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#13 大地の鼓動 《前編》

 液晶テレビ、デスクトップPCにWi-Fiルーター。

 エアコンがあるのに意味もなく置かれている扇風機。

 床には無造作に広がる機器の無数の配線。

 黒や青色のバインダーが並ぶ棚に、本部まで直通の転移陣のある地下の小部屋。


 俺が今いるのは、実や菫と一緒に訪れたことのある、いつぞやの黛専用にカスタマイズされた──ただ片付いてないだけだけども──あの保険準備室。

 若干薬の匂いが漂う狭い部屋は、まだ昼間だというのにカーテンはしっかり閉じられていて、天井のLEDライトの白い光りだけが部屋を照らしていた。


 ベージュのカーテンの奥に隠された窓からは、昨日の夜から降り続いている雨の音が微かに聞こえてきている。

 まだそんなに強くはないけれど、夜には酷く降り出すような感じの雨であった。



 ──二週間。

 俺が春日部の地で菫と勝負し、そして無様に負けたあの日から、既にそれだけの時間が経っている。

 つまり、今はもうとっくに夏休み。


 けれどその夏休みが始まるまでの二週間、傷の療養とか情報収集などに努めていて学校には全く行っていなかった。


 そうつまり、当然俺は成績表を貰ってない訳で……


 だからそういう理由で成績を取りに来いとこうして黛に呼び出されたのだ。

 そうじゃなかったら、まず間違いなく自室でパソコンを弄って、夏休みという学生だけの時間を謳歌していた。

 というか、黛が大事な話があるから直接会って話がしたいとか言い出さなければそんな呼び出しさえも無視していだろう。


 大体、俺は基本的に引きこもりなのだ。

 日の光なんて体に毒。ディスプレイの光だけで十分。

 光合成でもなんでもして生きていけるさ。

 多分、きっとね……


 色んなハブが散らばる、部屋の片隅。

 そこに置かれる、書類や電子機器がインテリアとして散らばる円卓。

 黒スーツに白衣姿というモノクロの黛と、学校の制服を着た俺は、丁度向かい合うように座っていた。


 デスクトップとは別の、恐らく仕事用なのだろうノートPCのキーボードをリズム良く叩く黛の目の前で、俺は成績表に目を落としていた。


 十段階評価で九教科の平均評定は8.1。

 テストの成績は学年トップクラスでも、無断欠席にサボり、挙句の果てに提出物は絶対に出さないというフルコンボなので、まあこんなもんだろう。

 というか、よくこれでこの評定を貰えたものだと自分でも驚いている。


 はぁ……


 内心で大きなため息を付きながらテーブルの下で脚を組み直すと、ファイルに収められた成績表をテーブルに置いて視線を上げた。

 すると、丁度俺を見ていた黛と目が合う。


「…………」

「どうしたの……?」


 尋ねるが、反応はない。

 黛はキーボードを叩く手を止めたまま、何かを探るような目で無言でこっちを見ているだけ。

 暫くしてやっと目を逸らしてくれた黛だったが、それでもやっぱり俺の問いには答えない。

 テーブルに肘を付いて頬を手に乗せると、今度はすぐ隣の壁を無言で睨み始める始末。


「おーい……」


 一体何をしたいのだろうか、この女は……

 と思いながら、もう一度呼ぶと……

 何故かビクッと身体を震わせて再びこっちを見て、そして恐る恐ると言った感じでようやく口を開いた。


「な、何ですか?」

「いや、それを聞きたいのは俺の方なんだけど?」

「え?」

「はあ……」


 ああ、ダメだこれ……


 不思議そうな顔をする黛。

 真面目そうに見えて意外と抜けている所がある黛に、やれやれといった感じでため息を零す。


「ため息ばかりしていると、幸せが逃げますよ?」


 はあ……

 今の黛にそれを言われても、なんだか気が抜けるだけな気がする。

 それに……


「それなら別に問題ない。

 逃げてく幸せなんて、そんなの所詮まがい物でしかないから」

「それは……」

「まあ黛が言いたい事も分からなくはないよ。でもね、そんな偽りの幸せすら持つことが出来ない人間なんて、この世に腐るほどいるって事は忘れないで」

「……すみません」


 結局、そんな事を口に出来る時点でダメなのだ。

 それがもう、俺達のような地獄を見た人間を理解出来ていない証拠なのだ。

 でもそれは育った環境による所が大きいだろうし、特に日本で育った人間なら、黛に限らず誰でも一緒だと言うことくらい分かってる。


 もう五年もそんなのと付き合い続けてきていたから、割り切っているつもりだったけど……


 それでも俺は、そんな深刻な顔をしていたのだろうか?

 黛が本当に済まなそう顔で謝ってくるので、そんな事を考えてしまう。


 彼女はわざとらしい咳を一つ零すと、唐突に話を切り出した。


「それで、身体の方は大丈夫ですか?」

「まあ、知ってるのは当たり前か……」

「ええ、これでも責任者ですから」


 黛は両手を完全にキーボードから離すと、ノートPCをゆっくりと閉じる。

 そして、真剣な目で俺を見据えた。


「そうだったね」


 右手であばらの辺りに手を当てて傷の具合を確かめる仕草をすると、針が刺さった時のようなチクリとした痛みが奔る。


「骨は大分くっついたけどまだ全然だし、本調子とは行かないよ。ほとんど勘だったけどさ、それでもほぼ完全に防御は間に合ったと思ったんだけどね……。

 やっぱ、正攻法でやったら勝目無いよなぁ……」


 結果的に紋章陣を仕掛けられたから良かったけど。

 それでもあの時の自分を思い返すと、悲しいとか悔しいとかそんなのはとっくに通り越して、やっぱり呆れしか出て来ない。


 そんな感じで自嘲に浸っていると、黛が首を傾げた。


「かなりいい勝負だったと私は聞いていますが……?」

「まあ多分、実とか翔也とかあそこら辺から聞いたんだろうけど……

 それはやっぱり、素人から見たらあんな勝負でも凄いって言い出すでしょ」

「ああ、なるほど……」


 黛は、どこか演技じみた仕草で顎の下に指を持ってくる。


 実や翔也とかなんて、こっちの世界に来てから──ラグナスに覚醒してから、まだ数ヶ月しか経っていないのだ。

 そんな、まだ生まれたての小鹿状態の奴が見聞きした事をアテに出来るわけがない。

 それぐらい黛にも分かっているとは思うんだけど……


「いえ、それよりも。東君、あなたまだ怪我が治っていないのですか?」

「うん、そうだけど。なんで……?」

「なんでって。どの程度の傷かは知りませんが、もう二週間も経っているのですよ? 

 それほど酷い傷なのですか?

 いえ、まさか……診てもらって無いということは……」

「えっと……うん、まあそのまさかなんだけど」


 面倒くさくなってきたなぁ……

 なんて思いながら正面の黛を見ていると、その整った顔が次第に険しくなっていく。


「腕のいい治癒師を紹介しましょうか?」

「それは……」


 ──治癒師。

 それは、その名の通り傷を癒すことの出来る能力を持った能力者。


 切り傷に打撲、骨折。

 そんな外的要因にもたらされた怪我なら簡単に治すことが出来る。

 それに、他にも頭痛、腹痛、筋肉痛などなど。

 様々なものにも有効だ。


 身体に残った傷を癒す奇跡の力。

 ラグナスの、もっと言えば人類の歴史と密接に関係している能力故に、遥か昔から研究され続けているのは必然。

 故に治癒の方法は当然確立されている。

 治癒をメインの能力にしないラグナスも、応急処置や痛みの緩和などの簡単なものなら大抵は習得しているほど、その能力の恩恵は大きい。


 けれど勿論、そんな治癒にもデメリットは存在するし、それが治癒師の腕の優劣を決定付ける要因でもある。


「なあ黛、その治癒師って……」

「勿論、ガーディアン専属、というより私専属の治癒師です。悪徳な取引を私が持ちかけるように見えますか?」

「そういう意味じゃないんだけど……」


 ──レストランで出されるようなガラスの透明なコップ。


 目の前に置かれたその中には、丁度半分くらいの水が入っているとしよう。

 人間が怪我をする……

 というのは、簡単に言えばこの純粋な水に、真っ黒な墨を一滴落とすということだ。


 かすり傷なら一滴。

 骨折なら三滴。

 内臓が飛び散れば十滴。

 とまあ、そんな感じで垂らしていく。


 すると、コップの中に入っていた水──これは人間の生命力、ラグナと同義──は当然黒く濁る。

 一滴程度なら目立った変化はないかもしれないが、それでもそれが積み重なればやがては黒に近づいていく。

 そしてその全てが真っ黒に染まると、人間という器は壊れ、死ぬ。


 ただし、そのコップの中に元々入っていた水。

 それにはその黒を浄化する力があり、そしてこれが人間でいう自然治癒の力に当たると考えていい。


 そこで問題となるのが、自然治癒以外での回復──つまりラグナスが使う治癒術。

 これをそのコップと水の関係で例えるとするならば。

 治癒とは、元々半分しか水が入っていなかったコップに、術者のラグナを対象の器に新たに供給することで、自然治癒の効果を高める能力といえる。


 水の絶対量が増えれば、そこに存在する《黒》の占める割合は小さくなり、浄化効率も確実に良くなる。


 だがこれは即ち、術の対象者からすれば他者のラグナを自分の器に取り込むと言うこと。

 ラグナの元々の源泉は大地なためその本質は同じ。

 そう、同じなのだが……

 それを人間が取り込んで、自分に適したラグナへとその性質を若干変えてしまう以上、ラグナを他者へと流し込むというのは当然無理が生じる行為でもあるわけだ。


 そう、つまり──。


 自分のラグナを他人に供給するというその過程において、

 己のラグナを、その対象者の持つラグナの波長、性質にどれだけ近づけられるか、似せられるか。

 それこそが、治癒師の腕の優劣を決定付けているのだ 。


 勿論この他にも、多人数から治癒をかけられていた場合の祓魔の技術だったり、そもそもの前提として人体構造の知識だったりと重要な物は多岐に渡るが。


 黛が紹介すると言った治癒師。

 確かA級と言ったか。

 その上にはS級や更にその上の階級も存在するが、それでもその階級を持つというのは、世界基準に照らし合わせてもかなり優秀な部類に入るだろう。

 日本国内においても、そのレベルの術師は百人にも満たないかもしれない。


 因みに、このA級、S級の階級は、確か国際治癒師連盟──正確な名前は忘れた──という組織が発行していたような気がする。


「……はぁ。まあいいや」

「何がいいというのですか。今は東君の傷が治す方が先決だと思うのですが?」

「それが出来たら俺だったすぐ治してもらってるって……」


 そりゃ、いくらこれくらいの軽傷(・・)が慣れた物だと言っても、それでも痛いものは痛い。

 手っ取り早く治るならそれに越した事はないじゃないか。

 やれやれ、と頭を振ると、黛はむっとした表情を作る。


「確かにそれはそうですが……。なら、どうして?」

「だからさ、それを俺が言うと思ってる?」

「うっ……」

「ホント、もうちょっと頭使おうよ。ただでさえこれから忙しくなってくんだから、それぐらい自分で解決出来なきゃ豪さんの代わりなんて務まらないよ?」

「それは分かっていますが……」


 俺のそれに言葉を詰まらせた黛は、決まり悪そうに視線を逸らす。


 次の(ゲート)の出現。

 恐らくそれが黛のデビュー戦になるわけだが。

 剛毅は様子見も兼ねて黛に戦闘隊の指揮を委ねるだろう。


 勿論、剛毅は傍で見ていて非常事態には動くだろうが、それでも基本は黛一人。

 優秀な参謀がいたとしても、やはりそのプレッシャーは測りしれたものではない。

 俺なら絶対無理だと思う。

 黛の気持ちも考えずに、勢いに任せて自分勝手な事を言ってしまったかもしれない。


「……ごめん」

「いえ、私の方こそ。すみませんでした」


 それきり、会話は途切れた。

 暫くぼうっとしていたが、黛は再びパソコンを開くと作業を再開する。

 俺も頬杖をついて頭を支えながら、カーテンに遮られた窓の方を眺めていた。


 八月のジメジメとした空気に、今日の雨。

 帰って小説の続きを読みたいな……

 やはり、こういう日はずっと家の中で大人しくしていたい。まあ、晴れてても外には行きたくないんだけど。


 そこまで考えて、何故自分はこんな所まで来たのかを思い出す。

 俺は黛に呼び出されたのに、まだそれを聞いていない。


「ねぇ黛、本題に入ってよ。そろそろ家が恋しくなってきたかも」

「いい年をしてホームシックですか? まあでもそうですね、それでは……」



 ◇



 黛の要件は、二つあった。


 一つは、俺が菫に負けたあの事件後のクラスメート達の反応について。

 正直これはどうでも良かったのだが、黛がなんだか神妙な顔で話すもんだからそれを遮るのもちょっと出来なくて、一応一通りは聞いた。


 それでだ。

 クラスメート達の反応は大きく三つに分かれたみたいだった。

 一番多かったのが取り敢えず放置という奴ら。

 これは元々俺とそこまで親しくなかった人たちが大半で、クラスメートの半分、大体二〇人ぐらいがそれに属しているらしい。


 そして残りの二〇人。

 これは、今度もまた綺麗に半分に。

 明らかに俺を見下すグループと、実や翔也を筆頭とした俺の事を心配してくれているグループ。


 まあでも、これは正直そこまで重要な事ではない。

 あの時に例の紋章陣を描いてしまった時点で、もう後には引き返せなくなったのだから。

 夏休みが終わる頃には、もう全てが終わった後。

 夏那は眠りから覚め、春日部は没落、または滅亡。

 俺と夏那はかねてからの計画通り、海外に渡った後は夏那の身体の調子を見ながらゆっくりすればいい。


「あいつらは今日も道場?」

「そうだと思いますよ。あまり言いたくはありませんが、東君のあれがいい刺激になったのでしょう」


 という事らしい。

 責任者である黛は、俺の事も色々気にかけてくれているようだった。



 そして二つ目の要件。

 俺としてはこっちが重要。

 ガーディアンの調べでは、どうやら最近ここ一体の地脈の流れ──つまり大地を流れるラグナ──が不規則になってきているのだという。

 原因は不明。

 恐らくは春日部家があるあの霊山に何か異常が起きている……らしい。


 勿論、俺だって原因はさっぱり分からないさ。

 分かってるのは、近い内に(ゲート)が開くかもしれない事くらい。

 黛にも疑いの目を向けられていたから重ねて言ったが、知らないものは知らない。


 三百年前のあの激動の時代において、僅か一八という若さで春日部を継いだ神童。

 けれど、その存在を後に抹消されることとなる、狂った天才。

 そんな人間が残した最後の遺産を、俺如きが制御出来るわけがない。


 俺が欲しいのは春日部の秘宝。

 それが手に入れば、後は俺の知ったことではない。

 この地がどうなった所で、ね……



 ◇



 それから三十分。

 一体どれだけ溜め込んでいたのだろうか。

 俺は、黛から剛毅の下で働く部下がどれだけ大変なのか、という愚痴を延々と聞かされる羽目になった。

 PCのキーボートを軽快に叩きながらも赤い唇は滑らかに動き続け、止まる事なく延々と紡がれる剛毅の愚痴には、感嘆を通りこして呆れしか出てこない。


 あの真面目な黛がいくら俺だからと言っても、ここまでネチネチなるってことは……

 逆に考えれば、剛毅がそれだけサボっている訳であって。

 結論、俺が帰りたくても帰れないのは全部剛毅のせい。

 最終的に、俺の中ではそうなった。


 まあだけど、あんな奴でもやる時はやる。

 一応、その実力は日本のガーディアン内でもかなり上だと聞いた事があるし、それでなくても剛毅は日本の能力者なら一度は憧れた事があるくらいの凄い人でもあるのだ。


 自然(エレメント)系統、瞬間火力に秀でた【炎】を操り、その我流の剣術における渾身の一薙ぎは、周囲を炎の海に変え全てを焼き払う最強の矛──。


 なんて言う、大層大げさな語り種も広まってるくらいだし。

 それじゃなきゃ、あんな適当な人がガーディアンの戦闘班総隊長なんて役職を任される訳がない。


「ねぇ黛、俺帰りたいんだけど?」


 さっきから途切れる事のない黛の弾幕に、その言葉を無理やりねじ込んでみるが。


「──ダメです」

「ですよねー」


 キーボードを叩く手を止める事すらせずに、いつも通りの口調で迷わず即答。

 はぁ……

 なんでこんな……

 もういっその事、【幻影創造】を使ってでも……


 という脱出作戦が頭にふわりと思い浮かぶ。

 そして迷う事もなく、いいじゃんそれ! で完結。


 そうなればさっさと……


 ラグナを地面から汲み上げると、黛に気づかれないように──普通にやっても、黛程度には気づかれる事はないと思うんだけど、なんか気分的に──俺は自分に重なるように幻影を作り出す。

 そして黛の視線がPCに落ちたのを見計らって、座り心地の良い黒革の椅子から腰を浮かそうとした。


 けれどその時。

 書類と配線でごちゃごちゃの円卓が震えた。

 着信。

 きっと黛のだ。

 ……まあ、パッと見で、机の上にスマホは見当たらないから、どうせ書類の山の下敷きになってるぐらいだろうけど。


「ですからあの人には毎日同じことを──」


 未だ続く愚痴をそこまで言いかけて、黛はやっとそれに気が付く。

 黛は着信音を設定してないのか、スマホのバイブレーションの振動音だけが部屋に空しく響いていた。


「あれ、電話はどこに……」


 でもまあ案の定と言うべきか……

 やっぱり黛は、自分でも自分のスマホを見つけるのに苦労していた。

 ガサガサと机の上の書類を漁るがそれでも出てこない。

 更に黛の手が別の書類の山に触れてしまい、床へと一気にバサバサと落ちていく。


 はぁ……

 ほんと、どうしてこの人こんなに残念なんだろ……


 大きなため息を一つ。

 この一時間前後に限って言えば、俺のため息の原因のほとんどが黛にあるんじゃないだろうか……?

 もし黛が言うようにため息で幸せが逃げて行くのなら、俺はその分を黛に請求できるのかな……?


 請求……

 金、核晶(レクスタス)、貸し……くらいしか思いつかないけど。

 あとはなんだろう。


 俺は目の前に座る黛を見る。

 艶のある長い黒髪に、見る者を魅了する宝石のような透き通った輝きを宿す、黒の瞳。

 出来る大人の女性を思わせる、秘書然としたクールな表情を貼り付けた綺麗な顔立ち。

 全体的に細く、けれどそれでいて出る所はしっかり出ているグラマーな肢体。

 白衣の奥で密かに隠れる、でも隠れきれていない、スーツに締め付けられて一層強調されている大きな双丘。


 クールだけど気の強い美人教師。

 大人の女性だけが持ち得る艶な雰囲気。さらに今ここには俺達二人だけ。

 こんな状況で黛に求める物と言えば……


 身体……?


 って、流石にそれはまずいか。

 確かに、黛とは年は四つくらいしか違わないけど……

 ああもう、だめだめ……

 俺はそんな煩悩? を振り払うように頭を軽く振る。


 俺がそんな下らない事を考えている間も、黛はまだスマホを探している。

 なんかこのままだと(いろいろと)埒があかなそうなので、取り敢えず俺が書類の山に埋もれた黛のスマホを引っ張り出すと、向かいに座る黛へと差し出した。


「はいどーぞ。それと、豪さんどうこうの前に先ずここをどうにかしようね」

「うっ、それは……」


 俺の正論に言葉を詰まらせる黛は、目を逸らしながら一言だけお礼を言うと、スマホの画面をスワイプしてまるで逃げるかのように電話へと出た。


「黛です。何かありましか?」


 途端、黛は一瞬にして仕事モードに。

 さっきまでのあのだらけ具合が嘘のように、その声には緊張感が戻った。


「はい。そうですか、それで?」


 最初はそんな感じのやり取り。

 けれど、何かまずい事でもあったのだろうか?

 仕事モードで凛々しかった黛の表情は、電話が長引くに連れて次第に強張っていく。

 そして……


「なっ……! それは本当ですか!」


 黛は悲鳴にも似た驚きの叫びを狭い部屋に響かせると同時に、机の上に積み上げられた書類ごと跳ね飛ばす勢いで立ち上がった。

 黒革の結構高そうな椅子が後ろに勢いよく転がっていく。

 立ち上がった反動で机の上の書類の山が崩れ、ばさばさと音を立てながら床に散っていった。


「すみません。はい、それで現在はどうのような……?」


 けれど黛は、それに気を割く余裕すらない様子。

 スマホを耳に充てた、俺の後ろの壁を眺める黛の顔には、いつもの冷静で余裕そうな表情は無かった。

 冷や汗が頬を伝うそこには、代わりに恐怖や絶望の色がはっきりと映し出されている。


「はい、分かりました。ええ、私もすぐ行きます。

 それでは……はい。お願いします」


 たかが電話の一本、それも通話時間はたったの一分すらも無かっただろう。

 けれど、電話を切った途端スマホを持つ手をだらりと下げた黛の姿は、途方に暮れた雰囲気を醸し出していた。

 それは、今現在で進行している事態の深刻さを如実に示しているかの様。


 この黛の取り乱し様から、電話の話の大体の見当はつく。

 だとすれば、俺の方もいよいよか……


「すみません、東君」

「いいよ、別に。それで……(ゲート)が出たの?」

「えぇ。名古屋駅にドーム、それに春日部家の霊山付近。

 それ以外にも、今分かっているだけでも四つ以上が……」

「そう……」


 複数箇所での(ゲート)同時発生。

 確かにこれは、黛の初陣としてはかなり厳しい状況に思える。

 剛毅の性格を鑑みても恐らく手出しはしないだろうから、本当にこれは……


 でも俺にとっては……


 ビンゴ。完璧だった。

 (ゲート)に春日部。

 この単語の組み合わせは即ち、例の紋章陣が発動した証拠。

 少し前に黛の報告でもあったように、あの紋章陣が霊山の結界を破壊、そして辺りの地脈を狂わせているのだろう。

 そうでなければ、複数の場所で(ゲート)が開くという異常事態の説明が付かない。


 そうなれば……

 俺自信の体調は万全には程遠い状態だが、それは言うほど問題ではない。

 装備品はいつでもいいように整備はしてある。

 舞台は完璧に整った。


 だから後は、春日部へと乗り込むだけ。



 ──夏那、ようやくだよ。

 あと少しだから、待ってて……


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