消えてしまった子 5
「車だとしても、公共車両ではないわよね……」
「あの辺りは、ゴーストタウン化しているからな。10年前なら結構賑やかなビジネス街だったらしいが、いまじゃどのビルも入居者は2割ということだ」
オータは街の移り変わりが早い。再開発から乗り遅れた場所は放置されることも多く、それが治安の悪化にも繋がっていた。
「本当はあのビルの、どこかにいるんじゃないのか?」
ライオネルの言葉を、輪が首を振って否定した。
「それはないでしょうね。私も少し調べてみたけれど、ドガの嗅覚は本当に高いものよ。あの地点であのドガがいないと判断したということは少なくとも、あのビル街にはいないと言えるわ」
2人の話を聞きながら、ティーブはじっと地図を見た。
どれほど技術が発達しようとも、地図は紙で見るのが一番見やすいとティーブは思う。深雪が滞在していたホテルから消息を絶ったビル街まで、一枚の紙に収まった地図を見る。
一本の道。この道を、深雪はずっと歩いた。華奢な体で大きな箱を持って、この道を歩いたのだ。
深雪が歩いた道は、人しか歩かない道から、車が走れる道に変わっていた。
オータの街中は、他の惑星の主要国と同じく、車の乗り入れが禁じられている。車は人の上高くに設置された、専用のレーンを走る。
だが街中を少し過ぎれば、大通りなら乗り入れが許される。もっと郊外に行けば、地上のどこの道でも走れる。
深雪が歩き続けた道も、途中から車の乗り入れが許されるようになっていた。地図上でも色が変わって、その場所を教えている。
ティーブはその道を、じっと目で追う。
深雪が車に乗ったということは、車はこの大通りを走ってきたということだ。ビル街の路地は狭く、車が通ることはできない。白い箱が見つかった場所から左右併せて2キロ。この区間は、直線の大通りしか車は走れない。
ティーブはもう一枚の紙を、地図に載せた。
薄い紙に書かれたそれは、監視カメラの位置を記している。カメラの位置だけを強調し、残りを簡略化して記したその地図を重ねて置いた。
やはり、大通りに向かってカメラがある。特に、車の乗り入れが許される箇所に集中していた。事件ばかりでなく、事故に備えて設置したのだろう。元はビジネス街。商業車の乗り入れも多かったはずだ。
深雪が歩いてきた位置から反対側、自動走行区間に入っていく交差点の辺りにも集中していた。
「このカメラの映像を追えないか」
ティーブが地図上を指で示すと、輪とライオネルは説明を聞かずに頷いた。
「確かに……車は写るわね。中央線にもカメラがある。これなら車の行き来を全て、把握できるはずよ」
「……そうだな。……だが、時間はどうする?」
ティーブは一瞬考えて、そして言った。
「紫野の姿をカメラが捉えたのは18時55分だったな。ならその前1時間から、その後……2時間でどうだ。だが、18時55分より先に進入して出て行った車は省いていいだろう」
「合計で3時間か……この大通りは結構、車の行き来が激しいよ?」
ライオネルの言わんとしていることはわかる。ドガを借りての捜索中、通行規制を敷いたために、その前後で大渋滞が起きたと苦情を受けた。迂回路は一車線で狭く、普段からこの道に車が集中しているのだろう。
「全ての車の持ち主を洗い出し、動向を探る。……地道にやれば、いつかは終わる。だが、ぐずぐずしている時間はないぞ」
言い終わる前にティーブは立ち上がり、捜査室を出て行った。このまま交通局へ向かい、映像の提出を求めるために。
3時間で区切った映像から、車の持ち主をリストアップする。全ての車体にはチップが埋め込まれ、防犯カメラは映像記録と共にチップに書き込まれた情報をも読み取っている。
機械が、約1万2千台の持ち主をリストアップしたのは、それから1時間後であった。
「いちまんにせん……」
その数にライオネルが天を仰いだ。輪がその横で、液晶パネルを操作する。1万2千人の情報が、細い指に操られ流れていく。
「全てを調べる必要はない。映像記録を見れば、ある程度は削除できる」
「まず、女性のお年寄りがひとりで乗っているものは削除しましょ。若くても、女性1人のものもいいんじゃないの?」
「……そうだな。深雪ちゃんがいくら小柄でも、おばあさんや女性1人では担ぎ上げられないよな」
「いや、ばあさんはともかく、女ひとりのものは残しておこう。……輪なら、紫野を担ぎ上げられるだろ?」
ティーブがそう言えば、輪は一瞬考えてから頷いた。
「そうね。私なら、あの子ひとりくらい運べると思うわ。20メートルくらいなら大丈夫よ」
鍛えている輪の体には、筋肉がしっかりと付いている。彼女なら40、50キロを担いで運ぶことはできるだろう。
だがもちろん、普通の女には無理だ。しかし輪自身、細身で力などないように見える。女は見た目ではわからない。女を一律に排除する危険をティーブは考えた。
「ということは、省けるのはおばあさんだけかぁ」
「いや、もうひとつ省ける条件がある。時間だ」
「時間?」
「カメラは、ここからここまでに設置されていたものを使った。紫野の足取りが消えたのは、この地点。小柄とはいえ人1人、車に押し込むのに要する時間はどれほどだ? もし紫野が自分から乗り込んでいたとしても、1秒や2秒では難しい」
「……確かに。ああ、そうだな。確かにそうだ。そうか……計算すればいいんだ」
「どういうこと?」
「ここからここまで約2キロ。映像を解析すれば、車の速度がわかる。つまり、速度何キロで進入し、何キロで出て行ったのかがわかるんだ。どの車が、走りきるのにどれほどの時間を要したのか、計算すればいい」
「区間は2キロだ。脇道から入ってくる車もいない。沿道は、入居者がほとんどいないオフィスビル。この道はただ、走り抜けるだけの車が多い」
「そうか……走り抜けるこの道を、走り抜けていない車が怪しいのね」
「そういうことだ。ライオネル、頼むぞ」
ティーブがぽんと肩を叩けば、ライオネルはにかっと笑って頷いた。
「任してくれ。30分もあればシステムを作ってやる」
ライオネルはその宣言通り、30分後にはシステムを作り上げた。これで1万2千の車はあっという間に、2キロの道を走り抜けた時間を明らかにされた。
「……便利ね、これ」
輪が感心すると、ライオネルはまんざらでもないように笑う。
「別の事件でも使えるだろう。後で、課長に報告しておこう。ライオネル、データを揃えておいてくれ」
多くの車はこの道を、1分から3分で抜けていた。速度違反も甚だしいが、今回に限り助かった。1分で2キロの道を走り抜ける車に、深雪が飛び乗れたはずがない。
1万2千台のうち、5分以上を要したのが約1千3百台。10分以上を要したのは、約百台となっていた。
「この1千3百台、該当する車のデータは?」
「チップの解析と併せてデータを出すようにシステムを組んだから……ほら、これだよ」
ライオネルが太い指で液晶パネルを2、3回叩くと内容が変わり、1千3百台の所有者情報が出てきた。
「で、ついでに……こうやると……進入時の映像も出るんだ」
出てきた映像に、ティーブも輪も感嘆の声を上げる。映像処理もしたのか、運転手の顔がはっきりと写っていたのだ。
ライオネルの手柄で1万2千台の車があっという間に、42台に絞られた。
2キロの道を、5分以上かけて走る車の多くは、老人が運転する車だった。時速100キロ以上で走り抜ける車たちの中で、お年寄りたちはびくびくと運転していたのだろう。
慎重に速度を落とした車を省き、不自然に遅い車をリストアップした。
42台の車の行き先を追う。この大通りを抜けた先はどちらも、自動走行区間に入る。
自動走行区間を走る車は全て、その動き先が記録されていた。どの区域から入り、どこで出たのか。少なくとも5年間は、記録が保存されているのだ。映像記録ではないが、それで十分だった。
自動走行区間のデータを洗うと同時に、所有者情報も調べる。
惑星メイルで車を購入できる者は15才以上となるが、犯罪歴がない者に限られるという条件があった。そのため前歴者は、個人から闇で買うことになる。
通常の値段より高く買う前歴者のために、100台を超える車の所有者になっている者もいるくらいだ。
惑星メイル首都オータで、車の所有者リストほど役に立たないものはない。そんなことは重々承知だが、所有者を調べなくていい理由にはならない。
42台の車のうち、同一人物が所有する車が11台。
惑星メイルの法律では、個々人での車の売買を禁じてはいない。だが、売り渡した車が犯罪に使用されたとなれば、話は別だ。その場合、売った側も罪を負うことになる。
ティーブは今回判明した複数台の車を所有する人物の情報を、地域課へと渡した。このうちのどれかが犯罪に使用されたと確定すれば、小銭を稼いだこの人物も罰を受けるように。
42台の車のうち、所有者と使用者が一致するものが12台。まずはこの、12人の所有者に接触した。だがさすがに所有者と使用者が一致する車だ。どの者も怪しいところは全くなく、通過時間を要した理由がはっきりとしていた。
その多くの理由が営業である。オフィスビルに僅かに残る企業を相手に商売をしている者たちばかりで、路上駐車で商品を卸しただけだった。
ついでにと、怪しい人物か車は見なかったかと訊ねた。10代の少女を見かけはしなかったかと。
その結果、どの者も同じことを言って、ティーブの肝を冷えさせた。
つまりは、ゴーストタウンと化したオフィスビルにはここ数年、怪しい者たちが屯しているという。
麻薬、武器、人身売買。ありとあらゆるものが売買され、そのような場所に10代少女が1人で歩いていて、無事でいられるはずがないと言うのだ。
僅かに残った企業も全て、大通りに面した入り口を持つビルに集中している。それ以外の、たとえば路地に面した入り口しか持たないビルには誰も入居者はいない。
界隈に残った企業は全て業績が悪く、移動したくてもできないという事情を抱えていた。だがそれでも自衛のために、大通りに面したビルには移っていたのだ。
それほどまでに治安が悪く、大通りを一歩でも中に入れば何が起きるかわからない。
そのような場所で姿を消して、今日で22日目。
深雪がいまも無事な姿でいるのかどうか。ティーブは、冷たい手に心臓を鷲掴みされたかのように感じた。




