約束 1
ホットドックを、もそもそと食べる子供を見下ろす。俺はこんなところで何をしているんだと思いながら。
ようやく奪い取った貴重な1日。この1日を深雪のために使うことを、ティーブはそれでも後悔はしていなかった。
深雪が修学旅行に行けなかったという話は、ライオネルや輪から聞いた。今回だけではなく、中等部のときも、小学部のときも行けなかったらしいとも。
遠足や体育祭。そういう、普通の子供が当たり前に過ごす学校行事の多くを、この子は経験せずに成長したのではないのか。
親のいない子供だから、普通の子供が普通に遊ぶ、そういう場所にも行ったことがないのではないのか。
ティーブは一人っ子で、仲の良い両親に大事に育てられた。動物園や遊園地、水族館。園と付く場所と、館と付く場所にはよく連れて行かれた。
深雪は一度でも、行ったことがあるのだろうか。
ずっと気掛かりだったそれを、昨日の夕食時に聞き出した。案の定、どこにも行ったことがないという。
薄々察していたことだが、本当に行ったことがないと知り、居ても立ってもいられなくなった。
自分には関係ないとわかっているのに何故か、放っておけなくなったのだ。
その場で輪に連絡し、明日の休みを強引にとった。第7係第3班は昨日の午後から、新しい事件を担当している。だが、1日を、休む。
輪は少し考える素振りを見せて、そして言った。風邪ね。その一言で、ティーブは今日一日風邪をひいていることになった。
輪はあらゆることをそつなくこなす、お堅い優等生に見える。だが彼女は、とても融通の利く性格だった。
輪にとって許せないことは情に反することで、規律に反することではない。一見いい加減に見えるライオネルの方が、融通は利かない。生真面目で、規律に反することを躊躇する。
事件捜査中にもかかわらずティーブが休みたいと言ったならば、ライオネルなら唸るだけで判断できなかっただろう。
半分以上を残されたホットドッグをティーブはつまみ上げ、3口で食う。動物園にでも連れて行って、昼飯を食わせて、早めの夕食も食べさせよう。
新しい事件は困難なものになりそうな気配がある。今日一日の休暇だが、深雪に付き合った後は、何時になっても捜査室に戻る方が良さそうだった。
さっさと朝食を終えて、席を立つ。深雪は後ろからぱたぱた付いてきた。小型犬を連れているような気になってきた。
惑星メイルでは、人の暮らせる場所が限られる。多くの人は首都オータに集まり、娯楽施設も当然、その多くがオータに建てられている。首都オータを取り巻く地方都市にもいくつかはあるが、オータの比ではない。
動物園も多数あるが、ティーブはかつて何度も親に連れて行かれた場所に決めた。
そこは、動物園全体がドームに覆われ、いつも暖かい。人は分厚いコートを預け、身軽に楽しめる。暑過ぎはしないが、寒過ぎもしない。人にとって、快適な温度に設定されていた。
車を走らせ数十分で着く。入り口で入場料を払い、中に入る。深雪は物珍しそうについてきた。
動物園にスーツもないだろうが、ティーブは他にまともな服を持っていない。多くの時間を仕事に費やすため、仕事着以外は必要ない。
逮捕術などを訓練するときはそれなりの道着を着るが、普段スーツ以外を着る機会はないのだ。さすがに自宅では楽な格好だが、あんなもので外に出るわけにはいかない。
仕方なく、場に不釣り合いだとわかっていながらスーツにした。この後仕事に行くのなら都合もいいかと、誰に聞かせるわけでもなく内心で言い訳をする。
ざっと周囲に目を走らせるのは刑事の性だ。平日の今日でも、家族連れがちらほら見えた。あとは恋人同士か。俺たちはどう見えるのだろうと思いつつ、中を進む。
あっちを見たり、こっちを見たり。深雪は忙しい。歩きながら後ろを見ようとして、転びそうになっていた。片手で、細い腕を掴んで助ける。
「はぁ……これが、動物園っていうものなのかぁ……」
天井を見上げ、思わず呟かれた言葉がおかしい。ティーブは片頬で笑いながら、胸の痛みを押し殺す。
人にとって快適に作られた動物園は、動物にとっては快適ではないのだろう。それぞれが透明なガラスの向こうにいた。そのため動物園のくせに、ここは臭くない。
人工の植物に彩られた園内は、人工の匂いが充満していた。人を快適にするために作られた匂いはもちろん、動物の臭いではない。何かの花の香りだった。
ティーブは幼い頃、動物と植物は同じ匂いだと思い込んでいた。
「言っておくが、この匂いは偽物だぞ」
物を知らない子供が勘違いをしないようにそう言うと、深雪は笑った。
「そんなこと知ってるよぉ。動物は、こんな臭いしないもん。これを動物の臭いだと信じる人なんているわけないよ」
あははと笑われ、ティーブは幼少時の己の名誉を守るため、黙る。
ガラスのこちら側は春なのに、ガラスの向こう側は冬だった。人工で作られた雪がトリアという、大きくて毛むくじゃらの獣を冷やす。
白い雪と同色の毛皮を持つこの獣は、惑星イルイアから連れて来られた。丸い顔、小さな耳。尻尾は無く、口から大きく突き出た牙を持つ。
肉食で攻撃的だが神経質で臆病という、どこか相反するような説明文を読みながら、ティーブは深雪に尋ねた。
「お前の名前には、どうして雪の文字が付いているんだろうな」
こいつが保護されたという惑星ミチラキには雪が降らない。
ライオネルから話を聞いて惑星ミチラキを調べたが、深雪はミチラキ人らしきところは全くない。そうでなくても雪が降らないミチラキで生まれた者が、雪の字をその名に持つだろうか。
「どういうこと?」
「雪が降る季節に生まれたから、雪の文字を名前につけたりするもんじゃないのか?」
ティーブがそう言うと、深雪ははじめて気づいたという風に目を見開いた。
「そうかな!?」
「みんながみんなそうではないだろうが、子供の名付けというものには意味があるだろう。文字自体が意味を持つのであれば、その意味も含めて名付けているのではないのか」
深い雪。ならば、雪が降り積もる季節や場所に生まれたのではないのだろうか。
ティーブはそう思うのだが、深雪もそう感じたのだろう。何だか嬉しそうにティーブを振り仰いだ。
「あのね、あたしの誕生日ね、2月なんだよ」
そう言って深雪が告げた日は、来週だった。
「あたしが保護された日なんだけど、もしかしたら、本当の誕生日かなぁ」
わくわくとしたその様子に、ティーブは、そうだなとしか言えなかった。
冬の定義は難しい。いや、どの季節であっても、難しい。
暦は銀河連邦により定められているが、それは他惑星と交流を持つときに使われるようなものだ。それぞれの惑星は古来より使われる暦を使う。
惑星メイルは冬の惑星だが、それでも気候の変動はある。そのため、惑星メイルで冬と言えば、11月から4月までとなる。真冬は1月から2月。
だが例えば、深雪が保護された惑星ミチラキ。あの星は、春の星だ。1年を通して温暖な気候で、気候の変動は皆無といってよい。あの星で冬という概念はないだろう。
冬という季節を表す決まった月は、厳密に言えばない。深雪の生まれた星が冬の星で、1年を通して雪が降り続けるような星ならば、この子は何月に生まれても深雪だ。
だがそんなことは関係ないのだ。この子にとって、確かなことは無きに等しい。ならば、2月に生まれたと思いたければ2月でいい。誰にもわからないことを、わざわざ否定することもない。
縋るように自分を見る子供に向けてもう一度頷いてやれば、深雪はほっとしたように笑った。
嘘の誕生日が、この子の中で真実に変わる。虚構の真実。相反する事柄は、この子の中でどのように変化するのだろう。




