オンナノコ 8
「え? え? 夫って……おっと? 結婚してるの?」
輪が結婚していたことに驚いているのか、その相手がライオネルだということに驚いているのかわからないが、とりあえず頷く。
「え? いつ? いつ?」
「いつって……いつだったかしら?」
輪が聞くと、ライオネルはがくりと肩を落とした。
「覚えてないの? 俺なんて、昨日のことのように覚えているのに。9年前の12月10日じゃないか」
ああそうだったわと輪も頷く。
がっしり体型のライオネルは快活で、大雑把だと思われやすい。だがしかし、快活という部分はあっているが、彼はとても繊細だった。
乙女が好きそうなことは大概、ライオネルも好きだ。その証拠に、記念日などというものを事細かに覚えている。
「9年前……て、いくつ?」
「私が21で、ライオネルが20」
「それって、まだ学生じゃないの?」
「そうだよ。大学生だったんだ」
「学生結婚ってやつ? すっごぉーい」
何が凄いのかわからないが、輪は苦笑を浮かべて返事に代えた。だがライオネルが、よくぞ聞いてくれました、とでも言うように話し出す。
「いやもうほんと、出会ってすぐに結婚したかったんだけどさ、さすがに9才では無理だろ? だからじーっと待ってたんだよ。で、俺が17になってプロポーズしたんだけど、そのときもまだ高校生だったし、待てと言われて……それから毎日、お願いしたんだよね。それでようやく、OKもらったんだよ。20のときに」
惑星メイルでは男女ともに17を越えれば結婚できる。1学年飛び級をしたライオネルが17の年、彼は高校3年生だった。もちろん輪も高校生だ。
ライオネルが17の誕生日にプロポーズしたとき、彼は本気だとわかっていたが同時に、一過性だとも思っていた。いまはそうでも、半年も経てば忘れるだろうと。
だから適当にあしらってしまったのだ。本気にして了承して嬉しさで泣いたりしても、半年後には忘れられる。そんなことが本当に起きたら、自分は馬鹿な道化師だ。
即座にそう考えてしまい、素っ気ない態度を取ってしまった。
「すごい! すごい! いいなぁ」
深雪が我が事のようにはしゃいで、うっとりと輪を見た。こんな風に可愛らしい反応を返していれば、ライオネルも喜んだのだろうか。
21で結婚したときも、ライオネルの20才の誕生日にプロポーズされ「いいわよ、プレゼントね」なんてそっぽを向いたまま答えただけなのだ。
こちらにしてみれば照れ隠しでもあったのだが、頬を染めて俯いて、或いは目をきらきらさせて、笑って言えばよかった。
深雪と接すれば接するほど、何だかすごく損した生き方をしてきた気がして、滅入ってしまう。
もちろん、それを選んだのは自分なのだが。
「何か匂いが……」
リビングに料理の臭いがつくのが嫌でキッチンを個室にしたのだが、さすがにケーキを焼く匂いが家中に充満し始めた。
「あのね、ケーキ、焼いているんだよ」
「え!? ケーキ!?」
「そうだよぉ。メイリン刑事とね、2人で作ったんだよ」
えへへと笑う深雪につられたように笑ってから、ライオネルが妙に喜んだ顔で輪を見た。
「……なによ」
「いや、なに、輪の手料理が食べられるのかと思って、嬉しくて」
ああ、この素直さをわけてほしい。
「大したことはしていないわ。言われたとおりに作っただけよ」
ふん、と顔を反らす。頬が熱くなってきて困る。
「それでもすごいよ。菓子は手順が多くて、読んでるだけで面倒くさくなるからね。それを読んで、なおかつやろうとしたのは、すごいよ」
深雪とライオネルが一緒になって、すごいすごいと言い合っているのを見ていると、似たもの親子を見ている心境になってくる。
2人揃って弾むように立ち上がり、キッチンへと消えた。そろそろ焼ける時間だなと、輪も立ち上がる。褒められるとやはり、まんざらでもない。
緩みそうになる頬をぱしぱしと叩いてキッチンへと向かった。
「どう? 焼けている?」
小柄な深雪の頭の上から覗き込むようにして、オーブンから出されたばかりのケーキを見る。
「焼けていると思うけどぉ……なんでこんなに薄っぺらいの?」
ケーキ型の底に沈むようにして、焦げ茶色のスポンジがいた。
「どうして膨らんでいないのかしら」
言われたとおりに作ったのに。深雪と2人で首を傾げていると、ライオネルが苦笑して言った。
「ケーキて、むちゃくちゃ難しいんだよ。だから誰でも上手くはいかないし、うん、これでも上出来だと思うよ?」
「そうかしら……美味しそうには見えないわ」
「いまはそうだけど、大丈夫。冷めたら、ちょっと手を加えてみるよ。それだけで美味しくなるはず」
ライオネルに言われると、そうなのかなと思える。
何種類もの塩や、何種類もの砂糖、聞いたこともない名前の調味料の山。これらは全てライオネルが買い揃えた。彼はこれらを自由自在に使いこなして、びっくりするほど美味しい料理を作る。
輪は趣味など思いつかないが、ライオネルの趣味ならわかる。彼は、料理がとても好きだった。
料理好きのライオネルがそうだと言うのなら、そうなのだろう。輪は納得してキッチンの椅子に座る。輪が座ると同時に、ライオネルが流れるような動作でコーヒーを煎れて出してくれた。
食事はキッチンでとる。そのため、小振りなテーブルと椅子を置いてある。椅子は3つ。丸いテーブルを囲むように配置されていた。
この家には輪とライオネルの2人で暮らしている。客人といえばティーブくらいで、だから椅子は3つあれば充分だった。
椅子の1つに腰掛けた輪に倣い、深雪も座る。ライオネルはどこかで買ってきたのだろうジュースを、深雪に差し出した。
ワイングラスに注がれた、オレンジ色の液体。深雪はグラスに喜んで歓声を上げていた。
ライオネルは料理を作るにしても、皿や飾りに拘る。それらに、輪が何かの反応を示したことはない。
だが、ああやって喜んでやれば、ライオネルもやり甲斐があったのだろう。今更ながらに、己の素っ気なさを申し訳なく思った。
何かの料理を仕込みながら、ライオネルは冷めたケーキを型から外す。綺麗に切り揃えて、ココアと粉砂糖を振り掛けて、お店に並んでも不思議ではない形に整えた。
「うわぁ、すっごぉい! 美味しそうだねぇ」
深雪は喜んでひとつ摘む。輪も、恐る恐る食べてみた。
買ってくるケーキとは似ても似つかないが、こういう菓子だと言われればそうだと頷けるほどには美味しかった。
自分でも、やればできるものなのねと内心で頷く。
そして、深雪のように可愛らしいオンナノコには今更なれないだろうが、10回に1回くらい、ライオネルが喜ぶ反応を返したいものだと思った。




