*閑話・狸と狐*
「なぜあの高慢な娘をユリシスの婚約者にしたのです!」
王妃の甲高い声が謁見の間に響き渡る。
金糸を思わせる長い髪が揺れ、紅い唇が怒りで震えていた。宝石を散りばめた髪飾りが光を反射し、彼女の険しさをさらに際立たせる。
「アメリア・グランディール……あの子は昔から妙に賢しく、しかも図太い精神を持っております。妃教育の場でも、わたくしがどんなに突いても眉ひとつ動かさず、あの澄ました笑みばかりで腹が立つったら!」
女狐のように王妃は目を吊り上げる。その声音には、長年抱えてきた苛立ちと憎悪が滲んでいた。
「この前のお茶会でもそうです。わざわざ茶器に細工をしておいたのに――よりによって、虫の浮いたカップを『まあ、珍しいお客様ですわ』などと笑って見せる始末でしたのよ!」
紅の唇が歪み、王妃の金の髪が肩先で揺れる。
「他の令嬢たちは青ざめて悲鳴を上げていたというのに、あの子だけがどこまでも澄まして……しかも、わたくしの庭園を持ち上げるような言葉で場を収めてしまったのです。呪われた王子の婚約者らしい振る舞いをすればよいものを、逆に品格を示してどうするのです!」
「ははは」
国王は喉を震わせ、狸じみた笑みを浮かべた。
「そなたが仕掛けた策が、見事に裏目に出たというわけだな」
「……っ」
王妃は悔しげに唇を噛みしめる。
今度こそあの生意気な令嬢をやり込めることができると思ったのに、またしてもあの娘は王妃の手をするりと躱してしまった。
呪われた王子の婚約者ともなれば、少しはあの顔が歪むと思っていたのに、だ。
(わたくしが何のために、これまであの王子を貶めてきたと思っているのよ……!)
王妃の胸の奥に、長年積もった怨嗟が渦巻いていた。
第二王子ユリシスは、母を早くに亡くしている。王妃から見れば側妃の子――疎ましい存在でしかなかった。母の死に続くように周囲で病や事故が重なったのは、単なる偶然にすぎなかったのだが、黒髪に金の瞳という珍しい容姿はそれを“呪い”に仕立て上げるには都合がよすぎた。
人々がひそかに抱く薄気味悪さを、王妃はそっと押してやっただけ。噂を囁き、言葉を散らし、些細な不幸を大きな禍に見せかける。そうやって「呪われた王子」という烙印は固まっていったのだ。
孤立させて仕舞えば、後はどうということはない。自分の子であるフレデリックの地位は確固たるものとなり、王位継承についても心配することはない。そう、早めに釘を刺しただけだ。
だが、そんな王妃の苛立ちをよそに、国王はどこか愉快そうに顎を撫でている。
丸々としたその姿は、油断ならぬ狸のようだ。
「ふむ……だがな、王妃。考えてみよ。あの娘を妃に据えるよりは、まだ良いではないか。そなたはフレデリックの婚約者に据えておく方が良かったと申すか?」
「……っ」
王妃の顔が固まる。返す言葉を失い、紅い爪が肘掛けをぎゅっと掴んだ。
第一王子フレデリックの隣に立たせていたなら、今頃はどうなっていただろうか。
答えは明白だ――アメリアの頭の回転と気丈さは、あまりに扱いにくい。
「そうではあるまい?」
王はにやりと目を細める。
「没落寸前の侯爵家の娘。権力を持たぬ、しかし血筋は確か。ユリシスに余計な力を持たせぬには、最も都合のよい相手であろう」
ぐぬぬ、と王妃の喉から押し殺した声が漏れる。
言い返したい。けれど確かに、理屈としては正しい。彼女自身も、アメリアの才覚を恐れていたからこそ、フレデリックから遠ざけたいと願っていたのだ。
「王妃よ、案ずるな」
王の声は飄々としている。
「そなたが苦手とする娘も、リュストアの地に嫁げば王宮からは遠い。お前の目に入ることもなかろうて」
「…………」
女狐王妃はきつく唇を噛み、悔しげに視線を逸らした。
狡猾な狸の言葉に、完全に返せる術を持たないことを悟ったからだ。
「……ですが陛下。あの娘は油断なりません」
王妃の金の髪が揺れ、青白い指がぎゅっと膝の上で組まれる。
「グランディール家は確かに傾いておりますが、血筋だけは王家にも劣らぬ名門。しかも、あの子は生真面目で賢く、何よりも心が折れません。だからこそわたくしは、フレデリックの隣に置くのが嫌だったのです」
「ふむ」
国王は大きな体を背凭れに預け、わざとらしく目を細める。
「つまりそなたは、己の息子があの娘に見劣りするのを恐れた、と?」
「なっ……!」
王妃の紅い唇がわずかに震えた。即座に否定したいのに、口をつぐむしかなかった。
彼女は現王妃として揺るぎない立場にある。外戚ベルモント家の後ろ盾を背に、王宮の采配を長年握ってきた。王太子フレデリックを次代の王に据えるのも、その力あってこそだ。
だが――彼女自身が最も恐れるのは、権力を持たない「呪われた王子」ユリシスではなく、あの銀髪の娘が与える予期せぬ影響なのかもしれない。
「よいか、妃よ」
国王はゆっくりと身を乗り出し、狸のように目を細めて続ける。
「ユリシスはこれから臣籍に降下し、リュストアを治める公爵となる。あの寒村同然の辺境を治めるには、気丈で頭の切れる伴侶が必要なのだ。そなたの嫌うその性質こそ、奴には必要なのだろうよ」
「だからといって、あの娘じゃなくとも──」
「グランディール家が中央にいても目障りだろう」
王は冷淡に告げる。
「あの地は世間の目から遠く、なにをしても表沙汰になりにくい。強い者が行って自治を整えさせれば、領は安定するし、我が王家にとっても好都合だ。要するに、飼い殺しにするには実にちょうどよい環境というわけだな」
辺境に押しやれば問題は目立たず、王位継承の脅威も遠ざけられる──王の腹の内には、そうした現実的な計算が渦巻いていたのだ。
王も、第二王子の底知れぬ力を恐れている。
だからこそ、これまで王妃が彼を虐げようとも見て見ぬ振りをしていたのだ。
「王太子の隣はクラリッサで十分。お前もそう思うだろう?」
「……はい」
しぶしぶ絞り出す声に、国王は満足げに頷く。
「ならば良い。ユリシスもアメリアも、遠くリュストアにおさまれば王宮に波風を立てることもあるまい」
そう言って、王は愉快そうに笑った。
王妃はその一言に全身が硬直するのを感じた。狸の笑みが、自分の策を嘲るかのように見えたからだ。
(……いいでしょう。ならば、わたくしが直接、あの娘を押し潰して差し上げますわ)
あの娘の顔を屈辱に歪ませたい。
女狐の瞳に、次なる策を練る冷たい光が宿っていた。
国王と王妃の化かしあいでした!