神様、下界に降りてみる
「最近、天界庁の高度が落ちてきてないか?」
天界庁福祉課長がふとそのことを口にしたのは、今代の勇者が無事に魔王を倒し、しばらくはのんびりと通常業務に専念できると一息ついたころだった。
「えっ、まさか。だって神様が支えてくださってるんだろ?」
「だよな、俺もそんなわけないと思うんだけど、なんか気になるんだよな……」
そのつぶやきを、隣の机で書類整理をしていた環境課長は即座に否定する。
天界庁は、下界の管理を担っている天空に浮かぶ巨大な建物であり、神の御業によって保たれている。神が存在する限り、それが揺らぐことはあり得ない。
「そういや、神様の姿を最近お見かけしないんだけど」
「そうだっけ?たまたまじゃないの?」
「いや、言われてみれば、私もここのところお会いしてない」
室内から我も我もと同意の声が上がる中、資材管理課長がぽつりと言った。
「そういえばちょっと前に、神様が勇者の様子を雲の上から見ながら『下界も良いものだな……』って言ってるの聞いた」
神によって保持される天界庁。
姿の見えない神。
つまり…………………………………………。
「探せっ!下界中くまなく!すぐに天界へお戻りいただくんだっ!!」
天界庁の危機を悟った総務課長の号令の元、割ける人員の全てを動員した「神様捜索隊」が結成された。
「ちょいと、リヤル!」
「なあに、母さん」
下界のとある山奥の村。
庭で薪を割っていた10代半ばほどの少年が、母の呼びかけに答えて玄関から顔をのぞかせる。
「そろそろ父さんのところにお弁当持って行ってくれるかい?」
「ああ、もうそんな時間か。いいよ」
母特製の弁当を渡される。
ただ布で包んであるだけではなく、何やら花の形のような包み方になっている。この辺りからも、母の気合が感じ取れた。
この夫婦はいつまで経っても新婚気分が抜けない。父は母に勝てたためしがないし、母は母でベタ惚れなのだ。息子としては両親が仲睦まじいのは喜ばしいことだが。
「いつもの奥の湖で釣りしてるはずだから」
「分かった」
「魔王も倒されて平和になってきたけど、最近また森の辺りで魔物が出たとかいう噂もあるから、気を付けるんだよ」
「うん、ありがとう。でも大丈夫さ。俺、父さんに剣を習ってるんだから」
「そうだったね。でもとにかく気を付けて。怪我なんかするんじゃないよ!」
弁当と腰に差した愛剣の重みを感じながら、リヤルは湖に続く森へ足を向けた。
森の中をしばらく歩いたころ。
少年は目の前の事態をどう処理すべきか悩んでいた。
何故か青年が、茂みに頭を突っ込んで倒れている。
このまま放っておくのは、最近の魔物の噂を考慮するとさすがに良心が咎める。
だとすれば取るべき行動はただひとつ。
「………………あの、大丈夫ですか?」
「いや~、どうもありがとう。ちょっとばかし迷子になっちゃって。途方に暮れて居眠りしてしまったのだよ」
リヤルが恐る恐る声をかけてみると、なんと青年は気持ちよく眠りこけていたらしい。
はっはっはっと笑っているが、笑いごとではないような気がする。
もし自分が通りがからなければ、魔物に襲われていてもおかしくない。
それにしてもこの目の前の青年の不思議さはなんだろう。
一見普通の青年のように見えるが、よく見るともっと若くも見えるし、いっそずっと年上にも見える。
そして鬱蒼とした人気のない森の中で迷いながら、この余裕。青年からは一切の焦りが感じられない。
人間を誘き寄せようと魔物が化けているのだろうかとも考えたが、何故か悪だとは思えなかった。むしろ、対極に位置する存在のような。
「あの、どうしてこんなところに?」
「ん?ちょっと落し物をしてね。この辺りにあるはずだから探していたのだ」
「落し物……ですか。本当にこの辺りに?」
「それは確かだ」
どうやら自信があるらしい。
リヤルは辺りをぐるりと見回し、魔物の気配を探る。
無意識に右手が剣の柄に触れた。
……近くはないが、微かに気配を感じる。
「この辺りは最近、魔物が出るらしいんです。諦めることはできませんか?」
「いや、それはまずい。あれが無いと帰れない」
答える青年の目は真剣で、容易に諦めてくれそうにはなかった。
「そうですか……じゃあ、俺も探すの手伝います。二人でやればすぐ見つかるでしょう」
「え、いいの?」
「はい。早く見つけて、ここを出ましょう」
「親切にありがとう。私はテンという。君の名前を聞いても良いかな?」
「テンさん。俺はリヤルです」
テンと名乗った青年は、にっこりと笑んだ。
「それで、どんな物ですか?」
「うーん……、これくらいの、銀色の玉……かなあ」
言いながら、テンは手のひら大の形を示す。
「どんなものかよく分からないんですか?」
「うん、まあ。見ればすぐ分かるのだけど」
「?分かりました。じゃあ、それらしいものを見つけたら、テンさんに見せますね」
「よろしく」
2人はそれぞれ捜索を開始した。
リヤルは常に魔物の気配に気を配りつつ動いた。しかし一方、テンは何も考えていないようで気の向くままにあちこち行くので、見失わないように慌てて追いかけなければならなかった。
ふいに、首筋をちりっと焼くような違和感を覚えた。
顔を上げたリヤルは、前方のテンに注意を促す。
「テンさん!近くに魔物が居ます。気を付けて!」
「えー?」
草をかき分けていたテンがその手を止めると、まさにその向こうから何かがこちらをうかがっていた。
頭頂部には、雄々しさを象徴するように大きく曲がった2本の角。何でも貫けそうな鋭く尖ったツメ。大きく開けたその口からは、荒い息を吐き出している。
「……魔物っ!!!!」
即座にテンを引き戻し、後ろにかばう形で剣をかまえる。
「テンさん、危ないから下がっててください」
目の前の魔物を見据える。
体長は2メートルほど。この種としてはそれほど大きくない。油断しなければ倒せるだろう。
緊張を高めて間合いをはかっていたところに、テンの気の抜けた声が聞こえた。
「あ、私のオーブだ」
言われてそちらに目をやると、魔物の後ろに銀色の玉のようなものがが見える。
「あれですか?」
「うん、間違いないね」
ヴォオオォォォォォォ
リヤルたちが銀の玉を見ていることに対して威嚇するかのように、魔物が吠えた。
「どうやら、こいつを倒さないとテンさんの探し物は取り戻せないみたいですね」
「そうみたいだね~」
どうせ触れもしないだろうに、というつぶやきが聞こえたが、問い返している余裕は無かった。
ギインッ
問答無用で迫ってきたツメをなんとか剣で弾く。
それほどの素早さは無いが、背が高い分、上から繰り出される攻撃はそれなりに重い。
しかしうかつに避けては、後ろに居るテンに攻撃が向く可能性がある。
「くっ」
何度か攻撃をしのいだところで、剣を大きく振りぬいて魔物との間合いをとる。
このままでは無駄に体力を削られていくだけだろう。なんとかこちらからも反撃をしなければ。イチかバチかで仕掛けるべきか。
「リヤル」
名前を呼ばれたと同時に、ぱちんっとテンが指を鳴らす音が聞こえた。
その瞬間、何故だか全身に力がみなぎった気がした。特に剣を持つ右手。
これなら、いける。
ぐっと思いきり踏込み、魔物の懐に飛び込む。
速さではこちらが勝っている。
魔物が反応するよりも先に、そのまま下から思いきり切り上げた。
目の前には、リヤルの剣によって絶命した魔物が倒れている。
テンが名前を呼んで指を鳴らした瞬間、爆発的に力が高まったような気がした。
じっと右手を見つめるが、今は変わった様子はない。
だが、先ほどのように極端なものではないが、心なしかいつもより剣が軽く感じるような。
ぱちぱちぱち
「いや~、強いね。リヤルくん」
「テンさん……」
のんきに拍手をしながらテンが近づいてくる。
その左手には、いつの間に確保したのか例の銀の玉が乗せられていた。
左手に玉が乗っているので、どうやら右手と左手首で拍手したらしい。
器用だな、とリヤルはぼんやり思った。
「あの……さっき、何かしましたか?」
「何かって?」
「俺が魔物を倒す前に、指を」
「見つけたっ!!!」
リヤルの問いかけは、突然の闖入者によって遮られた。
声がした方へ振り返ると、金のラインが入った白い詰襟を着た美青年がこちらへ足音も荒くやってくる。
「もう、どうしてこんなところにいらっしゃるんですか!?いったいいつから?あんたが留守の間にこっちは落っこちそうになっちゃってるんですよ、分かってるんですかっ!」
一息にまくし立てた故の酸欠からか、はたまた怒りからか、美青年は顔を紅潮させてテンを睨みつける。
「ごめんね~。これをうっかり失くしちゃったから、帰るに帰れなかったのだよ。わざとじゃないよ、ほんとだよ?」
「はっ!?オーブを失くしてたってどういうことですかっ!わざとじゃないにしても、『ま、いいか』くらいは思っていたんでしょう、どうせ!?」
あははははは、と笑うテン。
美青年は敬語ではあるがずいぶんくだけているし、態度もどこか気を許したものがある。よほど気心の知れた仲なのだろうか。
ふとそこで、今気づきましたと言わんばかりに、美青年がリヤルへ視線を向けてきた。
「君は……」
「彼はリヤルくん。行き倒れていた私を助けてくれて、さらに一緒にオーブ探しまで手伝ってくれた、とても良い人だよ」
「どうも、はじめまして……」
じっと見つめてくる美青年にいささか緊張するリヤル。
しかしその緊張をほぐすように、美青年はふっと笑って言った。
「そうですか。それは大変お世話になりました。私からもお礼を言わせてください」
「いえ、なんだかむしろテンさんに助けられたような気もします」
「テンさん?」
きょとんする美青年。そんな表情も様になっている。
「そんなことないよ。本当に親切にしてくれて、助かったよ」
テンが割って入る。
そこで何かに得心が行ったように美青年がうなずいた。
「とにかく、一刻も早く帰りますよ!本当に切羽詰ってるんですからっ」
「はいはい。じゃあ、リヤルくん、本当にどうもありがとう」
「え、あ、はい……」
「またね」
ひらひらと手を振られ、思わず振り返してそのまま見送ってしまう。
最後に意味深に放たれた、またね、とは一体。
というかあの2人、ちゃんとこの森から出られるのだろうか?まあ、美青年の方は自分の意思でここまで来たようだから、大丈夫か。
「あ、弁当!」
そこでリヤルは、本来の目的をはたと思い出した。
慌てて空を見上げれば、もう太陽はずいぶん高くまで昇っている。
完全に昼食の時間は過ぎていた。
やばいっ、父さんにぼこぼこにされるっ!!
母の愛妻弁当をお預けされた父の苛立ちははかり知れない。そして帰ればそれを知った母の制裁も待っている。
とにかく急ぐしかない。
リヤルは全速力で湖までの道をひた走った。
天界庁執務室。
神の帰還により、天界庁は無事に元の安定を取り戻していた。
「あー、今まで出かけたことが無いから知らなかったけど、私が居ないだけでずいぶん不安定になるのだね、ここ」
「なにのんきに言ってるんですか!あんたは自身の重要性をもっと認識してください!もう二度と留守になんてしないでくださいよっ!」
自分好みの濃さに淹れられたコーヒーを片手にまったりとつぶやく神に、そのコーヒーを用意した美青年こと資材管理課長は噛みつく。
「でもまあ収穫はあったし、いいじゃない」
「……あの少年ですか」
下界で神を見つけたときに一緒に居た少年。
こちらへ挨拶する彼をじっと見つめて、資材管理課長は納得した。
ああ、次代の勇者か、と。
偶然なのか神自身から近づいたのかは知らないが、まあ、勇者と神とはそういうものだろう。
まだ完全には目覚めていないようだが、明らかに他の人間とは違うオーラを持っていた。何やら神々しい力の残滓を感じたのは、神が覚醒を促すような何かをしたのかもしれない。
しかし次代の勇者が既に現れているということは、次代の魔王もまたどこかに生まれようとしているということだ。
やっと今代の件が丸くおさまったと思ったのに。あーあ、また残業の日々かー。
あやうく吐きかけたため息をぐっとこらえる。これも仕事だ。
とりあえず、天界庁落下という未曽有の危機は脱した。
今は大人しくコーヒーに口を付ける神を見やる。
詳しくは語らないが、その様子を見るに下界生活はずいぶんと楽しかったようだ。しかし既に次代の勇者が目覚め始めているという状況では、神もさすがに再び下界に降りるようなことはしないだろう。
「そういえば、テンってなんですか、テンって?まさか、天界庁の『天』ですか?」
「ご名答。なかなか良いだろう?」
ご満悦の神を横目に、はあっと、先ほどこらえたため息がもれる。
「今度はオーブを置いて行けば、少しくらい平気じゃないかな。次代の勇者はずいぶんと好青年だったから、贔屓して力を貸しに行こうか。またねって言ったしな~」
「オーブはあんたの力の源でしょうがっ!それを易々と手放すんじゃないっ!!そして下界にはもう降りんでください、お願いだから!」
どうやら通常業務に次代の勇者の件、さらに神の脱走防止まで加わるらしい。
特別手当、出るかな…………
資材管理課長は神様といちばん付き合いが長い分、いちばん振り回されています。