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星並べ  作者: 月夜
35/69

オンナノコ  5

 コーヒーと紅茶と酒は常備しているが、ジュースなどない。酒は論外だとして、豆と茶葉の前で悩む。

 ジュースしか飲まない子供に、どちらを出せばいいのだろう。苦いコーヒーより紅茶がましかと茶葉の缶を開けた。


 はい、と深雪に手渡すと相変わらず、礼も言わずに口を付けた。「ありがとうは?」と輪が言うと、「ありがと」と答える。

 輪は、ふう、と溜息を吐く。

 これでは感謝をされたくて何かをやっているような気になってくる。誓って言うが輪は、他人の謝意が欲しくて動くような人間ではない。

 深雪のためを思って言っているが、彼女はどう感じているのだろう。押し付けがましいと感じてはいないだろうか。


 輪の内心に気づいているのかいないのか、深雪はぐるりと部屋を見渡した。

「メイリン刑事。お休みの日って、何してるの?」

 小さな顔を傾けると、まっすぐの黒髪がさらさらと音を立てそうに流れた。輪でさえ、思わず触れたくなる。ティーブがよくこの子の頭を撫でているが、そういうつもりなのだろうか。


 子供は趣味じゃないと言っているし、実際に恋愛感情はないのだろうが、それでも思わず手が伸びてしまいそうなほどの艶やかな黒髪。いいなぁと、思わず自分の金髪に触れた。

 学生時代、輪の金髪に憧れている女子生徒がいたが、輪は自分の髪が好きではなかった。見た目も艶やかというよりは刺々しいし、実際に触れてみるとどこかぱさついている。

 髪の色は黒とか茶とか、とにかく色があったほうがいいと思う。艶がわかるし、何となくしっとりとしている。

 ライオネルの髪は明るい茶色で、せめてああいう色だったらなと思うのだ。


「休みの日……何をしているかしら……?」

 自分のことなのに、何も浮かばない。この前の休みはいつだったのか、じっくり考えなければ思い出せないほど前の話だ。

 刑事は不定休だ。厳密に言えば休みの日というものは定められている。カレンダー通りとはいかないが、休みはある。

 だが実際には事件に左右され、休みなど取れない。代休も取れない。ご大層な趣味など持って刑事が勤まるほど、暇な職業ではなかった。


「……散歩かしら」

 ぽつりと言った輪の答えに深雪は笑っていた。

「おばあちゃんみたい」

 悪気はないのだろうが、むっとする。


 子供は未来を想像できない。自分の、未来を想像できないのだ。いつまでも若く、活気に溢れていると思い込んでいる。

 輪も深雪くらいの年頃は、想像もしなかった。自分に30の年がくるとか、その時どういう体力なのかとか。

 しかしいまこの年になると、ふっと考えることは将来のことばかりだ。40が来たらどういう体型になっているのだろう。50がきたら皺ばかりになるのか。

 そういう、どうしようもないことばかりを考えてしまう。老後はどうしようなどと考えると、鬱々となってしまうほどに。


「散歩って、ひとりで行くの?」

「いいえ。お隣さんが犬を飼っていてね、その犬を借りて一緒に行くのよ」

 隣の大型犬は散歩が大好きだ。飼い主が一度連れて行っても、2度目を喜んで来てくれる。

「犬!? 犬がいるの? わーい! あたしも一緒に散歩行きたい!」

 こういう感じの子は、大概動物が好きだ。輪は内心でやっぱりと頷きながら、苦笑する。

「今は駄目よ。この時間なら、お隣さんは留守だわ。お隣さんの帰宅時間が早ければ、一緒に行きましょ」

 そう言い聞かせると深雪は素直に頷く。

「犬って、大きい? 黒い?」

「大きいけれど、黒くはないわ。茶色よ」

「そっかぁ。あたしね、黒くて大きな犬はちょっと苦手かな」

「あら、どうして?」

「だって、黒くて大きな犬は、怖い顔をしたおじさんが飼っているもん」

 どこかでそういう組み合わせでも見たのだろうか。深雪はまるで、何かの決まり事のように言った。



 マンションに戻る前に、深雪が滞在していたホテルから荷物を取ってきていた。小さな鞄がひとつ。下着類の着替えくらいしか入ってなさそうだった。

 体格が全く違うが、それでもどうにか深雪に合いそうな服を選び出す。薄いオレンジのシャツに、白いショートパンツ。

 黒以外の服を着た深雪をはじめて見た。そのまま近くの複合商業施設へ連れて行き、服を買う。


 女の買い物はとにかく長い。輪は買う物を決めてから行くので、服にしろ靴にしろ時間はさほどかからない。

 待つのも待たされるのも大嫌いだ。どれほど美味しい店であっても、行列に並ぶくらいなら別のところへ行く。

 輪が、誰かと行動できない最たる理由がこれなのだろう。


 とはいえ、深雪のテリトリーではないこの場所でひとり行かせるわけにはいかない。仕方なく買い物に付き合う。

 だが深雪は悩む様子もなく、服を選んでいった。3日分の服なのに、いくつも服を買おうとする。

 7つ目の店に入ろうとした深雪を、輪は思わず引き留めた。


「もういいんじゃない?」

 深雪の細い腕には紙袋が5つ。輪なら着回して、一季節はこれでやっていく枚数が入っている。

 止められて深雪は一瞬考えてから、にかっと笑った。そうして7つ目の店には入らず、くるりと向きを変えて歩き出す。


 華奢な体を追いながら、輪はふと気づいた。


 深雪は、止めてもらうのを待っていたのではないのか。服は必要だが、欲しくはない。欲しくて堪らなくて買っていたわけではない。

 彼女が本当に欲しいものは別のもので、それの代わりに服を買ったのだ。

 悩む様子もなく、ぱっぱと買っていく。それは、予め買う物を決めて動く輪のようだった。

 だが、深雪のこれは違うと気づいていた。深雪は、何でもいいのだ。趣味に合うとか、体に合うとか関係なく、何でもいいのだ。

 その証拠に、彼女は別々の店で売られていた同じシャツを二枚買おうとした。輪が指摘してはじめて気づき、照れたように笑って二枚目のシャツを戻していた。


 買い物依存症という言葉を聞いたことがある。

 深雪のこれがそうなのかはわからないが、何かを買うことで心の空虚を埋めているような、そんな気がした。


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