銀眼の魔女と偽物の勇者 短編
少年は貧しい生まれの者だった。
両親の顔は覚えていない。気がつけば、貧民街で荷運びなどをして食いつないでいた。
仕事を頼む商家の旦那は、何やら少年の両親に恩義があると言っていたが、
恩があるなら、もっと良い暮らしをさせてくれればいいのにと少年は思った。
それでも、食えるだけましか。
少年は、今しがた荷を届けた大きな屋敷を見上げる。
石造りの長い壁、立派なアーチ門。
中にはプールだってあった。
飲み水だって安くはないのに、
飲むのでも湯浴みに使うのでもなく、ただの水遊びに大量の水を使うのだという。
少年には、にわかに信じられなかった。
どんな悪いことをすれば、こんな立派な屋敷に住めるのか。
「正直者で、善良な俺には縁のない話だ」
少年は皮肉げに呟いた。
仲間が聞いたなら、「お前のどこがだ」と唾を飛ばすだろうが、
少年自身は心の底からそう信じて疑わなかった。
「この家に何か用かね?」
不意に声をかけられ、
横を見れば、年老いた男が一人、少年の傍らに立っていた。
「いや、なんていうか、どんな悪人がこの家に住んでるんだろうって考えてたんだ」
少年は言った。
老人は豆鉄砲でも食らったような顔をしたあと、
大きな声で笑い声を上げた。
「悪人か!
そりゃあ傑作だ。
だがな、なぜそう思う?」
「だって、こんな大豪邸に住んでるんだ、悪人に違いないよ。
それに、ここに住んでる悪人は、水を飲まずに遊びに使うっていうんだぜ?」
良心があるなら、配ってやるはずだ。
――例えば、自分のように、貧しくも慎ましく健気に生きている少年に。
だから良い心を持たない、極悪人に決まっている。
少年はそう主張する。
老人はますます笑みを深くした。
「そうか、そうか、なるほど。お前の言うことは理に叶っている。もっともだ。
だがな、小僧――正直すぎると身を滅ぼすぞ?」
そこでようやく、少年は気づいた。
老人が立派なコートと、宝石を散りばめたステッキを持っていることに。
――やらかしたな。
少年はそう思ったが、
そのあたりの切り替えの早さが、彼の良さでもあった。
「立派な杖だね。
こりゃあ、善良な爺さんしか持てないやつだ」
「じゃあ、俺はこのへんで」
そう言ってそそくさと立ち去ろうとする少年を、老人は呼び止めた。
***
目の前に、色とりどりの果物と焼き菓子が並んでいた。
澄んで冷えた水もある。
「お前は大層面白い。わしの話し相手になってくれ」
やはりというか、老人はこの屋敷の主人だった。
名をレイブン。
この海沿いの町一帯を治める大領主だ。
不敬を働いた罪で罰を受けるのかと思ったが、
逆に、目の前のごちそうを食べて良いという。
毒でも入っているのかもしれないが、どちらにせよ少年に拒否権はない。
少年は無遠慮に、果物を、焼き菓子を手当たり次第にとっては口に運んだ。
「水が欲しかったんじゃなかったのか?」
「水以外のごちそうがあるのに、水なんて飲んでられないよ。
気にしなくていい。水は俺の革袋に入れてくれ。
俺は善良な人間だから、水遊びなんかに使わずに、持って帰って貧しい子供に分けてやるさ」
少年は悪びれる様子もなく革袋を差し出し、焼き菓子を摘む。
愚かというか、豪胆というか。
老人はますます気に入り、
「お前、何か望みはあるか?」
と尋ねた。
少年は顔をしかめる。
けれど、食べるのをやめる様子はない。
「そうだな――船が欲しい。
この海で一番速い船だ!」
少年の答えに、老人は満足そうにうなずいた。
「聞きたくはないか?
わしがいかにして財を築いたか」
「それと、世界一速い船は関係あるのか?」
少年は財宝について、意外なことにさして興味を示さなかった。
老人には分かっていた。
彼が望むのは、富や名声ではない。
心躍る冒険と、自由なのだ。
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「もちろんだとも!
わしの話を聞くがいい。
海を、魔境を渡ったわしの話を!」
老人の奇妙な昔語りは、こうして幕を開けたのだった。




