第四話
窓の外は淡く白んでいた。
森の朝は早い。鳥の声と、木々を揺らす風の音が、静かに混じり合っている。
真一が身を起こそうとすると、腹の奥がじくりと痛んだ。
「まだ無理をするな。食事は運んできてやる」
木椀が差し出される。湯気の立つ薬草粥だった。
「二日目にしては顔色がいい。いくら私の腕が良いからといって、その回復力は見上げたもんだな」
イレーネは淡々としている。
その横で、小さな影が机の上に飛び乗った。
「Yo!まだ生きてるNA☆」
三十センチほどの、クマのぬいぐるみのような生き物。
丸い目がやけに生き生きしている。
「……なんだ、お前」
「オレはモルってんDA☆!よろしくNA☆!」
イレーネは気にも留めず、椅子に腰を下ろす。
「全く運のいい奴だ。ほぼ死にかけていた」
「あぁ…だろうな…」
真一は乾いた笑みを浮かべる。
モルが頷く。
「内臓無事で奇跡DA☆ 普通なら、ドーン!でペシャだZE☆」
真一は粥を一口すすり、息を吐いた。
「……助けてくれて、感謝する」
「さて、色々と聞きたいことがあるが、まずは...」
イレーネは、真一を真正面から見据えていた。
「……お前は何者だ」
声音は低く、感情を削ぎ落としている。
「お前には、魔法が効かない」
「……え?」
思わず、食事の手を止めた。
「正確には、干渉しない。回復も、強化も、補助もだ」
「......」
モルが割り込む。
「魔法、スルー体質DA☆ レアすぎてオレも初めて見たZE☆」
「魔法が効かないものは、私が知る限り、この世界には存在しない。魔法はこの世界の理の一つだからだ」
「...待てよ、つまり俺は魔法を使えない.......?」
「使えない」
「そういえば、灰色街で治癒魔法ってのをかけられたんだが、効かないみたいなこと言ってたが...」
「治癒も効かないのよ」
「なんだよ!せっかくこの世界に来て、空を飛んだり、手から火を出したりできると思ってたのに!」
真一は悪態をつきながら、粥を食べる。
「お前はどこから来た」
イレーネは冷静に聞いた。
ーーーエルディナ王国から来た、とかそういう話じゃないんだろうな。素直に話してみるか。
そう思うと、一息つき、話し始めた。
「......俺は別の世界から来た......と思う」
「イレーネは転生って言葉、知ってるか」
「…....」
真一は、窓の外を見る。
「俺もよく分からんが、説明できるとしたら今はそれしか言いようがない。確かなのは、俺は殺された。向こうの世界で」
「……」
「で、次に目が覚めたら、エルディナ王国とかいう聞いたこともない国の道端にいた」
イレーネは、しばらく何も言わなかった。
モルも、黙って真一を見つめている。
「この世界の神話を話そう」
イレーネはおもむろに立ち上がり、棚から古い石板を一つ取り出した。
「神話?なんだよ急に」
「まぁ聞け」
イレーネは石板を机に置き、指先で埃を払った。
刻まれている文字は古く、だが摩耗は少ない。何度も“読み直された”痕跡がある。
「これは、今この大陸で最も一般的に知られている“起源神話”だ」
石板に触れたまま、イレーネは語り始める。
「――世界はかつて、混沌としていた。大地は荒れ、空は裂け、理は定まらず……そこに“神々”が降り立った」
真一は黙って聞く。
モルは机の端に座り、両足をぶらぶらさせている。
「神々は理を定め、世界を整えた。
その際、世界に仇なす存在――“悪魔”が生まれた」
「神々はそれを討ち、世界は救われた。
その後、神々はそれぞれの役割を終え、姿を消した――と、そう書いてある」
イレーネは石板から手を離した。
「ここまでは、どの国でもほぼ同じ内容だ。多少の言い回しや神の名が違うだけでな」
「神と悪魔、どこも神話ってのは似たようなもんなんだな」
「まぁ、そうかもしれんな」
イレーネは一度、真一の顔を見る。
「だが……私は、いくつか引っかかっている点がある」
「引っかかってる?」
「まず、“悪魔”だ」
イレーネは淡々と続ける。
「悪魔の姿は、文献ごとに違う。角があるもの、影のようなもの、巨人、獣、あるいは“人の形”」
「人の形?」
「そうだ。だが――」
イレーネの声が、わずかに低くなる。
「どの文献にも、悪魔の“種族名”は書かれていない」
モルがぴくりと耳を動かした。
「ソコ、オレも気になってたZE☆」
「神話における敵役は、普通もっと明確だ。誰が、どこから来て、何をしたか。だが悪魔だけは、いつも“ふわっと”している」
「でも神話ってそういうもんじゃないのか?俺がいた世界にも神話とか昔話はあったが、だいたいは曖昧で、誇張があって、辻褄が合わないもんだった気がするが」
真一は食べながら返す。
「確かにそうだ。“神話として残る分には”な」
真一が顔を向ける。
「だが、この世界では―― 神話は“過去の物語”では終わっていない」
彼女は石板に指を置く。
「王は神話を根拠に統治する。教会は神話を根拠に裁く。戦争は神話を理由に始まる」
「……」
「それでもなお、“ここは曖昧だ” “ここは語られていない”そんな空白が、あまりにも都合よく残されている」
イレーネは一度、言葉を切る。
「偶然だと思うか?」
イレーネは静かに続ける。
「神話自体が曖昧なのはまだわかる。だが――」
「今の世界はその曖昧さを利用して作られている。私はそんな気がしてならない」
ーー神話の利用。確かに政治的利用なんてのはあり得る話だ。
「次に、魔法だ」
「また魔法か……」
「重要な点だ」
イレーネは窓の外、森の木々を一瞥する。
「神話では、魔法は“神々が世界に残した恩寵”とされている。だが――」
一拍置く。
「魔法が生まれた“過程”が、どこにも書かれていない」
真一は眉をひそめた。
「過程?」
「技術でも、知識でも、力でもいい。何かが世界に根付くなら、必ず試行錯誤がある。失敗がある。だが神話では、魔法は最初から“完成品”だ」
「魔法の起源が曖昧ってのは……例えば火とか道具みたいに、生活に必要だったから自然に生まれた、ってだけじゃないのか?」
イレーネは、すぐには否定しなかった。
「……その考え自体は、学術的にも支持されている」
「原始魔法は、火を灯す、水を清める、傷を塞ぐ。生活と密接だったのは確かだ」
「だろ?」
「だがな」
「火には“最初に火を起こした者”がいる。言語には“最初に言葉を結んだ集団”がいる」
「……」
「だが"今の魔法"には、それがない」
真一が眉をひそめる。
「最初の魔法使いが誰だったのか。どの地域で、どの種族が、何をきっかけに使い始めたのか」
「神話は語らない。いや――語らないように書かれている」
イレーネは続ける。
「生活に必要だったから広まった、という説明は通る。だが“どうやって理に組み込まれたか”が説明されていない」
「火は物理現象だ。再現すれば、誰でも使える」
「だが魔法は違う。使える者と、使えない者がいる。才能、血筋、種族で明確に分かれる」
「それを“自然発生”の一言で片付けるには、あまりにも都合が良すぎる」
「さっきも言ったが、魔法は、この世界の“理”だと書かれている。にもかかわらず――」
イレーネは真一を見据える。
「...なるほどな。言いたいことはなんとなくわかってきた」
「つまり、今までイレーネが抱いていたこの世界の在り方や神話、魔法への疑問が、俺と会ったことで確信に変わりつつある、ってところか」
「話が早いな」
「これでも察しは良い方でね。神話通り、魔法がこの世界の理なら、俺が今ここにいること自体がおかしいってことになる」
「あぁ。魔法が使えない者でも、影響は受ける。もし魔法が"本当に世界の理”なら、その理に触れない存在など、最初から想定されていないはずだ。」
「まるで、この世界そのものから拒絶されているような...」
ーー世界から拒絶。真一は日本での体験を思い出さずにはいられなかった。かつて組織に歯向かい、捨てられ、その挙句ーー
「拒絶されているってのは、辛い言葉だが初めてじゃねぇ」
真一は、苦笑した。
「まだある」
イレーネは話を止めそうにない。
真一は思わず口を挟んだ。
「……なぁ」
真一は、空になりかけた木椀を机に置いた。
「一つ、聞いていいか」
イレーネは答えず、続きを促すように視線だけを向ける。
「なんで俺に、この話をした」
森の外では、風が枝を揺らしていた。
その音が、妙に大きく聞こえる。
「俺はただの流れ者だ。こんな話、王や学者にすればいい」
「それとも……」
真一は一瞬だけ言葉を選び、言った。その視線は鋭い。
「俺が“異物”だからか」
モルが、思わず口を噤んだ。
イレーネは、すぐには答えなかった。
しばらくして、静かに息を吐く。
「……正直に言おう」
彼女は椅子に深く腰を下ろした。
「私は、この世界の真実を知りたい」
「学者としてでも、魔女としてでもない。ただの――知性ある存在としてだ」
「だがな」
イレーネの目が、わずかに鋭くなる。
「それを追い始めた瞬間から、危険が伴う」
「危険?」
「そうだ。神話を疑うことは、王権を疑うことだ。魔法を疑うことは、教会を敵に回すことだ」
「歴史を疑えば、国境が揺らぐ。秩序が崩れる」
「私は一人だ。森に籠もる魔女で、力も立場も限られている」
「だから――」
イレーネは、真一をまっすぐ見た。
「“例外”が必要だった」
「例外?」
真一は思わず拳を握った。
「ああ」
「この世界の理に組み込まれていない存在」
「神話の外から来た者」
「魔法に縛られず、それでいて、この世界で生きている者」
「まさかそんなものが存在しているとは思ってもなかったがーー お前は、その全てに当てはまる」
真一は、しばらく黙っていた。
日本での記憶が、胸の奥でざらつく。
「……要は、利用したいってことか」
「否定はしない」
イレーネは即答した。
「だが、同時に――これはお前にとっても、無関係な話ではない」
「どういう意味だ?」
イレーネは、石板に手を置いたまま言った。
「お前がなぜここに来たのか」
「なぜ魔法が効かないのか」
「なぜ、この世界に“存在できている”のか」
「それらは、神話と魔法の起源に必ず繋がっている」
「もし真実に辿り着ければ――」
一拍置いて、
「お前自身の“立ち位置”が、はっきりする」
「この世界で、何者として生きるのか」
「何に縛られ、何から自由なのか」
一息置き、イレーネは真一を真っ直ぐ見据える。
「......この世界に居場所はあるのか」
ーー 居場所。その言葉を聞いた瞬間、真一の胸の奥で、何かが軋み、弾けた気がした。
「……居場所、ね」
真一は鼻で笑った。
「ずいぶん都合のいい言葉だ」
「そうだな。だが、誰にとっても必要だ」
イレーネは静かに言う。
「知った者は、もう元の場所には戻れない」
モルが、軽く肩をすくめる。
「後戻りは出来ねぇZO☆」
沈黙。
やがて真一は、天井を見上げた。
「……俺は、この世界に来てから、ずっと“わけがわからない”状態だ」
「魔法は使えない。知らない国で、知らない争いに巻き込まれる。」
そして日本での出来事や、ここに来るまでのことを思い出す。
「都合のいい言葉で塗り固めて、その裏で誰かが踏み潰される」
「灰色街も、炭鉱も、あの爆発も…俺が殺されたことも…」
「世界の都合で“仕方ない”で済ませてきたんだろ」
言葉に、棘が混じる。
正義を信じた。
ルールを信じた。
組織を信じた。
結果はどうだった。
「…異物、例外…この世界でもまた居場所が...」
ぽつりと漏れた声は、驚くほど低かった。
イレーネが、何も言わずに見ている。
モルも、ふざけた調子を封じたまま黙っていた。
「神話だの、理だの……」
真一は、ゆっくりと顔を上げる。
「前の世界じゃ、それを“大人の事情”って呼んでた」
「責任は曖昧に、罪は薄めて、血だけは現場に残す」
一瞬、歯を噛み締める。
「……ふざけるな」
怒鳴ってはいない。
だが、その一言には、確かな熱があった。
「知りたい、だと?」
真一は、イレーネを見る。
「いいさ。知ってやる」
「どうしてこうなってるのか」
「誰が、何を隠して、誰の上に立ってるのか」
拳を、静かに、さらに握り締める。
「ただしな」
声が、さらに低くなる。
「知った結果、壊れるもんがあるなら――」
「俺は躊躇しない」
「守るためだろうが、正義のためだろうが、神話のためだろうが」
「踏み潰す価値しかないなら、全部同じだ」
部屋の空気が、張り詰めた。
イレーネは、ほんの一瞬だけ目を細め、
そして、はっきりと頷いた。
「……覚悟は、決まっているようだな」
「覚悟?」
真一は、短く鼻で笑う。
「違う」
「これは――怒りだ」
「今度こそ、俺は俺の居場所で生きる」
窓の外で、風が強く吹いた。
木々がざわめき、枝が軋む。
まるで、世界そのものが、わずかに身じろぎしたかのようだった。
森の朝は、もう完全に明るくなっていた。




