04 お茶会①
王都の石畳を、きしむ車輪が一定のリズムで刻んでいた。
その音に合わせて馬車が揺れるたび、アメリアの膝の上で置かれた手がふわりと揺れる。
「お嬢様に、このような扱いがあっていいのでしょうか!」
向かいの席で頬を真っ赤に染めているのは、侍女のロザリーだった。栗色の髪をきっちりとまとめ上げた髪型は、几帳面な彼女の性格をそのまま映し出している。
ロザリーは両の拳を膝の上でぎゅっと握りしめ、怒りを露わにしている。
「ロザリー、そんなに力を入れたら手に傷がついてしまうわよ」
アメリアが静かに諭すと、向かいの席で拳を握りしめていた侍女がはっとした顔をした。
ロザリーは幼い頃からアメリアに仕えてきた忠実な侍女である。侯爵家が傾き使用人の数が減ってもなお彼女だけは離れず、常に傍らで主を守ろうとする気持ちを隠そうとしない。
その大きな瞳は今も憤りで潤んでいた。
「だって、一週間前に王命が下って、第二王子殿下の婚約者と決まったばかりなのですよ! それなのに、すぐさま臣籍降下してリュストアに行ってしまわれるだなんて! 王家はお嬢様を、何だと思っているのですか!」
揺れる馬車の中で、ロザリーの言葉が鋭く跳ね返る。
確かに、あの王命からわずか数日のうちに、第二王子ユリシスは王籍を離れ「リュストア公爵」となることが発表された。王都から遠く離れた、国境近くの痩せた土地。これまで王家の誰も積極的に治めようとしなかった冷遇の領地だ。
事前に説明を受けていたとはいえ、その赴任の報せは唐突で、婚約者であるアメリアと顔を合わせることすらないまま彼は王都を発ってしまった。
「仕方ないわ。ユリシス殿下が企んだことではないでしょうし」
「ですけれど……!」
元婚約者のフレデリックがアメリアに対してひどい態度を取る度に、ロザリーがこっそり憤ってくれていたことを思い出す。
なんというか、主人愛がとても重いのだ。
(心配してくれているのね。ふふふ)
けれどアメリアは紅の瞳を細め、窓の外を流れる街並みに視線を移す。おっとりとした笑みを崩さず、静かな声音で答えた。
「ロザリー、あまり熱くなってはだめですわ。今からが本番なのだし」
そう。これから足を運ぶのは、王妃に招かれた茶会だ。
思えば婚約者が第一王子であった頃、王妃から幾度も妃教育と称した細々とした叱責を受けたものだ。歩き方が気取っているだの、扇の持ち方に可憐さがないだの、声はよく通るのに愛嬌が足りないだの……。
王妃の笑顔は常に優雅であったが、その舌鋒は鋭く、ひとつひとつの言葉が針のように刺さったものだ。
そしておそらく、今日はそこにクラリッサが加わることだろう。考えただけで大変そうだ。
「お嬢様はどうしてそんなに落ち着いていらっしゃるのですか? 世間では“呪われた王子”と囁かれている殿下のお相手に選ばれたというのに、その殿下がこちらを顧みることもなく地方に下ってしまうなんて……!」
彼女の声が震える。
アメリアは静かに瞬きをしてから、小さく笑んだ。
「ロザリー。リュストアは大切な辺境の地です。ユリシス殿下が新たな領主となったのなら、すぐに向かうのが筋でしょう? わたくしたちは領民のためにあるのだから」
その声音は穏やかでありながら、確固たる芯を持っていた。
ユリシスが王家から冷遇されている事は確かだろう。だが、公爵として彼の地を治めるというのであれば、まずは痩せた土地と蔑まれてきたリュストアに、彼という存在が根を下ろす必要がある。
ロザリーは俯き、唇を噛む。
「……ですが、だからといって。お嬢様が軽んじられているのではと、わたしは悔しいのです」
アメリアは一瞬だけその言葉を胸に留め、それから目を細めて微笑んだ。
「大丈夫よ、ロザリー。わたくしは呪いなどに怯えませんし、誰かにどう思われようと、気にして立ち止まるような暇もありませんもの」
揺るぎない声だった。
おっとりとした調子の奥に、静かに燃える芯の強さがある。
ロザリーは言葉を失い、やがて「はい……」と小さく呟いた。
しゅんと眉を下げて、先程までの勢いは鳴りを潜めている。ユリシスの置かれた立場も理解しようとしてくれているのだろう。
(まあでも、エドマンドも怒っていたわね、ふふ)
ユリシスの臣籍降下と領地への出立の知らせを受けた日のことを思い出す。エドマンドはにこやかに「早いものだね」と笑って言っていたが、笑顔のままこめかみがぴくぴくと引き攣っていた。弟なりに怒りを堪えていたのだろう。
「ロザリー。あなたがわたくしのことを考えてくれてとても嬉しいわ。お給金もあまり出せないのに、こうして侯爵家に残ってくれたのもとてもありがたく思っているの」
アメリアは穏やかに笑った。
全盛期と比べれば、今の侯爵家は見る影もない。かつて十人以上いた侍女や従僕も、今ではほんの数人しか残っていない。払える賃金は五分の一程に落ち込んでしまったというのに、それでも彼らは去らなかった。忠義か、情か――理由はどうあれ、アメリアにとっては心からありがたいことだった。
「そ、そんな! お嬢様、お顔をお上げください!」
ロザリーは座席から思わず立ち上がり、瞳をうるませながら拳を握った。栗色のまとめ髪がぶるぶると揺れる。
「このロザリー、どこまでもお仕えいたします! たとえ王家に何をされようと、リュストアがどれほど痩せた土地だろうと、必ずお嬢様のお傍でお守りいたします!」
胸に拳を当てて言い切るロザリーの姿に、アメリアは紅の瞳をやわらかに細める。
「まあ……ロザリー、わたくしに付いてきてくれるの?」
おっとりとした声音で問うアメリアに、ロザリーは目を潤ませ、しかし力強く頷いた。
「はい、どこまでも! 色々と鍛えたり、エドマンド様と投資の話もしておりますのでご安心くださいませ。旦那様の意見と反対の方に投資すれば勝てるということが分かっております」
「そ、そうなのね」
その真っ直ぐな忠誠と桁違いの熱量に圧倒されつつ、アメリアはふわりと微笑む。
「心強いわ。ありがとう、ロザリー」
侯爵家の誇りも屋敷の威光も今や失われつつあるけれど、こうして傍らに残ってくれる者がいる。その事実が、どれほど支えになることか。
そんな思いを胸に、アメリアは揺れる馬車の窓の外へと視線を移した。
***
王宮の庭園。
色とりどりの花々が咲き乱れ、優雅な楽団の調べが風に乗って流れている。
招待客の令嬢たちは皆、豪奢なドレスときらびやかな宝石に身を包み、笑みを浮かべて談笑していた。
(やはり、みな呼ばれているのね)
その中央、白百合の刺繍が施された長椅子に腰かけているのが王妃である。紅い唇にかすかな笑みを浮かべ、鋭い眼差しで客人を見渡している姿は、まるでこの庭そのものを支配する女王のようだった。
「ようこそいらして、アメリア・グランディール侯爵令嬢」
低く艶やかな声に促され、アメリアは薔薇色のドレスの裾を優雅に広げ、深く一礼した。
「お招きに感謝申し上げます、王妃殿下」
王妃やその傍らにいるクラリッサ、それから他の令嬢たちの視線を感じながらも、アメリアは笑顔を崩さない。
(さあ――どのような茶会になるのでしょうね)
用意された椅子に腰かけると同時に、アメリアは胸の奥で小さく息を吐いたのだった。
侍女の名前をエリス⇒ロザリーに改名しました。