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#10 春日部の地 《前編》

 あれから一週間と少したった土曜日。

 課外授業を取っていない俺は、今日一日何もする事がなかった。

 まあゲートがいつ開くか分からないので気は抜けないのだけど、それでもこういう日は必ず夏那のところに行くことにしている。


「……夏那、またね」


 最上階の病室を後にし、エレベーターでエントランスまで下りると、回転式のガラス扉を開けて外へと出た。


「あっつ……」


 空調の効いた病院内から一歩出ると、べとっとした生暖かい空気が身体にまとわりつく。セミの鳴き声がこだまし、雲一つない青空から灼熱の光線が容赦なく降り注いでいた。

 綺麗に整備された林の中道に駆け込んで、何とか太陽光を回避。途中で大きな道路を挟むけど、そこさえ越えてしまえば駅までずっと日陰にいられるはずだろう。


 ラグナスがいくら常人離れしていると言っても、所詮は人間。

 いくら俺が絶対禁忌を使えると言っても、俺だってまだ人間を辞めるつもりはないし。


 ただし……ラグナを冷気に変換して周りの空気を冷やす事はなんかは可能だ。

 菫や渚紗あたりなら片手間に出来てしまうだろうし、少し練習すれば誰だって出来るようになる。

 炎や氷、風なんかの自然系統(エレメント)の鍛練方法は長い月日の中で確立されているため、ちょっとでも適性があれば最終的には身に付けられる。


 でも……俺には何故か氷に対してだけは、そのちょっとの適性すらないんだけども。

 まあでも、それが何千、何万分の一という確率で起こった事だとしても、実際今ここにそれが起こり得て仕舞っている以上、考えても時間の無駄にしかならない。

 それに、氷が使えないこと自体はさして問題ではないし、その他の自然系統の能力だって最低限しか扱えないのであんまり意味はない。


 また、前に黛と戦った時に出したあの光球は俺のもう一つの能力──【幻影創造】と、その実態の持たない()()()()に実態をもたらす反則級のアーティファクトがあってこそ出来たのだ。

 だから、あれが俺の実力だと勘違いしている黛にはあんまり知られたくない事だ。

 なぜって……?

 それはまあだって、この能力をあんな風に使うためには明確なイメージが必要であり、それは即ち、あらかじめ自分が規定してある事象ぐらいしか創り出せないという事。

 もしそれ以外を再現しようとするなら、見たことも聞いたこともない事を即興で再現する才能なんてない俺は、目の前で展開されている事象を模倣するぐらいしか方法はないのだから……


 因みに、自分自身の幻影を作り出すのもこの能力を使っている。

 それと、この能力はあの施設で開花したものではなくて、施設から逃げ出した後、普通の戦闘を上手く乗り切るために開発した能力だ。

 確かに【人体干渉】の能力は対人戦で無敵だけど、事を穏便に済ませるのにはあまり向いていなかったのだ……


 林道が一旦途切れ、再び灼熱の太陽の下にさらされる。


 それにしても暑過ぎる。

 早く駅まで行かないと本当に倒れてしまうかもしれない。


 内心でぶつぶつと文句を言いながら、ぴよぴよと鳴る信号が青になるのを、ポケットに手を突っ込みながら待つ。すぐ変わると思ったら意外と長い。

 これだったら林の日陰で待ってた方が良かった。

 そんな風にちょっと後悔していた時だった。


「シュウ先輩!」


 聞き慣れた小さな声が耳に届く。

 と同時に、ふわりと香る甘い匂いを乗せた涼しい風が辺りを覆い、一瞬にして空調を効かせたような空間へと変貌させた。

 火照った身体の芯に染みわたり、凄く気持ちがいい。


「渚紗ちゃん?」


 その変化を起こした張本人は勿論、可愛い後輩だった。

 俺の右側の横断歩道を小走りで渡ってくると、信号待ちをしている俺の横へと来た。


「おはようございます、先輩」

「ん、おはよ。これ渚紗ちゃん?」

「そうですけど。あの……余計でしたか?」

「ううん。ありがと、助かったよ」


 今日の渚紗は当然だが制服ではなく、初めて見る私服姿。

 フリルのついた七分袖の淡い青色のワンピースに、光りを浴びて綺麗に輝くまっすぐ伸ばした茶色の髪。そしてその上に、宝石のように輝く碧の髪飾りが何時も通りちょこんと乗っていた。

 そんな渚紗が嬉しそうに下から見上げてくるので、思わず頭を撫でてしまいたくなる。


 けどちょうどその時、いい感じのタイミングで信号の色が赤から青へと変わった。

 持ち上げかけていた右手を自然な動作で進行方向へと向け、こっち? と誤魔化すように渚紗で尋ねる。

 渚紗が小さく頷くのを確認してから、俺たちは歩き出した。


 暫くはたわいもない会話が続く。一昨日行われた文化祭の事や、もうすぐ来る夏休みのことが主な話題だった。

 そんな折、ふと、渚紗がこんな事を口にした。


「先輩もこれから来るんですよね?」

「ん?」


 どこに?

 と、尋ねようとした時……


「おーい、シュウに冬鏡さん!」


 林道を抜けた先にある駅のほうから、実の声が聞こえた。

 気が付けば、いつの間にか駅のすぐ近くまで来ていたのだ。

 俺たちの前方には電車の駅があり、その片隅の木陰では実のほか数十人のクラスメート達がたむろしていた。


 ああ、なるほど。

 こいつらは今から……


「シュウ先輩?」


 心配そうに見つめる渚紗に、何でもないと言うと、そのグループへと向かう。


「シュウは冬鏡さんと一緒に来てたみたいだし、やっと参加出来るんだ」


 まあ当然そうなるだろうとは思っていた。


 当たり前だが、俺は春日部家での練習を何かと理由をつけて休んでいた。

 だから、良かった良かったと頷きながら発せられた実のそれは多分、ここにいる人達全員の気持ちを代弁しただけなのかもしれない。

 その証拠に、実の言葉に促された数人のクラスメートが、どこか迷惑そうに俺を見ていた。


 さて、どうしものか。


 腕を組んで林の方を眺めながら、【人体干渉】を使わずにどうやってここから逃走しようかと、いつにもなく頭をフル稼働させていると、俺のカーディガンの裾をちょんちょんと渚紗が引っ張った。


「シュウ先輩って、もしかして違う流派だったりとかします?」


 振り返るとすぐ後ろにいた渚紗は、心配そうに尋ねてきた。

 それでも俺が答えに窮していると、渚紗はどこか得心したような顔でさらに言葉を重ねる。


「大丈夫です、先輩。

 春日部の道場は他の流派に寛容ですから、先輩が考えてる様な事にならないと思います」


 俺の袖を持ったまま、渚紗の真剣な眼差しが俺を見つめる。

 俺が乗り気じゃないのは流派同士のしがらみのせいだと渚紗は考えたのか。


「もしかしたら、新しい発見があるかもしれませんよ?」

「けど……」


 そういう問題じゃない。

 けれど渚紗はどうやら、俺が元々あの家の人間だって知らない様子だ。


 いやでも、考え方を変えてみれば……

 ある意味これは都合がいいかもしれない。


 俺は夏那との約束のためにも、一度あの屋敷の赴いてあの男と会わなければいけない。

 けれどそのためには、あそこの周りに張り巡らされている何百年という歴史を持つ結界を、何とかして突破する必要がある。

 まあ強引にぶっ壊すだけなら簡単な話ではあるのだけれども。

 それでも二、三時間時間は普通にかかるので、俺もどうしよかと考えていた所だった。


 だけど、今日のこれを利用すればそんな面倒くさいステップが省ける。

 結界内部に仕掛けをしとけば、外から結界に一人分の穴を空けさせるくらいは容易くなる。


 ただしそのリスクとして、今はこんな状況なのだから最悪の場合クラスメート達が俺の事を知ってしまうかもしれない。

 だけどそんなのどうでもいい。

 どうせ後数ヶ月なんだから……


「なら、ちょっと行ってみようかな。ありがと、渚紗ちゃん」


 見るからにしょんぼりとしていた小柄な少女は、俺の言葉に顔を綻ばせたあと、照れたように視線を逸らした。


「冬鏡さん、全員揃ったみたいだよ」

「あ、分かりました。それじゃあ行きましょうか」


 離れた所でクラスメート達と話していた実が再びこっちまで来て渚紗にそう告げると、他の連中も集まってきた。

 全体を見渡したあと渚紗が歩き出したので、俺たちはその後に続く。


「東君じゃないですか。今日はちゃんと来たんですね」

「たまたま後輩に捕まっただけなんだけどね」


 肩をすぼめるようにして苦笑いをすると、話しかけてきた相手を確認した。


 学級委員の木下 穂波。

 癖の入ったセミロングの髪を黒のシュシュで纏め、見てるだけでこっちも暑くなりそうな青のジャージを着ている。

 成績が良くてリーダーシップもあるんだけど頭がちょっと固い感じで、俺は正直苦手なタイプの人。


 そんな性格だからか当然サボりというのも許せならしく、彼女は俺にしっかり来いと何度も口うるさくしてきていた。

 まあでも、そんなのは柳に風と軽くかわしていたのだけど、向こうはやっぱり頭にきていたらしかった。


 性格は悪い人じゃないと思うからイジメとかして来ないけど、クラスにいると時々強烈な視線を感じることがあるのだ。

 結構可愛いんだけど、あの鋭い眼光のせいでクラスの男子からはちょっと敬遠されているみたい。

 勿論、例外はいるが。


「まあまあ穂波、そんなに睨むとせっかく来たシュウがまた帰っちゃうぞ?」

「…翔也は黙ってて」


 木下さんにそう言ったのは青原 翔也。実の部活仲間にして正真正銘のあのタラシ野郎、ついでにその例外がこいつだ。

 というか、あの真面目な木下さんをその毒牙で堕とした事があるらしいので、ある意味では凄いやつだ。


「なあ、シュウってラグナ使えるのか?」

「まあちょっとはね。菫に比べれば全然だけど」

「お前なあ……あの人は化け物揃いの春日部道場でも天才って言われてるんだからさ、そもそも比べる方が間違ってるんだって。

 俺も剣道にはそれなりに自信あったんだけど、あっさり叩きのめされたし……」


 その時の事を思い出したのか、翔也は悔しそうに顔をしかめた。

 でも、その表情の中にはどこか楽しげな感情が混じっており、それはまるで戦闘狂の知り合いがよく見せる嬉々とした、否、気持ちの悪い恍惚としたあの表情に似ているような気がした。


 もしそれが俺の勘違いじゃなかったら、翔也はきっと……

 マゾなんだろうなぁ……


 そんな事を翔也に告げると、翔也はまるで意味が分からないといった顔を俺に向けてくる。

 まあ今に分かるさ。


 それと、翔也は個人戦のインターハイに出た実績もあるので、普通の学生レベルならかなり強い部類に入るだろうが、菫にとってはそこら辺に転がっているちょっと綺麗な石ころ程度だろう。


 ラグナの鍛錬なんかはよくサボっていた菫だが、それでも剣の練習だけは毎日欠かさずやっていたから……


「シュウも一回春日部さんとなんでもいいから勝負してみれば分かるぜ、あの人の天才さ加減がさ。

 俺は悔しかったから、最近は家でちゃんとラグナの基礎練習やってるんだ。

 今はまだ身体強化だっけ? とか無理だけどさ、実が出来るんだから俺だって何とかなるだろ! って思って頑張ってるんだ」


 翔也は後ろ歩きで俺を見ながら、一気にまくしあげる。

 天賦の才ってのを見せつけられたのにも関わらずそうやって笑ってられるのは、翔也の凄い所なんだよな……

 ──いや、それよりも……


「実、身体強化出来るんだね」


 身体強化って簡単そうだけど意外と難しいので、覚醒してすぐの人間がそんな簡単に習得できるものではないのだが。


「菫に教えてもらってたらなんか出来ちゃったんだ……」


 隣を歩く実は、その時の練習を思い返すような遠い目をしながら、そう口にした。


 そういえば実は居残り特訓やっていたと、今さらながら思い出す。


 まあけれど、仮に出来たとしても、どうせまだ使いものになるまい。

 上達スピードは個人の才能に起因するが、最終的な熟練度で見れば、積み重ねてきた鍛錬や数々の戦闘経験がものを言うからのだから。


 さて、そんな話をしている内にとうとう着いてしまった。

 春日部の家というのは一応世間では、昔からある武道の道場という事になっている。

 そして春日部の屋敷は山の上にある。というか、春日部の敷地が今俺達の目の前にある山全部なのだ。

 初詣とかで行くような寺が建つ山や道とかが近いかもしれない。

 麓から中腹まで永遠と続く枯れ葉一つも落ちていない石階段、太陽の光りを遮るようにそれらに覆いかぶさる、蒼々と茂った木々のトンネル。

 風に揺られた枝から鳥達が飛び立ち、静かな森の中にその羽音を響かせていた。


「これ登るの疲れるんだよな、ほんと」

「僕も最初はそうだったけど、何百回もここを登らされれば流石に慣れるよ……」


 階段の一段目に足をかけた翔也が後ろを振り向くと、俺たちに向かってボヤく。


 するとこの中で俺を除いて唯一身体強化の使える実は、果てしなく続く階段の終わりを探るように見上げる。

 普通にその肉体をラグナで強化すると、何人もの門下生を泣かせた石階段に、翔也と並び立つように足をかけた。


 へぇ……

 たった今実が何気なく行ったそれに、俺は思わず感心してしまう。

 それは覚醒してまだ日の浅い人間ではまず出来ない、流れるような身体強化だったのだ。

 とそこで、さっき実が呟いた言葉が引っかかる。


「なあ実……」

「ん、どうしたのシュウ?」


 幅の狭い急な階段を勝手知ったるかのように登る実は、その横で額から汗を垂らしながらも頑張っている翔也や更に少しの上の方で悪戦苦闘している他のクラスメート達を尻目に、俺の呼びかけに爽やかな感じで振り返った。


 俺がいた頃、というより多分昔からだろうが、この階段は新人の門下生が最初にやらされる鍛錬メニューの一つ。

 まあけどそれは当たり前の事で、体力や脚力、ラグナの運搬、ついでに精神力など様々なものをこの鍛錬だけで鍛えられるのだ。

 そして、その事は当然菫も知っているだろうし、俺達も実際昔はやらされていた。


 つまり菫がもしも弟子をとったとしたら、まず最初にやらせることは……


「この階段、一往復どのくらいかかる?」

「うーん、どうだろう。よく覚えてないけど、多分二分ぐらいだったかな?

 菫が、目標は一分ね、とか言ってた記憶があるし」


 二分って、それはまた……


「実、意外と才能あるかもね」

「そうかな?」


 実が不思議そうに尋ねてくる所を見ると、その凄さが分かってないらしい。

 俺の中の基準だけど、この階段を二分で往復するには、この鍛錬を二週間ぐらいやらないと無理だ。

 それも、ほとんど一日中力尽きるまで。

 だからそれを考えれば元々一般人だった実はかなり凄い。流石、菫のお眼鏡に適っただけの事はある。

 あと因みに、この階段上りは転移を使う事以外は基本的に何でもありだ。

 二段飛ばし、三段飛ばしはまだ可愛いほうで、俺が五歳の時にやらされた時は、菫なんか十段飛ばしとかで文字通り飛ぶように駆け上がっていっていたのだ。


「なあシュウ、なんでお前もそんなに楽そうなんだよ。今日が初めてなんだろ?」


 そんな気楽な感じで話していると、既に息が上がっている翔也が恨めしそうにその愚痴を吐き出す。

 それは当然の疑問だけど、適当にはぐらかそう。


「まあ、色々あるんだよ。それよりもさ、来てる人少ないようだけど、今日はこれで全員なの?」

「えっとね、僕らはむしろ後発組って感じで、今日はもう朝からこっちに来てる人がいるみたいだよ。僕たちは基本的にみんな部活で行きたくても行けなかったんだ」

「へえ、みんなやる気あるな……」


 まあまだ最初だし、アニメやマンガの世界でしかあり得なかった事が現実に、しかも自分に起こっているのだから仕方ないかもしれない。


 ああでもそう言えば確か、将来は医者になるとかいって勉強してる奴はまったく来てないらしい。

 というか俺は、そいつを応援したいな。


 正直、実や翔也のように運動出来る奴以外の大半は来るだけ無駄だと思う。

 こっちの世界に来たら将来どうなるか分かったもんじゃないし、それだったらそいつ見たくこっちに関わらないでちゃんと将来を見据える方が何十倍も賢い選択だと俺は思う。


 学校の方も黛が色々手を回しているみたいだし、能力者育成機関に行きたくないと言えばなんとかしてくれるだろう。


「着いた……」


 と叫ぶ翔也のそれにそんな思考を中断する。言葉通り、もうすぐ階段が終わりを迎える所まで来ていた。

 先行していたクラスメート達は既に登りきっており、俺達が最後。

 最後の段を登りきると、そこはまさしく寺の境内のような場所だった。


 泊まり込みの門下生が寝起きをする木造の建物に、その正面までまっすぐ続く石畳の道と、真っ平らな茶色の土の地面。

 周りは木々に覆われており、正面の建物の裏からは威勢のいい掛け声が絶えず聞こえてきていた。


 十年ぶりに見るその変わらない景色は、記憶の片隅に仕舞いこまれていた色あせぼろぼろになっていた写真をほんの一瞬にして元の状態へと塗り替えると、俺の心に新たなものとして刻み込む。


「十年ぶりくらいかなかな」

「えっ?」

「なんでもないよ、行こう」


 目指す場所は、先ほどから煩いほど音を響かせている建物の裏側。

 クラスメート達の集団の後ろに俺らはくっつくと、渚紗に先導されるように屋外稽古場へと足を運んだ。

 建物の側面から回り込むようにして、すぐ隣が森の所を歩いていくと、次第に音が大きくなっていき、そして視界が開けた。


「相変わらず凄ぇ……」


 そこでは、そう隣で呟く翔也の声がかき消されるほど。

 軽く百人はいそうな門下生達が綺麗に並んで、全員が声を揃えて掛け声を発しながら、真剣な表情で素振りをしてた。


 寺じゃないから髪の毛はちゃんとあるし、黒の人もいれば茶色に染めてピアスを付けている人もいる。服装もジャージやらTシャツやらと、結構バラバラ。

 でも、その全員が汗に塗れながら真剣に鍛錬しているのは一目で分かる。


 膨大な数の木刀が空気を裂き、一振り舞に風を起こす。規則的な足捌きは平らな土の地面を薄く削り、そこにその一回の軌跡を刻んでいた。


 というか見れば、すぐ近くに先着組のクラスメート達も彼らを真似て素振りをしていた。

 どうしていいか分からずに暫く突っ立ってそれを眺めている俺達だったが、そこでようやくあいつが俺達の存在に気付いたようだった。


 奥の方で彼らの稽古を眺めていたのか、それとも自分も素振りをやっていたのかは分からないが、真面目に素振りをしている彼らの間を横断、もとい蹴散らしながら、まっすぐにこっちに向かって来る。


 俺達は集団の最後尾にいるので前の様子はあまり見えなかったが、俺はその菫の気配で、実は長年の勘でそれを察知しているようだった。


「実!」


 菫の良く通る声が境内に響き渡り、菫の突進の被害に遭っていなかった門下生達も素振りを止めるとこっちを見た。

 状況がよく飲み込めていないクラスメート達もその大きな声が聞こえるのと同時に、さっと横へと移動し、菫を通す道が出来る。

 そうして俺と菫は、およそ十年ぶりに、この春日部の敷地で対峙したのだった。


「あんた何でここに……」


 白の袴を身につけた菫はその場で立ち止まると、実の横に立つ俺を睨みつける。


「クラスメートと一緒に鍛錬しに来ただけだけど?」

「無能のあんたがそんな事したって無意味じゃないかしら?」

「そうかもね。でも、そうじゃないかもしれないよ?」


 俺の見え透いた挑発に菫は綺麗に整った眉を吊り上げると、左手に持つ木刀に手をかけた。


「実、そいつから離れなさい!

 こんなやつ、力づくで追い出してやるんだから!」

「どうしたの、菫?

 前からずっと思ってたけどさ、何でシュウをそんなに?

 従兄妹なんでしょ?」


 俺を庇うような言葉を発する実に対し、菫は静かに首を振った。


「違うのよ、実。

 いい? そいつはね……そいつはお父様を誑かした卑怯な女の子供なのよ!

 それなのにこれっぽっちの才能もない、春日部始まって以来最低の出来損ないなんだから!」


 菫の独白に、実だけでなくこの場にいる全員の視線が俺へと集まると、菫の後ろでこちらの様子を伺っていた門下生達が、その事実にざわつき始めた。

 きっとあの中には俺の事を知っている者、覚えてい者がいたんだろう。


 彼らの間では直ぐに俺の情報が流れ、その視線は興味から蔑みへと変わっていった。

 それでも俺は怯まず、表情を崩す事もせずにに菫の言葉を借りて更に重ねる。


「まあ……そうだね。正確には春日部現当主と愚かな侍女の間に生まれた子供。

 だから菫とは腹違いの姉弟ってことになるんだよね、姉さん(・・・)?」


 元々、妻の妊娠期間中でも欲求が収まらなかった現当主が、性欲解消のためだけに使っていた侍女を意図せずに孕ませてしまったために俺は産まれてきたのだ。

 だから、順番的に行けば菫が姉なのは当然だし、二人とも同じ年に生まれても不思議でもなんでもない。

 俺の口から飛び出た()という言葉に、菫は不快極まりないと言うかのように身体を大きく震わせた。


「やめて! あんたなんか……もう弟じゃないわ」

「そうだね。俺は春日部に十年前縁を切られたよ。

 でもさ、だからってここで俺を追い返すのは、春日部に傷をつけることになるんじゃないかな。俺がいるって分かっていながら、ガーディアンからの正式な依頼を受けたのはそっちだろう?

 それに、ここは他流派には寛容だって聞いたけどね」


 俺の言葉に、前の方でおろおろしてた渚紗がびくりとした。

 今のは流石にまずかっただろうか……

 もしかしたら、いやもしかしなくても、俺は自分で気づかない内に思った以上に興奮していたみたいだ。

 いつも以上に弁舌になっているのがその証拠。

 でもそれを自覚できた所でそう簡単に収まるわけがない。


「そんなの関係ないわ。あんたは無能で落ちこぼれなんだから、門前払いしたって何にも言われないのよ!」

「まあ確かにそれもそうだけどさ。それでもお前の一存で決めていいもじゃないと思うけどな?」


 春日部の庭園に入り込んだ爽やかな風が、対峙する俺と菫の間を駆け抜ける。

 今にも木刀を抜いて斬りかかってきそうな程怒気を纏う菫は、居合斬りをするかのように右手を木刀の柄に添え、何も言わずに俺を睨んでいた。

 何もないまま、数秒の時間が経つ。

 そしてようやく、菫が口を開いた。


「いいわ。それなら……」


 そう前置きをして、右手に持つ木刀を俺へと突きつける。


「私と戦いなさい、シュウ。勿論、剣でね。それでもし私を認めさせれば、お父様に掛け合ってあげてもいいわ」


 直後、今までひそひそと喋っていた後ろの門下生達の口が止まった。

 それほどまでに、菫がそう口にしたのは驚くべき事だったのだろうか?


「へぇ……」


 まあでも、そう来るか。

 予想はしていなかったけど、菫なら確かに言いそうな事だ。

 それに菫は、勝ったら、ではなく、認めさせれば、と言った。それはつまり、俺に負ける事を考えていないということ。


「そっか、ならやろうよ」

「そう。ちょっとは根性ついたみたいね。この十年でどれだけ変わったか、見てあげるわ」


 相変わらずの上から目線。でも……それは仕方がない。

 確かに菫の才能は凄まじいし、正直純粋な剣術では足元にも及ばないだろう。

 それでも……

 過去のトラウマを消し去るためにも、ここは絶対に引けない。


 それに、リスクを犯してまでここに来たのに、まだ目的を達成していないのだ。

 最低でも、この場に春日部現当主を呼びつけるまでは帰れない。帰れるわけがない。

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