季節外れの子 24
高い倉庫の屋根は、地上とは比べものにならないほどの強風なのだろう。フェンのケープは激しく踊り、深雪の黒髪をかき乱す。
立っているのも辛そうな風の中、それでもしっかりと深雪は立っていた。多分、あれも、『力』なのだろう。
強い力を持つディセ同士の戦いは、構えるということをしないらしい。周囲から見ていれば突如始まり、突如止まる。
まるで机上のカップに手を伸ばすような自然さで攻撃が行われ、防御されていた。
2人の戦いが五分五分なのか、どちらかに勝機があるのか。目の前の戦いがいまどういう状態なのか、ティーブにはわからない。
だが、既に派遣を受けていた深雪は仕方がないが、せめてもう1人、捜査官の派遣を依頼していればよかったと今更ながらに思う。
実際のところ念動力がどういうものか、力を持つディセがどういうものか、ティーブは資料以上のことは知らなかった。
これほどの戦いになるのならばせめて、もうひとり、受け入れていればよかったと。
もはやティーブには深雪の心情や、フェンの苦悩などどうでもよかった。
ただひとつ。あの場所からあの子供が、無事に戻ってきてくれることだけを願った。
睨み合っているだけのようにも見えるが、2人が戦い続けているのが遠目にもわかる。
沈む直前の強烈な夕日の中、フェンの黒いケープがいくつも切り裂かれ、深雪の切れた黒髪が宙を舞う。
だから2人が指一本も動かさず、攻撃をしていることがわかった。
「ライオネル、輪。協力してくれ」
ティーブは倉庫の上を睨みつけたまま、言った。
「何をする気だ?」
そう言いながらもライオネルは、腰に差したレーザー銃を手にする。
「フェンの注意を逸らしたい」
ティーブのその言葉で全てを理解し、ライオネルが駆け出した。同じように輪も駆け出し、つられるように警官たちも銃を手に走った。
倉庫のあちら側をライオネル、フェンの背後を輪、そして右手側にティーブ。3人の刑事が扇状に立つ。
12人の警官たちも3人の刑事たちの穴を埋めるように、各自の判断で移動し銃を構えた。
オンにしたままの通信機を使い、ティーブは指示を出した。
「撃ち取ろうとは考えるな。こんな銃、あいつには玩具でしかない。注意を逸らせられたら、それでいい。……絶対に、紫野には当てるな」
それぞれが発した短い了承の声を耳に、ティーブは両手で構えた。
銃には自信がある。いまだかつて、狙った的を外したことはない。毎年十数回は、スナイパーとして特殊部隊に勧誘される。
これほどの距離ならば、片手で十分だった。
だが、ティーブは両手でしっかりと構えた。
どういう仕業なのかわからないが、2人とも何らかの方法で防御をしている。だから誤ってレーザーの軌道が深雪に向かったところで、害はないのだろう。
だがそれでも、ティーブはしっかりと銃を構えた。
「狙え…………撃てっ!」
短く命じたティーブの言葉で、15の銃が一斉に赤い光線を吐き出した。
15の光線は集約されるかのように、フェンに向かって伸びる。出力は最大限にしていた。
最大出力のレーザーをこれほど身に受けて、本来ならばフェンの体は瞬時に焼け消えるだろう。
だがやはり、ティーブの目論見通りフェンは防御をしていた。レーザーは全て弾き返され、赤い光線は薄闇の空に消えた。
「ちっ……!」
思わず舌打ちが漏れる。無駄だとわかってはいても、何かやらずにはいられなかった。
しかし、これほど無力なのか……
「もう一度、いくぞ」
だがすぐさま気を取り直し、ティーブは短く言った。落胆した声はいくつも届いていたが、強い意志で黙殺する。
「何らかの方法で防御しているのだろうが、いつまでも同じ力でやり続けられるものでもないだろう。俺たちが同じ速度でいつまでも走れるわけではないように……。ならば、いつかは絶対に、崩せる」
ティーブがそう言うと、呆れたようなライオネルの声が届いた。
「相変わらずの楽天家だな。だが……いまは、救われる」
口の端だけでティーブは笑うと短く指示を出した。
「撃て!」
15本の光線が、先ほどよりも集約される。それぞれの方向から三点に集約された赤い光だが、やはり、フェンには僅かに届かず空に弾けた。
「もう一度だ…………撃てっ!!」
続けて命じれば、すぐさま撃たれた。
警官が持つ銃は、刑事のそれより威力が落ちる。最大出力で撃てるのは3回まで。これが最後の攻撃になる。
だがティーブの願いも空しく、赤い光線は弾かれ夜空に融け込んだ。
「ああ……」
誰かもわからない落胆の声が耳に届く。だがティーブは構えを解かなかった。3回撃って、3回弾かれた。3回とも、弾かれた光線は空に向かった。
だがその3回が、すべて同じ強さで夜空に飛んではいないと気づいていた。
はじめの1回は強く弾かれ、はっきりとした赤い光が夕闇を切り裂いた。2回目の光線は、夜空を走った。
だが3回目は短く飛んで、溶けた。
フェンの盾は、薄くなっている。
「ライオネル、輪、構えろ!……撃てっ!」
3つの光線がまっすぐフェンへと伸び、そして黒いケープを燃え上がらせた。
燃えるケープをフェンは切り裂き、捨てた。それは一瞬のことだった。
だがその一瞬を見逃さず、深雪は飛んだ。
深雪の攻撃をフェンは身を捩って避ける。ティーブはそれが、防御が切れている証拠だと思った。
外した深雪の攻撃が屋根を切り裂き、崩れ落ちた。
だが崩れ落ちる屋根の欠片を足場にフェンは空を駆け、地に下りた。追って深雪も降り立ち、そのままフェンへと向かって飛び込む。
繰り出される深雪の両手から、フェンは逃れるのが精一杯のように見えた。
目は狂気に満ちたままで薄笑いさえ浮かべていたが、その頬にも手にも無数の傷が出来ていた。
深雪の手が掠る度に、フェンの動きが鈍くなる。いや実際には、当たってはいない。
だが掌が当たらなくても、その先数十センチか、それ以上が攻撃範囲なのだろう。フェンの動きは鈍くなり、明らかにダメージを受けていた。
対して深雪は、丸い頬に切り傷を作ってはいたが動きは変わらない。全ての感情を消し去ったかのような顔で、攻撃の手を休めることはなかった。
2人の動きが速すぎて、手を出すことはできない。ティーブは銃を手にしたまま、傍観者に徹するしかなかった。
激しい鼓動を体中で感じながら、凄まじい戦いを見ていた。
深雪が攻撃を繰り出し、フェンが避ける度、石畳や倉庫の壁が弾け飛ぶ。もちろんフェンも、攻撃を返しているのだろう。
深雪のように実際に手を動かせることはないが、時折深雪の動きが止まり、小さな体の背後で何かが崩れる。
倉庫の壁に巨大な穴が開き、街灯が一瞬で切り刻まれた。
いつの間にか、ライオネルと輪が戻ってきていた。ティーブ同様もはやこれ以上、手出しできないと判断したのだろう。
激しい戦いの反動が飛んできてもいいようにと、12人の警官たちは下がらせた。3人の刑事たちは警官らの盾になるように、深雪と警官たちの間に立つ。
一瞬、暗闇に光が差し込んだ。思わず空を見上げると、雲が切れ、月が顔を覗かせていた。ああ、今日は満月か。場違いにも、ティーブはそう思った。
視線を戻すと、フェンが同じように空を見ていた。だらりと両手を下ろし、ぼんやりと立って夜空を、月を見ている。
その顔はどこか穏やかで、幸せそうだった。
だがフェンが見せたその隙を、深雪は見逃さなかった。つられて夜空を見ることもなく、フェンだけを見据え、そして容赦なく攻撃した。
深雪の細い右腕が鋭く空を引き裂き、フェンに向かって伸ばされる。
何をしたのか相変わらずわからないが深雪の掌がフェンの左胸、心臓を狙って伸ばされた。
そして、握り込まれた小さな掌が開かれたのと同時に、フェンは後ろへ吹っ飛んでいった。




