季節外れの子 28
無理矢理もぎり取った休暇の初日、ティーブはかつて通い慣れた空き地に立っていた。
目の前にぽつんと立つ白い建物。惑星メイルRSP本部を見る。
見上げるほど高く、横幅も広いオータ警視総合本部の建物と比べれば、この建物がいかに貧相かわかる。5階建てで、横にも広がっていない。
隣に立つ、RSP捜査官の寮の方が明らかに高くて広い。だがこちらはこれほどの建物にも関わらず、窓が一切ない。
荒涼とした敷地に建つ、のっぺりと白い建物。それは異様な姿に見えた。
RSP本部に入り、無人の受付で操作パネルに指を滑らす。
呼び出しを押せば、すぐに応答があった。機械なのかと疑うほど、無機質な声だ。深雪の名を告げると、いないと一言で切れた。
そう言えば、捜査官は常にこの本部にいるわけではなかったのだと思い出す。その多くは定期連絡を利用して、任務を受けると聞いた。
少し考えて、再び呼び出しを押した。苛々した風もなく、全く変わらない声が答える。
ウィル・パッセンをと言えば、短く了承して切れた。
1分とせずに軽い音で扉が開き、ウィルが出てきた。ティーブを見ても驚いた様子はなく、自然に出迎える。
そのまま促され、隣接する応接室に入った。
「紫野の様子はどうだ?」
ウィルが座るのも待てず、ティーブが問う。
「貴方のおかげで医師の治療を受けられ、無事に退院しました。感謝いたします」
ウィルはことりとティーブの前にカップを置くと、ゆっくりと頭を下げた。
ディセを縛るディセ法の存在を、ティーブははじめて知った。
ディセ法は銀河連邦の共通法だが、それとは別に、惑星メイルが施行したディセ法もある。
それぞれの惑星が施行しているディセ法には、共通法にはない、もっと細々とした要項があった。
ディセは救急車両に乗ってはならない。
手錠もなく治療を受けてはならない。
あいつらが言った言葉は全て、惑星メイルのディセ法に照らせば正しい。
そして、医師が確かめた事項は、ディセ法の間隙を突くようなものだった。
法律は完璧ではない。よくよく読めば、隙がある。
それは、法律を深く読み解いた者に用意された褒美のようなものだ。作成した役人の優しさが、完璧ではない法律を作り上げる。
勉強家の医師のおかげで深雪は助かった。決して、ティーブの力ではないと思う。
そう思い、そう言ったが、ウィルは笑って首を振った。
「貴方が諦めていれば、それまででした。誰も、ディセのために面倒なことはしません。私は何人も、街中に倒れたまま、放置されたディセを見てきましたから」
いまから150年ほど前に、惑星メイルのディセ法は改正された。
それまでは、もっと厳しいものだった。ウィルは、そういう時代も生きている。どれほどの生き難さだったのだろう。
ディセを縛るディセ法は、無闇にディセを怖がる市民を落ち着かせるために作られている。
だが、ディセを擁護する一般市民も、少なからずいるのだ。ディセ法は当人のディセではなく、擁護する一般市民たちの運動で改正が行われたのだから。
「ディセ法は、不当な差別だ。撤廃しようとは動かないのか? RSP本部として、何かできることがあるんじゃないのか」
ティーブはそう問いかけたが、ウィルは微かに笑って首を振った。
「得体の知れない者に対する恐怖というものは、どうしようもないものでしょう。私たちがいくら安全だと叫んだところで意味はありません。事実、ディセの犯罪者が出ているわけですから」
「惑星メイルの年間殺人被害者は約1億人だ。だが、ディセに殺された被害者はそのうち、100人にも満たないぞ」
数字的なことをティーブが言わなくても、ウィルはよくわかっているだろう。だがそれでも、言わずにはおられなかった。
一般人が犯す殺人の方が明らかに多い。にもかかわらず、無害なディセを縛る法だけが存在する。
公平にするのならば、無害な一般人を不当に縛る法もあってしかるべきだ。
「1人でも、被害者がいることが問題なのです。我々は、一般人より強い自制が求められる。完璧な品行方正で日々を過ごし、そこでようやく一般人の末席に座ることを許される。1人が罪を犯せば、それがどれほど小さなことであったとしても、全員が罪に落とされると思わなければならない。……だからこそ我々RSP捜査官は誰よりも、ディセに厳しくあらねばならないのです」
感情の感じられない、落ち着いた声でウィルはそう言うと、ふっと笑った。
「苦しくとも、この惑星で生きていくためにはそうしなければならない。もっとも……我々には、自由な航行も許されてはいませんけれど」
惑星メイルのディセ法では、惑星間高速航行を利用する客船にディセが乗ることを禁じている。もしどうしても惑星メイルの外に出たいのであれば、彼らは貨物船に乗らなければならない。
そして宇宙連邦の共通ディセ法に照らしてどの船に乗ろうとも、ディセは手錠をしなければならなかった。
「色々と面倒だろうがそれでも、別の惑星に行く方法はある。ウィルは他の、もっとディセ法の軽い惑星に行こうとは思わなかったのか?」
「ディセの職業は限られます。ですから、RSP捜査官になるのが一番手っ取り早い。RSP捜査官となり、どこの星に配属されるのか。それは銀河連邦RSP運営委員会の指示であって、我々は受け入れるだけなのです」
そう言って、RSP創設時から捜査官として働くウィルは、どこか遠くを見る目をした。
ウィルの心にどのような去就が走ったのかはわからないが、オレンジの目をティーブに戻して続けた。
「どこに生まれるかは、運命です。どこで生まれても、いつ生まれても、人は自分より恵まれた者を見つけては不公平だと思うものです。ですが、不平や不満を感じたとしても、それに飲み込まれてはいけません。結局は、誰よりもまず始めに自分自身を認めてやらなければ、人は生きてはいけないのですから」
200年を越えて生きるウィルの言葉は、しっくりとティーブの腹に座った。
「深雪はまだ若いですから、感情が豊かで揺れ動きます。ディセとして生きていれば腹立たしいこともあるでしょうし、できない我慢を強要されることも多い。ですが、堪忍の尾が切れたからと言って感情を爆発させることは、我々には許されません。……それでも私は、深雪に、豊かな感情を大切にしてほしいと思います」
いつもへらへらと笑っている奴だが、本当の、心の底からの笑顔を見てみたいとティーブも思った。
「ウィルにも、苦しい時があったのか?」
それは当然だろうと思いつつ、聞いた。
「私にも、若い頃はありましたから」
そう言ってくすりと笑い、ウィルは続けた。
「色々と、苦しい目にも遭って、少しだけ楽しいこともありました。失敗して、経験して、学んだ。……それでも、どうしようもなく苦しいときは、笑って言ったものですよ」
「何と?」
「まあ、いいか」
老成したと思っていたウィルが、少年のような顔で悪戯っぽく笑った。
どうにかしようと頑張って、どうにもならなくて諦める。まあ、いいか。軽くそう言って、無理に笑って諦めたのだろう。
ティーブは、ウィルや深雪の置かれた状況の苦しさを、少しだけ理解した。
だが、少しだけ、なのだ。
ディセ法を読み漁ろうと、深雪に寄り添おうと、歴史を紐解こうと、一般人であるティーブが理解できるのはほんの僅かなことなのだろう。
ウィルも、フェンも、深雪も、笑って諦めた。
彼らが諦めたことの多さを思う。
深雪がいつも歌っていた歌詞を、調べて教えてくれたのは輪だった。
ティーブにはどうしても聞き取れなかった歌詞の内容を、はじめて知った。
たたたた歌って、たたたた飛んで、ただただ落ちていきましょう
たたたた立って、たたたた走って、ただただ忘れてしまいましょう
何も経験していない未熟な子供が歌えば、ただの薄っぺらい感傷的な歌だ。
だが深雪が歌えばそれは、諦めの歌なのだ。
あいつは何度も何度もこの歌を歌っていた。
歌いながら、どれほどの苦しみを笑ってやり過ごしたのだろう。
小さな子供が柔らかな心のまま、抱えられる苦しみはどれほどなのか。ティーブは、胸が締め付けられそうだった。
それでも、無責任に願わずにはいられない。
あの子供の心が、歪になってしまわないようにと。




