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ホラー短編集

ピピの呪い

作者: 桜井 裕之
掲載日:2026/09/23

今年で33歳になる猿子島幻児(さるこしまげんじ)は世論系動画配信者である。彼は現代社会で起こるさまざまな事件、とりわけSNSなどで炎上した出来事を取り扱っては火に油を注ぐがごとく、より大きく話題を広げて視聴者の心を掴み共感を得る、そんな動画を週1回のペースで配信する。週1回という間隔は幻児にとって余裕と感じるときもあれば、ちょっと忙しいと思うこともある。そのつど、自分の置かれている状況が変わっていくからだ。動画配信を始めてから3年…少しずつ視聴者を増やしていき、今では1万人前後の人たちが彼の動画を視聴するまでに至った。しかし、最近になって頭が上手く回転しなくなり、思考が鈍くなるとともにこの作業においてもっとも恐ろしいネタ切れ地獄というものが彼に襲い掛かってきていた。やり始めの頃はそんなことはなかった。次から次へと炎上事件が起こるたびにさまざまな思考が頭の中をグルグルと駆け巡り、ふいに浮かんだアイデアをすぐさま取り込んで自作の動画に反映させていく。自分がそれらの作業にやりがいを感じるほど視聴者数も増えていくという、人間、波に乗るとどこまでも突き進むといった感じの日々であった。しかし、近頃は以前のような勢いがなく、動画を作成するにしてもいまいちパッとしない、自分で作成していて「これ面白くないなぁ」などと呟いてしまうことも多くなってきた。両親はすでに他界しており築年数の古い実家を幻児が引き継いで住んでいるが、4年前に父を亡くしてからというもの心にポッカリと穴が開いてしまい、努めていた会社を辞め今は倉庫管理会社でバイトしながら家に帰ると端末機器とニラメッコする日々を送っている。


彼は作業部屋を離れ、廊下を歩いた先にある、古びた畳が敷かれた部屋に入るとゴロリと横になった。しばらくは考え事をしていたが目を閉じると急に眠気に襲われ意識が遠のいてしまった。眠ってからどれだけ時間が経過したか分からない。数秒後なのか1時間くらいは経っているのか……彼は夢の中にいた。その夢とは自分は管理倉庫で働いておりフォークリフトを運転しながら作業をしている夢だった。運転中、操作の誤りで積荷が床に転がってしまった。いったん、フォークリフトから降りて積荷を運びながら元に戻そうと懸命に作業をする。作業を終え一段落するもつかの間、積んだ荷物の中に一匹の猫がまぎれていた。飼い猫のピピである。


(ピピ…どうしてあんなところに)


彼は手を伸ばして猫を取り上げようとしたが、その瞬間、他の赤い色をしたフォークリフトがやって来て猫が乗っかっている積荷を移動させようとしていた。


「待ってくれ、ピピがいるんだ。連れて行かないでくれ!」


だが積荷は他の者によって運ばれ、彼の視界から消えていった。彼は思った。何でこんなことになってしまったのか?なぜ猫がいることに気付けなかったのか?積んでいる最中によく見ていなかったからなのか?とにかく彼はピピを捜した。あっちこっち捜しまわった。そうしているうちにやっと赤いフォークリフトを見つけた。運転していた男を問いつめた。


「あー、猫かぁ。いたよ。でもまたどこかに行っちまったなぁ」


それからも方々を捜し回って足取りを追ってみたが結局見つからないまま途方に暮れて空を見上げたところで目が覚めた。ぼーっとしながら天井の蛍光灯を見ていた。彼は起き上がると作業部屋に戻りしばらくは何故あんな夢を見たのかを考えた。幻児は猫など飼ってはいない。しかし夢というのは不思議なもので飼ってもいない猫に名前まで付けて捜し回っている自分がいたのだ。おそらく猫は自分が飼いたいという願望だろう。でも自分が住んでいる家では猫は飼えない。居候している弟が猫嫌いだからだ。自分は夢の中で猫を追っていた。きっとネタを探して毎日あちこちから情報を収集している自分と重なったのであろう。


(ピピってなんだろう?どうして俺は夢の中で猫にそんな名前を付けたのか…)


彼は検索してみた。アイドルにそんな名前で売り出している女の子がいた。それ以外にもピピという名のよくしゃべることで地域では有名なインコの動画があった。ぬいぐるみのキャラクターにそんなのがいた。エッセイ集にタイトルでピピと付けられたものもあった。


(へぇ~、いろいろあるもんだなぁ)


意味もなく感心しながらスクロールしていくとお笑い系の人気ユーチューバーが経営しているピピという店において、なにやら大炎上していると噂の動画を発見した。そこは出来上がったプラモや限定オリジナルのフィギュア人形、ミニチュアなどを扱っており、地域では人気のある店だという。その店の中で来客のこれまた人気ユーチューバーである男の行動が問題となり炎上しているのだという。幻児は久々に胸が躍った。いい素材だと思った。これに乗っかってさらに炎上させることができれば自分の仕事としては成功ということになる。彼はさっそくその動画を見てみることにした。


動画は人気ユーチューバーのゼット里中が経営する店を同じく人気ユーチューバーの@ノーテンと付き添いのカメラマンの2人が店に入るところから始まる。@ノーテンが店に入ると目をギョロギョロさせながら棚に並べられたフィギュア人形やプラモデル、ミニチュアセットなどを鑑賞する。そうした品の中でも@ノーテンが目を奪われたのはゼットが1年間をかけて作ったオリジナル・テーマパークのミニチュアセットだった。店の中ほどにあるテーブルに配置されたその景観はミニチュアながらもその中に引きずり込まれるような迫力があった。世界のあちらこちらにある超有名なテーマパークに似ているが中央にお城は無く、銅像が立っている。その横には甲子園球場のミニチュアがある。3段式の棚にはところ狭しとフィギュア人形が飾られており、ゼットのオタクキャラぶりが部屋の隅々まで発揮されていた。画面は変わってゼットの自室をカメラが回っている。そこで問題の場面が映し出される。


「これもさっきの物と同様…」

「そ、そうすねぇ~ハハッ…」

「それじゃあ遠慮なく」


バキッ!ズコッ!グシャッ!


「え?コレもなんですか?」

「ええ、それもなんですよねぇ~」

「じゃあ~いきますよ」


ポキッ!メキッ!カシャーン!


なんと@ノーテンがゼットの部屋に置かれたプラモやらミニチュアセットを片っ端から壊していく…そのたびにゼットが何とも切ない表情を浮かべる。


「ああ~ああああ~」

「いやぁ~なんか物を壊すってのも気分いいよ。えーと、コレもなのか?」

「え、ええ、まあ、そうなんすよねぇ…」

「それじゃあ遠慮なくいきますわ」

「ええ、あ、ああ、ああああ~」


幻児は呆れ果てた。人の部屋で他人の所有物を壊し続ける@ノーテンという男…これは器物損壊罪に値するのではないか?と彼は思った。それだけではない。この動画にたいして多くの視聴者から苦情が殺到し、さまざまな意見や怒りの声が炸裂。それらの言葉がマシンガンの乱射のごとく流れ溢れていた。まさに非難の嵐であった。幻児は炎上動画を前に興奮を抑えられず、すぐさま、この動画に関する事の経緯を自分なりの表現でまとめあげ配信を行なう準備に取り掛かった。タイトルは『人の家に勝手に入って物を壊し続ける不届き者、@ノーテン!』

事件を扱う動画は時間との戦いである。スピードを問われるのだ。ひとつひとつの細かい作業をパッパッとやっていかないと情報社会の収穫時に間に合わない。視聴者は採りたての野菜、果実を欲しているのだ。異様なまでの使命感に覆われた幻児は自分が果たさなければ誰がやるというのだという思いでせっせせっせと段取りよく作業をこなし、ついに動画を完成させ1万人の視聴者に向けて配信した。いまだかつて体験したことのないほどの満足感に浸りきる幻児。


(よっしゃあ~なんとか完成したぞ。にしてもハラ減ったなぁ、メシでも食いに行くか)


ちょうどその時、玄関先で音がした。弟の洋児が帰ってきたのである。


「よー、洋児、一緒にメシでも食いに行かないか?」

「いや俺、いま帰って来たばかりだよ。コンビニで夕飯買ってきたし」

「そうか、じゃあ、ちょっくら出かけてくるわ」


幻児は家の近くにある焼肉屋で腹ごしらえした後、久々に銭湯に行った。家に風呂はあるが今日は銭湯で寛ぎたい気分だった。タオルなどを店の中で買い湯気の立つ浴室に向かった。家に戻ると洋児がキッチンにいた。


「いい湯だったなぁ、洋児、お前もたまには風呂屋の湯に浸かってみたらどうだ」

「俺はいいよ、お金がもったいない。あー、それから」

「ん?なんだ」


幻児は洋児に封筒を渡された。中には6万円ほど入っている。


「おい、お前…お金もったいないとか言っておきながら。それに離婚したばかりで今、金ないんだろ?無理するなって」

「いやぁ、兄さんの世話ばかりになっても仕方ないし…気持ちの整理もついたから、そろそろ引越しを考えているんだ」

「そ、そうか…」


幻児は作業部屋に戻り椅子に座ると一息ついた。


(アイツも大変だよなぁ~、でも結婚してみて相手が本当はどんな人間だったか分かってしまうって…あるもんだな。半年すらもたなかった…アイツ)


そんなことを考えながら先ほど立ち上げた動画の様子をみてみる。かなり視聴者が伸びている。結構な勢いだ。この調子だと1万を軽く超えそうだ。幻児は手ごたえを感じた。しばらくは自分が手掛けた動画の出来栄えに酔いしれていたが、ふと、コメント蘭の内容をチェックすると意外な言葉が並び始めた。


〝元の動画をちゃんと見て配信してます?〟

〝これ、ひょっとして今、出回っている切り抜きの方を取り上げているのでは?〟

〝これって確か里中くんが引っ越すとかで、廃棄処分する自作のミニチュアを片付けるところを@ノーテンがやってきて、俺も手伝おうとかいっているうちにコントみたいなやりとりになって、いらなくなった物を壊しながら片付けていくといった内容の動画のはずなんだけど。なんか勘違いしてるぞ〟

〝誰かが悪戯で切り抜き動画を出していて@ノーテンが悪者みたいな描写で配信され、そちらのほうが炎上しているよね。これってまさか〟

〝猿子島、オワッタ。この動画が最後〟

〝ひどい。もうこの人の動画は見ない〟


(うわっ、なんだコレ?俺…炎上しているのか?そんなバカな)


幻児は慌てた。次から次へと幻児の動画にたいする非難の声が新宿駅の朝のラッシュのごとく押し寄せてくる。しばらくの間、彼は目が魚のようにまん丸に開きブルブルと震えながら画面を見ていた。


(予想外だ…まったくもって予想外の展開だ。いったい何が起きたんだ?俺、地雷でも踏みつけたか?)


彼が思う予想外の展開…それは以前にもあった。嬉しい方向での予想外であり、彼の人生においてもっとも楽しい瞬間であった。しかし今回は違う。あきらかに違う。『負』という一字が彼の脳裏に浮かんだ。


(切り抜き?俺が参考にした動画が切り抜き動画だというのか?)


彼はようやく冷静さを取り戻し、コメント蘭を潤すその元となる配信動画を捜した。@ノーテンの編集する動画をチェックしているうちにそれを発見した。動画タイトルは『おじゃましまぁ~すぅ~』と付けられたおり、彼が作成のために使用した動画よりも2倍くらい尺の長い配信動画だった。彼の心に緊張感が走った。


(この動画の中に自分が確認していないシーンがあるんだな。いったい何が映し出されているというんだ?)


その動画は@ノーテンがゼット里中の家に入る前に、視聴者に向けて今回の動画の目的、ゼットの家を訪問する理由などを語るところからスタートする。まずはこのオープニングの部分が削られていた。@ノーテンが説明する。


「えー、いま僕はゼット里中くんのお店の前にいます。ゼットくんが近いうちに引っ越しをするということで、引っ越しの手伝いをかねて遊びに来ました。ゼットくんはさまざまなミニチュア、プラモデル、フィギュア人形などを売ってまして、とくにミニチュアなどはゼットくん自身の手作りのものも多数あるということなので、とても楽しみです。では、中にはいりましょう」


(えっ?なんだコレ?いきなりゼットの家に上がりこんだわけじゃないのか?)


@ノーテンが店の中に入り、そこに置かれているミニチュアやらフィギュア人形が映し出されていく。このあたりは幻児が見たものと一緒だ。しばらくして店の奥からゼット里中が姿を現す。


「おおー、ゼット!来てやったぜ、引っ越すってホント?」

「本当だよ。今さぁ~、いろいろと大変なんだよね。自作のミニチュアたくさんあるんだけど…これからのことを考えて新しい家ではスペースが欲しくて今あるミニチュアのいくつかを捨てようと思ってるんだ」

「ええ、なんかもったいないなぁ」

「仕方ないんだよ、今のこの家、そこら中が創作物というかガラクタだらけで足の踏み場もないくらい。引っ越し先の家もそんなに広くないからねぇ~。やっぱり処分していくしかない」

「そうなんかぁ、でも何かもったいないな。これとかよく出来ていると思うけど」

「ああ、それは新しい家に持っていきますよ。新作なので」


2人はやがて家の奥にある散らかった部屋に入った。ゼットがそこら中を指差しながら言う。


「えーと、ここに廃棄となるガラクタを置いてるんだけど、その隣の部屋にそれまで作ってきたミニチュアが並べられてまして…」

「おおー!あるある。え?ここにあるのってまさか…」

「そう、残しておく物と捨てるものをこの部屋で選別しているんだよね。だいたいこの辺にあるのが残していくやつ。それでここからは壁の端まで捨てようかなってやつが並んでいる」

「じゃあ、これらを隣の部屋まで持っていけばいいんだな」

「うん。そういうことになるかなぁ~」

「おおっと、何か踏んづけてしまったぞ。ああ、これ飛行機」

「ああ、それ、いらないやつだから」


しばらく2人は選別の作業をしていたが@ノーテンがかなり大きなミニチュアセットを発見した。それはヨーロッパにある有名な古城の巨大ミニチュアだった。


「これ凄いな。大きいけどよく出来てる。これは持っていくんだろ?」

「いや、捨てる」

「ええ、捨てるの?」

「それ失敗作なんだ。作り直したものが売り場にある。見なかったかい?」

「うーん、そういえばあったような…」

「だからそれは廃棄処分だね」

「でもこれ大きいから分解するしかないよね」

「ハッハッ、そうだね」


@ノーテンは古城の尖がった塔の部分を引っ張ってみた。かなりしっかり固定されていて外れそうにない。それで両手で強く捻るとグシャッと音を立てて塔の部分が外れた。


「うわあ~外れちゃったよ。城の尖塔がぁ~」

「ハッハッハッ、でも何ていうかなぁ、いらなくなったものでも壊れると胸がズキンとくるよ」


@ノーテンが壊すたびにゼットがわざとらしく悲鳴をあげるなど、しだいに2人の絡みは激しくなり、ちょっと過激なコントを見るかのような動画になっていった。そしてこの後、幻児が切り抜かれたほうの動画で目撃したシーンが入ってくる。


「これもさっきの物と同様…」

「そ、そうすねぇ~ハッハッ」

「それじゃあ遠慮なく」


幻児が青ざめた表情で動画を見ている。この元となるオリジナル動画に映し出されていたのはゼット里中と@ノーテンのピッタリと呼吸のあった絡み、仲のよい2人の楽しい趣向の動画だったのである。


(ふざけやがって。いったいどうしてくれるんだ。お前らのせいで…いや、これはこの動画を編集し@ノーテンが悪者に見えるように仕掛けたやつの仕業だ。クソッ、誰だ!ゼットか?それともノーテン?……カメラマン?この2人のやりとりを撮影していたカメラマン?……そういえばコイツ、とうとう最後まで顔を見せなかったな。紹介さえされなかった。それとも他のやつの仕業か?いや、もう、そんなことはどうでもいい)


幻児は頭を抱えた。成功への道のりはカタツムリのようにゆっくり、ゆっくりと進むが、失敗するときはとても早いスピードで転がり落ちる…幻児の脳裏には2つの選択肢があった。


①無視

②削除


①の場合はそのまま受け流す。何もしない。何もしないまま炎上した動画とは脈絡のない、まったく関係性の持たない新しい動画を配信し続けて、炎上動画の印象を少しでも薄くなるように努める。ただし、薄くなっていっても完全に消えることは無く、薄くするにも時間を要する。

②の場合は断行という形になるが、削除したことに気付いている視聴者と、それに気付かない(問題となる動画のことを知らない。あるいは炎上したことを知らない)視聴者の2種類の視聴者が存在するようになり、最悪の場合、前者は離れて行ってしまう可能性がある。


幻児に考える時間などなかった。放っておくなら放っておく。消すなら消す。


(どうすればいい?どうすればいいんだ……待てよ…俺には1万もの視聴者。その中の千人がこの炎上動画を見てしまったとしても、残り9千人もいるではないか!だったら今すぐ削除したほうがいい。いや待て、そんなことしたら消そうとしているこの動画を見てしまった視聴者はきっと許さないだろう。新しい動画を立ち上げるたびに〝あの件についてなんですけど~〟とか、しつこくコメントしてくるはずだ)


幻児はチッキショーッ!と吠えると同時に壁際にある本棚を思い切り蹴っ飛ばした。その棚からボタボタと多くの本がホコリを撒き散らしながら床に落ちていく。幻児がふいに床に目をやると、ある一冊の本の表紙を見て妙な気持ちに駆られた。


(アレ?この本…そうだ。小さい頃におばあちゃんから貰った絵本じゃないか。こんなところにあったんだ。探していたわけじゃないけど…懐かしいなぁ)


この瞬間、幻児はある記憶を思い出そうとしていた。


(そうだ。ピピだ。この絵本の中にピピという名前の…えーと、なんだっけ?そう、女の子!ピピという女の子が登場するんだよ)


幻児はその場で座り込み絵本を両手に取りながら表紙を眺めた。「ナイトメア」というタイトルが付けられている。


(確か…この絵本の中にピピの物語があって、ピピはとても綺麗な女の子でいつも優しくしてくれる彼氏がいたんだ。でもその彼氏がある日、女グセが酷く凶暴な男がやって来て、それでピピを奪おうとしていたところに彼氏が来て、ピピを守ろうとしたんだけど…その彼氏が男に殺されちまうんだよな。ピピは必死で逃げるんだけど男はどこまでもどこまでも追い掛け回して、ピピを川岸まで追い詰めるんだ。そして男がピピに飛びかかろうとしたその時、突如、川岸から現れたワニに男は噛み付かれてそのまま川に流されてしまった。それでピピは助かるという話…だったよな?)


幻児はペラペラと本をめくり、ピピが登場する話を探した。


(あったあった、これだ。「どっちを取るの?」というタイトルだったのか。だいぶ忘れているな)


物語はおよそこのような内容だった。ある城下町に若い2人の男女がいた。1人はカイルという名の青年。もう1人はピピという名の女の子。2人はいつも一緒で誰が見ても恋人同士にしか見えなかった。カイルは中流階級の家に生まれているがピピはとても貧しい家に生まれ母も病気がちで生活が苦しかった。でもピピはカイルに会うときだけは一体どこから入手したのか分からないとても綺麗な服装を着て現れ、にこやかな顔でカイルに接する。ある日、ボークという名の青年が父親の職務の関係で引っ越してきた。彼は上流階級の出身であった。城下町の人が多く集まるバザール会場でピピとカイルがいるところをボークは目撃する。ボークはピピに一目惚れしてしまった。ボークはピピがカイルと別れた後、こっそりとピピを追跡した。途中、家畜小屋がありピピがその中に入る姿を見てボークは首をかしげる。小屋から出てきたピピはなんともみずぼらしい格好になっていた。ピピの向かう先は労働者が多く寝泊りするスラム街…その中でも特に貧しい人たちが暮らす部落だった。それから3日後の朝、ピピがスラム街を出て城下町へと続く橋に向かうために川岸を歩いていると、そこにはボークが立っていた。ボークは言う。「僕だったら君にもっと綺麗なドレスを着させてあげることができる」と。この一言で自分の秘密を知られてしまったと察したピピは動揺した。ピピがボークの投げかける問いに困っていると一匹の巨大なワニがピピに襲いかかろうとした。「離れて!」とばかりボークはピピの手を引っ張るとその場から遠ざかる。「コイツはここの主なのだろう。危ないところだった」とボークはホッと一息つく。仕方なくピピはボークと付き合うことにした。自宅のお屋敷にピピを招いたボークは高貴なドレスをプレゼントし着替えさせた。大きな鏡を前にピピは胸が躍った。それ以後、ピピは食事に招待されたり馬車に乗って山のふもとにある花園でボークとデートを重ねた。ある夜、ピピはドレスを着たままボークのお屋敷に向かうため城下町を歩いているとカイルが現れた。カイルは最近になってピピが自分に会ってくれないことと、他の男と一緒にいるところを目撃したことを告げ、どうしたことかとピピに詰め寄った。ピピは適当にはぐらかしたが、そういったことが続いていくうちにカイルの存在が邪魔になってきた。ある日、カイルを見つけたピピは「いままでに見たことがないような綺麗な花が咲いているから是非カイルにも見てほしい」と言いカイルを誘う。城下町を出て橋を渡るとカイルが「君って街を出たりするの?何処まで行くんだい?」と心配そうに尋ねる。川岸のあるところまで行くとピピは「ここ、この辺り、ちょっと見てごらんよ」とある方向に指を差す。「どれどれ」とカイルがしばらくその周辺を歩いていると川岸からワニが現われカイルに噛み付いた。断末魔の叫びと共に噛み付かれたカイルはワニに連れ去られていった。それから幾日が過ぎ、ピピとボークは大聖堂で盛大なる結婚式を挙げ、いつまでも幸せに暮らしたとさ…


(あれ?こんな物語だったっけかな?はあ~?)


幻児は本を投げ捨てると眉間にしわを寄せ、体中が小刻みに震えだした。


(俺って小さい頃から物事をあまり理解せず、早合点して独りよがりに納得してしまう癖があったもんなぁ~ピピはとんでもない子だった。悪い子だった)


幻児はしばらく動かずにじっとしていたが、やがて顔を上げ天井を見上げながら呟いた。


「そうだ。ピピのせいだ。俺が動画配信でしくじったのはピピのせいだ。夢の中にピピが出てこなければ…俺がピピの夢さえ見なければこんなことにならなかった!」

「違うよ」

「えっ?」


声が聞こえた方向に首を振るとそこには洋児が立っていた。洋児の両手には大きな手提げ袋が垂れ下がっている。


「洋児…ずっとそこにいたのか?」

「いや、ずっとってわけじゃないけど。なんか騒がしかったから」

「そうか…」

「そこに落ちてる絵本、俺も読んだよ。昔、兄さんがおばあちゃんに貰った本だろ?」

「ああ、まあな」

「兄さんの様子を黙って見ていて悪かったと思うけど、でもその絵本に出てくるピピのせいなんかじゃないよ。天国のおばあちゃんが兄さんに察してほしかったんじゃないかな?夢の中にピピを登場させて気付いてほしかったんじゃないかな。いま兄さんがやってる炎上した動画や事件を取り扱うような作業とか…向いてないと思うよ。それに適した配信者は他にいっぱいいるし。どうしても続けたいというのなら仕方ないけど」

「うーん、ただ続けたいってわけじゃないんだけど、なんとか配信数を伸ばせる方法はないだろうかとかね。考えてはいるんだけどね」

「そう。じゃあ…俺、行くから」

「行くからって?」

「引っ越し先が決まるまで友達の家にしばらくやっかいになろうってね、その友達も動画配信やってて会社が休みの日に手伝おうかとも思っている。すでに連絡済みでこれから向かうところなんだ」

「…そうか、わかったよ。引っ越したら連絡くれよ」

「うん、それじゃ」


洋児が出て行った後、幻児はゆっくり立ち上がりキッチンまで歩いていった。冷蔵庫からビールを取り出し椅子に腰掛けると一息ついた。洋児が別れ際に言った言葉が幻児の耳の奥に鳴り響く。



(向いてないか…そうかもな。路線を変えてみるか)


幻児の顔にかすかではあるが明るさが取り戻しつつあった。




                                    了





























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