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第三話 後半

木と土の匂い。

踏み固められた床。

見覚えのある、古い道場。


正面に立っていた父は、無言で木刀を構えている。

いつものように、構えに無駄がない。


「……まだ試合に勝ちたいなどと言っているのか」


低く、吐き捨てるような声。


「何度言えばわかる。うちは勝つための剣術ではない」


真一は、歯を食いしばった。


「でも……」

「勝たなきゃ意味ないだろ」


父は、わずかに眉をひそめた。


次の瞬間、踏み込んでくる。


――速い。


木刀が、真一の肩を打ち抜いた。

「...ぐっ!」

痛みと同時に、体勢が崩れる。


「だから弱い」


二撃、三撃。

反撃の隙すら与えない。


「剣はな、勝つためのもんじゃない」

「生き残るためのものだ」


「意味を証明したいのなら」

「まず、死ぬな」


真一は、倒れ込みながら叫ぶ。


「生き残って……!」

「それで、何もしなかったら意味がないだろ!」


父の動きが、止まった。


しばらく沈黙が落ちる。


やがて、父は刀を下ろした。


「……だからだ」


背を向けたまま、言う。


「何もできなくなるくらいなら」

「最初から、理想なんぞ振り回すな」


「剣は、生き延びた奴にしか握れない」


その背中は、遠かった。

理解を拒んでいるようで、

同時に、必死に何かを守っているようでもあった。


ーーー


「……痛そうね」

真一の肩を見て、少し微笑みながらそう言う。


「お父さんはね、言い方が致命的に下手なのよ」


真一は、唇を噛んだ。


「父さんは……考えが古いんだ」


「あの人は、“変えられない世界”を前提にしていただけ」


「だから、生き残ることに全てを賭けたの」


マグカップを差し出す。

いつもの仕草。


「真一、あなたはね」

「世界を変えたいと思ってしまう」


「それは、とても危険なことよ」


真一は、俯く。


「はい、真一。あなたの番」


畳の上に、小さな盤が置かれていた。

木製の、古びた将棋盤。

駒は何個か欠けていて、文字も少し擦れている。


母は、微笑みながら言った。


「……角、行ける?」

「行けるわよ。でも、行かなくてもいい」


真一は、盤を睨みつけていた。

父とは違う時間だ。


父の稽古は、

速く、痛く、間違えれば終わり。


母の前では、

考える時間が許されていた。


「ねえ、真一」

「将棋って、何のためにやると思う?」


「……王様を取るため」

「半分、正解」


母は、盤面を指でなぞる。


「もう半分はね」

「“相手に選択肢を与えない”ためにやるの」


真一は、首を傾げた。


「取れる駒があっても」

「すぐに取らない方がいい時がある」


そう言って、母は自分の歩を一つ進めた。


「今、あなたは角で私の銀を取れる」

「でも、取ったらどうなる?」


真一は考える。

数手先を想像する。


「あ……」

「角、取られる」


母は頷いた。


「そう」

「“勝てる一手”は、だいたい罠なの」


「大事なのはね」

「次の次まで、相手が“どう動くしかなくなるか”を見ること」


真一はふーん、という顔をしながら母に聞く。


「……母さんってさ」

「なんで将棋、強いの?」


「母さんがお仕事してた時の上司がね、好きだったの。よく付き合わされてたけど、気付いたら楽しくなっちゃって」

「どういう仕事?」

「...シンクタンクってわかる?誰かのために情報を集めて分析するお仕事よ」


部屋の片隅には母が仕事で使っていたであろうノートがあった。

新聞の切り抜き。

統計表。

海外のニュースを訳した紙。

「――可能性」

「――リスク」

「――見せかけ」

そんな言葉が、走り書きされている。


「なんで辞めたの?」


母は、駒を一つ倒し、言った。


「...その上司、すごく仕事が出来るんだけどね、ある時から仕事に来なくなっちゃったの。」

「......噂では何か事件に...巻き込まれたって...」


母は少し暗い顔を見せた。


「......母さんはちょうど真一がお腹にいた頃でね......」


母はそれ以上語らなかった。


「...母さんの番だよ」

真一は何かを察したように、母に次の手を促した。


次の一手をすぐに打つ。真一はまた考え込み、一手を打つと、母は言う。

「ねぇ真一、母さんがさっき打ったこれ、どう思う?」

「どうって......」


母は将棋盤を指差しながら言う。

「これは“脅し”」

「取らなくてもいい。でも、放置できない」


真一は、息を呑んだ。


盤の上で、母の駒は少ない。

だが、自由に動けないのは――自分の方だった。


「……母さん」

「これ、ずるくない?」


母は、くすっと笑った。


「ええ、ずるいわよ」

「でも、現実はもっとずるい」


「正しい人から先に、不利な場所に立たされる」


「だからね」

「戦う前に、盤を作りなさい」


「勝とうとしなくていい」

「相手が“間違える状況”を作りなさい」


真一は、黙って駒を動かした。


すぐに勝てる一手を、あえて捨てる。

代わりに、相手の逃げ道を一つずつ塞ぐ。


母は、その手を見て、目を細めた。


「その打ち方、覚えておきなさい」


母の顔は優しくも、しっかりと真一の目を見つめていた。


「それはね」

「誰にも気づかれずに、盤を支配するやり方よ」


---

--

-



目を覚ました時、真一は木の天井を見ていた。


鼻をつくのは、薬草の匂い。

柔らかな布の感触。


「……ここは……」


喉が、ひどく渇いている。


「起きたか」


落ち着いた女性の声。

視線を動かすと、長い髪を束ねたエルフの女性が、椅子に腰掛けていた。


「無理に動くな。内臓は傷ついていないが、出血が酷かった」

「……助けてくれたのか」

「結果的には、ね」


少し離れたところで、小柄なクマのぬいぐるみのような生き物が、じっとこちらを見ている。

「Yo!お前、運が良かったNA☆」


真一は、天井を見つめたまま、静かに息を吐いた。

「……そうか」


なぜか、悔しさよりも、妙な納得があった。


(また、生き残った、か)


「イレーネ・アウレリアよ」


「……シンイチ・ミノシマだ」

真一はこの世界の名前の法則に則り名乗る。


「あの刀はあの場所で見つけたのか?」

イレーネは、部屋の隅を指した。


「…刀?…ああ、それか。そうだが。」


そこには、布を被せられた一本の剣が、静かに横たわっていた。


「...そう。早速だが食事にする。そこで色々と聞きたいことがある」

「……わかった...」

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