で上手く隠していても、色々と気苦労はあるはずだろうし。


 それに、今は名古屋の街に(ゲート)が複数出来ているのだ。

 黛に任せるとはいえ、まだ未熟な指揮官のために裏から色々手を回す事も多いのだろう。


「久しぶりだね。けど今は時間がないから、悪いけど早く済ませたいんだ。黛から多少は聞いてるけど、それから進展はあった?」

「……そうだな。取り敢えず、最初は四つだった(ゲート)が今じゃ六個に増えてるぐらいだな。それとこれはまだ未確定の情報なんだが、どうやら脱獄されたらしい」

「それはまた面倒くさい事になってるね……」

「ああ、全くだ」


 ──脱獄。

 それは、未来の地球で徘徊する未来人(エインヘル)が、(ゲート)を潜って現代(こっち)に渡ってくる事を示す隠語。


 文明の滅んだ地球と、死して尚生き続ける地獄。

 まさに魂の牢獄と言ってもいい。

 脱獄とは、本当に言い得て妙だ。


「で、要件はそれだけか?」

「そんなまさか。お疲れの豪さんには悪いんだけど……」


 そう前置きをして、俺は剛毅へと今からの計画を伝える。


「……そうか。本当ならお前に脱獄した奴を殺って欲しかったんだが、それなら仕方がないな」

「まあだからそういう訳で、悪いけど頼むよ。零時には終わらせるからさ」

「まあ、最初からそういう契約だからな。っと、こっちも忙しいんだ。それじゃあな」

「ああ……」

「それと、やり過ぎんなよ……!」


 その忠告と共に、剛毅との通話が切れる。

 俺はスマホを持つ手をだらりと下げると、閉じていた目を開ける。


 リビングまで続く磨かれたフローリング。

 その手前にある寝室と、装備品をしまってあるクローゼットが並ぶ部屋。

 正面のリビングに続く扉は半開きになっている。

 その隙間からちらり顔を覗かせる窓からは、雨の振る名古屋の街が一望できた。


 どんよりとした灰色の雲が瞬き、部屋を一瞬だけ明るくする。

 そして数秒遅れて轟音が轟き、部屋の空気を震わせた。

 恐らく、このまま雨は止まないだろう。

 でも、それでいい。


「あの時と同じだな──」


 けれどその呟きは、再び瞬いた八月の雨へと、音もなく吸い込まれていった。


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