第六話
イレーネの家に戻ると、彼女は手早く薬草をまとめ、炉の火を落とした。
夕暮れが窓から差し込み、室内の輪郭を曖昧にしていく。
「……さて」
椅子に腰掛け、イレーネは真一を見る。
「刀の話だったな」
「あぁ」
真一は、壁に立て掛けられたそれへ視線を向けた。
黒い鞘。飾り気のない柄。
腰に差しているだけなのに、確かな存在感がある。
抜こうと思えば抜けるはずなのに、
“抜いてはいけない”という感覚だけが、はっきりとあった。
「正式な名は分からない」 イレーネは前置きしてから言った。 「だが、古い記録では、こう呼ばれている」
「――アンシースド。“鞘に収まらぬもの”」
モルが、ぴたりと動きを止める。
「神話に直接の記述はない」 「正確には、“存在した痕跡だけが残っている”」
「痕跡?」
「大地が揺れ、空が割れ、風が鳴いた」
イレーネは淡々と続ける。
「そうした災厄の記録がある場所には、必ず説明の抜け落ちた空白がある」
「土地が使えなくなった」
「生命が定着しない」
「魔法が成立しない」
「――禁忌領域」
真一は、本で読んだことを思い出し、静かに息を吐いた。
「それが、刀のせいだと?」
「“抜かれた結果”である可能性がある、という仮説ね」
「確証はない。でも……」
イレーネは真一を見る。
「お前が畑で、鞘に入れたまま振るった時」 「魔物の魔力は、抵抗もなく消えた」
「抜かれていない」
「だから、壊れていない」
「……つまRI?」
モルが首を傾げる。
「抜けば、この世界から“居場所”を奪う」
イレーネは静かに言った。
「土地も、生き物も、魔法も」
部屋が、わずかに冷えた気がした。
「だから再封印を勧めたい」
「それは危険すぎる」
真一は、少しだけ考えた。
――世界から拒絶されている。
その感覚は、この世界に来てからぼんやりとあった。
魔法が通じない。
常識が噛み合わない。
どこにも完全には属せない。
でも、いや、それなら。
「……なぁ、イレーネ」
真一は、彼女を見た。
「その神話、解明したいんだろ」
イレーネの目が、わずかに揺れる。
「王国も神殿も、隠したがってる」
「知ろうとすれば、消される類の話だ」
「それでも、お前は調べてる」
沈黙。
「……えぇ」
イレーネは認めた。
「私は、知りたい」
「だったら」
真一は肩をすくめた。
「俺が手伝ってやるよ」
モルが目を見開く。
「俺は、この世界からズレてる」
「魔法も、常識も、完全には通らない」
「だからこそ、触れられるものがある」
イレーネは、すぐには答えなかった。
真一は分かっている。
これは善意じゃない。
利用の提案。
だが――それでいい。
前の世界では、必要とされないまま切り捨てられた。
この世界では、拒絶されているからこそ、必要とされる。
その矛盾を、真一は、怪我の療養中にはっきりと理解していた。
「神話の解明を手伝う」
「その代わり、俺はこの剣を持つ」
「封印はしない」
「鞘から抜くかどうかは、俺が決める。生き残るために必要なことを、やる」
長い沈黙の後、イレーネは息を吐いた。
「……危険な取引ね」
「どうせ封印したって、また誰かに見つかるだけだ。現に、今は俺が持ってるだろ」
イレーネは、真一を見つめたまま、ふっと笑った。
「随分、吹っ切れた顔だ」
真一は答えなかった。
その理由は、彼女には分からない。
だが、真一自身には分かっている。
――必要とされる場所を、やっと見つけただけだ。
「俺は灰色街に戻る」
真一は立ち上がり、刀を腰に差した。
「やることがある」
「なら」
イレーネは一瞬考え、
「モルを連れて行け」
「いいのか?」
「この子は“記録する側”の存在だ」
「それに、モルの仲間を見つけることも、必要だからな。きっと役に立ってくれる」
モルが胸を張る。
「仲間に会いたいZE☆!」
真一は肩に飛び乗ってきたモルを見て、鼻で笑った。
「……行くぞ」
*
煤と油の匂いが染みついた地下室。
石壁に灯る魔導灯が、集まった影を歪めていた。
「……以上です」
頭を下げているのは、治癒士の男だった。
灰色街で日銭を稼ぐ下級魔法士。
だがその実、表向きの身分は仮のものだ。
「路地で負傷者に治癒を施しました。
その際、一人だけ、魔法が“通らない”者が」
報告を受けているのは、壮年の貴族。
灰色街では名を伏せ、裏では複数の利権を操る男だった。
「通らない?」
「はい。抵抗がある、というより…… “届かない”感覚です。魔力が、触れる前に消えるような」
一瞬、周囲が静まる。
だが――
「……くだらんな」
貴族は、興味なさげに手を振った。
「神話の与太話だろう。“魔法が効かぬ者”など、書き手の誇張に過ぎん」
治癒士は言葉を詰まらせる。
「しかし……」
「仮に本当だったとしても、偶然だ」
貴族は冷たく切り捨てた。
「世界の理が、そう簡単に狂うものか」
彼は立ち上がり、別の男へ視線を向ける。
「それより――計画はどうなっている」
空気が変わった。
報告役の男が、即座に答える。
「予定通りです。灰色街南区画での“事故”は成功。建物崩落として処理され、責任の所在も曖昧です」
「よし」
「周辺の炭鉱についても、“立ち入りの危険性”を理由に、王国の調査団を誘導しました」
貴族は、わずかに口角を上げる。
「……何組消えた?」
「七のうち、三です」
「上出来だ」
神殿、軍、王家――互いに牽制し合う中で、
“誰の責任でもない失踪”が増えていく。
「王国は内側から腐っている」
貴族は静かに言った。
「だからこそ、我々の出番だ」
治癒士は、まだ迷いを捨てきれずにいた。 「……あの、男の件は?」
「放っておけ」
即答だった。
「灰色街の者など気にする理由もない」
「それに、今は、もっと大きな駒を動かしている最中だ。集中しろ」
貴族は背を向け、部屋を出ていく。
その背後で、治癒士は拳を握りしめた。




