* 2
次の日、何故だか僕は、無性にイライラしていた。自分でも不思議に思うくらい、イライラしていた。
「おい、滝川、どうしたんだよ。今日のお前、顔怖いぞ」
山下が、笑い半分に訊ねてくる。どうしたも、へったくれもない――ただ、ひたすらにイライラする。
「昨日、先帰ったから怒ってるのか。悪かったよ、そんなことで拗ねるなよ」
「……完全下校時刻まで、帰れなかった」
「ははっ、あの量だもんなぁ」
山下が軽快に笑う。あちこちに向かって跳ねている黒髪が、楽しげに揺れた。
「山下、お前さ、宮本と話したことあるか」
僕がそう訊ねると、山下は目をまんまるくして「宮本って、あの宮本か」と、今日も変わらず窓の外を眺める宮本を指差した。
「他にどの宮本がいるんだよ」
「いや、だって、話すわけねぇじゃん。あいつ、いつも一言も喋んないだろ」
確かに、宮本はいつも一言も喋らず、ただ席に座って外を眺め、ずっとそこに居る。けれど昨日、彼女は喋った。「悠くん」と、その薄い唇を動かして、澄んだ声で僕の名前を呼んだ。
「あいつ、顔だけ見れば美人なのにな」
山下は心底残念そうに溜め息を吐くと言った。僕は宮本を眺めてみる。けれど、彼女は窓の方を向いているので、彼女の後ろ髪しか見えない。肩まで届く、さらさらとした真っ直ぐな黒髪が、静かに佇む。
「僕、昨日、あいつと喋った」
妙に片言になった、気がする。言葉を発したら、急に恥ずかしくなってきて、僕は俯いた。けれど、山下が興味津津といった様子で僕の肩を掴むから、僕は顔を上げざるを得なくなった。
「え、あいつと何喋ったんだよ。っていうか、なんで、どうして」
僕の肩をがくがくと揺らす。揺すられるままにしていたら、頭が取れるんじゃないかと思うほど、がんがんに揺れた。
「別に、たいしとこと喋ってない」
その証拠に、今日は宮本と喋っていない。目が合ってすらいない。何事もなかったかのように、彼女は自分の席に座り、窓の外を眺めている。
――いや、確かに何事もなかったのだ。
ただちょっと、話しただけ、言葉を交わしただけ。
「いやいや、たいしたことなくないぞ、滝川。喋ったことが奇跡だって、お前気付けよ」
山下がそう言い終わった直後に、始業のチャイムが響いた。そこで僕は、昨日先に帰ったことに対する仕返しをしていないことに気付いた。自分の席に戻ろうとする山下の足を蹴飛ばしてやる。
「いって……ちょ、滝川、何するんだよ」
僕は「別にー」と言って、満面の笑みを浮かべてやった。
――ああ、そうか。
僕は、昨日少しだけ距離が縮まった気がした宮本と、目すら合わないことにイライラしていたのだ。逆切れにも似た感情に、溜め息が漏れる。本当に、全く以て、実に、くだらない。