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不器用でやさしい短編集

放課後、触れないシーソー

作者: 白千菓 たえ
掲載日:2026/05/27

 かわいらしい丸い並んだ文字列を、富永詩織はそっくりなぞっていく。

 

 文字が霞み始め頭をあげると、空は紅く色づき日が暮れ始めていた。

 とおくの方で、吹奏楽の音や運動部の部員の声が微かに聞こえている。


 

「もうこんな時間……」


 鼻の奥がつんとした時。教室の扉が開いたのは同時だった。

 彼――奥田翔は、目が合うと、扉の前に暫く立ち尽くし「え……?」小さく呟いた。

 奥田君とは、ノートや消しゴムを気軽に貸し借りするくらいの仲だった。


 

「どうした?」


 奥田君はいつの間にか目の前に移動して、私を気遣う。

 心配そうな彼を不思議に思い、オウム返しをしようと唇を開くと、彼の指が微かに私の頬に触れていた。


 彼のわずかな熱に驚いて瞬くと、雫が落ちた。

 そのときはじめて自分が泣いていることに気が付く。


「えっ、なんで……」

 慌てて自分で涙を拭う前に、彼が雫を器用に掬っていた。

 流れていた涙は、その熱に驚いたように止まった。

 

「……今日、休みだったよね?」


 奥田君は登校したあとすぐに見当たらなくなり、公欠扱いになっていた。

 彼は有名なプロサッカーチームのジュニア部門に所属している。彼は忙しく前の席が空っぽなのはよくある事だった。


「荷物、置いたままにしちゃってさ」


 奥田君は、椅子を引き前の席に座り机の中をさぐり始めた。

 ……私が泣いたことを執拗に追及はしてこないつもりのようだった。


 毎日見慣れた背中をぼんやり見つめ、徐々に頭がはっきりしてきた。

 泣いてしまったこと、触れられたわずかな熱に恥ずかしさを覚え、俯いた。


 心臓が早くなっていくのを感じ、慌てて自分を落ち着かせようと目を固くつぶった。

 ふれるといっても、触ったかもわからない程度だ。


 わたしのはじめては、まだ奪われてない。

 落ち着かせようと思ったはずなのに熱がどんどん上がっていく。


(奪うって、……ちょっと!)


 

「もう体調大丈夫なの?」

 彼は振り返らずにしゃべりかけてきた。泣いている女の子の気遣いかもしれない。

 

「うん!大丈夫!」

 ノートにかじりつくふりをして、下を見ていた。


 

 私は、感染症にかかり一週間休んだ。


 机上には、友達が善意で貸してくれた休んでいた分の授業のノートだ。

 一心不乱にノートをうつしていたらこんな時間になっていた。



 久しぶりの学校は、複雑な感情が回りあっていた。

 人間関係や勉強に遅れを感じ、どうしようもない気持ちを自覚した途端に彼が現れた。本当に間の悪い出来事だった。


 クラスメイトの女子の涙なんて、男子生徒の一番苦手なものでは?

 私が逆の立場だったら、非常に困る。

 

 シャーペンを強く握りすぎて指が白くなっていた。


 

「ねぇ、もう帰る?」


 握っていたシャーペンは突然の重力に傾いた。

 彼の節くれだった人差し指は、私のシャーペンのノックを床に近づけるように押していた。

 何度も軽く押しては、離す。

 シャーペンでつながった私たちの手は、シーソーのように揺れていた。


 背中を向けていた奥田君は、いつの間にかこちらを見て、目だけ少し笑ってる。



 手が触れていないのに、触れているような。

 恋人でもないのに、甘えられているような。経験したことのない感覚だった。


「今日のノート、ちょっと借してくれない?」


 何を考えているかわからない彼に、小さく頷いた。

 自分の机の中の、ノートを手渡す。


「さんきゅ~」

 やわらかい口調でノートを受け取り、見慣れた背中を向けた。


 静寂が訪れ、遠くで吹奏楽の音と運動部の声が微かに聞こえる。


 奥田君は、公欠が多く勉強や人間関係のズレなんて日常茶飯事だろう。

 彼に比べたら自分の焦りは小さく感じた。


 私の些細な気持ちを、奥田君が感じ取ったのかはわからない。

 ただ彼が、やさしいことだけわかる。


 見慣れた教室で文字をなぞる音が、お互いを安堵させた。




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