星を並べて 9
輪がパネルを操作し、2度目の呼び鈴を鳴らした。ティーブは扉に耳を押しつけて、中の音を聞いていた。呼び出し音が壊れているのかもしれない。中からは、何の音もしなかった。
「どいていろ。力尽くで開けてやる」
ティーブはそう言うと、銃を構えた。
だがティーブが銃を構えたそのとき、大きな音が中から聞こえた。ばん、というような、どん、というような、何かの爆発音。何だ、と思う間もなく建物が揺れ出す。20階建ての建物が、ぐらぐらと揺れ出した。
「な……なんだ? どうした?」
ライオネルが焦って輪を抱きしめた。その横の壁が、びしっと音を立てて割ける。廊下の突き当たりの窓が、音を立てて砕け散った。
「退避しろ!!」
中に深雪がいるかもしれない。助けてやりたいが、全員を巻き込むわけにはいかなかった。ティーブは後ろで控えていたトレーナーに向けて叫ぶ。トレーナーはドガを抱え上げると、駆けだした。
「ティーブ!?」
ライオネルに抱き上げられた輪が叫ぶ。
「先に行け!!」
ティーブはそう叫ぶと彼らが逃げ出したのを確かめもせずに、砕けた扉の向こう側に飛び込んだ。
人の叫び声が聞こえた。深雪かと思ったが、声が違う。男の叫び声。そして、掠れた女の声。深雪の声はもっと高い。少女らしい、軽い声だ。
めきめきと音を立てて隆起する廊下を、飛ぶように進んだ。壁には亀裂がいくつも走り、天井がぼこっと音を立てて落ちてくる。エレベーターではなく、階段で逃げただろうか。あの重いドガを抱え、トレーナーは階段を下りられただろうか。
だが、逃げた彼らを気遣えたのはこの一瞬だけだった。
部屋の中に、深雪がいた。ずっと探していた子ども。何度も見た写真の、服装のままだった。
だがそうだと思わなければ気づかないほど、様相が変わっていた。汚れた服、ぼろぼろの体。部屋からは異様な臭いがした。血や、食べ物や、汚物の臭い。
深雪は部屋の中央で、四つん這いになって叫んでいた。獣のような咆吼を上げて、髪を逆立てていた。
部屋には他に、5人いた。こいつらが誘拐犯だろう。そして、殺人犯だ。深雪を恐れてか、飛び込んできたティーブにも気づかずに悲鳴を上げている。ひぃひぃ叫びながら、腰を抜かして這っていた。
多分、深雪だ。深雪が男の一人を宙に浮かせ、亀裂の走る壁に叩きつけた。男は失禁しながら、壁に顔をめり込ませる。流れる血が、白い壁を染めた。
這って逃げようとした女が天井に押しつけられた。そして床に叩きつけられる。もう一人の女は、ティーブを避けて向こうの部屋に飛んでいった。
二人の男は宙に浮き、それぞれにぶつかり合う。がんと音を立ててぶつかって、互いに血を流した。
深雪は壊れた目で、けらけら笑っていた。
ティーブは斜めになった部屋を走り、深雪を抱きしめた。立っていられず膝を付き、血や涙や涎や何かのソースでぐちゃぐちゃになった少女を抱きしめる。手や足が痣だらけで、思わず目を背けた。細い足にペンが突き刺さり、真っ黒の髪は血に濡れて固まっていた。
どん、と衝撃がきて部屋が一層傾く。壁を走る亀裂が天井にまで伸び、ぼこりと砕けた。大きな穴の向こうから、強風が吹き込んでくる。春まだ遠い、冬の暗い空が広がっていた。
「よく頑張ったな」
深雪がどういう仕打ちを受けたのか、この姿を見ればわかる。小さな顔は腫れ上がり、片目が開いていない。両手の指のいくつかが、あちこちに曲がっていた。左手首は黒く焦げて焼けていた。
精一杯戦ったんだと、深雪は全身で叫んでいた。
「もう大丈夫だ。大丈夫……お前は、勝ったんだ」
ぎしぎしと、音がしそうなほどゆっくりと、深雪は顔を向けた。瞼が腫れて半分閉じてしまった左目が、ティーブを捉える。
「俺がわかるか? 約束を守れなくて、悪かった。1ヶ月遅れだが、ケーキを食べよう」
深雪がゆっくりと首を振った。
「嫌か? 来年はちゃんと、当日に祝ってやる。だから今年のは、許してくれ。白でも茶色でも、でかいやつを買ってきてやる。それとも両方がいいか?」
深雪はじっとティーブを見ると、切れて腫れた唇を動かした。
「……もう、終わりだよ……」
「何が」
半分しか見えない深雪の黒い瞳には、ウィルと同じ諦めの色が浮かんでいた。
「あたし……アシスに、行くよ」
深雪は、ぽつりとそう呟いた。
「どうしてお前がアシスに行かなきゃならない? お前は何も、罪を犯していない」
深雪は真意を探るように、ティーブの目を覗き込んだ。
「定期連絡のことを気にしているんだろう? 大丈夫だ。ウィルが上手く誤魔化してくれたし、いまは、うちの課長が便宜を図ってくれるよう働きかけた。だからお前が定期連絡を怠ったとしても、罪にはならない」
深雪は驚いたように体を強張らせた。無理もない。ディセに押しつけられた規則の多くは、絶対不可侵なものばかりだ。融通や便宜という言葉はどこにもない。深雪のように、体の自由を奪われた状態に陥っても尚、決められた期間までに連絡を入れなければその者は、規則違反として罪に落ちる。
惑星メイル首都オータ総合警視本部第1捜査課長マサ・ク・ヒライが動いたところで、その規則は動かせない。ヒライ課長はその上の、部長を動かした。そして部長はそのまた上の、警視長官を動かしたのだ。
それでも規則は規則だと、RSP運営委員会ははねつける。警視長官は何人もの議員を動かし、それでようやく規則は150年振りに書き換えられた。
RSP捜査官は決められた期間までに連絡を入れなければならない。『但し』長期間に渡り心身の自由を他者に奪われた場合を除く。
この一文で、深雪が罪に落ちることはなかった。
「そうかぁ……でも、一緒だよ。だって……」
深雪はゆっくりと部屋を見渡した。力はもう止まっているのだろう。建物は嫌な軋み音を立ててはいたが、静かになっていた。
「俺が見たところ、この建物は結構な時間が経っている。だから、これは、老朽化が原因だ」
5人の犯人たちは、呻き声を上げながら蹲っていた。
「……ろ、ろうきゅう……?」
「老朽化だ。建物が古すぎて、自然に壊れたんだ。あいつらは、それに巻き込まれた」
「……そんなんで、大丈夫なの?」
「問題ない。それが真実だ。なぜならば……」
ティーブは黒く焦げた深雪の左手をとると、その細い手首に銀色の輪を嵌めた。
「お前には手錠がついている。念動力なぞ使えない。このビルに、他にディセもいないだろう。だから、こいつは勝手に崩れたんだ」
ティーブはそう言い切ったが、深雪は訝しげに窺っていた。
このビルにはもう誰も住めないだろうが、崩壊だけは免れていた。ティーブは深雪を抱き上げて、半分崩れた階段を下りていく。僅かに暮らしていた住民も無事に逃げたのか、周囲には誰もいなかった。
犯人らしき5人を残してきたが、問題はない。エレベーターなぞ使い物にならないだろうし、階段はここだけだ。12階のあの部屋から飛び降りたりしなければ、常人の奴らに逃げ道はない。
足下に気をつけながら、階段を下りていく。時折、きし、と嫌な音をさせる以外は、静かだった。ティーブの足音だけが響く。
深雪は抱かれたまま、うつらうつらとしていた。見た目だけの怪我ならいいのだが。頭の血が気になる。内部を損傷していなければいいのだが。
ティーブが覗き込むと、腫れ上がった顔で深雪はうっすら笑って言った。
「あのね、ケーキね、白いのがいいよ」
「よし、白だな」
「イチゴのやつがいい」
「箱から転がり出るくらい、どさどさ載せたやつにしよう」
金さえ出せば大丈夫だろう。ケーキ屋が嫌だと言ったら、別に買ったイチゴを載せればいい。
「歌……」
「俺に歌まで歌わせる気か?」
「違うよぉ」
ティーブと歌が全く合わないのだろう。深雪は苦しそうに咽せながら笑った。
「歌がね、何だったのかなぁて。あたしね、ずっと考えていたんだよ」
「歌か?」
「星の子で歌ってた、バースデーソング。あたし、忘れちゃったんだよね……」
寝言のようにそう呟くと、深雪は気を失った。




