家族ごっこ 1
「え? 修学旅行だったの?」
ライオネルは深雪の言葉に驚いて手が止まったが、深雪は何でもないことのようにけらけらと笑う。
「メイリン刑事と同じこと言ってるぅ」
どうやら輪も、同じことで既に驚きを見せたらしい。
「いや、普通驚くでしょ? そういう学校行事って、俺はものすごく好きだったから」
体育祭や文化祭、修学旅行はもちろん、ちょっとした行事もライオネルはとにかく好きだった。試験でさえ、何故か好きだったのだ。いつもの授業とは違う。その僅かな違いが好きだった。
修学旅行など、ライオネルなら這ってでも行く。今からでも間に合わないかと慌てたが、輪が冷静な声で制した。今からだと、一番速い方法でも17日もかかるらしい。
全てにそつのない輪だ。彼女が既に知っていて、何もせずにここにいるはずがない。ライオネルは我が事のようにがくりと肩を落とす。
高校時代の修学旅行は当然、一度きりだ。同年代と楽しく過ごしていられたのだろうにと思うと、可哀想でならなかった。
「大丈夫だよぉ。はじめから駄目だと思っていれば、大体のことは平気になるよ。ま、仕方ないしぃ」
深雪はそう言って人参を切っていく。手元が危なっかしくて、鍋の監督くらいにしておけばよかったかと、はらはらしながらライオネルは見ていた。
「紫野さん、いつから捜査官なの?」
輪は椅子に優雅に腰掛けて、コーヒーを飲む。彼女は何をやっても画になるから、ライオネルは少し離れて輪の全体を見るのが好きだった。もちろん、触れあえるほど近くにいるのもいいのだが。
「うーん……」
深雪は片手で包丁を持ったまま、指を折って数える。
「7才からだからぁ、9年かな。あ! 2人の結婚したときと同じだね!」
そう言って、また笑う。
深雪は、よく笑う子だった。このくらいの年ならば何が起きても可笑しいのかもしれない。
だがライオネルが愛する輪は、煩いほど賑やかに笑い転げる女子生徒とは違い、いつも本を読んでいた。背筋を伸ばして本を読む姿は凛として美しく、ライオネルは惚れ惚れと眺めていた。
そんな彼女が時折見せる笑みが、心臓を鷲掴みにされるほど可愛いということを他の男に知られる前にと結婚を急いだのだ。
周囲には早すぎるだろうと言われたが、ライオネルは非常に焦っていた。日に日に美しくなっていく輪を、誰かに盗られやしないかと夜も眠れないほど焦っていた。
念願叶って妻にしたが、それでもいまでも不安感はある。美しくて潔くて合理的な彼女が、つまらないことを気にしすぎるライオネルに飽きたりはしないかと。
彼女の機嫌を取りたくて、彼女の関心を得たくて、せめてもとライオネルは料理の腕を磨いたのだ。
「7才で捜査官というのは、普通なの?」
考え込むとき、輪は指を唇に当てる癖がある。ほっそりと長い指が紅い唇に添えられて、吸い付きたくなるほど美しい。
「どうかなぁ。あたしは早く星の子を出たくて、試験を受けたんだよ」
「星の子?」
「深雪ちゃんが入っていた孤児院だよ」
その話を聞いたのは、ティーブと2人のときだった。あの時、輪は捜査資料に埋もれていた。
「星の子はねぇ、ディセばっかりなの。赤ちゃんから、10才くらいまでがいるよ。ほんとに、ほんとに、ほんっとぉーに! いっぱい、いるんだよ。もうねぇ、うんざりするくらい」
深雪は表情の豊かな子だとライオネルも思う。いまも、うんざりという言葉に合わせるかのように、眉と口角を下げた。
よく笑うし感情が豊かに見えるのだが、この子の目が真実笑うところをライオネルは見たことがない。
「でもね、星の子の先生は、普通の人なんだよ。……あたし、先生にもディセがいればいいのになぁて思うよ」
「どうして?」
深雪の手は完全に止まってしまった。ライオネルはその手元から人参をとって、切っていく。野菜が嫌いな深雪でも食べられるように、できるだけ小さく切っていった。
「赤ちゃんが、わーて泣くでしょ? ディセだから、みんな手錠してるの。赤ちゃんもしているんだよ」
深雪の手首には銀色の輪が光っている。ライオネルも見慣れたディセ用の手錠だ。
だが深雪のそれは、以前に見たものとは様子が違っていた。赤や黄色やオレンジに青。色々なビーズや華奢な金の鎖で彩られたそれは、手錠ではなくアクセサリーに見える。
先ほど聞いた話では、学校の友達が飾ってくれたらしい。これならば私服の深雪にもよく似合っていた。
「力を使おうとすると、頭からなんか出てるんだって。それを感じて、電流が流れるんだよ。でもはじめは警告で、静電気みたいなのがばちってくるだけ。それを無視して力を使おうとすると、ばりばりってくるの」
何でもないことのように子供が話すから、特別な感情は見せずにライオネルも輪も聞いていた。
「でも、赤ちゃんはそんなことわかんないでしょ? だから、わーって泣いて、ばちってきても、それが痛いからもっと泣くんだよ。そしたら、ばりばりってきて……あたしねぇ、いまなら思うよ。あんなこと、しちゃ駄目なんだよ。あたしなら、自分にバリア張るのと同じやり方で、赤ちゃんの周りにバリアするよ。そうやって赤ちゃんが泣いている間中、何も壊れないようにする」
ほんと馬鹿だよねぇ、深雪はそう呟いてふっと笑った。




