消えてしまった子 4
「誕生日当日の動きは、ここで途切れているわ」
輪が確認した映像の時間は、18時55分となっていた。現在の時間は19時半。周囲の様子はあまり変わらないだろう。
「暗いな……」
街灯に明かりはなく、ビルから漏れる明かりだけだ。だがこの辺りのビルは再開発に乗り遅れたのか、利用者は少ないと見えた。
ざっと見たところオフィスビルばかりだが、入居者を表す掲示の明かりが出ていないビルも多い。終業で社員が帰宅しビルが暗いのではなく、元から入居者がいないのだ。
「こんなに暗い場所で、何をしていたのかしら……」
歩道に接する車道は車の行き来が激しい。この歩道がこれほど広くなければ、恐怖を感じるほどだ。
だが歩道が広いだけに、暗さを感じた。かつては明かりが灯っていたのか、ただのオブジェと化した街灯が立っている。
映像には、何もおかしなところはなかった。ただ、寒々しい服装の少女がひとり、大きな箱を抱えて歩いているだけで。
ティーブは深雪が歩いていった先に足を向けた。あの後深雪は、どこまで歩いていったのだろうと思いながら。
手にした明かりをビルの壁や歩道に向けながら、注意深く歩く。輪やライオネルも続いた。
かつてはオフィスビル街として賑わったのだろう。この辺りは歩道だけではなく、車道も広かった。車が行き交う車道は何車線もあり、どちらのビルからのカメラにも車道の映像は残らないかもしれない。
「……! ティーブ、これ」
輪に呼び止められ、振り返る。接近するビル同士のせいで、見落としそうなほど狭い路地がそこにはあった。
輪が照らす輪の中を確認し、ティーブも息を飲んだ。ぐしゃぐしゃになった白い箱が、ぽつんと佇んでいた。
思わず駆け寄ろうとしたティーブの肩を、ライオネルががっしりと掴む。
「何か、出るかもしれない」
呟かれ、そうだなと頷く。深雪の指紋や、他の者の指紋や、或いは、血痕が。ティーブは頷き、鑑識局に連絡を入れた。
ケーキの箱からは、深雪の指紋と店員の指紋、そして食い散らかしたのだろう犬の体液が検出された。
大きな箱を抱えて何時間も歩き、暗く寒い路地裏でひとり、誕生日を祝ったのだろうか。沈痛な面持ちで3人の刑事は黙り込む。
めぼしい物は何も見つからなかった箱。だが潰れたその白い箱が、深雪の心情を静かに物語っていた。
「自分の意志で、いなくなったのかしら……」
輪がぽつりと呟いた内容に、そうなのだろうかとティーブも考えた。
いや、だが、それでも20日以上、姿を消すには理由が軽い。定期連絡を絶てば即アシス送り。
衛星アシス。それは、深雪が何よりも恐れる場所ではないのか。
「……違う。あいつは絶対に、自分の意志でいなくなったわけじゃない」
ティーブはそう言い切った。
自分に、言い聞かせた。
10代の行方不明は、それでなくても事件になりにくい。ただの家出人なら刑事は動かない。制服警官がお遊び程度に調べるくらいだ。それほどまでに、首都オータで10代の家出人は多いのだ。
深雪の行方不明と、RSP捜査官殺人事件は同一であると、現場の刑事が強く訴えることが重要だった。
同じであってくれるなと願いながら、同じだと報告を上げる。相矛盾する事柄だが、そうしなければ深雪の行方をティーブたちが追うことはできないのだ。
ヒライ課長はこれだけの物証で、深雪の行方不明を事件性ありと判断した。そうして、RSP本部に自ら連絡を入れる。次回の定期連絡ができなかったとしても、罪とはならないように取りはからってくれたのだ。
鑑識局からドガを一頭借り、深雪の足取りを追う。
ケーキの箱が見つかった辺りから始める。鑑識局に所属するトレーナーがドガに命令を出した。
深雪の制服を長い鼻で嗅ぎ、そしてドガは周囲を捜索し始めた。
ティーブたちは少し離れて様子を窺う。
ドガの長い鼻がふよふよと空中を漂い、のっそりと動き出した。眠そうな目でぼーとしているように見えるのだが、知能は高いのだとトレーナーは力説する。
毛のない黄色の肌に、赤い斑がまだらに散る体。真っ黒の爪に、白い足首。鼻先は真っ赤で、お世辞にも可愛いとは言えない。座高はティーブの膝ぐらいまでなのだが、鼻がとにかく長く、伸ばせばティーブの頭にも届きそうだった。
長い鼻を、ふよふよふよふよ浮かせながら、のっそりのっそりと歩いていく。そして、何度も止まる。歩いているより止まっている方が長く、思わず後ろから尻を蹴飛ばしてやりたくなった。
苛々としながら様子を見守る。
ドガは小1時間をかけて広い歩道を横切り車道にまで出てくると、そこで歩みを止めた。そして、空中を漂わせていた長い鼻を一方向へ向け、一歩も動かなくなった。
「どうやらここで、臭いの質が変わったようです」
それは白い箱が見つかった場所から、直線距離で20メートルほどの所だった。
「……質?」
「はい。多分、車に乗ったのだと思います」
そう言ってトレーナーは自分を指さした。
「こうやって何も遮るものがなく臭いを残した場合と、車などある程度遮蔽できるものに囲まれて臭いを残した場合では、臭いの質が違うようなのです。これは、そういうときの合図なのです」
「……そんなことまでわかるの?」
「はい。経過後1ヶ月くらいなら、ドガは正確に臭いを嗅ぎ分けます。とくにこの子は優秀で……」
トレーナーは目尻を下げ、不気味にしか見えない動物の、のっぺりとした頭を撫でた。
「この子がこういう仕草をしたということは、この場からある程度密閉できる物に入ったということです」
「車なら、可能性として高いということなのね?」
「はい。ここから車に乗って、あちらの方向へ行ったのでしょう。ドガは、半径5キロまでは臭いを嗅ぎつけます。この子がこの場にじっとしているということは、ここから随分と先にまで臭いが続いているということです」
申し訳なさそうに言うトレーナーの手を、ドガが長い鼻で触れた。
どのような容姿の動物でも、世話をしていれば可愛くなる。そして、愛情を持って世話をしていれば、どんな動物でも懐く。1人と一匹の絆を見たような気がした。
しかし、麗しい絆はともかくとして、深雪の足取りは20メートル進んだだけでまた途切れてしまったのだ。




