第二話
真一はムスッとした顔で縛られていた。
縄は古く、何度も使い回されたものだ。
扱いが雑なところを見ると、こうした「処理」は日常茶飯事なのだろう。
ーーー が、結び方が甘いな。
真一は周囲に悟られないように、後ろ手に縛られた手で、抜け出せるくらいに縄を緩めた。
「……で? こいつ、どうする?」
「警備隊に知らせたって、どうせ無視されるだけだしな。」
灰色街の住民たちは、真一を取り囲みながらも、距離を保っていた。
誰も近づこうとしない。
恐れているのは、真一ではなく、関わることそのもののように見える。
真一は、その空気を痛いほど理解していた。
――助けたところで、感謝なんてされない。
それどころか、厄介事を運んできた存在として扱われる。
日本で、何度も味わった。
「……悪かったな。全裸なのは不可抗力だ」
ぼそりと呟くと、数人が顔をしかめた。
「言い訳するんじゃねぇ」
「いや、そこは言い訳させてほしい」
真一はキリッとした顔で答えると、一人の女性が前に出た。
「この方が私を助けてくれたのは事実です」
沈黙。
取り囲んでいる住民たちは、やはり一定の距離を保ち、真一に疑い、怒り、恐怖などの感情をその目に宿しながら、真一を見ていた。
真一は彼らを観察しながら、
「(さっき街で見かけた被り物かと思ってた奴らといい、そこに立ってる奴らといい……生きてる生物なのか?)」
真一を取り囲む者たちの中には、人間の見た目とは明らかに違う者たちも複数いた。
だが、その目に宿る感情はどれも似た負の感情だ、そう感じた。
そしてある男が言う。
「俺たちに危害を加えないのならそれでいい。さっさと出て行け」
ある住民がそう言うと、周囲は散り散りに解散していった。すると、一人のヒゲを蓄えた男が真一に近づいて言う。
「これでも着てろ。」
ボロボロの衣服を真一のそばに投げると、そのヒゲ面の男もどこかへ行ってしまった。
「あの、ありがとうございました」
そう言って縄を解こうとした彼女だったが、真一は自力で縄を解き、立ち上がった。
「あぁ、気にするな。着るものも手に入ったしな!」
真一はニコニコしながら服を着た。
しかし彼女は気まずそうに下を向きモゾモゾしている。
真一は彼女の態度の意味を理解して、
「な、なぁ、良かったらこの国のこと教えてくれないか。実は俺、ここに来たばかりで何もわからないんだ。」
と切り出した。
「は、はい。あの…、良ければうちに来ませんか。何もないですが。」
「いいのか?俺はその、怪しい奴だぞ?」
「もちろんです。さっき縛られていた時、あなたは強いのに、あの人たちに暴力は振るわなかった。理由はそれで十分です。」
「私はミラといいます」
「簑島真一だ」
「変わったお名前ですね。どちらがお名前ですか?」
「真一の方だが…」
「では真一さんと呼んでも?」
「あぁ。よろしくミラ」
真一とミラはぬかるんだ道を二人で歩きだした。
「さっきの縄はどうやって解いたんですか?」
ミラは早速話をし出した。
「あれは昔……、あー……、ある人に習ったんだ。使うことはないだろうと思っていたんだが、まさか役に立つなんてな。」
真一は苦笑いで返した。ミラは感心したように真一を見ている。
「それで、ここはどこなんだ?」
「ここはエルディナ王家が治めているエルディナ王国です。」
「(エルディナ?聞いたことがない。街並みはどことなくヨーロッパっぽいが)」
「あっ、そういえば、さっき向こうの街で空中をふわふわと浮かんでいた奴がいたり、変な被り物のような奴がいたり、今日は祭りでもあるのか?」
「いえ、浮かんでいたのならそれは魔法ですよ。というか真一さん、もしかして魔法を知らないんですか!?」
「(......魔法!?冗談だろ?でもミラのこの反応は嘘をついているとも思えない.......。今は話を合わせておいた方が良さそうな気がする)」
「い、いや、魔法なのはわかってるんだが、どういう魔法なのかなーと思って」
「私にはわかりません。そもそも浮かぶ魔法は高度な魔法らしいので。私には知識も技術も無いんです。」
「そ、そうか。いやー俺も飛んでみたいもんだなー、ははは(やっぱり魔法は存在している?しかも当たり前かのように......)」
「そうだ。良かったら、ミラの家で地図を見せてくれないか?もっとこの国を知っておきたい」
「......ありません。」
ミラは俯き、少し間をおくとそして真一の顔を真っ直ぐに見て、
「この灰色街には、何もありません。」
ミラの顔には諦めたような、そんな悲しみとも怒りとも違う感情が宿っている気がした。
そして顔を伏せながら説明する。
「エルディナ王国は七区の区域があって、それぞれ実質管理している貴族がいます。ですが、私たちがいるここ、王都第七旧居住区グラウ・レムナンツには実質管理者がいません。色褪せ、捨てられたこの場所の責任を、貴族や国がお互いに押し付けあっているという噂です。そんなこの場所を、人々は灰色街と呼びます。」
捨てられた街。
その言葉を聞いて、かつて組織から捨てられ、まるで世界に存在していないかのように暮らしていた、段ボールの家が脳裏をよぎった。
また真一はミラの説明を聞いて、あることも思い出した。
「(そういば警察官時代に配属された捜査二課の先輩が言ってたな。この世界には当然だが管理されていない場所など存在しない。どんなに狭くても。もしそう言われている場所があるのなら、そう思わせたい理由が必ずある。そしてほとんどの場合、その場所の責任を負いたくないか、その方が得をするのが理由だ、って。この世界に当てはまるかはまだ不明だが、何かしら事情があることは確かだ......)」
ーー先ほどとっさに出た剣術や縄を解いたことを思い出し、日本での思い出自体は苦いものだが、知識と経験は生きている。真一はそうも思った。
するとミラは立ち止まり指を指した。
「......着きました。ここが私の家です」
「......これが家」
真一の視線の先にあったのは、
家と呼ぶにはあまりにも頼りない建造物だった。
石と木材を雑に積み上げただけの壁。
所々に空いた隙間は、板切れや布切れで無理やり塞がれている。
屋根は傾き、雨水が流れ落ちた跡が壁に黒い筋を作っていた。
ドアは一応存在しているが、蝶番が歪み、完全には閉まらない。
「......すいません。本当に何もなくて......」
ミラは申し訳なさそうに言う。
「いや......」
真一は言葉を選びながら続けた。
「思ったより、ちゃんと“住んでる”感じがしたんだ」
ミラは一瞬、きょとんとしたあと、ほんの少しだけ口元を緩めた。
中に入ると、空気はひんやりしていた。
床は土がむき出しで、踏むたびにわずかに沈む。
家具らしいものは、粗末な机と椅子が一脚ずつ、あとは古い寝具だけ。
だが、掃除は行き届いていた。
必要最低限のものが、丁寧に使われているのがわかる。
「お姉ちゃん?」
奥から、小さな声がした。
「ルカ。今帰ったわ」
現れたのは、ミラよりずっと小柄な少年だった。
痩せてはいるが、目はしっかりしている。
「誰?」
「助けてくれた人よ。真一さん」
少年は一瞬警戒したが、すぐに頭を下げた。
「よう。俺は――」
言いかけて、言葉を止める。
「......まぁ、通りすがりだ」
その時だった。
ドンッ!!
地面を揺らす爆音。
家全体が軋み、天井から土埃が舞う。
「きゃっ!」
「ルカ!」
外から悲鳴と怒号が聞こえてくる。
「……爆発?」
真一が外へ出ようとした、その瞬間。
再び轟音。
今度は、もっと近い。
家の外壁が崩れ、瓦礫がなだれ込む。
「危ない!!」
少年のいた位置に、木材が倒れかかる。
考えるより早く、真一の体が動いた。
「伏せろ!」
ルカを突き飛ばし、
自分がその下敷きになる。
――鈍い衝撃。
――焼けるような痛み。
「ぐっ……!」
右脇腹に、何かが深く突き刺さった感覚。
「真一さん!!」
視界が揺れる。
血の匂いが、はっきりとわかった。
気付けば、真一は近くの路地に寝かされていた。
「じっとしてろ」
年配の男が、真一の傷口を見下ろしている。
首から下げた紋章と、手にした杖――治療魔法士だ。
辺りには住民たちがやはりある程度距離を取りながら見ている。
魔法士は言う。
「治療魔法は必要か?」
「は、はい!もちろん!」
「カネは?」
「え......」
ミラが息を呑む。
「先払いだ。カネがないなら、他を当たれ」
「で、でも......このままだと......」
淡々とした声。
ミラは唇を噛みしめ、震える手で小袋を差し出した。
「......払います」
中身を確認した魔法士は、少しだけ眉をひそめた。
「......足りないが、まぁいい」
渋々、杖を掲げる。
「ヒール」
淡い光が、真一の体を包む――
しかし。
「............?」
痛みが、消えない。
むしろ、何も変わらない。
「な......?」
魔法士がもう一度詠唱する。
「ヒール!」
結果は同じ。
血は止まらず、真一の呼吸は荒いまま。
「おかしい......効かない......?」
「ど、どういうことですか!?」
ミラの声が震える。
「......わからん。魔力は通っているはずだ」
「どうにかしてください!この人は、私の弟を助けるためにケガを......!!」
そう叫ぶミラの横から、ヒゲ面の男が近づいてきた。真一に服を渡した男だ。
「おいそこの魔法士、治せないんならそのカネをその子に返してさっさと出ていけ!」
そう言って魔法士に手を差し出す。
「い、いや、私は確かに魔法は使った!だからこの金は私のものだ!」
魔法士がそう叫んだ途端に周りからの怒号が飛ぶ。
「ふざけるな!」
「また俺たちを騙そうってのか!」
「灰色街にはいるはずのない治療魔法士が、爆発があってすぐにここに来るなんておかしくないか!?」
灰色街の住民は次々に怒号を魔法士に浴びせると、さすがに観念したのか、カネが入った小袋をその場に投げ捨て、走り去って行った。
ヒゲ面の男は小袋を拾ってミラに手渡すと、
「おい、荷車を貸してくれ」
と、住民の一人に言う。
「どこに運ぼうっていうんだ?俺たちを治療する奴がいたとしてもカネがないだろ」
「......アテはある。急いで持ってきてくれ」
そう言われると、その住民はヒゲ面の男の迫力に気圧され、慌てて荷台を取りに走って行った。
ある住民が問う。
「なぁ、ゲンゾルグ。なんでそんなにこいつに肩入れするんだ?」
ヒゲ面の男、ゲンゾルグは少し間を置いて話す。
「......お前らはここで…この灰色街で…身分関係なく誰かを助けた奴を見たことがあるか?」
辺りは沈黙している。
「この男はどこの馬の骨ともわからん灰色街の住民を助けた。二度もだ。こんなことになりながらもな」
住民たちは真一の状態を見ながら、何かを思い悩んでいる。顔を伏せているもの、泣いているものもいた。
「わしらは…変わらなきゃならん。いつまでもこんなところで苦しめられるのは、もう我慢が出来ん!!」
住民の一人がゲンゾルグに聞く。
「なら、どうしようっていうんだ?こいつを助けて、俺たちの何が変わるっていうんだ?」
「わからん。でもこの男を助けないと、わしらはもう二度と戻れん気がする。それに......」
「おーい!持ってきたぞー!」
荷車を取りに行った住民が戻って来た。
「早く乗せろ!」
ゲンゾルグは真一を荷車に固定した時、改めて真一の容体を確認した。
「顔色が悪い。急がんと。」
さらに荷台に固定された真一を隠すように、大きな布を被せた。そして荷車を引き、勢い良く走り出した。
もう少しで灰色街に出るというその時、
「私も行きます!」
後ろを見るとミラが走ってくるのが見えた。
「はぁはぁ、私も......同行します」
「駄目だ。これから行く場所は王国の外にある森。魔物の棲み家だ。危険過ぎる」
「でもそれはゲンゾルグさんも同じでしょう?」
ミラは真っ直ぐにゲンゾルグの目を見た。
「わかった。」
ーーこうして二人は王国の外の森へ向かった。




