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星並べ  作者: 月夜
26/69

季節外れの子  26

 小さな体を担ぎ上げ、ティーブは駆ける。石畳が足に響く。

 だが、抱き上げたこの体に響かないように気遣いながら精一杯速く、駆け抜けた。


 ティーブの足は速い。一緒についてきた数人の警官が、手ぶらのくせに遅れ出す。

 それでも、まだ学生にしか見えないような警官の1人が唸り声と共にティーブを追い越し、そして待機所のドアを開けた。

 開いたドアから室内に駆け込み、暖房器具のすぐ側の椅子に深雪をそっと座らせた。



「大丈夫なの!?」

 数分遅れて輪が駆け込んできた。固まったように動かない深雪にそっと触れる。それを横目で見ながら、ティーブは通信機器を操作した。

 ワンコールで繋がった相手に、救急車両を要請する。じれったいと感じるほど落ち着いた相手に、苛々と状況を説明した。


 だが、深雪の様子に今すぐにでも救急車両を向かわせようとしていた相手が、冷酷とも思える一言を吐いた。


「ディセは、救急車両を使用することはできません」


 何だ、それは。思わず叫んだティーブの言葉が相手に届くことはなく、通信は一方的に切られていた。


 腹の底から迫り上がってくる怒りを抑え、同じ操作を繰り返す。だが、同じ場所に繋げたのにも関わらず、別の者が出た。

 ティーブは苛々としながら同じ会話を繰り返す。だがこの相手も、深雪がディセだとわかるやいなや通信を切った。

 その様子はまるで、この忙しいのに馬鹿なことを言ってくるな、そう言わんばかりだった。


 キレそうになる自分を抑え、ティーブは再度同じ場所に繋ぐ。目の端では深雪が、じっと固まっていた。

 輪が汗を拭くその顔は、青白く血の気を失っている。


 フェンを担いで、いつの間にかライオネルが戻ってきていた。輪に事情を聞き、顔を強張らせた。


 警官たちも所在なげに立ち尽くしている。もはやディセがどうのと言う気持ちは吹き飛んでしまったようだ。

 深雪が精一杯戦ったことを知っている。深雪が戦い、そして勝たなければフェンを捕らえることはできなかったとわかっていた。


 全員が息を詰めて、ティーブを窺う。ティーブは気を落ち着けて、もう一度かけた。今度は最初から、RSP捜査官が怪我をしたと伝えた。

 最初に名乗り、自分が刑事であることを報せる。救急車両の要請ではなく、どこの病院にいけばいいのか、それを訊ねた。


 相手が告げた病院は、この場から2時間はかかる場所だった。首都オータの外れである。

 もっと近い場所にはないのかと告げれば、ないと無情に答える。

 その病院でなければ空きベッドがないのか、それとも対応できないのか。そう訊ねたティーブに、相手は溜息を吐いて言った。


「ディセを受け入れる病院は、そこだけなのです」


 ティーブは黙って、通信を切った。



 振り返ると14人の大人たちが、たった1人の子供を前に途方に暮れていた。

 フェンの最後の攻撃は深雪の体を切り裂くのではなく、内部を切り裂いた。深雪の小さな体の中では、外に流れ出ることもできない血が溜まり続けているのだろう。

 深雪の容態が最悪であることは、誰の目にも明らかだった。


「手錠を……」

 苦しい息の中、深雪が噛み締めるように言った。

「手錠? 手錠がどうしたんだ」

 ライオネルが訊ねる。

「手錠を、かけて。あたしに……手錠を、して。力が、流れてしまう……!」

 苦しそうに眉を寄せて言った深雪に、ライオネルが躊躇を見せた。犯罪者でもないのに、遊びでも手錠などかけられない。

 だが、困惑するライオネルの肩を押しやり、輪がかけた。

 深雪は自分の細い手首に填った銀色の輪を見ると、ほっとしたように息を吐いた。


 激痛に耐えながら、自分が持つ念動力を制御するのは並大抵ではないのだろう。感情のままに振る舞えるのは幸せなことなのだと、ティーブは改めて思う。

 ディセは、特に念動力を持つディセは、自分の感情に振り回されることは許されないのだ。


 手錠をかけられ、深雪は少しだけ肩から力を抜いた。

 痛みに変わりはないだろうが、暴走しようとする念動力を制御する手助けを得たことは、深雪の助けになっていた。


 深雪はぎこちなく首を動かして、そしてティーブに言った。

「ウィルに、連絡して」

「ウィル? ウィルは医師なのか!?」

 希望の光が指し示された気持ちでライオネルが叫ぶ。だが深雪の口から漏れた言葉は、無情だった。


「腎臓は……ふたつあるから……こっちを取るの。……多分、あたしにもできるけど、いまは無理……だから、ウィルに言って……そんで、とってもらう……」

「な……何を言っているの。内臓を損傷したとしても、そんなに簡単に切り取ったりしないわ。それに、ひとつだけになったら、あなたの今後に支障が出るわよ」

「いい」

「いいって……そんな……」


 狼狽する輪を余所に、深雪はどこか遠くをじっと見た。目の前の光景ではなく、どこか別の場所を睨みつけるように、強く見た。


「あたしの、中には……箱がある……ピンクで、蓋は青。そこには、いらないものをいっぱい、入れてるの。……蓋をしたら、どんな奴も、ぜったいに出てこられない」


 子供が何を言い出したのか理解できず、その場の全員が動きを止めた。

 息さえも止めたかのような静けさの中、深雪の苦しそうな声だけが響いた。


「蓋を、開けるときは、注意が必要。中の奴らが飛び出してこないように……慎重に……慎重に……。そっと開けたら、すぐに閉じるの。……そっと開けて……ほら、閉じこめた」


 汗をだらだらと流しながら、深雪は微かに笑った。


「閉じこめてやったから、もう二度と出てこられない。……いらないものは、全部、箱の中に入れてやる。……腎臓なんかいらない。フェンもいらない。……あたしを、苦しめる奴なんか、何もいらない……っ!」



 ぎっと睨みつけたその目に、狂気の欠片を見た。



 ティーブは小さな体を抱き上げると、足で蹴り飛ばして扉を開けた。


 外に出ると、そこは嵐だった。

 強い風が渦巻き、ティーブの、深雪の髪をかき乱す。身を切るような寒風を全身で受けながら、ティーブは夜空に向かって叫んだ。


「風を、止めろっ!!」


 真っ黒な夜空に、黒い雲が流れていく。激しく流れる雲に隠されて、月も星も、何も見えない。

 暗い、暗い夜の空に、それでも叫ばずにはいられなかった。



 頼む、風を止めてくれ。

 この冷たい風を。

 どうかお前だけでも、この子に優しくしてやってくれ。



 ティーブは腕の中の小さな体を抱き直すと、自分の車に向かって走り出した。


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