季節外れの子 30
船から下りて、門を通る。高い壁のこちら側は、森のようだった。
高い木々が計算尽くで植えられているのだろう。門のこちらから向こうは森にしか見えず、学校の施設が1つも目に付かない。
多分、あちら側も同じなのだ。
学校からも森にしか見えず、高い塀は見えないのだろう。
人工島の警備員に示された小屋に入る。
警備員室も兼ねているのだろうこの建物は、まるで物語に出てくる木こり小屋のようだ。丸太木で作られた小屋なのだが、中に入ってみても想像通りの部屋が広がる。
木で作られた机に、椅子。いつ建てられたのかはわからないが、木の匂いがした。そう感じるように、匂いをどこからか出しているのだろう。
ティーブが木の椅子に腰掛けてすぐ、扉がいきなり開いて深雪が駆け込んできた。
RSP捜査官の制服以外を着た深雪を、はじめて見た。学校の制服だろうそれは、深雪によく似合っていた。
紺のブレザーに金ボタン、胸には大きなエンブレム。金糸で刺繍されたそれは、学校の紋章か。
赤いチェックのスカートは膝を少し越えるくらいで、細い足には紺色のソックス。黒い革靴を履いて、どこからどう見ても女子中学生だ。いや……高校生か。
だがどう見ても中学生、下手すれば小学生に見えた。
急いで走って来たのだろう。黒い髪が乱れていた。
だがそれに構うことなく深雪はやってくると、いきなりティーブに抱きついた。
「甘えるな」
そう言いながらもティーブは、黒髪をぽんぽんと叩いてやる。ふと見ると、警備員たちが席を外して2人きりになっていた。
2人きりだからといって緊張などしないが、女子学生と男を2人きりにしていいものかと、思わず考えてしまう。
ティーブが卒業した高校は首都オータのど真ん中に建っていたような学校で、治安はすこぶる悪かった。
男子学生は常に暴力沙汰に遭っていたし、女子学生は貞操の危機に晒されていた。
学校は高い塀に頑丈な門で生徒を守っていたが、門の前で待ち伏せする他校の生徒が後を絶たない。
女子学生の親は特に心配し、送り迎えをしていたくらいだ。
あの学校では、面会者を生徒が知っていたとしても、2人きりになど絶対にさせなかっただろう。
要塞のような学校で生徒をしっかり守っているが、最後の最後では生徒を信用しているのだろうか。
ふとそんなことを思いながら、抱きついたままの小さな背中を撫でてやる。
「傷は、もういいのか?」
そう聞けば、うんうん、と頷いた。
「どうした? いつもは煩いくらいしゃべっているだろう?」
そう問えば、今度は嫌々と首を振った。
見たこともない深雪の姿に、心配の芽が出てくる。もしかして、この学校で酷く辛い目に遭っているのだろうか。
だが、だからといって、苛められているのかとは聞きにくい。本当にそうだとしても、うんと言う子供はいないだろう。
うーんと悩んで、外堀から聞いてみた。
「今は昼休みだろう? 飯は?」
「食べた」
「嘘を言うな。さっきの鐘が昼休みの合図だと、そこの警備員に聞いたぞ」
ぺたんと床に座り、椅子に座ったままのティーブの膝に頭を乗せて深雪は言った。
「食べたもん。3時間目の終わりに」
「早弁か……」
全寮制の学校で、全ての食事が定刻に出されているのだろうに、どうやって早弁をするのだろうか。
疑問に思って首を傾げていると、深雪がくすりと笑って付け足した。
「あのね、朝ご飯のときにね、余ったやつをこっそり取ってくるの。ダイエットしてる子がいるから、その子が残したやつとか貰うんだよ。あ、あたしだけじゃないよ? 運動部の子も貰ってるんだから」
年頃の少女が多くいれば、中には体型を気にする者もいるのだろう。決められた食事を勝手に配膳されて渡されても、残したいと思う奴もいる。
そういう食材を無駄にせず、生徒たちで融通し合っているのか。
ティーブはほっと内心で息を吐く。
とりあえず、腹が減ったら食事を分けてくれる友達はいるのだ。
「勉強は、どうした? いまは、試験期間じゃないのか」
試験期間の昼休みは、午後のテストに向けて詰め込み作業の真っ最中だろう。
「うーん……もう、いいもん」
「諦めるな。いまからやって、一点でも多く取れたらいいじゃないか」
そう言ったが、深雪はぷいと余所を見た。
深雪が学校の勉強をしているのを、ティーブは見たことがある。警視総合本部の、あのフロアで。
フェンが教えてやっていたが、深雪はなかなか問題を解くことができなかった。
どれほど難しい問題なのかと興味本位で覗いて、ティーブは思わず眉間を押さえてしまった。
あれは1年前の出来事で、こいつは中学生だったはず。だが深雪のしていた問題はどうみても、小学低学年のそれだった。
「丸暗記しろ」
そう言って黒い頭をぽんぽんと叩く。中身は詰まっているはずだ。
「無理」
「なぜだ? 次の教科は何だ」
「……さんすう……」
「数学だろう……」
溜息と共に言い直し、暗記は無理かとティーブも思う。
公式を丸暗記したところで、使う場面がわからなければ意味がない。問題を読んでも、何の公式を使えばいいのかわからなければ駄目だ。
「まあ……次、頑張ればいいだろう」
そう苦笑混じりに言うと、深雪はにかっと笑った。
「体はもう大丈夫なのか」
「うん。治癒ポットって、入ったのはじめてだよ。あれね、すっごく面白い」
そう言って笑った丸い顔の鼻先を、指で弾いてやる。治癒ポットに入っている人間は、ずっと眠り続ける。意識がないのだから、面白いも面白くないも、わかるものか。
「あんなもん、一生入らなくていいものだ」
説教するように言い聞かせたが、わかっているのかいないのか、深雪は笑っただけだった。
普段、煩いくらいにしゃべっている子供の口数が少ないと、調子が狂う。学校生活に不都合は無いようだし、一体どうしたというのだろう。
ティーブは、己の膝に懐いたままの子供の頭を、所在無げに撫でる。
会話の糸口が見つからず、こんなことなら輪やライオネルを連れて来ればよかったと後悔した。2人とも、ティーブと同じく休暇中だ。
「この学校は、外出してもいいのか?」
「いいよ。申請書ていうのを出せば、許してもらえるよ」
ふと気づくと、深雪が語尾を伸ばさずに話していた。少しだけだろうが、それでも真剣に、ティーブと向き合っているような気がした。
「今日の授業はあと何限だ?」
「今日は試験だから、あと1限。……算数なんだよね……」
余程、苦手なのだろう。ふぅと溜息を吐いていた。
「なら今すぐに先生のところに行って、外出許可を取ってこい。その試験が終わったら、飯に連れて行ってやる」
ティーブがそう言うと、弾かれたように深雪が顔を上げた。
「ほんと!?」
「俺が嘘を言ったことがあるか?」
「ないない! わーい! あたしね、エッグタルトが食べたい!」
それは飯じゃないだろう。そう突っ込んでやりたかったが、ティーブは笑って頷く。
ティーブは一人っ子で、独身だ。制服警官をしていた期間はとても短く、刑事人生のほとんどを、凶悪殺人を扱う第1捜査課で過ごした。
仕事でも私事でも子供と関わったことなどなく、15も離れた深雪と何を話していいのか皆目見当も付かない。
仕方がないから飯で釣った。
上手く釣れたのか、釣られてくれたのかはわからないが、ティーブの知っている無邪気さが戻ってきた。
深雪はぱっと立ち上がると、扉に向けて駆け出す。旧式の扉は、自分の手で取っ手を回す物だった。
深雪はその取っ手に手を掛けて、だがそのまま立ち止まった。
そして、怪訝に思うティーブに振り向くと、視線を合わせずに早口で言った。
「あのね……病院に、連れて行ってくれてありがとう」
そう言ってから目を合わせ、にかっと笑った。
「すごく、嬉しかったよ」
そのまま外に飛び出すと、駆け出した。
ティーブは虚を突かれたように呆けながら、遠ざかっていく小さな背中を窓越しに見ていた。
あいつはまた……
この寒いのに、コートも着ずに走ってきたのか。
食べ物の好き嫌いが多くて、よく残す。何度奢ってやっても、一度も礼を言ったことがない。
ちょっとしたことを面倒がり、コートは着ないし、手掴みで食うし。まともな躾を一度も受けたことがないと、深雪は全身で語っていた。
だが……礼が言えた。
ティーブにありがとうと言って、嬉しかったと笑った顔は、嘘ではない。
いつも、何かを誤魔化すように笑っていた。深雪が一番誤魔化したかったのは自分自身なのだと気づいた。
自分を誤魔化すことなく、思いのままに振る舞えたらよいのにと思う。きちんと礼儀を覚えて、周囲に合わせられるようになればもっといい。
少しずつでも、深雪がいい方向に動いていけるのならば、いくらでも手を貸してやりたい。
外に出て空を見上げると、陽の光を感じた。
どんよりと曇っていた空が、いつの間にか晴れていた。灰色の雲の隙間からは冬の太陽が覗いている。
それは、ほっとする暖かさだった。




