#12 白い悪魔
アメリカ合衆国、ニューヨーク州。
そこに拠点を構えるのは、能力者統制、及び時空扉守護機関──通称、ガーディアン。
その組織は現在ニューヨークを総本部とし、ほぼ全ての国に支部を有している。
表の舞台には公表出来ない能力者関連の事件の処理、そして現代世界に発生した未来へと繋がる扉の監視、管理、守護を目的として設立された組織であるため、裏の世界では恐らく一番大きな組織と言えるだろう。
高さ二五〇メートル、地上七二階、地下二八階の全一〇〇階構造とアメリカ有数の巨大建築物である拠点は、その規模の大きさに見合わずその存在を知るものは世界的な割合で見ると限りなく少ない。
それは当然、一般人が知覚出来ないよう様々な細工が周囲には張り巡らされているからであり、また、まさに要塞と形容しても差し支えない程の強固なセキュリティに守られている、世界でも指折りの拠点でもあるためだった。
そんな高層ビルの地下二六階に位置する、窓の無い小さな会議室。
そこにはおよそ十一人の人間が、会議用の黒い円卓を囲むように高級そうな黒革の椅子に腰を下ろしていた。
部屋の天井に埋め込まれたLEDライトは灯っておらず、彼らの囲むテーブルの中央に浮かぶ橙赤をした光球の光りだけが部屋をぼんやりと照らす。
その奇妙な、けれどどこか温かみのある光りは、この地下という窮屈な空間を優しく包み、心のなしか広く感じさせてくれていた。
はぁ……
テーブルの上座に座る、燃えるような赤の髪を長く伸ばした女性──アルナーシャ・パンパリネは、その綺麗に整った顔に不機嫌という文字を貼りつけていた。
皺一つない真っ黒なスーツを身に纏う、綺麗には綺麗でも所々キツめのパーツを持つ美女。
しかし、アルナーシャのそのグラマーで妖艶な肢体からは想像もつかない程に、彼女が纏う風格は、歴戦の戦士、いや魔女のそれと言ってもいいものだった。
だが、それはこの円卓の前に座る九人の彼女の部下たちも同様。
テーブルを囲むのは人種も、性別も、年齢さえ違う者たち。
だが、彼らは皆世界トップクラスの実力を誇る強者であり、そして同時に、そのほとんどが人格破綻者というガーディアンでも厄介者と認めれらたはみ出し物の集団だった。
座り心地の良さそうな椅子に座る彼らの後ろには、その人物を世話し監視する責務を負った、ある意味では不幸な者達──監視者が、完璧に気配を殺して静かに控えている。
その全てが黒スーツを身に着けている。
この場に座る者たちには劣るもののガーディアン内ではかなり腕の立つ、しかしエリート街道から蹴落とされた女性達は、彼女らの主である者の背中を諦念にも似た瞳で眺めていた。
この場に用意された席は十二。
しかし、現在埋まっている席は十一。
アルナーシャの真向かいに位置する最後の一人のための席は、未だ空席のまま。
その事実が、いつも通りと分かって諦めていてもアルナーシャの内心を苛立たせ、不機嫌な表情を貼り付けた綺麗な顔を更に歪ませていた。
「たいちょー、あいつどうせ来ないんだから始めちゃいましょーよー」
そんな緩い感じの口調で言ったのは、長い水色の髪をツインテールで纏めた、中学生程の背丈しかない女の子だった。
その姿からは想像がつかないかもしれないが、彼女もアルナーシャの部下である能力者。
因みに年齢は、二四だ。
彼女はその身長には見合わない椅子の上に膝を着いてテーブルの上へと身を乗り出すと、綺麗な赤髪を携えたアルナーシャに向かって可愛らしく文句をぶつける。
しかし、アルナーシャは彼女を一瞥した後、何も言わずに視線を正面の空席の空間へと戻しただけだった。
そんな中、アルナーシャとは別にその女の言葉に重ねるように口を開く者がいた。
「パンパリネ隊長、会議に二十分も遅刻する者を待っていないで早く始めて下さい。
これは上官命令です」
上官命令──そう口にしたのは、アルナーシャの横に座るメガネをかけた若い女性。
黒のスーツをしっかりと着こなしたその女性は、部屋の隅で佇む出世戦争で敗北した監視者達とは違う、正真正銘のエリートだった。
だが、ここでその肩書きは無意味なもの。
アルナーシャは、今度もまた完全に無視を決め込んでいた。
先程アルナーシャに文句を言ったものの簡単に諦めた水色の女に対し、エリート上官は眉を引きつらせると隣に座るアルナーシャに向かって声を張り上げた。
「無視とはどういうつもりですか……!」
そんな怒声にも反応しないアルナーシャ。
「ったくうるせーんだよ、少し黙ってろよ」
するとそこに、椅子に腰を深く落ち着けながらテーブルに脚を乗せて、今まで無言でスマホをいじっていた金髪にピアスの青年が、画面から目だけを上げると、いらただし気に口を挟んだ。
「何ですか、監査官の私にその口の利き方は!」
「あ……?」
──死にたいか?
青年がその言葉を紡いだ直後、部屋に冗談では済まないような殺気の嵐が巻き起こる。
常人では卒倒レベルのそれを向けられたのは、自らを上官として敬うように言い放った女性。
「ッ──!」
そこそこ腕の立つ彼女は気絶することこそ無かったものの、その十分に抑えられた殺気ですらガタガタと身体を震す。
けれど、それでも金髪の青年を睨んでいた。
「ザス、上官に向かってそれはやめておけ」
すると、ようやくそれに見かねたアルナーシャは、金髪の青年──ザスへと視線を空席に固定したまま口を開いた。
アルナーシャのそれに、ザスは聞こえるように舌打ちをした後、そのまま何も言わずに再びスマホへと目を落とした。
「済まない、イリー監査官。もう少し待ってくれないか?」
「…………。いえ、ダメです。始めて下さい」
アルナーシャは、隣に座るイリーへと心にもない謝罪の言葉を口にするが、先程と同様の態度で突っぱねられる。
やれやれと頭を振るアルナーシャ。
それを見たイリーが再び口を開きかけたその時。
静かに、部屋の扉が開く。
そして、全身真っ白に染まった男が部屋へと入ってきた。
一六歳という史上最年少でこのガーディアン最強部隊に配属された少年は、配属から三年経った今でも未だ一九歳と成人していない。
男とは思えない程綺麗な銀髪に、純白のロングコート。
秀麗な顔立ちに一八〇センチ以上もある身長。
けれど筋肉などついていそうもない程に細く、長い手足。
そして、頭から提げられた両耳を覆う漆黒のヘッドホンと、その瞳を隠す黒鉄に輝くバイザー。
そんな上から下まで普通とは違う、明らかに記憶に残る姿をした少年。
だが──。
そう、だと言うのに……
アルナーシャやイリーを含めたその場にいる十一人全てが、その少年の存在をまるで空気のように感じていた。
それは必然であり、常時その身を戦場に置くことで物事を感性で捉えてしまう者ほど、そう感じてしまうものだ。
そうでないイリーにしてもそれなりの能力者であったため、その少年の存在の希薄さが異常だと気づいただろう。
その少年こそが、アルナーシャが見つめる先の、空席に座る人間。
バイザーによって完全に視界を塞がれているはずの少年は、まるで見えているかのように無言でその空席へ向かうと、自然な動作で椅子を引いてその柔らかいクッションへと身を沈めた。
それを見届けたアルナーシャは一度目を瞑り、大きく息を吐き出す。
そしてやっと、会議が始まる。
「さて、全員やっと揃ったな。それでは会議を始め……」
「──待って下さい」
そこに、アルナーシャの言葉を遮るようにイリーが口を挟んだ。
「なんでしょうか?」
「とぼけないで下さい。私達をここまで待たせた者に対してと厳罰が無いとはどういう事ですか……?
これでは隊の規律が乱れます……!
それに、あなたも……!
私達を二十分も待たせたというのに謝罪も無いのですか……?」
イリーはまずアルナーシャを、そして次に銀色の少年を順に睨む。
けれど、アルナーシャは表情を変えることなく言葉を放った。
「よく考えて下さい、イリー監査官。今会議を遅らせているのは誰でしょうか?
それと、もしこの場を早く終わらせたいのであれば、そのまま静かに黙っていて頂くのが一番の選択だと私は思いますが?」
そう、ここでいくら喚こうが失った時間は戻ってこない。
アルナーシャの反論のしようもない切り返しに、イリーは言葉を詰まらせる。
「そ、それは……! ですが、そもそも──」
イリーの口がその次の言葉を紡ごうとした刹那、それは起こった。
ぼんやりと照らされた部屋に、真っ赤な血飛沫が飛ぶ。
そしてイリーの右腕が、彼女の肩先からゆっくりと離れ、地球の重力に引かれ、床へと落ちる。
「あ、あぁぁ……」
イリーは何が起こったかも分からない様子で咄嗟に、無事な左腕でその落ちていく右腕を掴もうとする。
けれど、落下する右腕を追いかける左腕もまた、そのまま床へと落ちていった。
遅れてやってきた痛みによって歪んだイリーの顔は、彼女の席の正面に座る少年の瞳──否、少年の両目を覆うそのバイザーを捉え……
恐らく、イリーが最後に見たものはそれだっただろう。
なぜなら次の瞬間には──
イリーの首は宙を舞い、腕の失われた胴体は、椅子に腰掛けたまま後ろへと倒れていったのだから。
◇
「つい先程、依頼された七二人の抹殺が上に認められた。これで我々の任務は終了となる。ご苦労だった」
ガーディアンの最精鋭部隊──通称、クルーエル。
精鋭部隊と言ってもその構成員は人格破綻者ばかり、回されて来る仕事は殺しとトップシークレット級の依頼のみ。
それが、その俗称の由来である。
そんなクルーエルの隊長、アルナーシャ・パンパリネは、円卓を囲む彼女の部下達へと、端的な言葉と共に任務の終了を告げた。
この場に座る者たちは、ガーディアン総司令部直轄の部隊。
アルナーシャはその隊長。
しかし、司令部直轄と言っても、彼女とそことの間には監査官と呼ばれる仲介役がいる。
それは、意思疎通が大変困難な者達で構成された部隊との連絡を、円滑に、また彼らの特性を最大限活かすために設置された役職だ。
それは出世コースの最短の近道であるが、けれどそれと同時に、少しでも自分を見失えばそのまま真っ逆さまに落ちていき一瞬で肉片と成り果ててしまう、命綱無し、距離不明、成功率1%未満の摩天楼からの綱渡りと同じ道でもあった。
故に、彼らを前にして自らを彼ら以上の存在だと思い込んでしまった者が辿る末路は、いつも悲惨で、そして美しくない。
それは今回も同じ。
アルナーシャの隣には、両腕と頭が綺麗に切り離された胴体が座った椅子が、柔らかな絨毯の上に広がる血溜まりの上に沈んでいた。
つい数分前まで彼らクルーエルと総司令部とを繋ぐ監査官内の一人だった彼女。
切り離された腕はアルナーシャの足元に転がっている。
目を見開き驚いた表情のままの生首は、切断面から溢れ出す血で池を作りながら、円卓の中央に浮かぶ橙赤色の光球の真下に、悪趣味な燭台のように置かれていた。
「さてそれでは、次の任務の話に移ろう」
そう言って一度全体を見渡すと話を始めるが……
「既にお前たちの方にも指令の詳細は届いているだろう?
今回はそれについて、もう少し詳しい話をしておこうかと思っていたんだが……
今は気分が乗らんからな、解散だ。文句は受け付けん」
隊長とは思えないいい加減さでアルナーシャが告げる。
円卓の上で白目を剥いて全ての穴から血を垂れ流している生首を、アルナーシャは一瞥すると、スーツに抑え付けられた豊満な胸の下で細い腕を組み、目を閉じた。
途端、円卓に集められた者たちは部屋から出て行く。
ある者はその脚で。
またある者は、後ろに控える黒スーツの女性と共にその場から一瞬で。
そうして最後に、四人の人間と一つの死体が残った。
アルナーシャと、彼女の部下の内の一人。そして、各々に付く監視者だ。
「──どうした?」
暫く無言のままでいたアルナーシャは、中々その人物が出て行かない事に痺れを切らすと、静寂の中に言葉を投げ入れた。
しかし、反応は無い。
アルナーシャはまたため息を付きながら目を開けた。
まず視界に飛び込んできたのは、宙に浮いた生首。
そしてその更に向こう。
丁度アルナーシャの真向かいに座る、真っ白な少年。
その両耳は真っ黒なヘッドホンに隠されている。
先程の言葉は、彼へと届かなかったのだろうか……?
彼がアルナーシャの部隊に入ってきた三年前はよくそう思っていたが、聞こえていないという可能性は限りなくゼロに近い。
今までの彼とのコミュニケーションの中で、彼がアルナーシャの言葉を聞き逃した事はただの一度もないはずなのだから。
「用が無いなら、さっさと出て行け。私もそろそろ行かなくてはならない」
その少年にもう一度通告しながら、アルナーシャは、ふと思った。
五感の一つが失われた人間は、残された感覚機関が通常以上の働きをすると聞いた事がある。
即ちそれは能力者でも例外はないだろう。
いや、能力者だからこそその傾向は更に強くなるのではないだろうか──と。
なら目の前に座る……
視覚という人間の感覚機関の内、最も大切なもの失った、否、奪われたこの少年も……
そこまで思考が辿りついた所で、アルナーシャの視界に血飛沫が舞った。
見れば、円卓の中央に浮かぶ生首が何十枚もの紙切れのようにスライスされている。
それは先程、イリー監査官の身体を切り刻んだのと同じのような光景だった。
常人では吐き気を催してもおかしくないグロテスクな光景に、クルーエルの中でも比較的まともだと自負しているアルナーシャの赤い口元が、自然と釣り上がっていく。
だがそれこそ、彼女もクルーエルの構成員だと示す証拠でもあった。
「少し、気になる事がある」
綺麗に澄んだ声が部屋に広がり、アルナーシャの耳へと届く。
「ほぉ……」
アルナーシャは興味深そうな声を漏らしながら腕組みを解く。
背中を椅子の背もたれから浮かせると、円卓へと肘を付いて今度は顔の前でその細い手を組んだ。
「珍しいな、君がそんな事を言い出すとは……
それで……?」
銀色の少年はヘッドホンを着けたまま。
しかし、バイザーの奥に潜む光りの奪われた瞳はアルナーシャを捉えていた。
「次は、日本なのだろう……?」
「ああ、そうなるだろうな。まあ、まだ少し先の話なのだがな」
無表情な銀色の少年の顔を、アルナーシャは探るように見つめる。
それは当然の事。
彼が任務の事について事前にアルナーシャへと話をするのはこれが初めての事で、また、彼はそこまで任務に口を出す事もあまり無かったからだ。
アルナーシャのそれきり、再び空間は静寂に包まれる。
少年とアルナーシャの背後に控える監視官は空気のようにその存在を感じさせない。
対峙するのは、銀色の少年とアルナーシャだけ。
無言でアルナーシャの前に座る少年の姿はまるで、重大な何かを告げるべきか告げないべきかで迷う者の、彼に全く似つかわしくないそれだった。
けれど、ようやく彼は選択をしたようだった。
「同胞がいる……」
その少年の言葉は、何を聞かされようと冷静でいるつもりだったアルナーシャの心に、僅かだが波を起こした。
──同胞。
それは即ち、この世界に広く知られる、あの実験の生き残りの事。
そう、チルドレン・コードと呼ばれる、あの……
だが、彼の言う同胞は果たして誰の事だ……?
現在、世間で知られているチルドレン・コードの生き残りは……
今、アルナーシャの正面に座る銀色の少年、ガーディアンの白い悪魔──。
イギリスの聖女──。
そして、ドイツ最強の傭兵──。
その名を口にしても、銀色の少年は首を振るだけ。
だとすれば……
まだ世間で存在が知られていない、残りの二人。
「トップシークレットの……?」
その内の一人の情報は、世界最大のトップシークレットとして隠匿されていると言う。
アルナーシャでは、それを閲覧することは出来ない。
だが、またしても彼は首を振る。
「いや、ゼロの奴じゃない……」
「なら……」
最後の一人。
その者は、現在その存在が確認されているわけでも、トップシークレットとして隠されているわけでもない、正真正銘のブラックボックス。
その最後の生き残りの事は、チルドレン・コードの情報を多く提供してきた、その存在を公にした三人の生き残り達が、誰一人として語ろうとしない存在。
巷では様々な事が噂されているが、そのどれもが単なる憶測でしかない。
けれど……
それが今、アルナーシャの目の前で、白い悪魔──ジグザール・アネモスの口から紡がれる。
「ああ、そうだ……。最後の一人は──」
──日本にいる。
全部シュタゲが悪いんです……




