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猫とグレープの間

作者: 森上 木一

 遺書を、書くか。机に向かい、私はペンを構えた。

 今時遺書なんて流行るのか?とふと疑問に思ったが、取り敢えず考えてみる。

 暗い気持ちも、ある。でも好奇かもしれない。自殺なんてそんなもんだ。

 過去に、『素敵な世界に行く』とだけ遺して自殺した二人の少女の話を、聞いた。そんなもんだ。

 私は何と遺そう。『辛いです』か。『さよなら』か。卑近な表現しか思い浮かばない。

 結局、まず親に対して認めることにする。

 何やら外で物音がするのが気になり始めたのは、その5分程後だった。

 明らかに、二階にある私の部屋の窓の外、飛び出した一階の陸屋根の上に何かがいる。

 こんな時に、そんなことを気にしなくても良いのに、それを知っておかないと、中々死ねないかな、と思った。中々寝れないのと同じだ。

 そっとカーテンを開ける。ぐっと息を飲む。動物の子どもが鳴くような声が出た。

 そこには二十代前半くらいの女性が居て、庭に植えたグレープフルーツの木の、高いところに生った実を採ろうと手を伸ばしていた。

 始め、その光景の意図がわからなかった。いや、光景に意図なんてないのだが、それは、そこにまるで以前からあった絵の様に、自然に見えた。

 女性の顔は美しく整い、私は思わず静かにことの顛末を見守っていた。

 謎の女性は危なげにも優雅に、たわわに実った柑橘の一つをもいだ。

 あまりに女性が悠々とした動きだったので、彼女と目があっていることに始め気付かなかった。

 わ、と思った時には、女性は私のすぐ近く、網戸越しに呼吸音が聞こえるくらいまでに接近していた。接近?普通目撃されたら逃げるんじゃないの。

 女性は私の目を見、そして書き途中の遺書を見、手元のグレープフルーツを見た。一連の動作は、亀よりも鈍く、鶴よりも美しかった。

 「遺書ね」彼女が口を開いた。その声はゆったりとしているが、時間を止める様な強引さを感じた。全く、変な感覚だ。

 「あなたは…」私が言いかけた時、彼女は人指し指を立てて、それを唇に当てる動作をした。しなやかで、無駄の無い動きだった。 「あなたの時間は、終わるのね」ゆったりとした口調で話し出す。「私、40年くらい生きてきたけど、あなたには、追い付けない」そう言ってグレープフルーツを見る。「植物は不思議。こうやって、何十年も、生きる。私たちなんか想像もつかないくらいの早送りで、他の生命を見てるのね」彼女の話し方は私にしたら遅すぎた。木が話しているみたいだ。だが苦ではない。

 いろいろと説明して欲しかった。グレープフルーツのこと。年齢のこと。生きるということ。

 「蟻なんか急ぎ過ぎだと思わない?」蟻?まあ確かに。「あなたは、そうね、小さな猫みたい」

 猫が私より急いてる様には見えないが、当たっているかもしれない。ぼんやりしているようで、十八年でもう命を絶とうとしている。そういうことか。靄靄の「靄」が一つになるくらいは理解した。

 寿命の長さで時間の感覚が違う、という話を聞いたことがある。もしかしたらこの人の寿命は、普通の人間の倍はあるんじゃないかと思ってしまう。

 「悩みも多いのよね」彼女は私の考えを見透かしたかの様に話し始める。「周りの人の早さに着いていけないの」本当に?そうなの?

 そんな、産まれた瞬間から人より長めの寿命を約束された人間などいるのか。

 「じゃあ、これありがとう」相変わらず間伸びした喋り方と動作で、彼女は去っていく。グレープフルーツだけを持って。

 窓際を羽虫が急がしく這っている。虫は精々一年もつかもたないかの命を、虫にしたら百日に値するだろう一日に惜しみ無くぶつける。

 まあ死ぬのは明日でもいいか。

 羽虫は猫の倍以上の速さで顔を洗っていた。


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